ストーリー

田中真輝 2022年8月28日「表彰」

「表彰」

ストーリー 田中真輝
   出演 遠藤守哉

とある夏の日。
俺があまりの暑さに朝から何もせず
クーラーの効いた狭いワンルームでグダグダしていると、
玄関のチャイムが鳴った。

面倒くさいなど思いながらドアを開けると、
そこには、この暑さにも関わらず
かっちりとしたスーツに身を包んだ初老の男が立っていた。

「こんにちは、今田義彦さんですね?
わたくし、日本政府の方から、あなたを表彰するために伺った者です」

日本政府?の方?表彰?新手の押し売りだと思った俺は、
間に合ってますなどと言いながらドアを閉めようとする。

「ちょちょちょ、ちょっとまってください。
わたしは正式な政府の人間です。
賞状だけじゃないんです、ちゃんとした副賞もございますので!」

副賞、と聞いて少しひるんだ隙をついて、
その男は強引にドアの隙間に足を突っ込むと、
恐るべき柔らかさで身をくねらせながら玄関に侵入してきた。

「皆さん、最初は警戒されるんです。
でもなんてったって、日本政府からの表彰ですから。
副賞付きの。そんな名誉をご辞退されるなんて、ねえ?」

そういいながら、
男は手にしていた筒からおもむろに丸まった紙を引き出すと、
その場で読み上げ始める。

「表彰状、今田義彦殿。
あなたは日々、朝起きてから夜寝るまで、
余計な情熱を燃やすこともなく、与えられた仕事を淡々とこなし、
褒められもせず、けなされもせず、
でくのぼうと呼ばれることも特になく、
ひたすらにごくごくあたりさわりないのない生活を続けられていることを、
日本政府として、ここに賞します。はい、賞状と副賞をどうぞ」

賞状と、「現状維持」と書かれたキーホルダーを渡される。
このキーホルダーが副賞なのだろう。
あっけにとられている俺に、政府から来たという男は、
こぼれんばかりの笑顔で話し続ける。

「なぜわたしが、と皆さんおっしゃいます。
しかし意外とあなたのような方はいらっしゃらないんですよ。
ええ。SDGsという言葉をご存じですか?
持続可能な成長目標、というやつです、
ええ。昨今の資本主義社会は、経済成長を重視し過ぎた挙句、
環境と人類の存続を脅かすまでになってしまいました。
日本政府はこの問題を解決するために、
まったく成長もしない、かといって負担にもならない、
そういう毒にも薬にもならない稀有な存在を、
ゼロ・エミッション生活者と名付け、表彰するという政策を打ち出したのです。
はい、そうです、あなたはその厳しい条件に適合した、
貴重なゼロ・エミッション人材なのです!おめでとうございます」

そういうが早いか、自称政府の男は私の手をとって猛烈に上下に振り始めた。

「今田様には、これからもぜひ、何の野心も好奇心ももたず、
粛々と人生を生きていっていただきたい!
いやもちろん、言うほど簡単なことではないでしょう。
周りの人から、そんな無気力なことでどうするといわれることも
あるでしょう。
しかし、そんな甘言に心を動かされてはなりません!
あなたはありのままのあなたでいい!
そこに存在するだけでよいのです。
もともと特別なオンリーワンなのですから!」

涙ぐむ男を見て、俺も少し胸が熱くなる。そうか、俺はこのままでいいのだ、と。

満面の笑みで去っていく政府の男を見送って、後ろ手にドアを閉める。
クーラーが効いた、ひんやりとした部屋に戻ると、手にしたキーホルダーを
眺め、現状維持、とつぶやいてみる。

目の前にまっすぐな道が見える気がした。まっすぐ、どこまでも続く一本道。
ふと見上げた窓の外から、ヒグラシの鳴き声が聞こえる。
今日も、何もしなかった一日が暮れていく。



出演者情報:遠藤守哉

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いわたじゅんぺい 2022年8月21日「かんな 2022夏」

かんな 2022 夏

     ストーリー いわたじゅんぺい
       出演 齋藤陽介

かんなは小学生になった。
特に泣いたりすることもなく、
毎朝、登校班の集合時間の10分前に、
張り切って集合している。

ランドセルはピンク。
一年生なので黄色いカバーをかけているが、
ピンクのランドセルを背負って
小学校に通っている。

ランドセルは重い。
教科書やノートだけでも
十分重いのだが、
最近の小学生はさらに
ノートパソコンを持たされる。
うかつにランドセルを渡すと
よろけるくらいに重い。

でも、それに鍛えられたのか、
スーパーに一緒に買い物に行った時、
リュックを持たせてその中に
キャベツや山芋なんかを入れたのだが、
「ぜんぜんかるいよー」
とご機嫌に持ってくれた。

最近のトレンドは「うんてい」で、
端から端まで
一人で渡れるようになったらしい。

好きな科目は「ずこう」。
これは僕と同じだ。

給食は食べるのが遅くて
毎日ちょっとずつ残すらしい。
晩ごはんものんびりずっと
食べているタイプなので、
決められた時間で食べるのは
苦手なのだろう。

それでも給食は楽しみなようで、
「あしたのきゅうしょくなに?」
とよく聞かれる。
「じゃこご飯って書いてあるよ」
と僕が冷蔵庫に貼ってある給食便りを見ながら答えると、
「じゃこってなに?」
と聞くので
「小さくておいしいおさかな」
と答えると
「えもいさかな?」
と聞かれた。
「えもい?」
どう言う意味で「エモい」を
使っているのかわからなかったが、
おもしろかったので
「そうだよ」と答えておいた。

ひらがなもだいぶ書けるようになってきた。
書けることが楽しいのか、
買い物用のメモも率先して書いてくれるのだが、
ひらがなで、

ぶにゃぶにゃのほれいざい
まぎーぶいよん
せりあでせんめんきおおきめ22せんちいじょう

と隙間なくびっしり書かれていると
何かの呪文にしか見えない。

夜はトントンとお腹の辺りを
叩いてあげてないと眠れないのだけど、
僕も妻も急ぎの用があって
トントンできなかった時は、
仕方なく自分でお腹の辺りを
トントンと叩きながら寝ようとしていた。
けなげな子である。

半年前は自分のことを
「はむちゃん」
と呼んでいたが、最近は
「ぽにーちゃん」
と呼んでいる。
近所のポニーランドで
白いポニーに乗って以来、
ポニーが好きになり
そう呼んでいる。
かわいいといえばかわいいが、
「ぽにーちゃん」は
「おにいちゃん」
と聞き間違えやすいので、
親としては迷惑ではある。

サザエさんを見ていた時、
アナゴさんを見て
「このひとのくちびる、はだいろだよ!」
と驚いていた。
アナゴさんの唇の分厚さじゃなくて
色に着目する人を初めて見た。
いい目の付け所だ。

目の付け所といえば、
この前急に
「いちばんさいしょのひとはだれがうんだの?」
と質問されて、答えに窮した。
一番最初の人を生んだ人は
その人が一番最初の人になるから、
永遠に一番最初の人が
特定できないパラドックス。

僕がうなりながら感心していると、
もうその質問は忘れたように
かんなは七夕飾りをつくっていた。

折り紙を何回か折って切れ目を入れて、
広げると網のようになる飾りを作ろうとしたけど、
切り方を間違えて全然広がらず
「あれー?」と言っている。

今年の短冊には、
「かぞくみんながなかよくくらせますように」
と書かれていた。



出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属





かんな 2022冬:http://www.01-radio.com/tcs/archives/32004
かんな 2021春:http://www.01-radio.com/tcs/archives/31820
かんな 2020夏:http://www.01-radio.com/tcs/archives/31699
かんな 2019冬:http://www.01-radio.com/tcs/archives/31528
かんな 2019夏:http://www.01-radio.com/tcs/archives/31025
かんな 2018秋 http://www.01-radio.com/tcs/archives/30559
かんな 2018春:http://www.01-radio.com/tcs/archives/30242
かんな 2017夏:http://www.01-radio.com/tcs/archives/29355
かんな:http://www.01-radio.com/tcs/archives/28077

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三井明子 2022年8月14日「50肩の夏」

50肩の夏

  ストーリー 三井明子
    出演 平間美貴

夏に出かけても暑いだけだし
夏に出かけても日に焼けるだけだし
夏なんてみんな汗だくで
夏なんて好きじゃなかったのに
夏なんて全然好きじゃなかったのに
夏だからってやたら出かけたがる人たちを見て ちょっとひいてたのに
夏だからってはしゃいでいる人たちを見て さめてたのに
今はすごくうらやましい

原因は腕
腕というか肩
正直に言うと50肩
30代なのに50肩?
どうやら年齢関係なく50肩っていうらしい

なんだか腑に落ちないけれど
とにかく50肩になって以来さんざんだ
歯磨きも手を洗う事だって不自由
ましてや髪を洗うのは大仕事
着替えるのも大変で
もう見た目なんかかまってられたもんじゃない
ちょっと出かけるのもひと苦労

出かけられないとなると出かけたくなる
人間の習性か
私があまのじゃくなのか

夏の日差しの中、出かけたくなんかなかったはずなのに
夏の暑い中、汗だくの人になんか会いたくなかったはずなのに

な〜んていう独白でストーリーがはじまると
体の不調をきっかけに
夏という季節を見つめ直し
夏に出かけることを好きになっていく
新しい世界を、新しい自分を、見つける
そんな前向きな展開になっていきそうですよね

ところが
ところがなんです
その後、なんとか、50肩は治りましたが
翌年の夏、
どこかに積極的に出かけたりすることはありませんでした
あの経験をきっかけに
夏を好きになるなんてこと、まったくありませんでした
もちろん今年の夏もなるべく出かけず、家にこもってゲームです

人間そんなに変われるもんじゃありませんね
なにかをきっかけに、人は成長できることを知る、
という話は多いけど
実際には、
なにかをきっかけに、人はそう簡単に成長できないことを知ることのほうが
多いと思うんです
夏が、50肩が、教えてくれました。



出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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佐藤充 2022年8月7日 「ラオスにて、夏。」

ラオスにて、夏。

     ストーリー 佐藤充
        出演 地曳豪

2時間待っている。
ラオスのメコン川に浮かぶシーパンドン島にいる。
電気も通ってない。特に見所もない。法律もない。
欧米のバックパッカーが朝から葉っぱを吸っている。
フライドライスを注文したのは2時間前。
「まだ?」
「今、作っているから待ってくれ」
作っている様子はない。
ラオス人は気まぐれでマイペースで怠け者だ。
太陽も月とすぐに交代したがる。
足元には野良犬が寝ている。
ビールだけが注文してすぐくる。
空きっ腹にはしみる。

日本を出て1ヶ月になる。
このお金は、
就活には自動車免許がないと不利になるから30万貸してくれ、
夏休みに免許合宿に行くから、
と留年したことを隠し就活しているふりをして
親から騙しとったお金だ。
そして、就活しているふりをする罪悪感に耐えられなくなり、
そのお金で日本から後ろめたい気持ちで逃げてきた。
こんなことしたらダメじゃん、と思う。
親不孝者だ、とも思う。
そんな男にも彼女はいる。
彼女には出発前に、キミは無職になる気がするけど、
無職になっても好きな気持ちは変わらないからね、と言われた。
地味に傷ついた。
このような極悪非道なことをしているくせに
地味に傷つくほどの自尊心が自分にまだあることに気づき
恥ずかしくなった。
またビールを飲む。

無職の自分を想像する。
お金もない。甲斐性もない。そのくせ見栄だけは人並みにある。
きっと無職でも彼女に就職したふりをして、
スーツに袖をとおし毎朝うしろめたい気持ちで家を出る。
ああ、いつになったらおとなになれるのだろう。
またビールを飲む。

それにしても、毎日のビール代が1番の出費だ。

西日が差すメコン川を、飲みかけのビールの瓶越しに眺める。
ガラスのなかで屈折する光には不思議な力がある。
別な時間を覗き込んだような気分がする。

「おとなだ!あそこにおとながいるぞ」
「わ、おとなって本当にいるんだ」
「はじめてみた」

いつか子供たちがおとなを見て言う。

龍、天狗、河童、おとな。

数百年後にはおとなは龍などと並んで架空の生き物と言われている。
世界には子供しかいない。そしておとなには羽が生えている。
子供たちはおとなを見つけては追う。
追っては石を投げ捕まえ、
羽をむしり、お尻の穴に綺麗なビー玉を入れたりする。

おとなは必死に逃げる。
子供から、仕事から、結婚から、納税の義務から、光熱費の支払いから、
日曜日のサザエさんから、満員電車から、
上司からのインスタグラムのフォローリクエストから、
自分にだけ反応してくれない自動ドアから、
気づいてくれない松屋の店員さんから、
バレンタインデーの日の妙な緊張感から、
エレベーターでたまたま同じ階の人と一緒になった気まずさから、
好きな女の子が過去に16人と付き合ったことがあるという事実から、
うるさい人とめんどくさい人が有利なことが多いこんな世の中から、
「なんで怒られてるかわかる?」という
どう答えても怒られる気がする質問から、
「あなたのためを思って〜」という守備範囲の広い
優しさに見せかけた自分のことしか考えていない人から。

嫌なことすべてから逃げるためおとなは羽が生えた。

ビール瓶を覗くのをやめた。
生ぬるくなった液体を全て飲み干す。
ようやくフライドライスがきた。
チリソースで甘辛い。
ここでの生活も悪くないと感じる。

待っている間に蚊に数カ所刺されていた。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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廣瀬大 2022年7月31日「真夜中の奇妙な生き物」

真夜中の奇妙な生き物

ストーリー 廣瀬大
   出演 遠藤守哉

夕日が沈み、人々が眠りにつく。目を閉じて、みんなが夢の中に落ちていく。
今夜もまた、家の屋根の上に奇妙な生き物がやって来る。
ぐ〜っと鳴る腹。大きく灰色の体は象に似ているけれど、
象にしては毛深く、耳が小さく、鼻が短い。足には白い毛がふさふさと生えている。
しかも、ふわふわと宙に浮かび、ゆっくりと家の屋根から屋根へと飛び移ってく。

この生き物、夢を大好物とするバク。夜、人が見ている夢を食べる奇妙な生き物。
今夜もバクは家から家へ、夢の匂いを嗅ぎつけて、大好物の夢を探す散歩をする。
「うーん、うーん」
たかしくんがベッドの中でうなされている。夢の中でたかしくんは教室にいる。
いつも苦手な算数のテスト。
テスト用紙に向かって一所懸命答えを書こうとしているのに、一つもわからない。
いや、いや、それどころではない。テストに書いてある問題の意味すらわからない。
周りの人たちが回答をどんどん書いていく鉛筆の音が教室に響く。
焦るたかしくん。
「うーん、うーん」
ベッドの中でも、教室の中でも嫌な汗をかいているたかしくん。
バクは灰色の長い舌を出して口の周りをべろりと舐める。
そして屋根を通り抜けてたかしくんの枕元に降り立つ。

このバク、ちょっと変わっていて怖い夢が大好物。
むちゃ、むちゃ、むちゃ、むちゃ。
テストを解けない夢がバクによって食べられていく。
よだれを遠慮なく垂らしながら、悪夢を食べていくバク。
漆黒に濡れた目がたかしくんを見つめる。
ベッドの中でうなされていたたかしくんの表情が穏やかになっていく。
怖い夢を見た記憶も消えていく。
バクは食べ終わると鼻をんごんご鳴らして、また怖い夢を探しに別の家へと向かう。

「ひええええええ」
えりちゃんが二段ベッドの上でうなされている。
道を歩いていたら向こうから突然、
熊ぐらいある大きな犬がこちらに向かって歩いてきた。
えりちゃんは犬が大嫌い。まだ、えりちゃんが本当に小さかった頃、
犬が遊ぼうとじゃれて来て、でも、えりちゃんにはそれがとっても怖くて、
それ以来、犬が苦手になった。
夢の中の犬がえりちゃんに向かって走り始める。必死で逃げようとするえりちゃん。でも、怖くて足が動かない。走ろうとするのに言うことを聞かない足。
むちゃ、むちゃ、むちゃ、むちゃ。
大きな犬から逃げようとするえりちゃんの夢が食べられていく。
漆黒に濡れた目がえりちゃんを見つめる。
ベッドの中でうなされていたえりちゃんの表情が穏やかになる。
怖い夢を見た記憶も消えていく。
それでもぐ〜っとバクのお腹がまた鳴る。夢の残りをくちゃくちゃしながら、
バクはまた鼻をんごんご鳴らし、別の家へと向かう。

「ああああ、ああああ」
布団の中で、枕に頭を乗せたおじいさんが夢にうなされている。
夢の中で子どもに戻っているおじいさん。戦争で街が火の海になり、逃げ惑う人たち。
おじいさんはお母さんに手を引かれている。
「おかあちゃん、おかあちゃん!」
夢の中で子どもの姿に戻っているおじいさんが叫ぶ。
布団の中でもおかあちゃんと小さな叫び声を上げている。
おじいさんの苦しい顔を見下ろすバク。
むちゃ、むちゃ、むちゃ、むちゃ。
戦火を逃げ惑う幼いおじいさんとお母さんの夢が食べられていく。
でも、そのとき、夢の中で幼いおじいさんがお母さんの手をぎゅっと握った。
お母さんもぎゅっとこれまで以上に、小さなおじいさんの手を握った。
「おかあちゃん」と布団の中のおじいさん。燃え上がる家々。
誰かが転ぶ。鐘が鳴り続ける。「手を離さないでよう」
漆黒の濡れた目でバクはおじいさんの顔を見つめる。
布団の中でうなされるおじいさん。「おいてかないでよう」
迫ってくる火。ちりちりと燃え始めるお母さんの後ろ姿。
それでも手を離さないおじいさん。
バクは夢を食べるのをやめてそっとおじいさんの枕元から離れる。
悪夢にうなされるおじいさんを残してバクは寝室から出ていく。
そして、また、鼻をんごんごと鳴らし、別の家に夢を探しに出かける。
おじいさんはうなされる。
バクのお腹はぐ〜っと大きく鳴る。
夜空には都会の光で見えづらく誰も気づかないが、天の川が広がっている。



出演者情報:遠藤守哉

 

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安藤隆 2022年7月24日「 きょうは飛鳥さんと天の川」

きょうは飛鳥さんと天の川

 ストーリー 安藤隆
    出演 大川泰樹

 飛鳥さんが「天の川見たことない」と言う
から「天の川を、ミルキーウエイというのは、
どうしてですかあ?」と、僕の物知りぶりを
披露して、自慢しようとしたら「ひろしくん、
おしっこ出しなっ」と飛鳥さんが、寝ている
僕の僕を無造作につかんで、尿瓶の口に突っ
こんだ。
 ミルキーウエイの話が、どうしておしっこ
の話に変わったのと思ったけど、まあいいか
あ、と思った。僕は飛鳥さんを気に入ってい
るから。
僕は天の川を見たことがいっぺんある。あ
れはぜったい天の川だった。
 小学校4年と5年の2年つづけて、夏休み
のあいだじゅう、岐阜の山村にある父親の生
家に預けられて過ごした。
 庭で飼っている山羊の乳が搾りたてで毎朝
飲めるし、卵も生みたて、昆虫もいっぱい。
そのうえ店が忙しい親にとって、めんどくさ
い盛りの小学生を厄介払いできる一石二鳥の
アイデアというわけ。いま思い返せばね。
 僕は、でも、自然豊かな父親の村での夏を
十分楽しんだ。早朝、霧のかかった山へ入り、
みんなで蚕の桑の葉を摘んだ。夕方の矢作川
は、水面が斜めに光って、川がぐっと深くな
り、鮎がうようよいた。いとこたちが、おも
ちゃみたいな竹のモリで、たちどころに一人
5、6匹突いて、笹に刺し、意気揚々と持ち
帰った。
 天の川を見たのは、集蛾灯に集まる昆虫を
捕りに、夜の田んぼへ行ったときだ。うるさ
く飛び回るウンカや、蚊や、こがね虫や気味
のわるい蛾に混じって、目当てのかぶと虫も
いた。木の幹にいるのを見つけると、輝く宝
物だけど、集蛾灯のかぶと虫は、汚らしいた
だの虫に見えた。気分が下がって捕るのをや
めたら「お前が言うから連れてきてやったの
に」と、いとこたちは怒ったけど。
 その帰り道。異変を感じて見上げたら、空
が、集蛾灯みたいに細長く青白かった。星が、
虫みたいに集まっていた。
 「天の川だ、天の川だ」と騒いだら「きょう
は七夕でないで。8月だで。天の川でないわ」
と、いとこたちがバカにした。
 天の川は、天女の母乳が宇宙に飛び散った
んだ、だからミルキーウエイなんだ、という
話を飛鳥さんにまだできていない。飛鳥さん
なら飛び散らせるかもしれないね、と褒めた
いけど、セクハラじじいってまた言われるか、
あはは。
 僕はおしっこを尿瓶に垂れながら、子犬の
ように飛鳥さんを見あげる。
 「窓あけて天の川見たい」と甘えたら「見え
るわけないよ、夜でも明るいから」と言いな
がらあけてくれた。やっぱり飛鳥さんはやさ
しい。むーっとする湿った空気がさっそく入
ってくる。
 僕はベッドに寝たままだけど、二人で恋人
みたいにちょっと黙った。
 「汚いから、じぶんで拭いて」おしぼりを手
渡される。僕の僕にやっと届かせながら
 「来年の七夕って、飛鳥さんにまだ会えるか
なあ」と言ったら、
 「ひろしくん、おしっこけっこう出るから、
大丈夫だよ」と飛鳥さんが笑った。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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