中山佐知子 2007年2月23日



しょくらあと/心と言葉 

                   
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

               
いまごろ女は石段を数えながら上っているだろう。
注意深く足音を忍んではいるが
こんなに乾いた冬の日はどうしても下駄の音が高くひびいて
ああ、今日も大和路さんが出島に呼ばれていくのだと
あたりの家では噂をするだろう。

丸山の筑後屋が抱える遊女大和路。それが女の名前だった。
もちろん仮の名で本名は知らない。
女は生まれた土地の話もせず、両親の家も語らず
無理に尋ねようとすると
口だけでなく耳も目も閉ざしたようになってしまう。
馴染みをどれほど重ねても
女の心の入り口を探り当てることができなかったので
もう、心も言葉もこの女にはないのだと思うことにした。

心がない女の躰は従順だった。
その冷えた指をあたためようと私の躰のあちこちに置いてみたり
雪原のように凍った胸に手を差し入れてみても何の抵抗も示さず
そのかわり温もりもなかった。
その冷たさはひとり寝の夜にたびたび夢に出ることがあって
目が覚めると使いを出してまた女を呼び
ゆうべ夢の中であれほど踏み荒らした雪原が
再び冷たい静寂にもどっているのを確かめずにはいられなかった。

こうして冬が過ぎようとしていたある日
出航の予定が突然決まった。
私は思いがけず狼狽した。
女は私との日々の痕跡を留めず、他の客に寄り添うだろう。
私がさがせなかった女の心を他の男がさぐり当てることもあるだろう。
凍りついた女の肌を溶かすのはもう私ではなく見知らぬ男だろう。
別れた後の女を想像すると胸が焦げる思いがした。

私は女の従順さに満足していたので
躰がそばにあるときは心を望もうとせず
躰が離れるときになってはじめて女の心が欲しいと思ったのだ。

私は女を呼んでチョコレートを与えた。
 これは「しょくらあと」です。
 「しょくらあと」は誰かの心が欲しいときの贈り物です。
女は長い間じっとうつむいていたけれど
受け取らなかった。
無理に渡そうとすると、全身を固くして拒否の姿勢を示した。
私は言葉を変えた。
 「しょくらあと」は
 私の心をあげたいときの贈り物です。
 
すると女は同じ姿勢のままぽたんと涙を床に落とした。
私は女の心が少しだけ動いたと思い
そのわずかな心のしずくに自分が溶けていく感覚を覚えた。

そうして、日本には
1797年に長崎の丸山の遊女が
チョコレートをもらった記録が残っている。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

 *動画が出来ておらず、すみません。

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一倉宏 2007年2月16日



チョコレートには遅すぎる
                  

ストーリー 一倉宏                     
出演 森田成一

2月に入ったある日、彼女が、
「ねえ、どんなチョコレートが欲しい?」と聞くので、

「そうだな、32口径のオートマチックで、
 サイレンサーが付いてるやつ」と、答えた俺。

「また、わけのわかんないこと言って。なに、それ!」と、
彼女は、どんな性能のよいポットよりも早く、一瞬で湯気を立てた。

「ハードボイルド好きの俺様にチョコレートは似合わないのさ」
と、言いたいところだけど、それでは彼女を傷つけすぎる。
男は、優しくなければ生きていく資格がない、のは、言うまでもない。
だから、本当のような嘘のような、こんな話をした。

「むかし、近所のお菓子屋に、ピストルのカタチをした
 チョコレートが入荷したんだ。めったに出ないしろものさ。
 どんなにそのチョコレートが欲しかったことか。
 男の子たちは、みんな憧れたよ。」

やっと、意味がわかりはじめた彼女。俺は、つづける。

「しかし、俺はいち早くあきらめた。
 だって・・・ 自分の家の貧しさを恨むとしたら、それは、
 かあちゃんを恨むことになるって・・・ わかっていたから。」

湯気を立てていた彼女は、黙った。
そして、すこし考えてから、言った。

「だけど、やっぱり・・・
 ピストル型のチョコレートなんて、ぜったい嫌だな。
 そんな・・・ 物騒なもの、つくれない。」

「わかった。じゃあ、もっと平和的なやつを。」と、
 俺はリクエストした。

ハードボイルドな私立探偵には憧れるけど、現実のこの俺は、
私立大学英文科を出ただけの、極めて平和的な男だ。
・・・生きていく資格だけは、あると思う。

そういえば、英語で「 Chocolate Soldier 」、「チョコレート
の兵隊」
っていうのは、「戦争に行きたがらない兵隊」って意味だそうだ。
この場合の「チョコレート」は、たぶん「甘ったれた」とか、
「こどもみたいな」という意味なんだろう。

だとしても、いや、だとすれば、
チョコレートって、すごく平和的で、いいじゃないか。
俺は、そう思う。・・・ここは、アメリカじゃない。

いつの間にか、男が、若い男たちが、誰も、
「戦争には行きたくない」と言えない時代に、なっていないことを、
・・・俺は願う。

いつの間にか、この国の、バレンタインデーはとっくに終わって、
「チョコレートには遅すぎる」という、時代に・・・
気づかないまま・・・なっていないことを。

出演者情報:森田成一 03-3749-1791 青二プロダクション

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宗形英作 2007年2月9日



あなたは、チョコレートが好きですか?

                     
ストーリー 宗形英作
出演 平田満

あなたは、チョコレートが好きですか?
あなたの指先を見ていると、
あなたは、きっとチョコレートが好きに違いない、
と思ってしまう。

チョコレートの材料はカカオ、
年間平均気温が27度以上の熱帯地方でしか栽培できないらしい。
と、あなたに言ったら、あなたは、
温暖化で、いずれ日本でも、カカオが獲れるようになるかしら。

あなたは、ティカップに砂糖を入れてもいないのに、
ずっと親指と中指でつまんだスプーンでティをかき回している、
手持ち無沙汰になった人差し指が私の方を向いている。

人間以外のほとんどの動物は、チョコレートを食べると中毒に、
悪くすれば死に至る、
チョコレートに含まれているテオブロミンとかいうやつを代謝できないらしい。
と、あなたに言ったら、あなたは、
死にたくなるくらいおいしい、ってことかしら。

あなたは飲むためではなく、かき回すためにティを頼んだかのようだ。
相変わらず人差し指を立てたままスプーンを回している。

あなたは、チョコレートが好きですか?
あなたの指先を見ていると、
あなたはきっとチョコレートが好きに違いない、
と思ってしまう。

もしも、あなたの目の前にチョコレートを置いたとしたら、
あなたは親指と人差し指でチョコレートをつまみ、口の中に放り込む。

そして、チョコレートを一度舌の上でころがしてから、
あなたは、2本の指を舐める、
チョコレートをつまんでいた2本の指を舐め始める。
まず親指から。そして人差し指を。
指先に残っていたチョコレートの、
最後の一滴まで舐めつくすように、執拗に、ゆっくりと。

指先を口に含みながら、あなたは上目遣いに私を見る、
獣のような目で、私を見る、
その獣のような目は、あなたに似合う、
私は獣、だからチョコレートのテオブロミンを代謝出来ずに死ぬの。
獣のような目が、ふと笑ったように見える。

あなたは、チョコレートが好きですか?
あなたの指先を見ていると、
あなたは、きっとチョコレートが好きに違いない、
と思ってしまう。
あなたは、相変わらずスプーンを回している。

*出演者情報 平田満 http://home.a00.itscom.net/alpha/アルファエージェンシー

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小野田隆雄 2007年2月2日



チョコレートの香り

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳     

帰りこぬ 昔を今と 思い寝の
夢の枕に におうたちばな

もう帰ってくることのない
あなたと過した楽しかった日々を
思い出しながら眠ったら、
初夏(はつなつ)の短い夜の夢に
あなたが戻ってきてくれました。
けれど、うれしさに目覚めて気がつくと、
枕元になんとなく
たちばなの香りが
ただよっていたのです。

帰りこぬ 昔を今と 思い寝の
夢の枕に におうたちばな

この歌は、平安時代の
神さまにつかえていた女性の歌です。
ですから恋をしたとしても、
きっと秘められた恋だったのでしょう。
神さまにつかえる女性は、
人間の男に恋をしては
いけなかったのです。

この歌をミルクチョコレートに添えて
あなたに贈ります。
あなたは、もう忘れているでしょうね。
三十年も昔のことですもの。
中学一年生の私を
高校一年生のあなたが、
伊豆のみかん山に連れていってくれた日。
学生服のポケットから
ミルクチョコレートを出して
歩きつかれた私に、半分くれた。
それは、どきどきするほど甘かった。
隣の家の生意気なお兄さんが、
初恋のひとになりそうだったのに、
あなたの家は鹿児島に引っ越してしまって、
二、三度、桜島の絵ハガキが届いたきり。
そして、今年のお正月、
おどろいたなあ。
あなたが高校のサッカー部の監督になって、
全国大会の決勝に出てくるなんて。
だから、なつかしさをいっぱい、
ミルクチョコレートをいっぱい、
高校の住所に贈ります。
サッカー少年たちにあげてください。
そして歌だけは、あなたに贈ります。
私のこと?
広告代理店につとめています。
そうですねえ、
ギリチョコ贈る相手なら、
たくさん、いますけどね。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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中山佐知子 2007年1月26日



一軒宿の日記            

                   
ストーリー 中山佐知子                     
出演 大川泰樹

目が覚めたら、障子は明るいのにポタポタと雨音が聞こえていました。
雨音というより雫の音です。
2階から見ると、狭い道を隔てた共同浴場の屋根が白く光っていました。

雪、と僕は日記に書いたけれど本当は霜でした。
今朝は大霜です、と宿の女将さんの高い声が
階段を降りる僕の肩に刺さって、
僕は日記のウソを知られたかとうろたえました。

川沿いの一軒宿から見る景色は、その霜の朝を境に一変しました。

葉を落とした落葉樹は小骨のような枝がくっきりと見えてきました。
川も涸れて細い流れの両側には
あばらが浮き出るように大きな石が顔を出しました。

山も川もすべての罪をさらけ出して眠っているようでした。
僕もよく眠っています。
もう何日も眠りつづけています。

あなたがいなくなってから
あなたがこの世界から消えてから
僕ははじめてやすらかな日々を過しています。
あなたのカラダはもう僕を置き去りにすることはなく
あなたの心はどこにも飛んでいかない。

あなたの眼はもう誰も見ることがなく
あなたの手は誰にも触れることはない。
僕はすっかり安心して白いお湯の中で手足を伸ばし、
あなたを忘れる時間さえ持てるほどです。

お湯の湧く川の向こう岸には
石垣を組んで何軒かの家がうずくまり
そばの畑からここ何日か籾殻を焼く煙が登っています。
籾殻はじわじわと蒸し焼きにすると黒い炭になり
燃え過ぎると白い灰になると教わりました。

僕はきっと、いっぺん灰になってしまったんだ。
そして、灰ではないものに再生するために
この一軒宿にやってきて
心のアリバイを日記に書き続けているのだと思います。

籾殻の煙が消えると
西の空だけが不思議と明るく
ものの輪郭が不確かになる夕暮れがやってきます。

僕があなたの首に手をかけたとき大きく開いたあなたの眼
あのときの眼が日記を覗きこむ気配を感じるのも
そんな夕暮れです。

あなたはその眼を、もう一度眠らせてもらいたいですか。

日記の中の僕は
いなくなったあなたを悲しんでいるけれど
日記を書いている僕は、
何度でもあなたの眼を閉ざすことができます。
それほど僕は、あなたの眼を愛しています。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2007年1月19日



雪の絵日記

                 
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

絵日記の白いページに、
黄色い色が、あちらこちら、
こちょこちょと塗ってあるのは、
雪をかぶって咲き残る菊の花。

絵日記の白いページに、
緑色の、ほそ長い雲みたいな形が
互いちがいに書いてあるのは
雪の山のヒマラヤ杉。

絵日記の白いページに、
うすい灰色の足跡が、
消えそうに書いてあるのは、
出ていったまま、帰ってこない
忘れっぽい男の、長靴のあと。

この絵日記を、船に乗って南の島へ
行ったあなたに、船便で送ります。
もしも、受け取って返送しても、
絵日記は、私の所へは戻らない。
あなたは、わからないでしょうけど、
番地がちょっと違っているのです。
受け取って、読んでくださったら、
細かく切って、海にバラバラと
まいてください。
南の魚たちが、たわむれに
つまんで食べて、北国の風邪でも
ひいてくれないかな、と思っています。

絵日記の白いページに
ふんわりと水色の煙が書いてあるのは、
ふたりで飲んだ、マツリカ茶の湯気。
あの時は、
カップの中に、ふたりとも
マツリカの花がひらいたのにね。

絵日記の白いページのまんなかに、
赤い丸が書いてあるのは、
わたしの心。
ずいぶん恋もしてきたし、
だまされたり、だましたり、
もう慣れっこになっているから、
センチメンタル・ジャーニーなんて
ワインに酔った、そのときだけの、
つかのまの気まぐれ、それだけのこと。
私は、しっかり、生きていきます。
では、あなた、さようなら。
外では、雪もやみました。
凍りつくような、星空になりました。
さようなら。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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