中山佐知子 2021年7月25日「窓の向こうには」

窓の向こうには

      ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

窓の向こうには薄青い空があった。
食卓にはキリストと12人の弟子たちがいた。
それはダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵だ。
キリストはその夜自分が逮捕されて
十字架にかけられることを知っていた。
それでもダ・ヴィンチは窓の向こうに晴れた空を描いた。
見るたびに、
ああ、いい天気だ、とつい思ってしまう。

そういえば、十字架にかけられたキリストの背景が
目も覚めるような青空という絵を見たことがある。
あの絵はどう見ても青空と雲が主役だ。
ラファエロもそうだ。
なんだか牧歌的な十字架のキリストを描いている。
いいお天気で空が美しい。
どうしても空と風景を眺めてしまう。

もしかして、画家が絵を描き始める前の最初の仕事は
天気を決めることではないだろうかと
思ったりする。
晴れの日にするか、曇りにするか、
それとも雨を降らせるかで
全体のトーンが決まるからだ。

神話や伝説にも空があり、天気がある。
黄泉の国から森を抜けて妻を連れ帰るオルフェウスの向こうには
明るい空が見えている。
我が子を殺した王女メディアの絵に
ドラクロワはわずかに青空をのぞかせている。
アーサー王がエクスカリバーを授けられた湖は
白い霧が立ち込めている。
最後の戦いで重傷を負ったアーサーは再びそこに戻り
湖の乙女たちに身を委ねた。

ジークフリートが殺された日も晴れた日だった。
この英雄は森で狩りをしているときに
妻の兄とその家臣の計略で背中に槍を突き立てられるが、
そこは全身不死身のジークフリートの唯一の弱点だった。
槍が刺さったジークフリートが最後に見上げている空は
夕焼けの薄赤い色で、
見ていると赤は悲しい色だなと思えてくる。

神々も英雄もその物語には必ず空がある。
ミケランジェロの「最後の審判」の空は
変化ののない重い青い空で、
やがて世界はこんな空で蓋をされるのかと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年7月18日「お天気」

お天気
    
    ストーリー 直川隆久
      出演  清水理沙

わたしの夢  2年C組  大崎沙耶

わたしは将来、気象調整士の資格をとって、気象省で働きたいと思っています。
社会見学でお邪魔した気象省で、お話をうかがって、
とても感激したからです。
みんなが幸せになるように、天気を操作できるというのは、
とても素晴らしい仕事だと思います。

わたしのおとうさんは
「気象省からなら、将来は文字どおり天下りだなあ」などと
嫌なことを言うのですが、
わたしは、気象省の人たちは、そんなことはしないと思います。
「天気というのは、公共財なんです」とお話を伺った方はおっしゃっていました。
ですから、一部の人たちだけの有利になるような操作はできないのです。
ビール業界は、晴の日が多いほうが嬉しい。
傘をつくる会社は、雨が多いほうが嬉しい。
テーマパークは、晴のほうが嬉しい。
農業や林業は、雨がなければ困る。
このように、多種多様な利益のバランスをとるのが、気象調整の仕事で、
それはとてもやりがいのあることだと思うのです。

ちょうど先週、来年の天気の年間予定が発表されました。
晴の日が300日、雨の日が20日しかありません。
わたしは晴が好きなので嬉しいのですが、
おとうさんは「いまの気象大臣が、観光業界と癒着してるからだ」
などと怒っています。
わたしは、そんなふうには思いません。
気象大臣も、気象省の人も、そんな単純なことで天気を決めるとは
考えられないからです。もっと深い考えがあるはずです。
でも、わたしが気象省のお仕事でいちばんあこがれて、やってみたいなと思うのは、
虹を作る仕事です。

特に、C-ウイルス治療の最前線で戦われているみなさんを励ますために、
空に大きな虹をかける「レインボーオブホープ」は、とても感動的で、
ほんとうに憧れます。
あの仕事に関われるのは気象省の中でも一部の方だけ、
ということなので、難しいかもしれませんが、
がんばって一流の気象調整士になりたいです。

空にかかる大きな虹をみんなで見上げると、一体感がうまれて、
わたしは、こんな素敵なことができる国に生まれてよかったなあと思います。
例によっておとうさんは「政権の人気とりだ」などと言いますが、
おとうさんもきっとわかってくれると思います。
先日、公安省の方にメールを送ったので、
おとうさんを再教育施設に入れていただけそうです。
再教育はほんの1週間で済むので、「リフレッシュ」みたいなものだそうです。

おとうさんが再教育施設から帰ってきたら、いっしょに虹を見たいと思います。
わたしの将来の夢への懸け橋であるあの虹を。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

 

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

関陽子 2021年7月11日「うすはりと太陽」

うすはりと太陽

  ストーリー  関陽子
     出演  清水理沙

グラスを、買った。
丸い円の縁は、ごくごく細くて薄くて、なのに尖ってはいなくて、
唇に当たるとむしろやさしい。
そんな小ぶりなグラスを、2つ。
ビールを注いで、いい天気の日は太陽がその縁にキラキラ反射して、
喉を鳴らして二人で飲んだ。
やだ、缶ビールなのに美味しい気がする。
それ、ビールメーカーの人に失礼じゃね?
えー誰だっけそれ。
俺だよそれ。
3年たった今も、その会話を覚えている程度には、私は粘着質だ。

その男は、最後に、このグラスどうする?と聞いた私に
さりげなく言った。
「あ、俺はいらない。
ビールはジョッキで飲む方が好きだし」
・・へえ、そうだったんだ。
なにその嫌味、と腹を立てたのはもっと後で。
その時は、
(そうか、たくさんの我慢と言えないことで、この暮らしはできていたのか。)
(南インドのスパイスカレーって家で作れるんだね。とか、
プランターのバジル育ちすぎたから使うね、とか、
そういうのも全部、多分、きゅうくつだったのか。)
と、気の抜けたビールのように思っただけだった。

時々、人生への戒めも兼ねて一人でグラスを引っ張り出し、
キラキラと光る縁を口につける。
苦い。そしてやっぱりジョッキよりうまい。

・・・・・・・

先ほど、
うすはりを包んで、お洒落なカップルを見送りました。
「いいんじゃない」しか言わない彼氏を盗み見ていました。
店番の合間のヒマは、妄想で潰すことにしています。
スコーンと晴れた日ほど、
頭には黒い雲がもくもく浮かんでくるのはなぜでしょうね。
あ。いらっしゃいませ。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

坂本和加 2021年7月4日「ロマンチックはおかずです」

ロマンチックはおかずです

  ストーリー 坂本和加
     出演  清水理沙

ロマンチックという食べ物はないけれど。
それは私を元気にします。
男のロマンは、ちょっとむさ苦しそうですが、
女のロマンチックは、うっとりです。
その成分は、どちらも主に妄想です。

妄想って、生っぽい現実的なものから
非現実的なものまですごくいろいろあって。
でもちゃんとしたおかずになるのものって、
案外少ないんですよね。嗜好の話ですけど。

そういう意味では
いちばん手短なロマンチックは
わたしにとってはお天気です。
お天気って、予報だし。未来の話。
当たる当たらないは、そちらの話。
ロマンチックには空だけで十分です。

カムチャツカ半島も素敵でしょうけど
そのへんの朝焼けの雲から降りる光の梯子。
地球のどこかでかかる虹、夜空に輝く星のまたたきも。
星と星をつないでつくる私だけの星座もいい、
光の速さが年単位なのもいい。

頭の中は宇宙より広いので。
いつでも素敵なうっとりおかずを量産です。
なんてったって、ロマンチックはごちそうです。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2021年6月27日「びしょびしょ」

びしょびしょ

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

雨が降っていた。
雨は嫌いだった、
もともとはそうでなかった。
この寺に来てからだった。

彼は都の西の寺の責任者だった。
この都には寺はふたつしかない。
西の寺と東の寺だ。
西の寺には全国の寺を統括する責任が与えられ、
いわば役所も兼ねていた。
東の寺は真言宗の道場になっており
空海がこれを預かっていた。
西の寺と東の寺の間には
朱雀大路という巨大な道路が南北に延びており、
当時は北の突き当たりに
ミカドがお住まいの御所があった。

彼は西の寺が嫌いだった。
東の寺とそう離れてもいないのに
ここは水はけが異常に悪かった。
襖や障子はじめじめと湿気を吸って膨れていた。
大事な経典や書物を乾いた状態に保つのもむづかしかった。

大雨が降るとすぐに道も庭も家も水浸しになり、
その水がなかなか退かなかった。
不衛生だった。
あたり一帯で病気が蔓延した。
寺でも悪い咳をする僧侶が何人もいた。

びしょびしょに耐えかねて
東へ逃げていく住民が増えた。
寺のまわりは荒廃が目立つようになった。

彼は雨が嫌いだった。
ことに梅雨の時期が嫌いだった。

奇跡のように雨が少ない年があった。
寺では久々に書物の虫干しをした。
虫に喰われた穴を、紙と糊で修復する、
その糊にカビが生えないことがうれしかった。

雨のない年は数年続き、
やがてミカドから使いが来た。
田畑の作物が実らなくなったので
雨乞いの祈祷をせよとの命令だった。
「いやだ」と彼は思ったが
命令とあればいたしかたなかった。
寺に祭壇を築いて
申し訳程度の雨をパラパラと降らせてやった。

ところがミカドはそれに飽き足らず
東の寺の空海にも雨乞いをお命じになった。

うんざりだ、と彼は思った。
あいつは容赦なく雨を降らせるだろう。
川も池も井戸も水が溢れるだろう。
いっとき洪水になっても田畑は生き返るだろう。
しかし都のこちら側、西半分では
その水が乾かず、またびしょびしょになる。

そんなことを考えているうちに、雨になった。
雨が降ってきた。
彼は本当に雨が嫌いだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年6月20日「蕎麦屋炎上」

蕎麦屋炎上

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

商店街の端っこにある古ぼけた蕎麦屋。
木造の建物は若干傾いでいて、
その外壁を茶色く枯れた蔦がびっしりと覆っている。
店には、八十がらみの頭髪の薄い主人が一人だ。

俺は、ときどきこの蕎麦屋で昼飯を食う。
行きつけの古本屋から近いからだ。
蕎麦は、正直まずい。
いつもべたべたしていて、ざるの上の二、三本を箸でつまめば、
全部の蕎麦が一斉に持ちあがる。
つゆの量もけちくさくて、蕎麦猪口に二分目ほどしか入っていない。

いちど、ある客がそばつゆのお替りを頼んだときだ。
主人は厨房から出もせず、
「あーあ、蛇口ひねりゃつゆが出てくるとでも思ってんのかね。
あがったりだよ。あがったり」
という、聞えよがしの独り言をよこしてきた。
こんなホスピタリティのかけらもない店を、
なぜこの主人は開け続けているのか。

古本屋が言うには
「昔、この商店街が賑わっていたころは、あの店もそこそこうまかった」
のだそうだ。
――「いや、でも、ご多聞に漏れずここいらも人が来ないようになってさ。
起死回生ってことで、商店街の会長がマンションデベロッパーと組んで、
端っこの何軒かの立ち退きをすすめて。
ほかの店は、ま、従ったんだけど、一軒だけゴネたのが、
あの蕎麦屋だったみたいね」
確かに、蕎麦屋の建物は、通りに向かう面以外の三方を
マンションの敷地にぎっちりと囲まれており、
その境界の壁が不自然に高い様子は、
なにやら異様な圧迫感を放っている。

それを知ると、蕎麦屋の主人が店を閉めない理由もわかる気がした。
意地である。いや、意地といえば聞こえはいいが、
「おまえらの思うようにはならない」という攻撃的な反応が
常態と化した、というべきか。
この社会、この世間は、主人の自尊心を、長年かけて、
やすりでこするように毎日削り取っていったのだろう。
その世間に吠えかかるかわりに、
主人は、来る日も来る日も暖簾を掲げ続けているのだ。
さも、不本意な顔で。

コロナ禍となって、しばらくその商店街から足が遠のいていたのだが、
先日久しぶりに古本屋を覗きに行った。
そして、いつものように蕎麦屋の前までやってくると、
何か異様な熱気に店が包まれているのに気づく。
開け放たれた引き戸から中をうかがうと、
どういうものか、店はすし詰めだった。
そして、客は全員真っ赤な顔をして大声で喋りあっている。
あらゆるテーブルの上に、ビール瓶、日本酒の瓶がならび、
転がっていた。
この緊急事態宣言下、酒をだせば、この蕎麦屋でも超満員になる。
酒の力は恐ろしい。
路上には、スーツ姿の市役所職員らしき一群が
メモやらカメラで記録に忙しく、近所の住人であろう人たちが、
マスクの位置を直しながら警戒心もあらわに店の前を通り過ぎていく。
喧騒の奥、見たことのないようなにこやかな顔で、
主人が酒瓶を手に走り回っていた。
俺は、蕎麦屋の中には入らず、もと来た方向へ引き返した。
笑ってはいながらもやけに遠くに焦点のあったような主人の目の残像が、
頭から離れなかった。

一週間後、新聞で、その蕎麦屋が火事となり全焼したというニュースを読んだ。
何者かがガソリンをまいて火を放ったらしい。
俺はもう一度その記事を読み、死傷者はなく…
店の主人の遺体も未だ発見されていない、ということを確認した。

焼けた蕎麦屋に足を運んでみると、炭になった柱の残骸以外、
そこに建物があったことを示すものはほとんど無くなっていた。
足元に、見覚えのある品書きが、踏みしだかれ、
ずぶ濡れになっているのを見つけた。
周囲には焦げ臭い匂いが濃厚に漂っている。
マンションとの境界の壁は、煤で真っ黒に染まっていた。
ガソリンの命を与えられた炎が、
その壁に執拗に噛みつく様子が目に浮かんだ。

誰の犯行かも、主人の行方も、わからない。
だが…俺は、火を放ったのが、
当のその主人であってほしいと考えずにいられなかった。
不本意に続けた店を、本意から焼いたのであって欲しかった。
長年の鬱屈を反動として、
主人の生命が爆発的アクションを見せたのであって欲しかった。

そう思わずにいられなかった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

Tagged: , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ