中山佐知子 2017年5月28日

1705nakayama

目が覚めたら窓の外が

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

目が覚めたら窓の外が妙に静かだった。
人の声がしない。車の音もない。
近くに病院があるせいで頻繁に通る救急車のサイレンも
今朝はちっとも聞こえてこない。

ああ、静かだ。平和だ。
二度寝をしようとしたら
妙な男が目の前にあらわれた。

どこから入ったと問う私に男はボタンを渡して
おごそかに言った。
 「これは世界を救うボタンだ。
  いつでもその気になったときに押すがよい」
なんだそりゃ。
寝惚け眼で首をかしげていたら
 「いやなに、ちょっとした実験です」と
さっきとは違った口調で言い足して男は消えた。
だから、何なんだ、これは。

コーヒーを淹れる前に玄関の鍵をチェックした。
鍵は閉まっていた。窓の鍵も閉まっていた。
窓から下を見ると、広々とした道路に車は一台もなく、
歩道に人もいなかった。
テレビをつけるとライブカメラのような風景が映り
音楽だけが流れてきた。
なるほど、この世界から人が消えたのだと思った。
あの男は別にして。 
数日後、男はまたやってきた。
寂しくないかと尋ねるので、寂しくないと答えた。
実際、人がいない世界は快適だった。
他人がいないので軋轢というものがない。
私というただひとりの人類を保存するために
世界は機能していたので
お金を払わずに店から食料を持ち帰り
お金を払わずに衣類を手に入れた。
何の不自由もなかった。むしろ自由だった。
騒音がないので小鳥の声がよく聞こえる。
シジュウカラがピースピースと鳴くことを初めて知った。
なんて素晴らしい生活だろう。
すると男は寂しげに肩を落として去って行った。

数週間後、また男がやってきた。
悩んでいるのかと尋ねるので
悩んでいないと答えた。
他人のいない快適な生活に何の悩みがあるだろう。
すると男は首をかしげながら去って行った。

男はそれからもちょくちょくやってきた。
来ると質問をする。
「寂しくないか」「退屈しないか」「誰かに会いたくないか」
しかし、お茶を出すと飲むようになった。
あるとき酒を出したらおそるおそる口をつけ、
それからは頻繁に飲むようになった。
飲むと質問が愚痴っぽくなる。
「どうして寂しくないんだ」
「人は一人で暮らせるのものなのか」
「やりたいことは何もないのか」
やがてそんな男を、私は面白いと思うようになった。
男はボタンのことにひと言も触れないが
私がそれを押すタイミングを待っていることに間違いはなかった。
問題は私に全くその気がないことだ。
私は完璧にいまの状態に満足していた。

ある日、私は男に尋ねてみた。
君は人が神と呼んでいた存在なのか?
もしそうだとしたら、神とはそういう存在なのだ。
男は酔っぱらった目で私を見るとゆっくりうなづいて言った。
人が世界を作り、神はそれを味わう。
それから呂律の怪しい口調で私に尋ねた。
お前は世界から人が消えた理由を知りたくないのか。
お前は世界を救いたくないのか。
ボタンを持つ人間として選ばれた理由を知りたくないか。

私は世界なんぞ救いたくない。
道路の真ん中でも端でも自由に歩いて
時間に縛られず道端の草を眺める暮らしが気に入っている。
面倒なことが何もない毎日が気に入っている。
もしかして、生きているというよりは
天国にいるのではないかと思えるいまの状態が気に入っている。
ときどき酔っぱらいにくるこの男も気に入っている。

そう答えると、神を名乗る男は
ますます呂律の回らない口調でぼやきはじめた。
新しい歴史はひとりの男とひとりの神からはじまるのだろうか。
神が世界をつくり、人がそれを味わうことになってしまったら
自分はどうすればいいのか。

幸いそんなことは私の知ったことではなかった。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2017年4月23日

nakayama1704

菜の花

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

彼の故郷は菜の花の産地だった。
油をとるための菜の花はアブラナという別名があり
春になると菜の花畑は一面の黄色になった。

彼は故郷を出るときにその思い出を封じた。
そして、自分の未来に向かって着々と準備をはじめた。

彼は僧侶だった。
浄土宗の末端に籍があった。
故郷を捨てたときに出家したという説がある。
また、子供の頃から寺に預けられたという口伝もある。
父は裕福な農家の主だったが、母はその家の奉公人で、
彼は必要とされない子供だった。
しかし、寺にいたからこそ
読み書き学問を習うこともできたし、
旅に出れば各地の寺が便宜をはかってくれることもあった。
彼はそれを十分に利用した。

それから彼は画家でもあった。
誰に学んだということもなかったようだが
彼の描く絵は金になった。
彼は絵を生活の糧を得るための手段と考えていた。

彼の志はわずか十七文字の言葉と音にあった。
五七五の俳句の世界である。
そのために彼は若くして江戸に出てある人の弟子になった。

ところが七年ほど修行をしたところで師匠が亡くなった。
これはいまでいうならば、
やっと仕事ができるようになったところで社長が死に、
会社が消滅したようなものである。
彼は考えた挙句、江戸を捨て旅の僧になった。
自分の拠り所をいったんリセットしたのである。
わずか十七文字に森羅万象を詠み込む俳句の修行は
己の欲望を制し、目と耳を研ぎ澄ますことからはじまる。
彼は芭蕉の足跡をたどり東北を旅しながら自分を鍛えた。

27歳から10年、彼は旅を続けた。
最後に木曽路を通って京へ上り、
何年もかけて寺をめぐり歩いた。
京都の寺には、屏風の絵、襖の絵、そして壁画が数多くあり
彼はそれを見て歩いたのだ。
やがて彼は池大雅と並ぶ絵の大家になるが
そのための修行も怠りはしなかったのである。

それから彼は丹後へ行った。
丹後は風光明媚な明るい土地で、亡き母の故郷でもあった。
彼はそこで友人の寺に滞在し、
三年半の滞在中に30点を超える絵を描いている。
京都で学んだことを自分の筆で試してみたかったのだろう。

さて、そうこうしているうちに彼は42歳になっていた。
表舞台に出ようと思った。
彼はその創作活動の本拠地を京都に定め、
与謝蕪村と名乗って、俳諧師としてデビューを果たした。
関西の文化人ネットワークにもうまく食い込み、
俳句の人脈を使って
裕福な商人や地方の素封家に絵を売ることもできた。
金持ちにはならなかったが、食うに困ることもなかったし、
何よりも彼の名声は万人の知るところとなった。

50歳も半ばを過ぎて、蕪村は菜の花の句を作るようになった。
一度も帰ったことのない、
また人にも語ったことのない彼の故郷は大阪の淀川のそばで、
春になると一面に咲く菜の花が故郷の景色だった。

菜の花や 月は東に 日は西に

太陽と月と菜の花しかない、
それを見ている自分さえ消滅しているようなこの句ができたとき
蕪村は故郷を許していたのだろうか。
菜の花の故郷を出て、菜の花の句を詠むまでに
30年近い月日が流れていた。

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中山佐知子 2017年3月26日

nakayama1703

かぎろひ

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

奈良盆地の南東に広がる安騎野は野原ではなく
四方を山に囲まれた丘陵地帯だった。
木の枝を切り払い、草をかき分けて山道をたどり
やっと行き着くような土地だが
神武天皇以来の聖域で
春には毎年宮中の行事として狩りが行われ、
男は鹿を追って角を集め、女は薬草を摘んだ。

ところがいまは雪が舞っている。
草も枯れ、緑などどこにもない。
しかもこの狩りの人数を率いるのは
わずか10歳の少年だった。

少年はこの国の皇太子で
やがて祖母から位を譲り受け王になることが約束されていた。
祖母の息子だった少年の父は
28歳で王位につくことなく死んでしまった。
少年が成長するまでの間、
祖母は女帝として国を治める決心をし
宮中の儀式を定め、法律を整備するなどして
やがて少年が統治するこの国の近代化につとめていた。

わずか10歳の孫を雪降る丘にやって一夜をすごさせたのは
女帝の意志だった。
壬申の乱と呼ばれる戦いのとき
まだ若かった女帝は幼い息子の手を引いてこの丘を逃げた。
その思い出の土地に11
あのときの息子と同じ年頃になった孫を行かせることは
たぶん、死んだ息子とその跡継ぎの孫を
一体化させる儀式のようなものだったのだろう。

雪がやんだ。
東の空が赤く燃えたち、西の山の端に月が沈もうとしている。
お供のひとりだった柿本人麿はその様子を歌に詠んだ。
 東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

「かぎろひ」は漢字で陽炎と同じ字を書くが、
それを「かぎろひ」と読むと
太陽が昇る前の東の空が赤く染まる様子をいう。

やがて太陽が昇る。
月はまだ西の空にある。
そんな現象は満月の翌日に起こる。
たとえば奈良県だと4月12日、
5時29分に昇る太陽と6時9分に沈む月を
同時に見ることができるはずだ。

 東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

太陽の東と月の西の間で、柿本人麿は幻を見た。
やがて王となるべき少年とその父が
馬を並べて丘を行く姿だった。
少年は14歳で即位し王となったが24歳で死に
また7歳の息子が残された。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2017年2月26日

nakayama1702

毎朝60粒の豆を数え

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

毎朝60粒の豆を数え、
粉に挽いてコーヒーを淹れるのが作曲家の日課だった。
無類のコーヒー好きだった。
豆の種類にもこだわり、自分でブレンドもした。
ごりごりと豆を挽く手応えも気に入っていた。

コーヒーを飲まなければ一日を始める勇気が持てないと思うほど、
作曲家の人生は苦難が多かった。
合成甘味料を大量に口にしてきたせいで鉛中毒になり
絶えず腹痛と下痢に悩まされていたし、
頻繁に爆発する癇癪のせいで去っていく友人も少なくなかった。
キリストを「磔にされたただのユダヤ人」と言ったおかげで
信心深い女性のファンも遠ざかったようだった。
部屋の床にところかまわず唾を吐き、
ときには小便までするために大家から追い立ても食らっていた。

おそらく梅毒のせいだと思うが、
二十代から悩まされてきた難聴は進む一方で、
いまでは耳はほとんど聞こえなかった。
若い頃はそれで自殺を考えたこともあったほどだ。
しかし、演奏家としての彼の人生は終わったが、
作曲に専念するという人生が開かれた。
彼はすべての楽器のすべての音色を記憶しており
楽譜を見ただけでオーケストラの演奏を頭の中に再現できたのだ。

ごりごりごり
作曲家は60粒の豆を数えて粉にする。
今朝はコーヒーを飲んでから手紙を書こうと思う。
その手紙の送り先はオーストリアの侯爵で、数年前に大げんかをした。
手紙にはこう書くつもりだ。
「侯爵よ、世界に侯爵さまは掃いて捨てるほどいたし
 これからも数多くの侯爵さまが生まれてくるだろうが
 ベートーベンは過去にも未来にもたったひとりしかいないのだ。」

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2017年1月22日

nakayama1701

最後のつばさ

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

翼は三つあった。
最初にもらったのは昆虫だった。
4億年ほど昔の、古生代と呼ばれる時代だった。
海から陸へ上がって暮らすようになった最初の生物の中で
昆虫類は小さなカラダで環境に適応しやすかったので
繁栄は約束されたようなものだったし
翼を与えて恩を売っておくのは得策だった。

何しろバクテリアのような生命が地球に誕生して
もう36億年も経っていたし、
海から出てこないオウムガイや三葉虫に翼を与えるのは
あまりに無意味なことに思われた。
昆虫よりも先に地上に上がった植物は
空を飛ぶなど思いもよらぬとばかり地に根を下ろしてしまった。

馬鹿な連中だ、と神さまは思った。
海に漂い、地にしがみつくのは愚かなことだ。
空を飛んでこそ神に近づけるのだ。
あの虫どもはやがて神の存在を知り神を崇めることだろう。

しかし、そうはならなかった。
昆虫は極めて合理的に進化を遂げ、
その脳は種の繁栄に必要な情報しか取り込まない。
「神」という抽象的な概念は奴らには不要だった。
神はそれを知って深く傷ついた。

2番めの翼は鳥がもらった。
およそ1億5千万年前のジュラ紀だった。
その頃の鳥は森に棲むちっぽけな生き物で、
恐竜と呼ばれる生物の末端に属していた。
彼らはカラダを覆うウロコが羽毛に変わり、
翼になったことをたいへん喜んだが、
それは冷えたカラダを温めることができるからだった。
神さまはため息をつき、
3番めの翼をそのへんの恐竜に投げ与えた。
こうして空を飛ぶ恐竜、翼竜が出現した。
翼竜は堂々たる姿で大空を制覇したが、
中生代の終わりに仲間の恐竜とともに絶滅してしまった。

新生代になって生き延びていたのは
魚と鳥と昆虫、そして一部の小さな哺乳類だった。
神さまは死に絶えた翼竜から3番目の翼を回収していたが、
与えるべき生き物が見当たらなかった。
魚は論外だったし、昆虫はすでに飛びまわっている。
あの鳥でさえ近頃では飛ぶのが上手くなってきて
空を我が領土としている。
神さまは残る哺乳類に注目した。

確かにいまは臆病で情けないちっぽけな生き物に過ぎないが
こいつに翼を与えて行く末を見守ろう。
神さまはコウモリに最後の翼を与えた。
5000万年ほど前のことだった。

ホモ・サピエンスが登場したとき、
神さまはコウモリに最後の翼を与えたことを
少し後悔をしたようだった。
しかし、彼らが神の名を語って殺しあうのを見て、
さらに空を飛ぶ武器まで発明し、大量虐殺を行う姿を目撃すると
心からコウモリを愛しいと思った。

だからコウモリはいま全哺乳類の4分の1を占める種の数を持ち
繁栄している。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2016年12月25日

nakayama1612

私は行かなきゃならない

   ストーリー 中山佐知子
     出演 清水理沙

私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
もう火はかなりまわって家の中が真っ赤だし
二階の屋根の、黒光りする瓦と瓦の隙間から
白い煙が空に向かって噴き上げている。
ここにいても熱いのに、
燃えている家の中はさぞ灼熱だろう。

でも私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
午前三時の祇園花見小路。
お座敷を済ませて
やっと布団に入ったら障子の向こうがぱあっと明るくなって
もしかしたら火事とちゃうやろかと
隣で寝息をたてていたあの子を
揺すぶって揺すぶって揺すぶって起こして
階段を駆け下りて裸足のままやっと外に出て
おお来たかと先に逃げたみんなに労られている最中に
「姐さん、姐さん」と声が聞こえた。
声は家の中からだった。

私は行かなきゃならない。
どうしても行かなきゃならない。
あの子は九州から来た子で
舞妓ちゃんになっても言葉がちょっとおかしかった。
それをみんなが注意したし、私はときどきからかった。
そうだ、私は意地悪もした。
おかあさんが着せてくれる着物も帯も簪も
いいものを私が取った。
いけずなお客さんのお座敷から先に帰ったこともあった。
だから私は行かなきゃならない。
意地悪をしたから。
玄関の戸の開け閉めをうるさく注意したから。
親孝行がしたいというあの子の口癖を聞いていたから。
夜中に布団がひくひく震えて
声を出さんように泣いているのを知っていたから。
処刑される人を黙って見守る群衆のような無責任な同情で
あの子が焼かれて死んでいくのを見ていることが
どうして私にはできないんだろう。

姐さん、姐さん。
学校なら先輩と後輩の関係が
ここでは姐さんと妹分になる。
縁という名で呼ばれる偶然としきたりで
がんじがらめに結びつけられた私とあの子だから
姐さん、姐さん。
あの声に応えなかったら
私はこの町で妹を見殺しにしたと噂される。

だから私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
姐さんと呼びつづけるあの子を抱きかかえ、
燃え落ちる屋根の下できっと死ぬんだ。

小さい頃に死んだら空へ昇るときいたその空は
青空かと思っていたのに
いまは火事の炎で赤く染まって空まで熱そうだ。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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