中山佐知子 2012年12月30日

ROG

            ストーリー 中山佐知子
               出演 大川泰樹

ROGと呼ばれる一帯は
天の川とアンドロメダが衝突して合体した楕円型銀河のはずれにある。
ROG、つまりロォジという呼び名の通り
星と星が混み合い、さらに濃厚なダークマターのなかで
新しい星が生まれては共鳴しあって軌道が不安定になっている地域だ。

昔、調査隊が何度か訪れたことがあったが
生命反応はなかったし
いまでも生命反応ゼロという報告書を私は書き続けている。

確かにこの一帯の星に生命反応はない。
しかしここは無邪気でハンパな連中の遊び場になっていて
やっとワープができるようになった初心者のボートがやってきては
重力の隙間を縫って飛ぶテクニックに挑戦したり
仲間を見つけてはつるんだりケンカをしたり
小さな衛星に着陸しようとして事故を起こしたり
ありとあらゆる禁止された行為を思うがままにやっている。

このロォジのどこかに
ブラックホールの出口が存在するとか
1億と1千万年前に星の重力に捕獲されて衛星軌道をまわる船に
まだ生命反応が残っているとか
彼らの間でささやかれる伝説はあまりにロマンティックで
私は笑いをこらえながら真剣に聞くふりをする。

彼らはまだこの宇宙の答を知らない。

ビッグバンから200億年ほどたったとき
この宇宙を形成する最小物質が発見され
同時に宇宙の秘密も解き明かされてしまった。

それはあらゆる科学のゴールであり
「我々はどこから来てどこへ行くのか」という
聖書に記された究極の問いに対する答えだった。
そしてそれを知ることは
生物としてのステージが上がることを意味したが
同時に生物としてのエネルギーは微弱になり、
たとえて言えば石ころに近い存在になってしまうことが多い。

端的な短い言葉と数式で無慈悲にあらわされる宇宙の答は
知的生物と認められた種族なら誰でも
一人前になる儀式として教えられてしまう。

ロォジを飛びまわる連中は
まだその答を知らされていない。
だから活発で騒々しく、涙もろくてやさしくて乱暴で
生物エネルギーにあふれており
私は花火を見るようにそれを眺めて楽しんでいる。

「ROG、生物反応なし」
今日も私は同じ報告書を送る。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2012年11月25日

僕はあなたを愛していると言った

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

僕はあなたを愛していると言った。
あなたは僕を愛していないと言った。
次に僕はあなたをいつでも殺すことができると言った。
あなたも僕を殺せると言った。

こうして僕たちは
お互いのスイッチを持っていることを知ったのだった。

もともと生物兵器として開発された僕たちは
命令に違反したときや任務から離脱したときのために
自滅プログラムがDNAに組み込まれている。
そのプログラムはスイッチで作動する。
自分のスイッチは誰かのカラダに埋め込まれており
僕たちはキラーを命じられたとき
はじめてそれを使って相手を消去することになっていた。

しかしもう、どこからもそんな命令が届くことはない。
僕たちがかつて存在した記録さえ抹消されて以来、
僕たちは生物兵器ではなく、生物として静かに生きていた。
僕は僕のスイッチを持つ人にいつか会いたいと願いながら。
あなたはあなたのスイッチを持つ存在を憎みながら。

そして結局、僕たちの間には何も起こらなかった。
あなたは自分の荷物を僕の家に運び、僕たちは一緒に暮らすことになった。
あなたは自分のスイッチを持っている僕に
たとえ恐れを抱いたとしても受入れるしかなかったし
それは僕にとっても同じことだったが
どんな理由であれ注意深く相手を尊重しながらの暮らしは
不思議なほどおだやかで理想的といえた。

僕はときどきおいしいピザを焼く。
あなたは上手に本棚を整理して
床に散らばる僕の本を片付けてくれる。
朝、僕が自分の紅茶を淹れるとき
あなたのコーヒーメーカーのボタンを押すのは何でもないことだった。
そしてあなたは儀式のように僕にもコーヒーをすすめ
僕は礼儀正しくそれをことわる。

あの日以来、
僕たちはお互いのスイッチを作動させない配慮をしながら暮らしている。
泣いたり怒ったりして感情を高ぶらせることもなくなったし
強い意思を持つこともやめてしまった。
僕たちの心はいま静かに乾いており
僕があなたを愛していると言った
記念日というより墓標のようなあの日は
花で飾られることもワインの祝杯を浴びることもない。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 

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中山佐知子 2012年10月28日

           ストーリー 中山佐知子
              出演 西尾まり

だいたいあんたは何をするにも愚図でのろまだから
いつもお姉ちゃんが怒られるのよ。
たまに早く支度したと思ったら
空が青いぞ〜なんてスキップしてるその足元が長靴で
お姉ちゃんはまたあんたの手を引っ張って連れて帰って
運動靴に履きかえさせて
どうして長靴なのよって怒ったら
買ってもらってから雨が降らないんで
いっぺん履きたかったなんて
もう涙声になってるし。

男の子なんだから泣くんじゃないわよっていうと
どうして男の子は泣いちゃいけないのって
実にまっとうな質問なんかしないでよね。
お姉ちゃんは世間一般に通っていることを言ってるだけなんだし
あんたみたいに世間の外でのほほんとしていられるほど
ノーテンキじゃないんだから。

そういえばあの日もそうだった。
天気予報で昼から雨だというんで私は傘を持ったけど
ふと見るとあんたは持ってない。
あちゃー、このバカモノ。
もう学校が近かったから引き返すこともできなくて
私はあんたに自分の傘を渡したんだ。

雨は5時間めくらいからポツポツ降り出して
そのうち先生の声が聞こえないくらい雷が鳴ってどしゃぶりになった。
みんな授業が終わったらきゃあきゃあ大騒ぎしながら
怖いのか楽しいのかどっちなのよって感じで帰っていったけど
私は傘がないから教室で雨がやむのを待ってたんだわ。

あんたの学年は授業が終わるの早いし
とっくに帰ったと思ってぜんぜん気にしてなかったから
窓からあんたが見えたときはびっくりしたわよ。
水のたまった運動場で傘さしてボーッと突っ立ってるし
くるぶしあたりまで水につかってるし
ズボンもだいぶ濡れてるし
も〜お。バカバカバカって思って
飛び出して駈けだして
歩いていた先生にぶつかったけどすみませんも言わずに
廊下をバタバタ走って
上履きのままザブザブ運動場に出たら
あんたはお姉ちゃーんってうれしそうに私を呼びながら
傘をさした手を高く上げたでしょ、
このどうしようもないアホタレのすっとこどっこいが。

その瞬間、
白い光とバリバリと木が裂けるような音を私は見たわよ。

それから先のことはあんまり覚えていない。
先生に抱えられて、お母さんが来るのを待っている間に
救急車のサイレンを聴いたけど
あんたが助かるわけじゃないことはもうわかっていたしね。
だって見たんだから。あたし見たんだから。
うるさいわね、音だって見えるのよ、ああいうときは。

その晩、私はわんわん泣きながら
お母さんに私のせいだと言ったら
お母さんは、そうじゃないと私の頭をなでてくれた。

あんたのことで怒られなかったのは
はじめてだった。

ところで、あんたはいまどんなとこにいるのよ。
あんたはうすのろだけど
あの雷のなかで傘のない私を待っててくれたやさしい子だから
きっと頭に輪っかをのっけた人や背中に羽根を生やした人と一緒だと思うけど
まわりに迷惑かけないようにしっかりしなさいよ。
お姉ちゃんはもう一緒にいられないんだからね。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

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中山佐知子 2012年9月30日

女人禁制について

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

中禅寺湖の女人禁制が解かれたのは明治5年、
西暦にすると1872年になる。
日光を開いた勝道上人という修験者が
男体山の頂上からはじめて中禅寺湖を見下ろしたのが782年。
以来、およそ1100年も女人を拒否してきたのだ。

男体山の頂上から見る1000年前の景色を想像する。
世界の果てが自分を取り巻くような360度の視界。
日が昇ると真っ先に明るくなり
月が沈む最後の光まで眺めていられる。
吐く息も清められ、命が磨かれる心地がしただろう。
1000年の昔、高い山の頂は神々と精霊の聖域だった。
そこへ足を踏み入れたとき、人は人でないものになるのかもしれない。
そして眼下に見下ろす中禅寺湖は、当時は魚も棲まず
冷たい水に自然の色彩を映す一枚の鏡であり
それもまた聖なる姿に思えたのだ。

やがてその孤独なまでに清浄な湖のほとりに寺を建て
修行の場に定めたとき
禁じたのは女人だけでなく、牛と馬も一緒に禁じた。
これは生物として清浄か不浄かの議論以前に
労働力と考えればわかりやすい。
中禅寺湖は標高1200メートルの寒冷地帯で
米も麦もできず、人が住みつくのに適していなかった。
けれどもここに寺を建て修行する人々が集まるならば
その食べものを運ばねばならない。
牛も馬も禁じているのにどうやって?

修験者たちの修行というのは
命のギリギリの芯だけを残して
余分な部分をどんどん削っていくことだったのだ。
牛や馬を禁じることは大量に荷物を運ぶ手段を封印することであり
女人禁制は
お粥を煮る手も、機を織り衣を繕ってくれる手も
ことごとく拒否することを意味している。
あまり知られていないが
魚の棲まない中禅寺湖に魚を放流して食料を確保することも
禁じられていたのだ。

湖の西にブナやニレの林がある。
そこにナデシコの白い小さな花が咲く。
ナデシコには子供の意味がある。
撫でてかわいがりたい子供の意味がある。
女人禁制の湖のほとりにそんな花が咲いてはいけないのだろう。
その白い花にはセンジュガンピというむづかしい名前がついている。

1872年、女人禁制が解かれたと同時に
中禅寺湖には鯉やヒメマスが放流された。
それから人が住みつくようになり
女人禁制が解けて12年後
中禅寺湖畔ではじめての子供が生まれた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2012年8月19日

麦畑

         ストーリー 中山佐知子
            出演 村木仁

あたり一面の麦畑だったな。
ところどころに背の低い柳の木があった。

その細い一本道を
馬と一緒に行軍しているときだったな。
耳元でバリバリと音がしたかと思ったら
馬とおまえが血を流して倒れていたんだよ。

麦畑なんて
隠れるところもないもんだから
何十頭の馬はみんな撃たれて死んで
兵隊もずいぶん死んで
威張ってた連隊長も死んだけど、おまえも死んだ。

それから
知らない間に戦争が終わって
知らない国に置き去りにされて
それでもなんとか船に乗って帰って来たら
村の麦畑は石ころだらけで土もボロボロになっていた。

これはきっと
知らない国の麦畑で鉄砲を撃ち合って
死んだ馬とおまえを置き去りにした報いだと思ったんだ。

それから
石をどけ、麦をつくり、麦わらを鋤きこんで土を肥やして
三年たったら、麦の穂は重く実り
麦わらはお日さまにつやつやと輝くいい色になった。

その麦わらを水につけると柔らかくなる。
やわらかくなったら帽子が編める。

かぶるとだぶだぶの麦わら帽子。
大きくて、風が吹くとすぐに飛ばされて
狭いところでは邪魔になって
帽子のなかでいちばん戦争に向いていない麦わら帽子。

どこにもいかず
ずっと麦わら帽子をかぶって働いていればよかったな。
戦争になんか行かなきゃよかったな。

麦わら帽子を編んでいると
おまえが死んだ麦畑を思い出す。
踏み荒らされた麦畑、
機関銃の弾や人や馬の死体でいっぱいだった
あの麦畑はいまも麦畑なんだろうか。
誰かが世話をして、いい麦がとれて
残った麦わらで麦わら帽子を編んでいるだろうか。

そうだといいなあ。

出演者情報:村木仁 03-5361-3031 ヴィレッヂ所属

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中山佐知子 2012年7月29日

ひとつめの太陽が沈むころ

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

ひとつめの太陽が沈むころ
トラディショナルなマティーニを頼んだ。
バーテンダーは300種類のマティーニをつくり分ける技術を
プログラミングされているが、客はいつも僕ひとりだ。

ふたつめの太陽が沈むころ
出鱈目なマティーニの名前を言ってみた。
アップルマティーニ
りんごサワーの味がするマティーニが出てきた。
それじゃあ、アップルパイマティーニ
こんどはカルバドスの香りのするマティーニだった。
この違いの意味がわからない。
バーテンダーは会話をプログラミングされていないので
説明は一切なしだ。

みっつめの太陽が沈むころ
「ウィンストン・チャーチルのマティーニ」をオーダーした。
すると、即座にジンのストレートがカウンターに置かれ
ベルモットの瓶が右斜め横に並んだ。
150年前の政治家がベルモットを横目で睨みながらジンを飲んだという話は
歴史の時間に学んだことがある。
侵略や革命や戦争が教科書から消えて以来
歴史は過去のファッションやグルメのことになってしまっている。
チャーチルはマティーニを飲む以外に何をやったんだろう。

よっつめの太陽が沈むころ
また出鱈目に「アポロ13号マティーニ」と言ってみた。
出てきたマティーニは粉末ジュースの味がした。
宇宙開発黎明期の初期型飲料が使われているらしかった。
もう二度と頼まないぞ、と思った。

いつつめの太陽が沈むころ
僕はどれだけ飲んだのかわからなくなっていた。
実を言うと、いまいくつめの太陽が沈んでいるのかも定かではなかった。
この星は18個の小さな太陽が出たり入ったりしているので
まぶしい昼も闇に沈む夜もなく、
一日中夕暮れのようにぼんやりとしている。
体内時計はとっくに壊れ、カレンダーも思い出せないが
予約した迎えの船が来るのはまだ何ヶ月も先だということだけは
チケットのタイマーが知らせてくれている。

僕が六つめだと思っている太陽が沈むころ
バーテンダーに時間をたずねたら
黒いオリーブの入ったミッドナイトマティーニをつくってくれた。
僕は今日も何も書くことがない。
お天気さえ最初に「晴れ」と書いたきりだ。
ここでは雨も降らず、風も吹かず、災害もなく季節もない。

この星に入植した開拓者たちは
苦労の末に去ったのではなく、退屈の果てにこの星を捨てたのだ。
彼らのストーリーは三行で終わる。
「ここに来た、ここで暮らした。ここから去った」

すでにいくつめだかわからなくなった太陽が沈むころ
僕はジャーナリストマティーニを飲んでいた。
むかし東京の外国人記者クラブの遺跡から
165本のジンと5本のベルモットの空き瓶が発掘され、
その33対1の比率で混ぜ合わせたドライマティーニを
ジャーナリストマティーニと呼ぶようになったのだ。

ジャーナリストはドラマがあればそれを書けるが
退屈を描くのは不可能だ。
だから僕は一行も書けずに毎日酔っぱらっている。
誰もいなくなった星にひとりで来て
なすすべもなく酔っぱらっている。

僕はジャーナリストマティーニを飲みながら
もし自分が小説家だったら
この退屈を書くことがでるだろうかと考えた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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