中山佐知子 2013年5月26日

どこでもドア

    ストーリー 中山佐知子
       出演 高田聖子

月曜日、玄関のドアとケンカになった。
古くて建て付けが悪くなったせいかドアは頑固だった。
なかなか開かないし、開いたら閉まらない。
その日は私も虫の居所が悪く、急いでいたこともあって
開かないドアに蹴りを二三発食らわしてしまったのだ。

「何すんねん。」ドアは怒った。
「あんたが悪いんやろ、この老いぼれ」
口論になったが
ドアのやつが大きな口を開けて怒鳴るので
私はその口に飛び込んで外に出ることができた。
鍵もちゃんとかけたのでドアは静かになった。

その夜のことだった。
家に帰ってドアを開けると、いきなりトイレだった。
トイレのドアを開ける台所だった。
台所のドアを開けると外に出てしまったし
同じドアから戻るとこんどは暗くて狭かった。
わあぁ、どこや、ここは。
クロゼットの中だった。

えらいことになった。
テレビを見たいのにバスルームに入ってしまう。
もう寝たいのにパジャマのまま外に出てしまう。
家中のドアが「どこでもドア」になっていた。
しかもそのドアは好き勝手なところに私を連れて行く。

翌朝から私は用心深くなった。
一泊用のカバンを用意し、着替えと化粧道具を詰めた。
朝起きて寝室を出ると
もう一度着替えに戻れないかもしれないからだ。
風呂に入るときもバッグを持って入り
出る前に服を着ないとハダカで外に出てしまう危険があった。
トイレもめぐり会えたときに済ませることにして
部屋から部屋の移動を最小限に抑えた。

土曜日は先輩が遊びに来ることになっていた。
駅まで迎えに行って家に着くまで
「何があってもびっくりせんといてくださいね」と
何度も念を押したにもかかわらず
先輩はまわれ右してすみやかに帰って行った。
その日は玄関を開けたらいきなりバスルームで
しかもシャワーから水が出っぱなしだったのだ。
私は角(かど)まで追いかけて行って
悪気があるのはドアで私ではないと申し開きをしたのだが
先輩は凄い目で私を睨み、濡れた髪をハンカチで拭きながら
「早よう水止めんと勿体ないで」と捨て台詞を残して去った。
私は、こんな事態ではあるけれど
男のくせにそんなことを口に出す先輩がちょっとイヤだと思った。

それから家に帰って、私は窓ガラスを磨いた。
それはドアに見せつけるためだったが
窓は大喜びで私に忠誠を誓った。

月曜日、私は窓から出て仕事に行った。
戸締まりしといてやと声をかけると、窓の鍵は勝手に締まった。
夜、仕事から帰ったら玄関のドアに窓がついていた。
トイレのドアにもバスルームのドアにも必要なときは窓ができた。
「どこでも窓」の出現だった。
いや、よく考えるとそうではない。
ドアはこの家の部屋と部屋のつながりをパズルのようにしてしまうが
窓はそれを正しく戻してくれるのだ。
台所からパスタとサラダをお盆にのせて
トイレを経由せずにリビングにたどり着くってなんて幸せなんだろう。

しかしそれは長続きしなかった。
「どこでも窓」は窓拭きを忘れるとすぐに拗ねてしまう。
すると、その隙を突くように「どこでもカーテン」があらわれた。
カーテンの次は「どこでも絨毯」だった。
その絨毯にお茶をこぼして険悪になった日の夜、
会社から帰ると玄関には絨毯ではなくカーテンでもなく、
ドアが戻っていた。

「久しぶりやんか」
思わずドアに話しかけてしまった。
ドアは黙って私を通してくれた。
ドアを開けるとトイレでも寝室でもなく、ちゃんと玄関の中だった。
右にはちゃんと下駄箱もある。
私はただいま〜と大きな声を出しながら靴を脱いだ。

出演者情報:高田聖子 株式会社ヴィレッヂ所属 http://village-artist.jp/index.html

  

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中山佐知子 2013年4月29日

たまご

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

女はたまごを残して死んだ。
女のたまごを机に置いた。
たまごはそのままじっとしていた。

たまごを手に取った。
思いのほか軽かった。
軽いというよりほとんど重さというものがなかった。
水をやらなかった植木鉢の土のようだった。
カラカラに乾いた土は
どうしてあんなに重さを失うのだろう。
それは女に似ていた。
女は何も与えられずに枯れていった。
たまごと乾いた植木鉢は女に似ていた。

たまごをなでてみた。
たまごはもろい感触があった。
指に力を入れると潰れそうだった。
潰れても中身のないモミガラのようだった。
それは女に似ていた。
女は抜け殻のようだった。
たまごと中身のないモミガラは女に似ていた。

たまごを眺めてみた。
たまごは静かだった。
流れない水のように何の音も立てなかった。
流れない水は退屈だった。
それは女に似ていた。
女には表情というものがなかった。
たまごと流れない水は女に似ていた。

女はたまごを残して死んだ。
たまごは空っぽだった。
空っぽのたまごは満たされない象徴のようだった。
女が残したたまごを見ると
もう一度、不幸を知らない女を不幸にしてみたいと思う。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2013年3月31日

ハナは怒りっぽい

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

ハナは怒りっぽい。
ハナは燃える鉄のような怒りかたをする。

ハナの父は族長の槍になった。
ハナはそれを誇りに思った。
でも小さな妹が鍬になったとき
ハナは怒って族長に食ってかかった。
どうして鍬なのか。鍬は田を耕すものではないか。
妹はどうして剣にならなかったのだ。

族長は答えた。
おまえの妹は山の崖を切り崩す鍬になったのだ。
花崗岩の崖をくずして砂鉄を取るための
強い道具になったのだ。

ハナの一族は金属の民、鉄をつくる一族だ。
山の斜面に穴を掘って炉をつくり、
炭と砂鉄を投げ入れて火をつける。
土器を焼く温度が600℃から800℃。
鉄を沸かすにはもっと高い温度が必要だったが
山の下から吹き上げる風がいつも炎の温度を上げてくれるのだった。

夜でも燃え続ける鉄の火を見た麓の人々は
ハナの一族をオロチと呼んだ。
夜でも赤く光る目を閉じないオロチ。
オロチの噂は優れた鉄と結びつけて語られた。

鉄は火がつくる。山の木がつくる。森林がつくる。
これだけ森に恵まれたイズモの山で
どれだけ炭をくべても鉄が沸かない日があった。
火の温度が上がらないときがあった。
そんなとき、ハナの一族には秘密の儀式があった。
どうしても沸かない鉄には死体を投げ込むのだ。
骨に含まれるカルシウムのために、鉄は低い温度で溶けはじめる。
低い温度で沸いた鉄は粘りのある純度の高い鉄になった。
純度の高い鉄は清浄で美しいばかりでなく
石を割るほどの強い暫鉄剣を鍛えることができた。
オロチの鉄の評判は高まり
近ごろでは見知らぬ顔が
毎日のようにたずねて来るようになっていた。

あれは何ものだ。ハナはまた怒った。
鉄は渡さない。招かれてもどこへも行かない。
炭を焼く木と砂鉄を求めて
山から山へ渡っていくのがオロチの一族だ。
山を下りたオロチは鉄も誇りも失ってしまう。

それからハナは一振の剣をもらった。
族長はハナに剣を渡すときに言った。
この剣は俺の妹だ。そしておまえの母でもある。
この剣はおまえの怒りに従い、おまえの誇りを守るだろう。

本当に族長の言う通りになった。
襲撃を受けた夜、逃げる女たちの群れから
ハナはひとりで母の剣を持って飛び出し、敵に斬り込んでいった。
背中と脇腹が一瞬熱くなったが
ハナの血管を流れる血は燃える炉の鉄よりも沸き立っていたので
傷の痛みは感じなかった。
ただ怒りにまかせてまっしぐらに敵の指揮官と思われる男に打ち込み
二度三度と切り結ぶと、相手の剣が折れて飛んだのがわかった。
一瞬戦いが止み、敵も味方もハナとハナの剣を見ていた。
ハナも惚れ惚れと自分の武器を眺めた。
ハナはもう怒っていなかった。
やすらかにゆっくりと自分が流した血のなかに倒れていった。

ハナは敵に看取られ、朝まで生きていた。
剣を折られた敵の指揮官が名前をたずねたとき
ハナは自分の名前を答えたか、
ハハという剣の名前を答えたか定かではない。

ただ、後世になっても炭と砂鉄で操業されていたタタラ製鉄において
炉の温度が上がって最初に溶け出す成分をハナと呼ぶ。
そしてハハはオロチ、つまり蛇を意味する言葉になっている。

出演者情報:大川泰樹(フリー)http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2013年2月24日

ワンゼロ

            ストーリー 中山佐知子
               出演 大川泰樹

1はイエス、0はノー。
0と1の信号でアイラブユーのアルファベットを書いたら
41のイエスと39のノーを数えた。

1が戦争、0を平和にすると
アイラブユーは41の戦争と39の平和になった。
その戦争の数はいま現在世界で起こっている戦争よりも
たぶん、少しだけ多い。

1を晴れ、0を雨にする。
41の晴れた日と39日のどしゃぶりのアイラブユーになった。
曇りの日はない。たぶん小雨の日も。
1と0だけの信号には0.5や0.9がない。
あなたに会いに行こうかどうしようかと迷う
雨上がりの夕暮れもない。

1は存在、0 は不在。
そこにあるかないかだけの意味しかない。
電話に出るか出ないか。
ノックの音に応えるか応えないのか。
そして待っている僕のところに
あなたは来るのか来ないのか。

気温が下がりはじめた暮れがたに
家並の背後を流れる川で餌をさがすアオサギを見た。
冬枯れの川は水が浅く、餌はなかなか見つからない。
アオサギは何度もクチバシを水に差し入れ
やっと小魚を一匹つかまえる。
たくさんの0のなかの小さな1のおかげで
アオサギはこの冬を生きている。

その人生を意味するライフの文字に
1の生と0の死をあてはめると
人生は19回の生と13回の死だ。

生はいつも自分の隣に死を置きたがる。
0を含まない1は永遠の孤独だから。
そして不在のない存在も。

1は存在、0は不在。
ふたりを意味する2という数字を1と0の信号にすると
1がひとつ0がひとつのワンゼロになる。

僕が1のとき、あなたはゼロ。
僕のそばにあなたはいない。
あなたが1のときは僕がゼロ。
ふたりというのはそういうことだったのだ。
ふたりというのは誰かの不在を抱えることだったのだ。

暗い水の上で
アオサギはまだ餌をさがしている。
無数の0をクチバシで確かめながら
水の底の1をさがしている。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2013年1月27日

マドリードの冬の寒さは

            ストーリー 中山佐知子
               出演 大川泰樹

マドリードの冬の寒さは東京と変わらない。
そこから63キロ離れたロブレド・デ・チャベラは
山と山にはさまれて標高が高く空気はもっと冷たい。

この牧歌的な町の面積は軽井沢の3分の2くらいで
住民は4000人。軽井沢の5分の1だ。
ちゃんと数えて較べているわけではないが
あたたかい家に暮らす人間の数よりは
吹きさらしの山や森に棲む野ウサギやキツネの数が
圧倒的に多い。

この町にNASAが宇宙と交信するための追跡ステーションが存在するのは
湿度が低い高原地帯であることや
なにしろ人が少ないので、邪魔になる電波の発生源も少ないという
恵まれた条件がそなわっているからで
追跡ステーションの巨大な5つのアンテナは
たえず宇宙からの声に耳をすませている。

そのアンテナのひとつが、
牡牛座の方向から聞こえるかすかな声をキャッチしたのは
2003年1月のことだった。
それは出力わずか8ワットの電波に乗って
太陽系の果てから11時間かけてやってきた。

パイオニア10号だ。
ステーションは静かな興奮につつまれた。

1972年に打ち上げられた惑星探査機パイオニア10号は
もともと2年足らずの寿命で設計されていた。
それが、30年後のいまでもこうして電波が届く。
時速5万キロで太陽系の外へ漂流しながら
パイオニア10号はまだ生きている。
NASAの技術者たちは口笛で犬を呼ぶように
ときおり強力な電波で呼びかけてはその奇跡を確かめていた。

2000年8月、2001年4月、2002年3月、
パイオニア10号は呼びかけに答えた。
それは小さなニュースになった。
2002年の7月になると通信能力は限界まで弱り、
たとえ返事が聞こえても
意味のある言葉を聞き取ることはできなかったが
しかしそれでも
太陽系を去ろうとするパイオニア10号の声を
最後まで追う努力はつづけられていた。

2003年1月、
マドリードから63km離れたロブレド・デ・チャベラの寒空から
パラボラアンテナが拾い出した声は
もう何を言っているのかわからないかすかな声だったが
パイオニア10号が122億km離れた地球に
自分のアンテナを向けて振り返ったことを意味していた。

言葉はわからなくても、どんなにかすかなつぶやきでも
声が届くことの重大さを、世界はそのとき知ったのだと思う。

それがパイオニア10号の最後の挨拶になった。
2003年1月22日の山も森も寝静まった静かな晚だった。

その翌月
2003年2月にNASAはもう一度呼びかけを実行したが返事はなく
パイオニア10号との交信は途絶えたと発表した。
けれどそれから3年後の2006年3月、
NASAはいま一度パイオニア10号に交信のこころみをしている。

3月といえば
マドリードから63km離れたロブレド・デ・チャベラでは
コウノトリがアフリカから渡ってきて巣づくりをはじめる。
コウノトリは鳴き声を持たず
ただクチバシをカタカタと鳴らして信号を送るそうだ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

 

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中山佐知子 2012年12月30日

ROG

            ストーリー 中山佐知子
               出演 大川泰樹

ROGと呼ばれる一帯は
天の川とアンドロメダが衝突して合体した楕円型銀河のはずれにある。
ROG、つまりロォジという呼び名の通り
星と星が混み合い、さらに濃厚なダークマターのなかで
新しい星が生まれては共鳴しあって軌道が不安定になっている地域だ。

昔、調査隊が何度か訪れたことがあったが
生命反応はなかったし
いまでも生命反応ゼロという報告書を私は書き続けている。

確かにこの一帯の星に生命反応はない。
しかしここは無邪気でハンパな連中の遊び場になっていて
やっとワープができるようになった初心者のボートがやってきては
重力の隙間を縫って飛ぶテクニックに挑戦したり
仲間を見つけてはつるんだりケンカをしたり
小さな衛星に着陸しようとして事故を起こしたり
ありとあらゆる禁止された行為を思うがままにやっている。

このロォジのどこかに
ブラックホールの出口が存在するとか
1億と1千万年前に星の重力に捕獲されて衛星軌道をまわる船に
まだ生命反応が残っているとか
彼らの間でささやかれる伝説はあまりにロマンティックで
私は笑いをこらえながら真剣に聞くふりをする。

彼らはまだこの宇宙の答を知らない。

ビッグバンから200億年ほどたったとき
この宇宙を形成する最小物質が発見され
同時に宇宙の秘密も解き明かされてしまった。

それはあらゆる科学のゴールであり
「我々はどこから来てどこへ行くのか」という
聖書に記された究極の問いに対する答えだった。
そしてそれを知ることは
生物としてのステージが上がることを意味したが
同時に生物としてのエネルギーは微弱になり、
たとえて言えば石ころに近い存在になってしまうことが多い。

端的な短い言葉と数式で無慈悲にあらわされる宇宙の答は
知的生物と認められた種族なら誰でも
一人前になる儀式として教えられてしまう。

ロォジを飛びまわる連中は
まだその答を知らされていない。
だから活発で騒々しく、涙もろくてやさしくて乱暴で
生物エネルギーにあふれており
私は花火を見るようにそれを眺めて楽しんでいる。

「ROG、生物反応なし」
今日も私は同じ報告書を送る。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/

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