中山佐知子 2015年5月31日

1505nakayama2

クチベニが死んだ

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

クチベニが死んだ。
死んだ仲間は
たいがいこのあたりの浜辺に打ち上げられるが
クチベニは小さいし、目立たないから
誰も気づいてやれないかもしれない。

クチベニは外から見ると
爪の先くらいの白いちっぽけな貝だった。
固くて分厚い殻に閉じこもっていた。
艶も模様もない、ただ白いだけの制服を着て
しっかり口を閉じて生きてきたのだと思う。

クチベニを見ていると
僕は修道院のシスターを思い出すことがあった。
人生に多くを望まず
海の底で生きるために食べ、食べるために生きていたに違いない。
誰かにかまわれることがほとんどなかったし
たぶん死ぬときもひとりで死んだのだろう。

死んだクチベニの残した貝殻は
ぐるぐると波に遊ばれ、砂浜に運ばれる。
そして、それを拾った人が気づくのは
貝の内側にすっと引かれた赤い紅の色だ。

生きているときは決して見せなかった口紅の色。
表からは決して見えなかった色。

女は自分にしか見えない
もうひとつの顔を持っていると気づいたのは
その赤い色を見つけたときだったが、
赤という色の鮮やかさを知ったのも同じときだった。

 
出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年4月26日

1504nakayama

夜行特急こぶし号   

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

夜行特急こぶし号に乗って
斎藤さんは土曜の夜にやってきた。
9時55分に東京を出て
11時13分に秩父に着く夜行の特急は
リュックを背負ったハイカーの乗客が多く
朝まで列車に泊まることもできた。
そうして朝いちばんのバスで山へ向かうのだ。

春から秋までの週末、
夜行特急こぶし号で秩父に来ては山を歩く齋藤さんを
ぜひにと言ってうちに泊めるようにしたのは母だった。
齋藤さんが来る日、
母は以前のように台所で忙しくはたらき
僕はそんな母を見るのが好きだった。

夜行特急こぶし号で齋藤さんが来る夜は
柱時計が12時を打つまで
僕はときどき目を覚まして下の音に耳を澄ませた。
カラッと控えめな音で玄関が開く。
ああ、齋藤さんが来たと思うと、それから後はぐっすり眠れた。
齋藤さんは父がいなくなった我が家に安心を運ぶ人だった。

翌朝、僕が起きるころ
斎藤さんはたいがい母がつくったお弁当を持って
出かけてしまっているのだが、
天気予報がはずれて雨になったときだけは
三人一緒にお昼を食べることができた。
僕は齋藤さんとご飯を食べるのが大好きで
日曜日は雨になれといつも願った。

よく晴れた日曜日、僕たちのお昼ご飯は
斎藤さんのお弁当と同じものだった。
胡麻のかかったおむすびや海苔巻き、
きんぴら牛蒡に卵焼き。
春にはうす味で炊いたタケノコに木の芽が乗っていた。

母と僕は窓を開けて、庭を眺めながら
いつもよりゆっくりと静かにそれを食べた。
それは食事というよりも祈りの時間のようだった。

ある年の春、
庭のこぶしが白い花をつけていた夕暮れに
斎藤さんが父の遺体を発見したという知らせがあった。
知らせてきたのは父が所属していた救助隊だった。
父は滝壺に転落したハイカーを救助に向かう
ヘリコプターの墜落で命を失った4人のひとりだった。
それは新聞にも大きく報道された事件で
転落者ひとり、救助隊4人、
そして取材中の報道記者とカメラマンが死んでいる。

父と一緒に救助のヘリコプターに乗っていた斎藤さんは
ひとりだけ遺体が見つからない父を
2年間さがしつづけていたのだった。

知らせを受けた母は湿った声で
お父さんが帰ってくると言った。
斎藤さんは、と僕がたずねると
斎藤さんも帰って来るに決まってるでしょと
エプロンで涙を拭いた。

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中山佐知子 2015年3月29日

1503nakayama

ひと文字の神さま

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

ひと文字の神さまがいた。
「さ」という名前の神さまだった。

ひと文字の神さまは
長い名前の神さまが生まれる前から山にいて
生き物を増やし、
木の実草の実を実らせてくれていた。

人が山を降りて土地を耕し
作物を育てることを覚えたとき
ひと文字の神さまは
みんなの願いを聞き入れて
ときどき里に降りて来るようになった。
「さ」という名前の神さまが降りてくるから
この現象を「さおり」と呼んだ。

山から里に降りた神さまは
自分の座る場所をさがした。
ちょうど花を咲かせている木があった。
「さ」という名前の神さまはその木に宿った。
神の座る場所は「クラ」と呼ばれる。
「さ」の神が宿る「クラ」で「さくら」
こうして木の名前が決まった。
サクラの花は農作業をはじめる時期を教え
また豊作を占った。

神さまが山から降りてくると
サクラの花が咲く。
冬ごもりが終わって人々が田んぼで働きはじめる。
田植えをする女は「さおとめ」
植える苗は「さ苗」
おっとその前に、
ひと文字の神さまに飲み物と食べ物を捧げて、
そのおさがりを自分たちで食べる儀式があった。
神さまが口をつけたものだから
「さけ」そして「さかな」
飲み物にも食べ物にも
神さまの「さ」という名前をいただいている。

この国の歴史がはじまる以前のほの暗い時代には
ひと文字の神さまがいた。
「さ」という名前の神さまだった。

やがて長い名前の神さまと
それを操る人間がこの国を支配するようになって
ひと文字の神さまは忘れられたように思えるが
それでも毎年、春には桜が咲き
咲いた桜の下で我々は
「さ」のつくものを飲んでは食べ
浮かれて騒ぐのだ。

みなさん、今年も楽しいお花見を

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中山佐知子 2015年2月15日

nakayama1502

春の大三角関係

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

冬の星座オリオンが西の地平線に沈むと
おとめ座が牛飼い座と獅子座を従えて空高く登ってきます。

おとめ座のスピカは青白い一等星で
夜空の真珠にもたとえられる美しい星です。
獅子座のデネボラは平凡な二等星のくせに
まわりに明るい星がいないので何となく目立っている小癪な奴。
そして赤銅色に日焼けしたたくましい男性にたとえられる
牛飼い座のアルクツゥルスは赤い星の一等星で、
つまりこれが私です。
まあ、実際はそんなに日焼けしているわけではありませんが。

春の夜空で北斗七星の柄杓の柄のカーブをそのままのばすと
春の大曲線と呼ばれるラインができます。
それは私とスピカが仲良く手を繋いだ姿でもありました。
アルクツゥルスとスピカは、昔から珊瑚星と真珠星
または男星女星とも呼ばれ、カップルの星だったのです。

ところがです。
ある日、春の大三角形という言葉が地上から聞こえてきました。
春の夜空の大三角形…
春の大曲線では飽き足りない人間どもが
獅子座のデネボラを加えて三角形を繋いだのです。
それはスピカを頂点にして
私とデネボラが競い合っている姿でした。
大三角形というより大三角関係じゃないか。

スピカ、あんなパッとしない二等星を相手にするんじゃない。
でもスピカはおとめ座ですから、
ご存じのように、どんな相手でもロマンチックな妄想を抱きます。
スピカにとってのデネボラは
魔法使いに輝きを奪われた不幸せな王子なのかもしれません。
そして私は、おとめ座に遊びに行くたびに
星座図鑑にお茶のシミをつけたり
トイレのスリッパを履いたまま廊下を歩く不注意な奴と
思われているに違いありません。
でもそれって
大三角関係を夜空に描かれるほど悪いことでしょうか。

思えばおとめ座ってめんどくさい。
春の大三角関係を解消したい。

ちょっと離れているけど
こんど琴座のベガのところへ遊びに行ってみようかしら。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2015年1月25日

1501nakayama

その移動命令は

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

その移動命令は40億年ほど過去に遡る。

火星が青く美しい水の惑星だったころだ。
地球ではマグマの地表がやっとかたまり
煮えたぎる熱い海ができたばかりだったが
火星にはすでに海があり川が流れ
茶色の陸があった。
大気は酸素で満ちていた。

太陽系の最初の生命(いのち)の工場は
火星につくられていた。

それから移動命令が下りた。
誰がサインをしたのかわからないが
火星の重力では水や大気を維持することが
不可能であることがわかったのだ。

新しい星に工場を…
移動命令は実行に移された。
生命の原材料であるアミノ酸をのせた隕石が地球に降りそそぎ
設計図RNAを守る元素も火星から送り込まれた。

地球は生命の星になり
火星は死の星と呼ばれるようになった。

火星の工場はいま稼働を終えているように見える。
しかし、わずか2億年前まで火山活動のあった火星は
本当に微生物すらいない星なのだろうか。

いま、我々は再び火星へ移り住もうとしている。
それは隕石に乗ったアミノ酸ではなく
宇宙船に乗った人類を送り込み
火星を再び水の惑星にする計画だ。
2024年に予定されている移住計画では
たった24人の募集に20万人を超える応募があった。

火星が水の惑星になったとき
地球はどうなっているのだろう。
そして星から星への移動命令は、いつ出されるのだろう。
誰がサインをするのだろう。
僕はそれが不思議でたまらない。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2014年12月28日

1412nakayama

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

わずか40kmの距離に七つの駅がある。
そのうち3つは盆地にあり
残る4つは吾妻連峰の山中にあった。
山の4つの駅は峠を隔ててふた駅づつに分かれ
それぞれがスイッチバックの駅だった。
列車はその区間を
冬は豪雪と戦いながら
息を切らせてジグザグに登った。

赤岩、板谷、峠、大沢。
大沢、峠、板谷、赤岩。

赤岩には集落があった。
板谷と大沢には宿場があった。
峠には何もない。
峠という駅は、息を切らせた機関車に
石炭と水を補給するだけの駅だった。
近くに人の住む家もなく
列車が止まっても、乗る人も降りる人もいない。
駅の名前すら、単なる「峠」としかつけてもらえなかった。

峠を越える列車はよく止まった。
線路にちょっと雪や落葉がかぶると
車輪が空まわりして動かなくなってしまうのだ。
そのたびに落葉を掃き、砂をまいた。
日本の鉄道最大の難所に、時刻表はないも同然だった。

列車が「峠」の駅に着く。
駅のそばには茶屋ができて、
乗客は茶屋が売る餅を食べ、
ホームの水飲み場で顔を洗った。
その茶屋の女将さんは、線路に雪が積もると
スコップを持って除雪に駆けつけた。
雪はソリに乗せて何度も何度も運び出した。

そんな雪の季節に列車で峠を通過する人は
線路に燃える小さな炎を見ることがあっただろう。
それは、凍った雪で列車が脱線しないように
ブリキの弁当箱で石油を燃やす火だった。
駅員は24時間交代でその火を守った。
駅員の家族も、峠に住むようになり
雪で動けなくなった列車の乗客に炊き出しをした。

峠の駅はいまも存在する。
この駅に止まる列車よりも
通過する新幹線の方が多い無人駅になり
駅員も駅員の家族もいなくなってしまったが
あれだけ苦労して列車を走らせたスイッチバックが
鉄道遺産になって
峠の茶屋も営業をつづけている。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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