直川隆久 2013年6月16日

すわせろ!
 
         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

いやあ、タバコも高くなったねえ。今、2万円でしょ。一箱。
むちゃくちゃだよね。
だから最近はこれですよ。第3のタバコっていうんですか。
なんか原料は街路樹の落ち葉とかでつくってるらしいけどね。
まあ、意外とこれが、慣れるといけるんだよね。
しゅぼっ。
ま、タバコの快感って、要は酸欠だから。
すーっ…ぱは~…うん。効く効く。
…ちゅうことで煙を吸うことが大事なんであってね。
タバコの葉っぱじゃなくてもよかった…
ここに気付いたってのはまあ、我々たばこのみにとっての、
コペルニクス的転回でしたわな。

知ってます?
ノンニコチン・ノンタールで今売れてる「メビウスゼロ」って、
あれ、紙だからね。中身。100パー。うん。
いちど、バラしたことがあるのね。
そうしたら、メモ用紙を丸めたのが入ってた。
あれで一箱800円とるんだから、マーケティングってなぁえらいもんだよね。2万円の横にあったら、そりゃ800円なんて安く見えるもの。
タバコ売場に置くだけで、ただのメモ用紙がねえ、
800円になるんだから。

そうそう。街にもね、いろんな煙を吸わせる店が出てきたよね。
表参道あたりじゃ、煙バーってのができたって。
そこはね、高級葉巻とかもあるんだけど、
そういうのはもはや「クール」じゃないんだってさ。
で、なに吸ってるかっていうと、サンマの煙とかウナギの煙とからしいね。
サンマを焼いてさ、その煙をこう、すぱ~…っと。
そりゃ、モノにはこだわってるみたいですよ。
ウナギは天然モノじゃなきゃいけないとか。
いや、中身は食っても食わなくてもいいんだけど、
大事なのは煙なんだって。
まったく、金持ちってのは妙な事考えるよな。
その店にはさ、その日の気分でどんな煙がいいか
アドバイスしてくれる人がいて、それをケムリエって言うんだってさ。
…なんだ、そのダジャレが言いたいだけなんじゃないのかって、
気もするけどね。

でも、なんか一部でさあ、
マニアックつうかアブノーマルなやつもでてきてるみたいだね。
ほら、こないだ某有名俳優がなくなったその火葬場で、
煙突にビニール袋をかぶせて逮捕された奴がいるでしょ。
あれね、そういう煙をさばくルートがあるらしいんですよ。
そういう……ってのは、まあ、あれですよ。
有名人の、亡骸を燃やした時のナニを…
まあ、アレするってことらしいんだけどね。
いやあ、まあ、えらい時代になりましたよ。

あ、そうそう。
私の知り合いでねえ、
大麻の葉っぱをアパートに大量に隠し持ってたやつがいてね。
たくさん持ってる癖に、仲間内にもなかなか回そうとしないヤな野郎でさ。
で、そいつ、部屋で一服きめてうっとりしてる間に火事出しちゃって
焼け死んだんだけどね。アパート全焼。
葉っぱごと。そんときゃみんな感謝したね。
町中、いい匂いの煙でいっぱいだったもの。
みんな、とにかく鼻の穴全開で煙吸いこみながら、
手ぇあわせておがんでたよ。ああ、ありがたいってね。
私もまぁ、死ぬときゃそんなふうに逝きたいもんですよね、
生きてる間はせいぜい煙たがられてもね、
死んで煙になったら嬉々として吸われたい…なんてね、
シャレになっちゃいましたけど。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

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井村光明 2013年3月3日

「負け戦」

         ストーリー 井村光明
            出演 遠藤守哉

30分ぶりに赤い花が手渡され、僕は椅子から立ちあがった。
花といっても造花だけど。
白いボードを振り返り、石川4区の枝川くんの名前の上に花をくっつけた。
この選挙区は、野党から人気のプロレスラーが出馬して苦戦してたとこだっけ。
枝川くん、良くやってくれた。
会場に拍手が響く。でも、どこかうつろだ。
仕方ない。開票が始まって、もう4時間もたつのに、
250人の候補者名が書かれた白いボードに、花はちらほらしか咲いてない。
枝川くんで花をつけるのは最後かな。。
やっぱり、たくさん余っちゃったなあ、赤い造花・・・
僕は現職の総理大臣。
でも今は、政権与党の代表として、党本部で開票に臨んでいる。
あと数議席残ってはいるが、まあ焼け石に水だろう。
会場のソデには片目のダルマや、その横に大きな酒樽も見える。
ここだけじゃない。全国の候補者の事務所にも置いてあると思うと、
相当な数が無駄になったはずだ。
しかし、まさかここまでとは・・・惨敗だ。
敗因はいろいろあるが、とどめは、やはり景気対策だったのだろう。
高齢化による社会保障費と国の借金の増大。
僕は庶民派総理として、明るい未来のために、極力無駄をはぶき、
財政削減に邁進してみたんだけど。
その結果が、これだ。
そういえば、選挙準備の時、
「どうせ無駄になるんだから、当選者につける赤い花、
用意を半分くらいに削減してはどうか」という意見も出てたけど、
「縁起が悪いから」と人数分発注したっけ。
やっぱりこんなに余っちゃって。
まあ、花屋の景気には貢献できたかな。
景気対策で負けたのに、皮肉なものだ。

「お車の用意ができました。ご自宅でよろしいですか?」と、
秘書が耳打ちしてくる。
帰りたくないなあ。
いわばリストラだ。帰っても、妻や娘が、そして僕も気を遣う。
かといって、僕がリストラされたのは国民全員にもバレバレだ。
どこに行ったって、誰かに気を遣わせてしまうだろう。
そして、ここに居座るのも片付けの邪魔になる。
「千葉へ」と僕は言った。

「こんな時間に、何しに来たの?」
千葉の実家で一人暮らしの母は、まだ起きていた。
「いや、カーネーションがたくさん余っちゃってさ」
僕は、持ってきたダンボール箱を手渡した。
「あらまあ~。ん?あんたバカねえ。これはバラよ(笑)」
「あれ、そうだっけ?」
照れ臭い僕は、とぼけてみせた。
当選者用の余った赤い花。300輪はあるだろう。
政治家の母が、その意味をわからぬはずがない。
が、
「ありがと、こんなにたくさん。うち中がバラ園になりそうだわね~。
うーん、いい匂い」
「母さん、それ造花だよ」と言うと、
「わかってるわよ。ボケてみただけ~」と言って僕を笑わせてくれた。
母は、もう85だ。まだ達者だが、本当にボケる日も近いだろう。
選挙では、国民や企業や労組や各種団体から応援してもらった。
しかし、それは一瞬で、恐ろしい「貸し」に変わる。
妻や娘たちからの声援ですら、重たいものとなる。
しかし、母は、別だ。
「何か食べるかい?あんたのことだから一生懸命やったんだろう。
気にすることないさ。」
もし僕が戦争を起こし日本を焦土にしてしまっても、
母は同じように言うのだろう。
「モンスター」と呼ばれることのなかった、僕たちの親の世代。
高齢化社会は大変だと言うが、
僕たちを無条件に受け入れてくれる母さんや父さんが、
まだたくさんいてくれるということなのだ。
ずっと生きててくれないと、こんな夜、行く場所がなくなっちゃうよ・・・
だからこそ、将来の負担増に備えて、財政支出は切りつめとかないと、って
思ったんだけどなあ。
ばらまくんだろうなあ、新しい総理。
母は、「がんばれがんばれ。」と見送ってくれた。
あと数日で総理じゃなくなっちゃう僕だけど、
もちろんこれから野党としてがんばる所存だよ!応援よろしくね、母さん。

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直川隆久 2013年2月17日

砂漠にて

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

茫漠たる砂の海を、もう何日歩きづめだろうか。
地平線を目でなぞり、集落はないかと探す。

と、視界の端に、地表から立ち上がる直線を見た気がして、ぎょっとする。
私はナップザックから双眼鏡を取り出す。
直線、すなわち構造物。
そんなものが、まだこの世に存在しているのか。あらゆる都市が壊滅し、
人間のほとんどが死に絶えたこの世に。

もう一度双眼鏡をのぞく…棒の上に、赤い光と…その横には、緑の光。
信号だ。
――信号?
この砂漠の真ん中に?

何ヶ月ぶりかで人工物を見た。
なぜそんなものがあるのか、それはわからないがしかし…
誰かが、何らかの目的で設置したことは確かだろう。
私の目は人間の影を求めて動くが、人間はおろかハゲタカ一羽飛んでいない。

それにしても――砂漠に立つ信号なんて、
まだ文明があった時代には滑稽に思えただろう。
だが今は!
この赤い光はなんと心に温かいことか!
私は魅入られたように、その信号に向かって歩を進める。
交通規制!
なんて懐かしい響き!
方向も変化もなく、ただただひろがる砂。砂。砂。
その無意味さに、私はもう耐えられなくなりそうだったのだ。

意味、目標、方向づけ、ルール。
そういったものがなければ心の平安がえられない。
やはり私は都市に適応した生物だったのだと痛感する。

そのとき、ぐらりと足元の地面が揺れた。

信号の下の地面が小山のように盛り上がり、
象の皮膚のような質感の巨大な肉の塊が姿を見せた。
そのてっぺんから信号が生えている。
私の足元に直径10メールばかりの黒い穴がぼかりと空いた。
足の下の砂が、奔流のように、その穴に流れ落ちて行く。
しまった…
そうか――この信号は、いわばチョウチンアンコウのチョウチン――
誘引突起だったのか。
スナクジラとかいう化け物の噂を、ずいぶん昔、聞いたのを思い出す。

私は、地すべりのような砂の流れと一緒に、
その得体の知れない生き物の口に飲み込まれてゆく。
文明消滅後の人間心理まで利用するとは、
自然の叡智というやつはまったくはかりしれない――

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久 2013年1月20日

負ける男

         ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

高原。あえて言葉を選ばずに言おう。
俺はおまえに死んでほしい。
娘の愛美が、“会わせたい人がいる”と俺に言ってきたときから
いやな予感はしていたんだ。
年が離れてるとはきいてたが、
まさか自分の同い年の男が来るとは思わないじゃないか。
正月早々、とんだご挨拶だ。
さらに、あろうことか、おまえだなんて。
なんでおまえなんだ。
忘れたとは言わせんよ。
30…32年前か。
山岳部のアイドルだった平岡祥子をかっさらって行ったのは、
おまえじゃないか。

就職活動の時期が来ても、
七大陸最高峰無酸素登頂の夢を語るおまえを、おれは疎ましい思いで見ていた。
就職活動に駆けずり回っている俺を、バカにされているような気がしていたんだ。
だから最大手都銀から内定をもらったとき、俺は、勝ったと思ったよ。
だからその日におれは、平岡に告白した。
で、手痛くふられたよ。好きなのは、高原君ですってな。

平岡は、そのことは言っていたか。なかったか。
まあ、そうだろうな。
おまえがどういうつもりかしらんがな。
その時点で、おまえは俺に借りがあるんだよ。
借りだろう?借りだよ、そんなものは。
卒業後もおまえは結局就職せず、
個人的にスポンサーを集めながら冒険旅行を繰り返してたな。
熊みたいなお前の容貌は安心感を与えるんだろう、
スポンサーにも人気があった。
おまえ達夫婦がときおりテレビ番組で取り上げられるたび、
俺は見ないふりをするのに必死だったよ。
なぜって? 
おまえは俺をみじめにさせるんだよ。
冒険ができない俺を、人生にせよ山にせよ、
確実なルートでしか登攀できない俺を。
 
そうやって、前途洋々のおまえだったじゃないか。いつの間に別れたんだ。
平岡祥子と。

…癌?

それは知らなかった。
苦しんだのか。
…そうか。
しかし、それにしても…おまえはどこまでも主人公だな。

愛美とはどこで知り合ったんだ。
環境保護NPOの事務局で…?
ライチョウの写真を見せて話しているあいだに意気投合、だと?
ふん。紋切り型だな。まったくもって紋切り型だ。
だから、そんな団体に出入りさせたくなかったんだ。
おまえ達のそういうところが、俺は嫌いなんだ。
その、自分の純粋さを疑わない感じが。
のほほんとしたおまえらのとばっちりを受けるこっちの身にもなれ。
なにがライチョウだ。
なんだ。不満か?
おまえのストーリーの中では、俺は悪役だろうな。
や、誰が考えてもそうさ。
年の差を愛で乗り越えようとしている二人の前に立ちふさがる
保守的な親父という構図だ。
自分の無粋さも自覚できない、イタい男さ。
だがな、俺の人生は映画じゃない。
客のものじゃない、俺のものだ。俺が主人公だ!
ものわかりのいいふりをする気はないんだ。

ああ…。

…なんで、愛美はおまえみたいなくだらないのにつかまったんだ。
と言えればラクだろうさ。
2年のとき――槍ヶ岳で高山病にかかってふらつく俺を、
おぶって下山して、俺を責めるような目をただの一瞬もしなかった――
おまえがそういう男でさえなけりゃ、ラクだろうさ。

なんで、そうやって何度も俺に負けを味わわせるんだ。
ちくしょう、大きな声をださせやがって。愛美にきこえるだろう。
おい。そんなふうに、困った顔で、頭をかかえるんじゃない。
泣きたいのは、こっちなんだよ。
 

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久 2012年12月16日

暗い鮨屋 

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

黄昏時。営業先のとある町で、迷子になってみた。
おれは、初めての町に行くと、適当に見つけた細い路地に入りこんで、
ささやかな迷子気分を味わうことが好きだ。
ことに、日のあたらないせまい道をうろつくと、
心細いような怖いような、妙な快感がある。
このあたりは明治のころからの下町エリアらしく、
木造の長屋や、場所によってはポンプ式の井戸なども
残っていたりするのが嬉しい。
と、うす暗い路地のどんつきの家に、真新しいのれんがかかっている。
こんなところに店が、と意外に思ってよく見ると

闇すし 日没より営業
   
とある。
…「闇すし」――鮨屋?
奇をてらったとしか思えない屋号だ。しかし、個性的ではある。
興味をひかれ、戸を開けてみる。
中は真っ暗だ。開店前か。
酢飯と、生魚のにおいが鼻をくすぐる。
たまらん。歩き詰めだったから、腹が減っている。
「いらっしゃい。どうぞ」と店の奥から快活な声がした。よく見えない。
「まだ開けてらっしゃらないんじゃ――」
「開けてますよ。どうぞ」
うながされるままにおれは店に入った。
ぴしゃり、と背後で戸がしまり、ほんとうに真っ暗になる。
狼狽するおれの方へ、奥から再び声が投げられてきた。
「ああ。初めての方ですね。…
うちはこうやって真っ暗な中で召し上がっていただくんです」
ええ?いくらなんでもそれは…
こんな真っ暗な中で鮨なんぞ食えるものか。
「どうぞ、こみあっておそれいりますが。こちらに一席ございます」
 …先客がいるのか?
 たしかに、耳をそばだてると、
すしを咀嚼する音がカウンターらしき場所から聞こえてくる。
この店、意外にはやっているのか。

ほかに客がいるとなると、やや安心した。
何事も話の種だ。
店主と一対一でなければ、そう気まずくなることもあるまい。
そう思っておれはカウンター席、であるらしいその椅子に腰をおろした。
店主や隣の客の顔はおろか、自分の指先すら、全く見えない。
「おまかせでよろしいですか」と主人らしき声が訊く。
たしかにこう真っ暗ではネタケースも見えない。それで、と返事をする。
「どうぞ」と店主がおれの目の前に鮨を置いた気配がした。
「なんですか」と訊くと店主は「食べればわかります」と答えた。
おれは手探りでその鮨をつかむ。
ほどよくしめった感触が指につたわり、
持ちあげると、ネタが自分の重みで少したわむのが感じられた。
正体不明のものを口に運ぶのには多少勇気がいったが、
ままよとばかりに放り込む。
ひと噛みしても、わからない。
じっくりと神経を集中させて噛みしめ、香りを鼻にぬいて点検してみると、
どうやらヒラメらしいと思われた。かつ、相当にうまい。
これはたしかにスリリングだ。
ひとつ、またひとつとおっかなびっくりで口に運ぶ。
二つ目はアジ、らしかった。三つ目は、おそらく、カンパチだった。
どれも、たいへんにうまい。ちょっとこの店をなめていたようだ。
それとも、暗闇で食べるという体験が感覚を覚醒させているのだろうか。

そういえば、同様の趣向のレストランが東京にあるときいたことがある。
真っ暗な中で食べると、視覚が遮断されるぶん、より味覚が鋭敏になるという。
なるほど、これは場所ににあわず、
最先端のカルチャーを提供する店かもしれない。
と思うと気持ちも乗ってきた。
 調子にのったおれは、店主がだす鮨を次から次へと口に放り込んだ。
 
最初のうちは、この鮨ネタは何かと見当をつけることを
ゲームとして楽しんでいたが、だんだんそれがどうでもいいことに思えてきた。
生の魚の肌が舌に乗る感触、脂の味、香り…そのことだけに集中し、
そのことだけを堪能するほうが、気持ちよくなってきたのだ。
ひどくうまい。何個でも食べられる。
隣の客達も、ひとことも喋らない。みんな、鮨の味に集中しているのだ。

そしてしばらくすると、不思議な感覚がうまれてきた。
手足が目に見えない状態が続いたせいだろうか、
そもそも自分に手足があるのかどうかが、あやふやになってきた。
足って…どこにあるんだっけ?そう思って足を動かすと、
そこに足がある感覚は生じる。
しかし、動かすのをやめれば、自分の体がどこまでか、またよくわからなくなる。
わからないわけはないだろう、とおれも最初は思った。
だが、そう…たとえるなら、あなたは、自分の二の腕の裏側が
「存在している」ということを、見ることもさわることもせずして、
確認できるだろうか?
そんなあやふやな感じが、だんだんとおれの全身にひろがってきたのだ。
いや、全身、ということすら…よくわからなくなってきた。
この暗闇の中で、どこまでがおれの全身なのか、
その輪郭がもはや判然としないのだ。
おれがすしを食べているのか、暗闇がすしを食べているのか。
わからなくなってくる。

わからなく…なってくる。
暗闇に溶け込んでいく。
この感覚は嫌いじゃない――怖いような、でも、なにか甘美な快感だ。
そうだ、こんな感覚を味わいたくて、
おれはいままで、暗い路地をうろうろとしていたんだ。

そしておれは気づいたのだ。
闇に溶け出しているのはおれだけじゃない。
ほかの客たちもそうなのだと。
なぜわかったかといえば、鮨をほおばる隣の客の悦びを、
おれがダイレクトに感じ取れたからだ。
おれが鮨をほおばれば、その悦びがほかの客に伝わり、
それがまたおれにも伝わってくる。

「おれたちは、ひとつになっている」

なんという快感。愉悦。
とめどなく――おれは暗闇に流れ出していく。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久 2012年11月18日

記念日未遂

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

ええ。
その通りです。坂東蟹蔵は、昨日の午後の患者です。
はい。
開業場所ですか?
は…広尾ですね。マンションの一室です。
まあ、電話帳にもだしていませんので、ご存知の方は少ないでしょう。
うちの場合、普通の歯科医とは、患者の層が、多少違いますのでね。

「あれ?あのタレント、急に歯並びがよくなったな」と
思った経験おありじゃありませんかね。
え?ああ、そうそう、あのアイドル歌手の方ね。私の患者です
歯並びというやつは、まあ健康的にやるなら矯正治療がよいわけですが、
時間もかかるし、ブリッジというやつが目立つ。
顔が商売道具の人にはむきません。
大体は、手っとり早く抜歯して、差し歯の処置をします。
もっとドラスティックにやる場合は顎の骨を切って貼り直すか。
この場合は外科手術が必要になりますが、私は口腔外科も扱いますのでね。
要するに、すばやく治療ができ、秘密も守れる歯科医のニーズが、
一定の層の方々にはあるわけです。
まああれだけあからさまに治しておきながら
秘密も何もないという話もありますが。ふっは。

同業の仲間にはね、この仕事を“金のため”と割り切っている者も多いけれども、
私は違います。歯そのものに、ひどくひかれるんですな。
興奮するといってもいい。
はっきりいって、気持ち悪いですな。口の中の眺めというのは。
ためしにぐっとこう歯をむいて写真をとり、
その目を隠して口元だけ見てごらんなさい。
生々しくケダモノと言う感じがして、実にあさましい。
そこが、まあ…好きなのですね。
歯列というのは、一般には整然と並んでいるものが美しいとされるわけですが、
長年この仕事をしていますとね、ただ「きれい」なだけの歯というのには、
興味がもてません。意外性がない。
むしろ、乱調のものがいい。乱杭の、犬歯と前が完全に重なって
表から見えない歯が裏に隠れているようなのは、
隠匿、という文字が浮かんで、ことに好きです。
――ま、私はやや特殊なほうかもしれませんが。
だから、治ってしまうと、やや残念です。
…とはいえ、私は、腕はわりにあるほうでしてね。
そのおかげでまあ30年、この道でやってこれました。
ふっは。

口コミというやつで、私のところにはいろいろ著名な方が治療にこられます。
そういう患者さんを長年扱っておりますと、だんだん貯まってくるんですな。
なにが?
歯ですよ。歯。処置するために抜いた歯です。
海外でも評価の高い映画監督の第一小臼歯、
売り出し中のグラビアアイドルの第二大臼歯、人気漫才師の前歯。
といった具合に。
記念に持って帰りたいという人にはもちろん、さしあげますがね。
そうでなければ、こちらで持っておくのです。
 
で、思いついたのです。
これで、人間の歯並びをひと揃え作ってみたら面白いんじゃないかと。
ぜんぶ、違う人間の歯でね。
むろん、簡単ではない。
ワンセット歯並びを完成させようと思えば32本の歯が必要です。
だがもし完成すれば、ひとつの口の中に、32人分の有名人の歯がならんでいる。
もちろん、歯の大きさはバラバラですから、きれいな歯列じゃない。
虫食いで汚らしい歯もある。でも、そのがたがたの、ぐしゃぐしゃが、
なんというか、一種おぞましくて、ああいう一見華やかだけれどその実は…
という世界の縮図として、悪くないんじゃないかとね。
 
それを思い立って、全体の8合目あたりまで来るのに、
まあ、10年がところかかりました。
そうそう旨い具合に欲しいポジションの歯はそろわないのです。
特に上の犬歯は頑丈な歯で、そうそう悪くならないので抜きに来る人も少ない。
交通事故を起こしたロックミュージシャンの手術をしたときに、
初めて手に入りました。
そして、残るのは左側の上の親知らずだけになったのですが、
ここからが長かった。3年待ちました。
何度か親知らずの抜歯の患者はきていたのですが、
みんな歯を持ち帰りたがりましてね、手元に残らなかった。
で、ついにきた。それが坂東蟹蔵だったのです。
ひどく親知らずが痛むので、なんとかしてほしいという話でした。
ところが患者が来てみると…
あにはからんや…左側ではなくて、右側だったのです。
これにはがっかりしました。期待が大きかっただけに…
いや、ご存知のとおり、この歌舞伎役者、
若気のいたりで悪さをいろいろとしておりましたからね。
「親知らず」とはなかなかシャレがきいている、
ぜひ欲しいと思っていたのです。
手に入る、と思っていたものがそうならなかった場合、
落胆はより激しいものです。
レントゲンを撮ってみると、右上の親知らずの根っこが、
上顎洞という頭蓋骨の中の空洞につき出て、その内部が化膿しているという状態で、
全身麻酔の手術が必要な状態でした。
で、蟹蔵氏をベッドで寝かし、手術を開始しました。
右側の治療…歯肉と顔の肉の接合部分を切開したのち、
顔の肉をめくりあげまして、そこから頭蓋骨に穴をあけ、
上顎洞の中をがりがりと掃除…ああ、説明はよろしいですか。
ともかく。こちらの治療はつつがなく終えました。
で、そこで終わればよかったのですが…
まあ、やはり、どうしても欲しくなってしまったのですな。
左上の親知らず。
蟹蔵氏は寝ています。

蟹蔵氏の親知らずは、ほぼ真横に生えていましてね。ペンチでは抜けそうもない。
私は、ドリルを手にとってしまっていました。
ふだんなら、そういうヘマはやらないんですが、
嬉しさのあまり焦っていたんでしょうな。
つい、顎の骨が断裂するほどドリルをあててしまった。
が、さいわい、親知らずは、無傷で取り出せました。
で、まあ、彼が目がさめてからえらく問題になりまして――
このように警察の方がいらっしゃっていると…まあそういうわけです。
 
いやあ、あの歯が滞りなく手に入ったら、いい記念日になっていたのですが。
ふっは。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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