小野田隆雄 2006年11月17日



春に見た夢
         
ストーリー 小野田隆雄
出演 坂本美雨

 
二階のガラス窓に青い空が映っていました。
たたみの上に横になると、フリージアの香
りがしました。白いフリージアが竹製の花び
んにいけられ、柱につるされていました。眼
をとじていると、たたみのひんやりした感触
がここちよく、中学一年生になったばかりの
私は、いつのまにかねむってしまいました。

 長い戦争が終った夏の終り、郵便屋さんが
兄の戦死を知らせる手紙を持ってきました。
「いま頃になって。もう戦争は終ったのに」
と、母が言いました。
「兄さん、かわいそう」
 と、姉が言いました。
 姉は、時間のかかる、治りにくい病気にか
かっていて、寝たり起きたりの日々をすごし
ていました。
「山に行こうか」
 と、姉が私に言いました。
 それは家の裏にある、山というよりも、だ
んだん畑の続く低い丘でした。だんだん畑の
みかんの茂みの間を登って行きますと、頂上
はやや広い草原になっています。
 そこに腰をおろして南を見ると、ずっと遠
くに海が見えるのでした。
「あの海は太平洋よ。兄さんはあの海のもっ
と南で死んだのよ」
 と、姉が言いました。
「海に行ってみたいな」
 私はつぶやきました。兄の死は、幼い私に
とって無関心なことだったのです。
「もっと大きくなったら行くといいわ。あの
道をバスに乗って」
 見おろすと、八月の稲田が湖の底のように
深い緑色に広がり、その間を白い道がひと筋、
くねくねと海に向って続いていました。
 海の、岬のあるあたりに、細く白く、腕時
計の針のように、燈台が見えていました。

「海に行ってみたいわ」
 その少女が言いました。
 姉ではなくて、見知らぬ少女が私の隣にい
ました。長いまつ毛をした少女でした。
 コチコチ、コチコチ。私は私の心臓の音が
時を刻むのを聞きました。時間がゆっくり過
ぎますように・・・・・
 けれど、少女は、突然にうつむいて苦しそ
うにせきこみました。背中をさすってあげよ
うと、私が手をのばしたとき、甘い薬品の香
りがしました。
 少女は立ちあがり、走り始めました。口も
とを手で押えて。そして、白いワンピースの
後姿が、蝶が舞うように、みかん畑の中に消
えました。

 眼をあけると、二階のガラス窓に黒い雲が
映っていました。湿った風が吹き始め、フリ
ージアの香りが、優しい麻薬のように部屋を
つつんでいました。



出演者情報:坂本美雨http://www.miuskmt.com/

 *ナレーターの所属事務所のご都合で
  音声をお聴かせすることができません。

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小野田隆雄 2006年10月13日



コーヒー色の思い出

         
ストーリー 小野田隆雄
出演 坂本美雨


まだ風は冷たいけれど、木に咲く花は、少し
ほころび始めていました。
今日、小さな結婚式が小さな街でありました。
昨日までの雨があがって、二階建ての市民会
館は、なんとなくオランダふうに見えるので
した。彼と彼女が、いま、笑いにつつまれて
結婚式場から出てきました。
「しあわせになれよ」
「ケンカしちゃだめよ」
友だちの声に、花嫁は顔をあからめ、花むこ
は元気に手を振り、ふたりは黒ぬりのハイヤ
ーに乗り込みました。これから駅へ、駅から
港へ、港から船に乗って南のしまへ。
眼を閉じて車にゆられながら、花嫁の心に幼
い日の思い出が、浮かんできました。

あの日も雨があがったあとの、花冷えのする
日でした。
「桜が散っているわ」
ちょうど両親が家を留守にして、彼女がひと
り病気の姉の枕元に座っているとき、姉がぽ
つりとそう言いました。
「でも、家には桜の木なんてないわ」
「なくても散っているの、見えるの」
天井を見つめながら、姉が言いました。
新しく張り替えられたばかりの、真白な障子
は閉めきられていました。障子戸の外は廊下、
廊下のガラス戸に春の風が当たって、誰かが
ノックするような音をたてていました。正午
に近い時刻でした。
「コーヒーを飲みたいな、もういちど。あの
ひとと」
姉はそう言うと眼を閉じました。涙がひとす
じ白い頬を伝わって、形の良い唇の所で止ま
りました。
「姉さん」
彼女は姉をのぞき込むようにして、呼んでみ
ました。返事はありませんでした。

花嫁が瞳をあけると、車は海沿いの道を走っ
ていました。海も青く、空も青く澄んでいま
した。
「姉さん、わたし幸福になるからね」
花嫁は、そっとつぶやいてみました。花むこ
は、彼は、花嫁の手を握ったまま、くったく
なく眠っていました。



出演者情報:坂本美雨http://www.miuskmt.com/

 *出演者の所属事務所の許諾が得られないために
  動画をお目にかけることができません。

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