渡辺潤平 2007年10月19日



冬を待つ男の話。  

                
ストーリー 渡辺潤平
出演  奥貫薫


そう。
彼女は「みずうみ」でした。
彼女は、ぼくの好きになったその人は、
鬱蒼と茂る広葉樹の森の奥深くで、
まるで「時」って言葉さえ知らないみたいに、
いつだって変わることなく、
深くて青い水をたたえている。そんな人でした。

そのみずうみのほとりに立つたび、ぼくは打ちのめされました。
自分の存在の、なんて小さい、小さいことか。
足元の石を、ありったけの力で投げ込んでみても、
申し訳程度に、波紋がそよそよ広がるばかり。
ぼくは、腰を下ろして、
目の前に広がる鏡みたいな水面を、ただ眺めることしかできなかったのです。

そのみずうみにも、四季は巡ってきます。
ただ、難しいのは、カレンダー通りにいかないところ。
夏が来たと思ったら、翌朝には木枯らしが吹いて、
綿毛みたいな粉雪がフワフワと舞い降りる。 

冬です。

みずうみに訪れる冬は、それはそれは厳しくて、
山から吹きおろす風は、
ずっと重たく、底意地の悪い風でした。
もちろん、みずうみにはもう誰も近づかない。
それでもぼくは、みずうみのほとりで静かに冬の訪れを待ちました。

なぜって?

そのみずうみのまわりには、
道らしい道なんかひとつもなくって、
向こう岸に渡るには、泳いでいくか、
凍った湖面を、そろり、そろりって、歩いてくしかない。
ぼくのカラダは大きくてまぬけだから、当然泳げるはずもなくて、
彼女のそばへ行くには、待ち続けるしかなかったんです。
冬を。
ぼくの大きくてまぬけなカラダが踏みつけても、
まるでビクともしないぐらいの分厚い氷を
みずうみに張らせることのできる、完璧な冬を。

たった一度だけ、向こう岸へたどりつけそうだったことがあります。
猛烈な吹雪で、自分がどっちに進んでるかも分からないほどでした。
ぼくは目をつむり、風の鳴く方角へとひたすら進みました。
やがて吹雪も止み、あたりいっぱいに、やわらかくて懐かしい香りが。
ほとんど凍りかけたまぶたをゆっくり開くと、
目の前に、もう、何歩か踏み出せば手が届きそうなほど目の前に、
彼女が立っていました。
まっすぐにぼくを見つめて、彼女はゆっくり微笑みました。
忘れもしません。その顔の、なんと淋しそうだったこと。
あのとき、一瞬ためらったんだと思います。それが失敗でした。
気がつくと、足元の氷がじりじり溶けはじめていました。
ぼくは夢中で駆け出しました。
足の下の氷が、どんどんシャーベットみたいになって来るのが分かります。
怖かった。覚えているのは、ただ怖かったことだけ。

もう走れない。そう思って足を止めると、
ぼくは元いたみずうみのほとりに、たった一人で立ち尽くしていました。
風が暖かいのに気づきました。
木々は我先にとばかりに新芽を出し、
戻って来た鳥たちが、楽しげな唄をうたっています。
冬は、終わっていました。

あれから、どれぐらい経ったのでしょう。
まだ、冬は巡って来ません。

だからね、
ぼくは今日もこうして、みずうみのほとりに座って、待ってるんです。
冬。今度こそ、完全完璧な冬。
そうです。
彼女に、闇よりも濃い絶望が訪れる日を。
彼女の心が、深い深い悲しみに閉ざされる日を。

だって。
ぼくは、彼女を、誰よりも愛しているから。



*出演者情報 奥貫薫 クォータートーン

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