佐倉康彦 2008年2月22日



ゆびきり

               
ストーリー さくらやすひこ
出演  深浦加奈子

 
指の美しい男だな、と思った。
それ以外は、たぶん何の取り柄もない。
その男の心根は、
もう随分とすり切れ、薄汚れていたし、
その面相も、
おおむね醜男の範疇に入るだろう。
男は、
世の中に不満を持ち続け、
今の自分を呪い、
まわりに不平を垂れ流す。
それにもまして
始末に負えないのは、
心を斜めにしたまま
優しい言葉を
時折、投げつけては
人を傷つけることだった。
「でも、好きなんだ」
許せないひと言。
ニセモノで、
おしゃべりで、
浮気で、
偽善者で、
卑怯で、
欲情の奴隷で。
見下げ果てた男。
あたしも他人を
とやかく言えるほど
品行方正でもなければ
眉目秀麗でもない。
そんなことは
これまでイヤというほど思い知らされてきた。
裏切るし、
狡賢いし、
見栄坊だし、
毒を吐くし、
物見高いし。
性根が腐ったあたし。
それでも、
男よりは
この世の中で息をすることが
許されるのではないかと思えてくる。
被害者と被害者、
加害者と加害者。
こんなにもいびつで不完全で、
醜悪なふたつの塊が
もがきながら
ひとつに結びつこうとするキセキ。
崇高でも神聖でもない、不器用な奇跡。
「でも、好きなんだ」
繰り返された二度目の言葉も
その行き先を見失ったようで、
男の指先は、
虚空で小さくゆっくりと
ただ揺れている。
はじめから
不変の愛なんて
誓えるはずもないのに。
その証にあたしの小指を切るなんて
できるはずもないのに。
もう、「ゆびきり」なんて
できないこと
わかっているのに。
あたしの目の前で組まれている男の、
その両手の、 
絡み合った指から目が離せない。
指の美しい男だな、
あたしは、まだ思い続けている



*出演者情報 深浦加奈子

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佐倉康彦 2006年12月29日



匂い

               
ストーリー さくらやすひこ
出演  深浦加奈子


二度寝をしてしまった遅い朝、
ベッドの中は、私の匂いで満たされている。

正確に言えば、
昨日の夜に落とさなかった化粧とアルコールと、
少しだけ後悔が入り交じった匂い。
ずっと点け放しになっているテレビからは、
気象予報士と呼ばれる中年男の
鼻にかかった甘ったるい声が洩れている。

上空に強い寒気が入り冬型の気圧配置が一層強まって
今夜は雪になる見込みです。
自分の声に酔ったような調子で喋ったあとに、一拍おいて、
ステキな聖夜になりそうですね、と、
余計なことを口走る。

そんなテレビの中の男に毒づきながら、
私は、まだベッドから抜け出せないでいる。
いまどき流行らないメントールの煙草に火を点ける。

私の鼻腔をゆっくりと抜けてゆく紫煙の、
その醒めた匂いに、一瞬、たじろぐ。
ベッドの傍らに脱ぎ捨てられたコートや
パンティストッキングや下着から、
昨日の夜の執着が見え隠れしているようで、
慌てて目をそらす。

そんな昨日の残骸の中に、それはあった。
おそるおそる手を伸ばす。
誰が見ているわけでもないのに
用心深く手繰り寄せる。

ベッドから起きあがった私は、
少しだけ逡巡したあと
自分の胸元に、それをそっと引き寄せる。

ベッドの中の私の匂いが、
わずかだけれど薄まったように感じた。
真っ直ぐに立ち昇っていた吸いさしのメントールの煙が
灰皿の上でかすかに揺れた。

ケータイが羽虫のような音を立てて震え出す。
私はそれに顔を埋めながら、震える羽虫の音を聞き続ける。
それには、
マフラーには、あいつの匂いがした、
ような気がした。
 
今夜、知らない誰かのために雪が降る。



*出演者情報:深浦加奈子(闘病中のご出演、ありがとうございました)

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