中村直史 2020年8月9日「鼻ドア人」

「鼻ドア人」

   ストーリー 中村直史
      出演 遠藤守哉

アフリカ南西部の小さな共和国で、
まだ幼い男児が、母親に連れられて病院を訪れていた。
今日はどうしましたか?と尋ねる医師に、母はこう言った。

「今から私がくしゃみをしますので、息子の鼻を見ていてください。」

そしてくしゃみを一つした。
子どもの鼻を覗き込んでいた医師は、目を疑った。
母親がくしゃみをした瞬間、いや、正確には、
くしゃみをするほんの直前に、その子の鼻の穴が閉じたのだ。

「・・・もう一度、いいですか?」と医師が言った。

くしゃみをする母。すると子どもの鼻の両方の穴が瞬時に閉じる。
一瞬のことでわかりづらいのだが、よく見ていると、
鼻の穴の入り口の皮膚が瞬時に伸びて、自動ドアのように、
鼻の入り口に蓋をしていた。

「鼻の穴に・・・ドアがある」医師はつぶやいた。

時を遡ること数年前。
世界は、重篤な肺炎を引き起こすウィルスの蔓延に悩まされていた。
そんな時に、奇抜な発明をすることで有名な日本のDrシゲマツ氏が発表したのが
「スーパー鼻ふさぎゴム」だった。

空気は通すが、ウィルスなどの微小の粒子は通さない特殊加工をほどこした
シリコンゴムを鼻の中に押し込み、
ウィルスの侵入をシャットアウトするという画期的なものだった。

けれど「スーパー鼻ふさぎゴム」が広まることはなかった。
なにせ息苦しいのだ。
空気を通すとはいうものの、息をするには強い力が必要で、
Drシゲマツ氏は「慣れます」の一点張りだったが、
なかなか慣れることは難しかった。

ウイルスに感染しないようにと、
満員電車の中で「スーパー鼻ふさぎゴム」を装着していた人が
がんばって息をしていたら、ゴムが勢いよく鼻から飛び出し、
その様子があまりに可笑しくて、本人もまわりの人も腹をかかえて笑ってしまい、
密集の中で爆笑が連鎖したため、
クラスター感染が発生するという事態まで起こった。

こうして「スーパー鼻ふさぎゴム」は、世の中に定着することなく
存在を忘れられていったかに見えた。

しかし、海外のとある国で、この日本の奇妙な発明品に
一生忘れない衝撃を受けた人物がいた。
再生医療の専門家であったその博士は、皮膚や臓器など
あらゆる人間の器官に変化するIPS細胞の研究を続けていたが、
彼のひそかなテーマは、IPS細胞を、
「人間がそもそも持っていない新しい器官」へ変化させ、
人類を進化させることだった。
そしてもし、その新たな器官が、
人類をこの蔓延するウイルスから守るものだとしたら?
それこそが、新たな人類の進化した姿になるはず。
考え続けていたことのヒントが、日本の変な発明品にあったのだ。

博士は叫んだ。「人類は、鼻を閉じなければならない」

博士は、細胞が、人間の鼻の穴をふさぐものへと変化するための「司令」を
細胞の中に書き込んだ。危険な瞬間を察知し、穴をふさぐメカニズムは、
獲物を捕らえる際、一瞬にして目が硬い膜で保護される
サメの目の司令系統を参考にした。

そうして完成した細胞を欲しがる国は、もちろん、たくさんあった。
ウイルス感染の増加を止められずにいた国々の政府だ。

経済をとめることなく、密かにウイルスの蔓延を止めたい国々の思惑。
そして、人類という種を進化させたいと願った科学者の思惑。
重なって生まれたのが、鼻に自動でしまるドアを持つ「鼻ドア人」だった。

突然変異と自然淘汰で起こる進化ではない、
人類の手による人類の進化が始まった瞬間だった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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古居利康 2020年8月2日「ちょうつがいの恋」

ちょうつがいの恋   

   ストーリー 古居 利康
      出演 遠藤守哉

もうずいぶん長いこと
ちょうつがいをやっております。
ドアの横の角にはりついて
もっぱら開け閉めをやります。
閉まっているときは見えなくなる、
そんなはかない身の上ですけれども、
わたくしがいなければドアは開かないし、
閉まらない。ささやかな矜持だけは
もちあわせております。

円滑に開くのも、
確実に閉まるのも、あたりまえ。
あたりまえをあたりまえにする、
静かななりわいですが、
時々、こころにさざ波が立つことも
ないわけではありません。

わたくしの位置から
斜め右を見下ろしたところに、
赤い郵便受けがありました。
そのフタに住んでいる金色のちょうつがい。
まばゆい光を放っていました。
わたくしども重いドアのちょうつがいの、
武骨なつくりとちがって、
なんとも華奢なからだつき。
ついつい見とれて、開け閉めをおろそかに
することもありました。
恋をしたちょうつがいは、ネジがゆるむのです。

ところが、赤い郵便受けのちょうつがいは
地面近くにおかれた黄色い牛乳受けの
鉄のちょうつがいに恋をしていたのです。
黙々と働く、無口な青年でした。
飾りのついた金色と、質素な黒い鉄。
正反対なのにお似合いのふたりは
やがて子をなします。
母親似の、金色の女の子でした。

それからどれくらい経ったでしょう。
わたくしがネジを固く締めなおし、
数えきれないくらいたくさん
ドアの開け閉めを繰り返すうちに、
黄色い牛乳箱の黒いちょうつがいが
失踪しました。
門の扉の真鍮のちょうつがいと
駆け落ちしたのでした。

「牛乳箱には荷が重すぎたのか。
赤い郵便受けの金色の女なんて」
「こんどは似た者同士かもしれないね」
「ふたりは文字どおり番いになって、
いっしょに飛んでいってしまった」
「この世のすべてのちょうつがいは
かつて蝶だったから」
「恋をしたちょうつがいは
蝶にもどれるってほんと?」

あることないこと人は噂しました。
金色のちょうつがいは
みるかげもなく錆びついて、
開けるたびに軋むようになって、
やがてお払い箱になりました。

長いことドアのちょうつがいを
やっておりますと、
いろんなできごとの出入りを
いやでも見ることになります。
こころを開けて閉めて。
あたりまえのことを
あたりまえにつづけることの
うつくしさと残酷さ。

それからしばらくして
赤い郵便受けに
新しいちょうつがいがやってきました。
いつか見たような、
まばゆいばかりの金色。
あらかじめ備わった優美さ。
捨てられたあのちょうつがいの
忘れ形見にちがいありません。

そう気づいたとき、
こころのネジが
すでにゆるみはじめています。
わたくしはときどき
わからなくなるのです。
ここは出口なのか、入り口なのか。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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中山佐知子 2020年7月26日「空の夢を見る」

空の夢を見る

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

空の夢を見る。
空に大きなマザーシップが浮かび
そのまわりを取り巻くカプセルで僕たちは暮らしている。
カプセルは基本一人用だ。
家族という概念はあるが、一緒に暮らしてはいない。
子供はマザーシップで訓練を受け
やがてカプセルを与えられて一人立ちをする。

友だちはたくさんいるが直接会うことはまずない。
たまに結婚をしたという話も聞く。
モニターに映しだされた顔とデータ、
モニターから聞こえる声で
好きになったり別れたりしている。
死んだ人はどういう処理をされるのか誰も知らない。

地球が汚染されて
生き物がどんどんその数を減らしていったとき
人類はついに空の上で暮らす決断をした。
年に一度、研究グループが防護服に身を固めて地球に降り立ち、
空気や水や土のデータを持ち帰っている。

地球へ帰れる日はいつなのか
自分の足で地面に立てる日はいつなのか
毎年「予測不可能」の発表がある。

僕は小さな窓から外を見ることがある。
外にはなにもない。
そうか、なにもないのが空なのか。

そんな夢を見た日、
僕は空と宇宙がどう違うのか調べてみた。
アメリカ空軍は高度80km以上を宇宙と呼んでいる。
国際航空連盟は高度100km以上を宇宙と定義する。
オーロラは高度100kmあたりがいちばん明るいそうだから
ギリギリで空と言えるかもしれない。
宇宙ステーションは高度400kmの軌道をまわっている。

ほんの少しでも空気があるところを空だと定義すると
宇宙ステーションも空に浮かんでいることになる。

僕が夢で住んでいたカプセルは空に浮かんでいた。
僕は自分がいる場所を宇宙ではなく空だと考えていた。
空には空気がある。空は地球の一部である。
空に住んでいるのなら、僕たちは宇宙人ではなく地球人だ。

もし、夢ではなく本当にこの星を捨てることになったとき、
僕たちは地球人でいられるだろうか。
それとも宇宙人になってさまようのだろうか。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2020年7月19日「顔のある空」

顔のある空

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

四月七日。
春らしい、青空。静かだ。

そして、今日も太陽と反対側の位置に、それはある。
――空の三分の一ほどを覆って浮かぶ、総理大臣の顔。

その二つの目はときどき、右に、左に動き、
地表で生きるすべての人間を見守っている。
口元は、ほんの少し開かれて、何か言葉を…
「あ」と声を発する一瞬前のように見える。

この街は、気密性を保つため、全体がセラミック製のドームでおおわれている。
青空も、総理大臣も、その内側に投影された映像なのだ。

ぼくは、生まれてから、この空しか知らない。
「顔のない空」を想像してみても、なんとなくとらえどころのない、
ただのっぺりとした広がりにしか思えない。

総理大臣の二つの目がぎゅる、と動いた。
北の方の街区を見つめている。
総理大臣の顔がみるみるくずれ、泣き顔になる。

「ああああん」

口から、赤ん坊のような泣き声が響く。
その声は、地を揺らすような響きになって、街を覆いつくす。

「あああああん」

恐怖…秩序が乱れることへの恐怖…が、ドームの内側の空気を満たす。

北街区の方から銃声が聞こえた。
二発…三発。
銃声がやむと、総理大臣は泣くのをやめた。
そして、さっきの「あ」と言いかけた顔に戻る。

誰かがまた脱出をはかろうとしたのだろう。
愚かな。外の空気が入ってきたら、どうするというんだ。
平和な静けさが、街をふたたび覆った。

ドームに投影する翌日の天気は、ネット投票によって決められる。
だが、「雨」にわざわざ投票する人間が多数派になることはない。
ここ二十年続いた青空は、明日も総理大臣の顔とともに、
僕らの頭上にあるだろう。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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大江智之 2020年7月12日「池の鴨」

「池の鴨」

   ストーリー 大江智之
      出演 地曵豪

『鴨をいじめたら退学だってさ』
もうこれを聞くのは何度めか分からないぐらいだ。
この変な学則の噂を話すときの先輩方はいつもどこか得意気だ。

今日も鴨は、空を忘れてのんびりと池の中を泳いでいる。
ときどき顔を水の中に突っ込んでみたり、
思い出したように羽を揺らしてみたり。
誰もこの鴨にちょっかいをだそうだなんて思わないだろう。

このキャンパスは、本キャンパスから60kmほど離れた山の中にあった。
電車の最寄り駅からバスに揺られてさらに25分、
それでようやく着くようなド田舎だ。
池の鴨は、ここができたとき田舎にぴったりの贈り物として
贈られてきたものだった。

鴨池は、キャンパスのちょうど南の端にあり、
まるでそこだけポッカリと空いた穴のようだった。
池の周りは芝生が茂り、
そのさらに外側をキャンパスを一周するバスの道路が囲む。
暖かい季節はこの芝生で過ごす学生もとても多い。

『鴨に触っても退学になる』
鴨に関する変な学則の噂はどんどんあらぬ方向にエスカレートしていった。
こんな根も葉もない話であっても、
小さなキャンパスでは、流感のように広がった。
いつしか学生の間では、鴨は不可侵な存在として扱われるようになっていた。

鴨は本来渡り鳥らしいという話を聞いた。
にわかには信じられなかった。
だってここの鴨は、飛んでる姿もろくに見せたことがない。
きっと空のことなど忘れてしまっているのだろう。

今日も鴨池の周りには長いバス列ができていた。
夕方を過ぎると帰る学生の列が鴨池の周りを囲むように伸びるのだ。
秋も終わりに近づいていたのか、周囲が薄暗くなるのはいつもより早かった。
これじゃあバスから見えなかったのも頷ける、
鴨の親子が道路を渡っていたなんて。

いま思えば、いくつも要因が重なっていた。
学生は鴨が池から出て、道路を渡っているなんて考えもしなかっただろうし、
鴨もまた、天敵がいないのだから、どこを歩いても大丈夫と思っていただろう。
とどめに、小さな鴨の親子が道路を横切るにはあたりは暗過ぎた。

「鴨が!」という声を聞いた。
ほかにどのくらいの学生が気づいただろうか。
そこにいた数十人の長い列は、ほぼ全員がスマホに夢中だった。
仮に気がついても、鳥なのだから、地上が危険なら空に逃げるくらいに思っただろう。
しかし、鴨はなぜか飛ばなかった。

鴨の代わりに、飛んだ人がいた。
その人は、列に並ぶほとんどの人間が気がつく前に、いち早く道路に飛び出した。
鴨親子を有無言わさずに引っ掴み、抱きかかえて、
反対の茂みに自分ごと飛び込んだ。

「グエッ」とも「グワッ」ともつかない声で、不満を訴える鴨。
人間に掴まれたことなんてただの一度もなかっただろう。
全く自分たちが命の危機に瀕していたことなど理解していない様子だった。

もう一人、ほぼ同時に飛んだ人がいた。
列を飛び出て、道路の真ん中に立ってバスの前で両手を広げて訴えた。
運転手に急ブレーキを踏ませたが、そのおかげで万が一の事態も免れた。
この光景を、為す術もなく見ていたのが、俺だった。

俺は二人のヒーローように、飛ぶことができなかった。
ただ事態に唖然とし、ひとり不甲斐ない思いを噛み締めた。
だからこの話をここに書き残すことにした。
飛べないから、地べたでただただ筆を動かす。

飛べるのに飛ばない鳥がいたり、飛べないのに飛べる人がいる。
今日も池の鴨は、俺の気持ちなど知らず、
空を忘れてのんびりと泳いでいるのだろう。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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田中真輝 2020年7月5日「箱空」

箱空(はこそら) 

   ストーリー 田中真輝
      出演 地曳豪

誕生日に彼女からもらった小さな箱には、
小さな空(そら)が入っていた。
休みの日、ふらりと入った店で売っていたらしい。
ありがとう、とは言ったものの、どう扱ったらいいものやら、
軽く途方に暮れた。

箱の中の小さな空は、その時間その場所の本当の空と繋がっているらしく、
窓の外で雨が降り出せば、箱の中でも灰色の雲が小さな雫をこぼし、
日が暮れれば、箱の中も夕焼けに染まった。
たまに仕事から帰って箱を開けてみると、
やはりそこには夜空が広がっており、
都会の空らしく、小さな星がひとつふたつ、瞬いていた。

ある日、戦争が始まって、
みんな地下のシェルターで避難生活を送ることになってからも、
僕の手の中には小さな空があった。彼女とは離れ離れに
なってしまったが、僕は朝な夕な箱をこっそり覗いては、
そこにささやかな慰めを求めた。

誰かが箱からこぼれる夕焼けの光に気づくまで、そんなに時間は
かからなくて、それがみんなの知るところとなるには、
それからさらにあっという間で、そして当然のごとく、
箱は僕の手元から奪われ、いさかいの中で宙を舞い、
そして幾人かによって踏み潰されることとなる。

そのとき箱から流れ出した空は、
希釈されながら浮き上がり、天井のあたりに薄くたまった。
誰かが「空だ」とつぶやいた。

薄められた、ぼんやりとした空ではあったけれど、それはやっぱり
その時間その場所の本当の空と繋がっていて、
雨を降らせ、星を宿し、夕焼けた。
そしていつしか僕らは、それを本物の空だと思い込むようになった。

誰かが、僕たちのいるこの箱を開けてくれたら、
空はここにとどまるのだろうか、それとも浮かび上がって、
本物の空と合流するのだろうか。
ここにとどまってくれたらいいのになと、僕はぼんやり思っている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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