名雪祐平 2026年7月19日「おつかい賃」

おつかい賃

  ストーリー 名雪祐平
     出演 吉川純広

おばあちゃんちに行くのは、あまり好きじゃなかった。
うちから歩いて5分もかからないけれど。
いつも僕にやさしくしてくれるけれど。

「おばあちゃんに、これ、持ってって」
夕方になると、たまに母は、
夕飯のおかずをつめたタッパーを僕に持たせた。

おばあちゃんちの庭は、けっこう広いほうだった。
道から母屋まで40メートルほどの、ゆるやかな上り坂の庭。

季節ごとに、夏みかんやサクランボがなっていた。
枇杷の大木が、狂ったように数百個も実をつける初夏、
納屋の軒下でさえずるツバメの雛たち。
ダリアやグラジオラス、鶏頭の花に
アゲハ蝶がひらひら舞い、
実に触れただけで種が弾け飛ぶ鳳仙花の下を
青大将がくねくね逃げた。

そんな、ちょっと天国っぽい坂を上れば、
庭の広さに比べて、質素な母屋。
玄関に入ると、年寄りの一人暮らし特有の匂いがした。
でも、それが嫌だったわけじゃない。

「ゆうちゃん、来てくれた。肉じゃがか? わりぃね」
おばあちゃんはタッパーを受け取ると、
いつも僕の手に、あるものをねじ込んだ。

おつかい賃だった。
小学生のころは、千円札一枚に無邪気に喜んでいた。
学年が上がるにつれ、二千円、三千円になった。
だんだん嫌になった。

いらないって……そう断っても断っても、
「もらっとけばいいから。使わなくてもいいから」
と、ゆずらない。
母に伝えても、同じことを言った。
「もらっとけばいいから。使わなくてもいいから」
おばあちゃんの気持ちの問題らしかった。

中学生になると、五千円札になった。
いつまでも子どもあつかいされて、
馬鹿にされている気もしてきた。
おばあちゃんちの坂の庭を上るのが、億劫になった。
なるべく、弟に行かせるようにした。

高校の入学記念に僕は、
使わなかったおつかい賃を使うことにした。
地元で唯一の楽器店で、
モーリスのフォークギターを買った。2万8000円。

そのギターを抱えて、おばあちゃんちの坂の庭をのぼった。
ギターを見せて、ありがとうと言ったら、
「そっかぁ、そっかぁ、ゆうちゃん、がんばりなよ」
おばあちゃんが、ニンマリ笑った。
やっぱり使ってくれたほうが、うれしかったんだね。
そして財布を取りに行って、一万円札を渡そうとしてきた。
僕は気づかないふりをして、そそくさと出てきた。

しばらくして、おばあちゃんが弱くなった。
天国に旅立つ二日前、看病をしていた母に、
おばあちゃんはこう聞いたそうだ。

「ゆうちゃんを連れて行って、いいか?」

もちろん母は断った。
その話を聞いて、僕は全然嫌じゃなかった。
むしろ、それほどまでに愛してくれていたのかと、
感動していたんだ。

なのに、僕は、僕は、おばあちゃんちを嫌がっていた。
それは、きっと、おばあちゃんに伝わってしまっていた。

僕はおばあちゃんから、
「可愛い」と言ってもらったことがなかった。
千円札や五千円札、一万円札は、
「可愛い」の代わりの手紙だったのかもしれない。

焼き場で、骨になったおばあちゃん。
大腿骨の端っこの丸みが、白い枇杷の実のようだった。
おばあちゃんちの坂の庭から見上げた、
枇杷だった。

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出演者情報:吉川純広 https://www.herringbone.co.jp/#home ヘリンボーン

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名雪祐平 2015年6月1日「青天の月」

青天の月

   ストーリー 名雪祐平
      出演 平間美貴

ハロー、ぼくです。
ぼくは男でも女でもない。
仇名は、ゾラ。

16の時、校舎の屋上でこんなことがあったんだ。
売店で買ったコロッケパンをほおばろうとしてたら、
天文部の月子が近づいてきた。
「へぇー、いかにもコロッケパンらしいコロッケパン」
月子はへへへへと笑いながら、いきなり手をのばして、
コロッケパンからコロッケを奪い取り、
空中にオーバースローで放り投げた。

5月の青空に浮遊する、コロッケ型UFO。
ぼくの手に残ったのは、ただのパン。
アイデンティティを無くしたパン。

月子は、指についたソースを面倒くさそうに舐めながら、
聞いてくる。
「そのパンにいま、何が挟まってる?」
見てのとおりさ。何も。
「君だよ。この青空みたいに、がらんどうの君が挟まってる」
ぼくは何も抵抗できなかった。
なにしろ、ゼロ・アイデンティティ。

「がらんどうだから、名前なんか無くていいね」
間に合わせに、月子はぼくに仇名をつけた。
青空を略して、ゾラ。
宇宙人みたいな、ゾラ。

「ゾラ、あしたから国籍無しね」

オッケー。
月子とぼくは、また会う約束をした。
この屋上で、雲ひとつない青空の日にだけ会う。
一週間に一日あるかないかだったけれど、
月子は会うと気まぐれに
へへへへと、ぼくから一つ一つ奪っていった。

「ゾラ、人種無しね」

「ゾラ、性別無しね」

「ゾラ、夢無しね」

夢なんかもともと無かったけれど、
無くていいんだと、スーッと楽になった。
そうやって一つ奪われるたびに、不思議なことに
ぼくは身震いするような喜びを感じた。

これが自由なんじゃないか?
あたりまえにあると思い込んでいたコロッケが、
何個も空に飛んでいった。

雨ふる季節になった。なかなか月子に会えなくなった。

ぼくは、どうしても無くしたくないものに気づいてしまった。
つぎに月子に会ってしまえば、それを「無しね」と
告げられそうで恐ろしい。
だから、祈った。
あした雨になあれ。あした曇りになあれ。

6月のある日。梅雨が嘘のような青空。
ぼくは階段をのぼった。
屋上で、もう月子が待っていた。
へへへへ、こんなに無邪気に笑うんだ。

「ゾラ、わたし、無しね」

恐れていたとおり、ぼくは月子を無くした。
会ったのは、それが最後。

抜けるような青天の日。
白い月が淡く見えることがあるでしょう。

ハロー、月子。
ハロー、ゾラです。
あれからぼくは、ほんとうに、がらんどうになったよ。
ぼくは自由なんだ、よね?

ぼくはささやく。返事はなくても。



出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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名雪祐平 2024年10月13日「走れ唐辛子」

走れ唐辛子

ストーリー 名雪祐平
出演 阿部祥子

ここ、いいバーだねぇ。
ちょっと酔ったついでに、白状しようかな。
会ったばかりの男の人に、恥ずかしいけどさ。

わたし、刺青あるんだ。
ううん、小さいよ。燃えるような赤いやつ。
唐辛子の刺青なの。

綺麗でかわいいんだけど、
ファッションのタトゥーじゃないつもり。
わたしには、誇りだから。

ふふ、こんな話されても困る?
でも、わたしを知ってもらうには、
刺青の話がいちばんって思ったんだ。
からだのどこかは、まだ秘密。あとでね。

なんで唐辛子? って思うよね。

わたし、郵便配達員なんだ。
いま10人に1人くらいかな、女の配達員。

ホンダの赤いスーパーカブに乗ってて、
ある朝、局から5台一列で出発したのね。
その瞬間、感じたの。
アッ、似てるって。

ほら、見たことあるでしょ。
インドカレー屋さんのメニューに付いてる
唐辛子マーク。
激辛のカシミールカレーなら唐辛子5つとか、
甘口のバターチキンカレーなら唐辛子1つとか、
あのマーク。

その朝、赤いバイク5台が唐辛子5つだぁ、
って見えたの。激辛だぁ、って。
朝っぱらから楽しくなっちゃった。へん?

もう気づいたと思うけど、
わたし、郵便配達、大好きで。

お手紙届けたり、申請書類届けるのだって、
誰かの人生に関係してるんじゃないかな。
そのラストワンマイルを走るアンカーが
わたしなんだって責任もってる。

そういう郵便配達の誇りって、
目に見えないでしょ。
刺青なら、しるしとして見えるし、
だったら、毎日配達する相棒のバイク、
唐辛子しかないって思ったの。

でも、ただ刺青するんじゃおもしろくないでしょ。
条件を考えたんだ。

一生懸命配達してると、
ありがとうって声をかけてくれたり、
飲み物やお菓子をくれたりする人がいて、
ささやなことが、すっごくうれしいの。

そうはいっても二言三言のやりとりだから、
下の名前で呼んでもらうほど近づけるって、
あまりなくて。

あ、わたしの名前、ナオなんだけど、
配達先で、もしナオって呼ばれたら
唐辛子1つ、刺青してオッケー。
そういうルールにしたわけ。

がんばったなぁ、がんばった。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬって、わたしだもん。

配達担当エリアに、
チバさんという若いご夫婦の家があってね。
共働きだったんじゃないかな。いつも留守で。
赤ちゃんができてからは、ママが抱っこして
ときどき受けとってくれるようになったの。

わたしも赤ちゃん見てニヤニヤしちゃうから、
自然に話しかけてもらう仲になったんだ。

チバさんに配達するたびに、わたしも、
たわいもない話したり、冗談ぽくグチったり、
赤ちゃんにおどけてみたりして。

でもベタベタするのも仕事上よくないし、
1分もいないから、
ナオって名前まで呼ばれることは……なかった。

しばらくたって、赤ちゃんが1歳になるころにね、
チバさんが初めてこう言ってくれたの。

「ナオさん、わたし仕事に復帰するね。
子育てつらかった時もあったけど、
ナオさんが来てくれると、いつのまにか笑ってた。
ほんとうにありがとね。
あまり会えなくなるけど、
お仕事がんばってね。からだに気をつけてね」

わたし、肩が震えてたと思う。
うれしくて、かなしくて、うれしくて。

つぎの休みに、唐辛子の刺青を彫ったんだ。
いまもまだ、その唐辛子1つしかないの。
まだまだ甘口なわたし。バターチキンなわたしです。

赤い赤い唐辛子。傷口みたいに美しいんだよ。
からだのどこかは、口では教えない。
探してみる?



出演者情報:阿部祥子  連絡先ヘリンボーン https://www.herringbone.co.jp/

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名雪祐平 2023年6月18日「滝の奥」

滝の奥

ストーリー 名雪祐平
   出演 遠藤守哉

俺はくたくただ。重力よ、倍になったか? ダルい。
飛行機を3回乗り継ぎ28時間、車で熱帯雨林の奥へ3時間、
そこから初めて乗る馬に揺られ、ようやっと、たどり着いた。
チリ南部、パタゴニア地域にあるウィロウィロの滝が
いま目の前に聳り立つ。これが見たかった。

滝はあくまで白く、美しく、ウエディングドレスのようだ。
でもね、永遠に新郎が現れず、立ち尽くす新婦にも見えた。
腹の底からの女の本音か、水音はドドドドと唸る。

疲れ切って、じーっと滝を見つめちゃダメだった。
滝が俺なのか、俺が滝なのか、感覚がバカになってきた。
いつのまにか世界が逆再生してて、水は滝壺から上へ向かって
“堕ちる”。

半年前。璃子の結婚披露宴で、事は起こった。
璃子が男にモテていたのか、あまり知らない。
男っ気のある話を軽々しくするタイプではなかった。
俺たちはよく二人で飲みに行ったが、男と女ではなかった。
すごく信頼できる仕事仲間だった。

フレンチレストランでの披露宴は、
80人ほどの招待客がそれぞれの丸テーブルに陣取っていた。
宴の中ごろ、テーブルごとに記念写真を撮影するために、
新郎新婦がこっちに近づく。
まばゆく揺らぐAラインのウエディングドレス。
璃子が白い滝を着ているようだった。
立ち上がった俺の隣りに、璃子がぴったり寄り添った。
ドレスのふわふわに、俺の右手が埋まった。
その時。璃子の左手の指がからんできて、ぎゅっと強く握られた。
白い死角の中で、俺も握り返した。
だって、そうするしかないだろうよ。
そのまま璃子のやつ、新郎と腕を組みながら、
何事もないようにカメラに向かって笑っていた。

つぎのテーブルへ去る璃子。ほどける指と指。
あれはなんだったんだろ?
おたがい、あの日の出来事について確かめることはしていない。
ふれてはいけない予感があって。
記念写真もどんな感情で見ればいいかわからなかった。

ふと我にかえると、西陽になっていた。
ほんのちょっと橙色がかったウィロウィロの滝が、
ドドドドと唸っていた。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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名雪祐平 2022年4月17日「クロのビーナス」

クロのビーナス

    ストーリー 名雪祐平
       出演 地曳豪
  
食パンを買った。
袋から出して、白いところを擦る。
そのやわらかさは、居眠りする女の子のほっぺ。
でも、ほら、すぐ乾きはじめる。
もう、嘘をつく男の子のほっぺ。

食パンを握る。
耳の内側だけ、女の子のうちに握る。
美術予備校のアトリエで
石膏像を木炭でデッサンする。食パンで消す。
くりかえし、くりかえす。
白かったものが、うす汚れていく。
わたしか?

またしてもミロのビーナスを描いている。
「胸は二十代、腰は三十代、尻は四十代」
といわれるプロポーション。首も太い。
もがれた両腕が残っていたら、
ラグビーボールを持たせてあげよう。

感情が動かないミロ。
シアーシャ・ローナンだったらいいのに。

わたしは、描きたいビーナスをつくることにした。
材料は、デッサンで汚れたパン。
来る日も来る日も持ち帰り、
防腐剤代わりに、墨汁に浸した。

からっぽな人は愛せない。
骨の一本一本からレプリカを造り、
まず、黒骸骨を組み上げた。
そこに五臓六腑をセットしていく。
黒い脳、黒い心臓、黒い肺、黒い性器……
最後に、黒い皮膚。

わたしだけの、クロのビーナスの誕生。

すべての制作プロセスをSNSにアップしていた。
フォロワーは少なかったが、
とうとうカビが生えだしてから、
加速度的に人数が増えていった。

カビが目から始まったせいかもしれない。
闇に生えたカビの、美しいブルー。
シアーシャ・ローナンの瞳の色だった。    



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

録音:字引康太
動画:庄司輝秋

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名雪祐平 2021年6月13日「りんね」

りんね

   ストーリー 名雪祐平  
      出演 清水理沙

昔ね、
『名前のない喫茶店』に入ったよ。
名前のない喫茶店、という
名前の喫茶店。
今はつぶれて、
ほんとうに名前もなくなった。
これだけは忘れないでほしいよ。
尾っぽをくわえた蛇は、
ぐるぐる、ぐるぐる、始まりも終わりもなくて。
ぐるぐる、ぐるぐる、どこにも行けない円。
ねぇ、無限って、しあわせかな?
山手線って、しあわせかな?
終着駅は始発駅の定め。

夜にね、
ため息つくと、魂が痩せるよ。
魂は、光でも煙でもなく、湿気なんだって。
魂の湿気がため息に混じって
肉体から逃げ出すよ。
ため息が成仏できないまま、
夜を彷徨って、朝、露になる。
里芋の葉っぱに乗っかって、
るわーん、るわーん、落ちそうで落ちなさそうで。
るわーん、るわーん、思わせぶりな水銀のよう。
ねぇ、すすってごらん。
中毒になるでしょう。

娘がね、
枕元でふと耳打ちしてきた秘密。
もしもママが死んだらね、
わたしがママを生むから、だいじょうぶ。
そのことを娘はもう憶えていない。
オッケー、オッケー、忘れていいよ。
オッケー、オッケー、何度も生きたくないし。
ねぇ、そろそろ昼。
生まれない都合のタマゴを割って、
サンドイッチでも作ろっか。

昔ね、



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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