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一倉宏 2008年6月6日



できることのなかでいちばんよいことをする
               
ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし

 
あれは 雨の降る日曜日だった
私は 妻とスーパーマーケットから帰ってクルマを降り
傘を開き 荷物を下ろしたその直後…
彼女が威勢よく閉めたドアに 指をはさまれ
悲鳴をあげた

その夜 私の右手中指は 一晩中泣いていた
私もまた 怒りながら笑いながら 泣いていた

翌朝 病院に駆け込み事情を話すと
医者も 同情と微笑みを浮かべながら 私に訊いた
「それで 昨夜は どうされましたか?」
「とにかく とりあえず グラスに詰めた氷で冷やしました」
と答えると 医者は うなづきながらカルテを書きながら
「そうですか それは… 
できることのなかでいちばんいいこと を 
されましたね」と 言ったのだった

そうか… 
痛みに耐えられず ほかにどうしようもなく
ロックグラスに氷をいっぱいに詰めて 泣く指を冷やした
あれは できることのなかでいちばんいいこと だったのか

できることのなかでいちばんよいことをする

それから私はときどき この経験を思い出すのだ
しんみりと 雨の降る日と
こころの 泣きたい夜には…

上司が ただ
威厳を示したかったのか 機嫌がわるかったのか
誰も幸せにしない 思いつきを口にしたとき

あるいは
取引先の担当課長が 週末を費やしたプレゼンテーションに
「こんなところですか 検討しますよ…」と
資料を流し見て 立ち上がったとき

「ごくろうさま」のひとこともない 上司に
「ありがとう」のひとことも言えない 取引相手に
 
情けなくて 悔しくて 
こころの 泣きたい夜と
しんみりと 雨の降る日には…

左手にカバンを持ち 右手に傘を差して
あのときの痛みを思い出してみる

そうだ それでも
できることのなかでいちばんよいことをしよう  

左手に情けなさを持ち 右手に悔しさを握りしめて
繰り返し 思い出してみる

だけど それでも
できることのなかでいちばんよいことをするんだ
絶対に 私は

どんなに こころが泣いても…
おたんこなす

出演者情報:水下きよし 花組芝居

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中山佐知子 2008年5月30日



雪しろの水がトクトクと

                                         
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

雪しろの水がトクトクと音を立てて水路を流れています。
野の土も畑の土は湿って黒く
うっかり踏み込むとずぶずぶと足が沈んで水が滲み出します。
その泥の中で、緑のはこべが潰れているのを
僕は知っていました。

その足にもっと力を入れてはどうだろう。
僕が風を真似てささやくと
田んぼに踏み込んだ人はぐっと踵に力を加えたけれど
それでもはこべの息の根は止まらず
雪国の5月は
日を追うごとにあたりの緑が増えていきます。
山の頂はまだ雪のままですが
麓の木々は芽吹いてもやもやと霞のようになってきました。

あなたが開く春
僕はいつもはこべやタンポポが嫌いになります。
あなたがいつも僕を置いていってしまうからです。

それでも、うそのように雪の舞う日があると
あなたはまた躯を閉じようとするのですが
ふたりで丸く眠りつづけた
大雪の冬に戻ることはできません。

あんなに冬中一緒に過ごしたのに
どうして僕はいつも置き去りにされるんだろう。
僕たちはクローンだから。
僕たちは人の手で改良されたから。
人は花の開く姿だけを見たがって
緑の葉の開くのを邪魔だと思ったから。

僕たちは1本のソメイヨシノの木に生まれた
ひとつの花と1枚の葉だから。

雪国の山に自然に芽生えた桜は
花と葉が手を取り合って開くのに
人の手で植えられたソメイヨシノは
満開の花の散るころにやっと葉が開く宿命です。
僕はいつもあなたに追いつけず
あなたが空に舞って雲になるのか
土に落ちて雫になるのか
あれだけ咲いてあれだけ散った花はいったいどこへ消えるのか
知ることもできません。

雪しろの水が音を立てて水路を流れています。
ずぶずぶと湿った土にまた小さな緑の芽が出ました。
僕がどれだけはこべやタンポポを憎んでも
雪国の5月はやってきます。
桜が開き、桃が開き、林檎が開き
それから、桃の葉は桃の実を守り
林檎の葉は林檎の実を守って夏を過ごしますが
子孫を残すことのないソメイヨシノの緑の葉は
守るべきものもないままに孤独な夏を迎えます。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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山田慶太 2008年5月23日



緑のおばさん

                      
ストーリー 山田慶太
出演 森田成一

赤信号になりました
僕は今 横断歩道の前に立っています
ここは僕が小学生のころ
学校への行き帰りにとおった横断歩道です

当時からクルマの通りが激しかったけれど
今も相変わらず ひっきりなしにクルマが通り過ぎていきます
青信号になりました
かわいらしい小学生たちが 元気よく渡っていきます
まだ明らかに大き過ぎるランドセルをしょって
20年以上前の 僕と同じように

でもあのころとは ひとつだけ違いがあります
あのころ この横断歩道には
緑のおばさんが立っていたんです

子どもが横断歩道にやってくると 
緑のおばさんは 大きな声をかけてきます
おはよう 忘れものはない? 勉強がんばんなさいよ
子どもたちもそれに 大きな声であいさつを返します

もちろん僕にもおばさんは 大きな声であいさつをしてきます
でも あのころの僕は 人見知りがとても激しくて
おばさんが声をかけてくれても 
何も言わず下を向いて通り過ぎていました
それでもおばさんは 毎日毎日 僕に声をかけてきました

ある日 いつものようにその横断歩道の前に行くと
緑のおばさんの姿がありません
次の日も またその次の日も 
緑のおばさんはあらわれません

僕には緑のおばさんがいないことが 
とても不安に思えてきました
おばさんのいる横断歩道を渡ることが、あんなに嫌だったのに

緑のおばさんがいないその横断歩道が 
とても危険なものに感じたのをよく覚えています
それから一ヶ月くらいが過ぎた ある日のことです
横断歩道に近づくと 聞きなれた大きな声が聞こえてきました
緑のおばさんは 少しやせていました 
僕が近づくと あいかわらずの大きな声で 
おはよう 元気かい と声をかけてきました
でも僕はその日も 久しぶりに会った恥ずかしさで
やっぱり何も言わず 走り去ってしまいました

僕は結局 それからもずっと 緑のおばさんに 
一回もまともにあいさつができませんでした

緑のおばさんが亡くなったという話を聞いたのは
僕が高校に入ったころでした

あとから母に聞いた話です
僕の人見知りを心配する母に 緑のおばさんは言ったそうです 
心配要らない あのままでいい 
あの子はおとなしくて人見知りだけど そのぶんやさしい良い子だと

僕は今 横断歩道の前に立っています 
久しぶりに実家に帰ってきて ここを通りかかって
ふと おばさんのことを思い出しました

緑のおばさん
今もあなたはどこかに立っていて 黄色い小旗を持っていて
たくさんの子供たちが 
人生という 少し長い横断歩道を渡っていくのを
見守ってくれているのでしょうか
もしもまた会えたら こんどこそ僕は 
おもいきり大きな声で あいさつするつもりです

青信号になりました

出演者情報:森田成一 03-3479-1791 青二プロダクション

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古田彰一 2008年5月16日



緑色の恋

                  
ストーリー 古田彰一
出演 坂東工

「緑色の恋をしようよ」
いつものように、唐突に彼女が言った。
ふたりに運ばれてきた熱々のカレーうどんに、
ちょうど口を付けたときだった。

緑色の恋って、なんだろう。
情熱の赤い恋とか、未成熟な青い恋とかならわかるけど。
僕が話を拾えずに戸惑っていると、
彼女はお構いなく話題を前に進めた。

「キミ、共感覚って、知ってる?」
まただ。B型の彼女はいつも話題がとっ散らかる。
共感覚? 緑色の恋の話はどこへ行った?
「音を聞くと色が見える人や、
何かに触ると匂いを感じる人が、世の中にはいるの。
視覚とか、嗅覚とか、そういった五感が脳の中で交じり合うのね。
そういうのを共感覚って言うんだけど、素敵な体験よね。」

素敵な体験? 大変な体験の間違いだろうと僕は思った。
共感覚についてはテレビで見て知っている。
アルファベットの「A」がいつもオレンジ色に見えるとか、
木琴の「ラ」の音を聞くとハンバーグの匂いがするとか。
それって、案外うんざりするまいにちじゃなかろうか。

「じつは私にも共感覚があるんだ。どんなのか、知りたい?」
なるほど。きっとここで緑色の恋の話につながるのだろう。
どう返事をしようか戸惑っていると、彼女は意表を突く展開に出た。

「キスして」
え、いや、だってここうどん屋だし、という間もなく、
彼女はテーブル越しに乗り出してきて、いきなり唇を重ねた。
やわらかな感触と、カレーの香り。

とつぜん、まわりの世界が緑色に包まれた。
うどん屋の壁は鮮やかな若葉色に染まり、すすけた天井が新緑に彩られる。
店内の喧噪は木々のざわめきに変わり、カレーの匂いすら
草原の風となってふたりをやわらかく包みこんだ。

それは、以前付き合った女の子と、いつも訪れた風景に似ていた。
あったかくて、おだやかで、すべてが癒される、僕が大好きだった場所。
あの子はいま、どうしているんだろう…。

「わたし、唇に触れられると、緑色が見えるの。
キスをすると、緑色の世界に飛ぶの。」
その言葉で、僕は我に返った。たしかに緑色の恋の意味はわかった。
けど、どうして彼女が見ている世界が僕にも見えたのか。
しかも、どうしてそれが昔好きだった子との思い出の風景なのか。

彼女は何事もなかったようにうどんを食べている。
僕は気を落ち着かせるためにコップの水を飲み干すと、
ゆっくりとカレーうどんの残りをすすった。
そのタイミングで、彼女は席を立った。

店の奥に消えたきり、彼女は戻ってこなかった。
僕はすべてを悟ると、ひとり分の支払いを済ませて店を出た。

10万人にひとりの割合で、不思議な共感覚体験を持つ人がいる。
僕は、カレーの味覚で、いつも同じ女の子を感じる。
幻想でも、思い出でもなく、彼女は確かに僕の前に現れる。
そして、僕はいつも緑色の恋におちる。

出演者情報 坂東工

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一倉宏 2008年5月9日



ハローとグッバイのあいだに
                 
              
ストーリー 一倉宏
出演  片岡孝太郎

あなたと僕がはじめて出会ったのは 僕の誕生日でしたね

ほんとうのことをいえば 僕は よく憶えていないのだけれど
あなたは くりかえし 話してくれた
その朝の 空の青さ 風の匂い 緑の眩しさまで

その日から 僕には なにもかもはじめてのことばかり

あなたとの出会いは 人生でいちばん大きな 運命だと思う
ほかの誰でもありえなかった この世界でただひとり
絶対の運命 といえる女性は ほかにいない

あなたが僕を見つめるたびに 僕はしあわせを憶えた

あのころの僕は わがままなほど あなたを独占しましたね
それを許して 厭いもせず いつも笑顔で
あなたを なにかに喩えるなら 太陽というほかにない

あなたが僕にくれたのは 生きるよろこび そのもの

僕はいつも 叫びたいほどの気持ちだった
目覚めればそこに あなたがいるしあわせ
いない夜のかなしみ そして その肌のぬくもりも

あなたなしでは生きてゆけない 僕だったから

それはなんの大袈裟でもなく あなたについて思ったこと
いつか 壊れるほどに泣いた日を 憶えています
その胸に委ねた この僕の小ささ 悲しそうなあなたの顔

あなたの教えてくれたこと 僕はいつまでも忘れない
美しい歌 心をこめたことば この世界の歩き方
ごはんのおいしさも 読書のたのしさも
そして 誰かを傷つけること 自分の弱さと過ちについて 
  
あなたに会えてよかった あなたがいてよかった

あなたとの出会いは 人生でいちばん大きな 運命に違いない
ほかの誰でもありえなかった この世界でただひとり
あなたがいなければ この僕はいなかった

おかあさん

あなたとの別れのときが とうとう来てしまいました
怖くて想像できなかった別れが ついに
想像しても 覚悟をしても 実感できない別れが

あなたとのさよならは 凍るような夜の果て

ながらく むずかしい病と闘っていたあなたは
突然のように力尽き 戻れない橋を渡っていった
搬送する救急隊の 後を追って走るあいだに
あなたの帰りたかった故郷の街が 天の川のように見えました

さようなら おかあさん 

あなたと僕がはじめて出会ったのは 僕の誕生日でしたね

ほんとうのことをいえば 僕は よく憶えていないのだけれど
あなたは くりかえし 話してくれた
その朝の 空の青さ 風の匂い 緑の眩しさ
その愛の はじまりを

 
出演者情報:片岡孝太郎 5423-5904 シスカンパニー

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小野田隆雄 2008年5月2日



ヒレアザミの告白

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

五月半ばを過ぎると
草も木も、緑の色が深くなります。
そのかわり、雨の日も多くなり、
やがて梅の実が大きくなり、
日本列島は梅雨に入ります。
その頃から、
紫と赤の絵具で描いたような
アザミの花が咲き始めます。

アザミは、ちょっと
かわいい花です。
けれど、この花に
なにげなく手をのばすと、
花についている鋭いトゲに
チクリと刺されます。
その痛さに、思わず指を引っ込め、
おどろいてしまうので、
アザミという名前に
なったそうです。
古い日本語に
「あざむ」という動詞があって、
びっくりする、驚きあきれる、
という意味があります。

私は、ヒレアザミです。
すこし、私のことを話します。
サクラという名前の木はなくて、
ヤマザクラとかソメイヨシノとか
固有名詞があるように、
ほんとうは、アザミという名前の
草はありません。
オニアザミとか、ノアザミという
名前を、それぞれ持っているのです。
理屈っぽく申し上げますと、
キク科アザミ属のナントカアザミ、
それが正しい自己紹介になります。
ところで私は、
ヒレアザミと名乗っていますが、
ほんとうはアザミ属ではないのです。
キク科ヒレアザミ属という、
ちょっと変わり者です。
そのかわり、トゲだけは、
葉にも茎にもいっぱいあります。
ヒレと名づけられたのは、
ちょうど、魚のヒレのように、
トゲがついているからです。
なんだか、恐ろしげな感じが
しますか。すみませんねぇ。
でも、花の色は、
アザミ一族よりも、
きれいなのですよ。
かわいいねぇと、
ずいぶん、昔から
見つめられた。
見つめてくれても、誰も
手をのばしてくれなかった。

でもねぇ、トゲくらいあったって、
いいじゃないの。
なんて、ときどき思うのですよ。
スズランという花は、
ご存知ですね。
君影草、谷間の百合、小さな鐘、
妖精の杯。これはみんな、
スズランお嬢さまのニックネーム。
うらやましいったら、ありゃしない。
そしてさらに、
清純な香りまであるのだから、
愛されるのは、あたりまえ、
なのかも知れません。
だけど、私は知っています。
スズランには毒がある。
だから、北海道の牧場で、
馬たちは、決して、この花を
食べないのです。

五月になりました。
そろそろ、私も
咲き始めようかな
と、思っています。
そして、ほんとうに
心のやさしいひとが、
私のトゲを、
無くしてくれるのを
待っています。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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