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中山佐知子 2008年3月28日



死んだ女の右腕と

                   
ストーリー 中山佐知子                      
出演 大川泰樹

死んだ女の右腕と男は暮らしていた。
女の腕は風を読むことができた。
それは季節を知ることであり、魚の群れを見つけることであり
鹿や猪の居場所を知り木の実の落ちる時期を知ることでもあった。
それは、男の単純な暮らしのすべてともいえた。
毎年、女の腕は誰よりも早く春を聞きつけ
ヒューッと口笛のような声で歌った。
それがどんなに寒い夜でも
何日か過ぎると本当に南の風が吹きはじめた。
男はその風に乗って
黒い川の流れを超えようと思っていた。
男の島をとりまく海には
遠い沖に黒潮が川のように流れ
晴れた日に丘に登ると
水平線を縁取るようにキラキラと光の帯になった。
光の帯の遥か向こうには小さな島があり
そこでは黒い石がとれる。
黒い石はたいへん貴重なもので
鋭いナイフになり、獲物をひといきで仕留める矢じりになったが
この島で黒い石を持つものは数えるほどもいなかった。
あの海に流れる黒い川を超えて
黒い石の島に渡り、望み通りの石を持って帰れたら、と
男は言った。
一日で三日分の獲物を仕留めることができる。
たとえ雨や風の機嫌が悪い日があっても…
雨や風の機嫌が悪い日があっても、と女の右腕も考えていた。
男はもう自分を必要としないだろう。
そうして、女の腕が春の歌をうたった数日後
男は本当に黒い川を渡って行ってしまった。
黒潮は北赤道海流からはじまり
伊豆七島では八丈島の沖を通過する。
黒潮は幅100kmに及ぶ海の大河であり
一秒に5000万トンの海水を運ぶ激流でもある。
黒潮にのって漁をする漁船は
現在でも強い風に遭うと八丈の港に避難する。
その春は南の風が吹いたかと思うと北風にもどり
やっと男が島にもどったのは花も終わろうとする時期だった。
女の腕は黒い石を自慢する男に言った。
石に頼るものは風の歌を聴くことはない。
男は答えた。
それでもいま自分は両方手に入れている。
女の腕は、男の話をききながら
しばらく黒い石をなでまわしていたが
やがて石をナイフの形に割ると、春の歌をうたいながら
ひと息に男の胸を刺して殺してしまった。
その女の腕は1977年、
八丈島の縄文の遺跡の中から発見されている。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net

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古川裕也 2008年3月21日



僕には君がわからなかった

                 
ストーリー 古川裕也
出演  片岡孝太郎

春になると、君は僕の耳元で、突然ヴィトゲンシュタインと3回ささやいた。
何日かそれをくりかえすと、今度は、エイゼンシュテインと3回ささやいた。
その完璧にコントロールされた吐息の質と量に僕は君の思惑通り興奮した。と
いうか、僕が興奮するまで君はそれをやめなかった。やがて僕の方がそれを期
待するようにさえなった。ルビンシュタインとささやかれたら興奮するだろう
か。ストラヴィンスキーだとどんな感じだろうかと。今となっては無邪気な思
い出だけれど、間違いなく言えるのは、君が僕が出会った中で飛びぬけて不思
議な女の子だったということだ。

春になると、僕たちはよくけんかをした。細かいことはいちいち覚えていな
いけれど、いちばん深刻なけんかの原因は、確か、八重洲ブックセンターの5
色あるしおりのうち、ふたりがいちばん好きなムラサキ色が一枚しかなくて、
それを取り合ったことだと記憶している。今から考えてもお互い譲れない問題
だったと思う。とくにその本が長編小説である場合、それは読後感に決定的な
意味を持つ。ジョイスを読んでるのにトルストイを読んでるような感じになる
ことすらある。それはよくない。喧嘩の決着がつかないと、君は必ず街の時計
台のいちばん上に登って降りてこなかった。春とはいっても、そこは寒い。た
ぶん。君は、またたくまに風邪をひいた。咳をしては、その振動で時計を3分
遅らせ、洟をかんでは7分、くしゃみをしては11分遅らせた。これは、街のヒ
トみんなの迷惑のみならず、僕たちが喧嘩をしていることを街中に知らせるこ
とも意味した。今となっては無邪気な思い出だけれど、間違いなく言えるのは、
君が僕が出会った中で飛びぬけて不思議な女の子だったということだ。

春になると、僕たちはよく散歩に出かけた。そうしてみると僕たちはそれな
りに似合いのカップルだったと思う。セーヌ河沿いも散歩したし、テムズ河沿
いも、テベレ河沿いも、ガンジス河沿いも、チグリスユーフラテス河沿いも、
黄河沿いも、多摩川沿いも。君は気持ちのいい春の空気に触れると必ず僕の耳
に噛付いた。しかもちぎれるまでやめなかった。ちぎった僕の耳をくわえる君
の顔には残忍さなど微塵もなく、むしろ愛情にあふれていて、僕はうれしかっ
たけれど、正直ちょっと痛かった。もういちど耳が生えてくるまで2週間くら
いかかったし。今となっては無邪気な思い出だけれど、間違いなく言えるのは、
君が僕が出会った中で飛びぬけて不思議な女の子だったということだ。

 春になると、とても悲しいことが起こる。君の17歳の妹が死んだのだ。葬儀
で妹のために自作の詩を読んだ君は美しく気高かった。今回の神様の行いを咎
める詩だった。“神様、あなたはときどきまちがえる”というような題の。美し
い喪服姿の君は葬儀が終わると僕の手をぐいぐい引っ張って行った。ある種興
奮してる様子だったので、僕のアタマの中には、エロスとタナトスとかジョル
ジュ・バタイユなどの単語が浮かんでいた。立ち止まった瞬間、ヴィトゲンシ
ュタインと耳元でささやかれると思っていたのだ。けれど、着いた先はなんの
変哲もない中華料理屋。僕がビールと餃子と焼きそばを食べてる間、君は、餃
子8人前はじめ店のメニュー全部平らげた。“悲しいときがいちばんおなかがす
くという真実を知ったわ”とか言いながら。喪服をラー油だらけにして。この
できごとで、僕はますます君を好きになった。今となっては無邪気な思い出だ
けれど、間違いなく言えるのは、君が僕が出会った中で飛びぬけて不思議な女
の子だったということだ。

僕には君がわからなかった。
こうして墓の下にいるとますますそう思う。

そして最後の春、なぜ君は僕を殺したんだろう。
あの日、あの時刻、たまたま気温が殺人に最適の19.4度になったから。
君がほんとうは猫であることに僕が気付いたから。
セックスではなく死を前にした男の耳に、
ヴィトゲンシュタインとささやいてみたかったから。
この3つのどれかの理由にちがいないと僕は思う。

出演者情報:片岡孝太郎 応援サイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/konohana/

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小野田隆雄 2008年3月14日



花盗人 
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

 
ひな菊と呼ばれる花があります。
ひなは、おひなさまのひなで
花の姿が、かわいらしいので
こう呼ばれるのだそうです。
春になると、菊の花の形をした
小さな花を咲かせます。
この花を
英語では、デージーと呼びます。

さて、テレビがモノクロだった頃の
お話です。

北関東の赤城山が見える小さな町の、
麦畑や竹やぶが続く
町はずれに
「お花病院」と呼ばれる病院がありました。
このお医者さまの庭には、
いつも季節の花が
こぼれるように咲いているのです。
周囲は白いペンキ塗りの板べいに囲まれ、
西洋ふうの二階建てで、
赤レンガの屋根には
かわいい風見鶏がついていました。

四月の、ある日曜日の午後、
男の子がひとり、
白いペンキ塗りの、板べいの
ふし穴から、じっと、
病院の庭をのぞいていました。
視線の先には、ピンクや白い
ひな菊の花が、
おしゃべりするように
咲いています。
彼は、じっと花をみつめています。
小学校三年生の彼は
花が大好きでした。
チャンバラごっこや竹馬よりも、
花を植えたり育てたりするほうが、
ずっと好きでした。
彼は、よく、この板べいのふし穴から
庭をのぞいていたのです。
でも、今日、ひな菊を
みつめているうち、
「あの花が欲しい」と
急に、思ってしまいました。

白いペンキ塗りの板べいの一ヵ所に
門がついていて、
「本日休診」の札がかかっています。
でも、鍵はかかっていません。
建物の中は、ひっそりしていて
ひとの気配もないようです。
屋根の上で、風見鶏が、風を受けて、
カラカラ、カラカラ、鳴っています。
少年は、息をころして
その門からしのびこみました。
はうようにして、ひな菊に近づき、
むしり取るように、盗みました。
それから、後もふりかえらずに
竹やぶの陰に向かって走りました。
竹やぶの中に入り、少年は、
ほっと息をつきました。
両手でつつむように、持っていた
ちいさなひと株のひな菊は、
まるで小鳥のように
息づいているようでした。
少年の爪のあいだには、
黒い土が、びっしりつまっていました。

少年は、ひな菊を、
自分の家のせまい花壇のすみに
ひっそりと植えました。
でも、ひな菊は、根づきませんでした。
一週間もすると、しおれていき、
五月になる頃には、枯れました。
ごめんよ、と少年はつぶやきました。
花を盗んだということは、
あまり、悪いとは思いませんでした。
枯らしてしまったことが、
とても、かわいそうに思えたのです。
その日から、少年は、
「お花病院」のお花畑を
覗き見ることを
やめてしまったのでした。
そして、いつのまにか花を見ることより、
野球が好きな少年に
なったのでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2008年3月7日



春のニュース

                 
ストーリー 一倉宏
   出演 池田成志

春のニュースをお伝えします

目黒区の主婦が 自転車で 買い物からの帰り道に
ふと モーツァルトの「春への憧れ」をくちずさみました
また 練馬区では モンシロチョウが一羽
保育園の室内に迷い込み 園児たちの喚声をあびました
保育園では おひるねの時間 だったとのことです

つづいて
板橋区の公園で 写生に来ていた小学生が
落ちていた100円玉に気づき 近くの交番に届けました
100円玉は タンポポの近くで見つけたそうです

春のニュースをお伝えしています

都内の高校 専門学校 大学などでは 新入生たちを迎え
早くも 恋が芽生えはじめているようです
すでに カップルで下校する姿も見受けられ
例年よりやや早いペースで 恋の花も咲くと思われます

花咲く恋 といえば 散る恋も
入学 就職など 多くの若者たちが移動するこの季節は
出逢いの春 と同時に 別れの春 ともなる世の定めです

思い返せば この私も・・・ 高校時代の彼女と 
その定めを越えることができませんでした なぜなら
彼女は大学に合格して上京 私は地元で浪人することになり
「先に行って待ってるからね」 の約束も
「ごめん 好きなひとができました」と あっさり
ゴールデンウイークを待たず 散り果てたのでありました
お決まりのような どこにもよくある話ですけれど

そんな 春のニュースをお伝えしています

春の恋 といえば ネコたちにとっても
春は 恋のシーズンなんですね
「猫の恋」ということばがあって 俳句の歳時記では
ちゃんと 春の季語として採り上げられています

それと 関連があるのでしょうか
次のニュースは・・・

杉並区の 2才になるメスのトラネコが 
春の陽気に誘われたのか 外にでたまま一晩家に戻らず
飼い主を心配させていましたが 翌朝無事帰りました
とつぜんの無断外泊にも 本人はなにくわぬ顔でした

その他 ネコに関するニュースが増えてきています
スズメをつかまえた ガマガエルをくわえてきた など
困った事態も 各地から報告されていますので
この時期 外出するネコさんには くれぐれも
ご注意ください

以上 春のニュースをお伝えしました

出演者情報:池田成志 03-5827-0632 吉住モータース

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中山佐知子 2008年2月29日



海山の間には一本の川が

                      
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

海山のあいだには一本の川が流れ
山の思いを海にとどけていた。

海は太古の秘密を隠すために
1万メートルの深みに暗闇の場所を抱いていたが
山は自分のすべてを与えても
その深さを埋めることはなかったので
山の男はある日海の女をとらえて
自分の領土に封じてしまった。

それは海のすべてではなく
ほんの一部にしか過ぎなかったが
山の男は日々海の女を愛おしんで暮らした。

山に封じられた海は
1万メートルの暗闇の底を失ったかわりに
自分の秘密をすべてその瞳に隠して
二度と目を開けることはなかった。

そこで山の男は瞳を閉じた女のために
新しい名前を考えることにした。
女はもう海ではなく
「みずうみ」という名前で呼ばれるようになっていた。
断崖に噛み付く波もなく
硫化水素の毒を吐き出す洞窟も火山もなく
ただおだやかに静まった水があるだけだった。
山の男がそのまわりに
そびえ立つ樹々を牢獄のようにめぐらせると
男の思いをとどけるためにまた新しく川が流れ
水辺に咲く花や赤や黄色に色づいた木の葉を
女のもとに運んだ。

それは湖の底に堆積し
女は少しづつ自分の場所を男に明け渡していくことになった。

海は40億年という時間の堆積を持ち  
この星に生命が生まれた秘密をかかえて
いまも生きつづけているが
湖は通常数千年でその生涯を終える。
山の思いに埋め尽くされ干上がった湖は
木が生え草が茂って
ついには山に呑み尽くされてしまうのだ。

そうして
山の男は自分のものになった湖を
どれだけ滅ぼしてきたかしれないが
それでも山は海に向って
繰り返し繰り返し思いをとどけずにはいられない。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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佐倉康彦 2008年2月22日



ゆびきり

               
ストーリー さくらやすひこ
出演  深浦加奈子

 
指の美しい男だな、と思った。
それ以外は、たぶん何の取り柄もない。
その男の心根は、
もう随分とすり切れ、薄汚れていたし、
その面相も、
おおむね醜男の範疇に入るだろう。
男は、
世の中に不満を持ち続け、
今の自分を呪い、
まわりに不平を垂れ流す。
それにもまして
始末に負えないのは、
心を斜めにしたまま
優しい言葉を
時折、投げつけては
人を傷つけることだった。
「でも、好きなんだ」
許せないひと言。
ニセモノで、
おしゃべりで、
浮気で、
偽善者で、
卑怯で、
欲情の奴隷で。
見下げ果てた男。
あたしも他人を
とやかく言えるほど
品行方正でもなければ
眉目秀麗でもない。
そんなことは
これまでイヤというほど思い知らされてきた。
裏切るし、
狡賢いし、
見栄坊だし、
毒を吐くし、
物見高いし。
性根が腐ったあたし。
それでも、
男よりは
この世の中で息をすることが
許されるのではないかと思えてくる。
被害者と被害者、
加害者と加害者。
こんなにもいびつで不完全で、
醜悪なふたつの塊が
もがきながら
ひとつに結びつこうとするキセキ。
崇高でも神聖でもない、不器用な奇跡。
「でも、好きなんだ」
繰り返された二度目の言葉も
その行き先を見失ったようで、
男の指先は、
虚空で小さくゆっくりと
ただ揺れている。
はじめから
不変の愛なんて
誓えるはずもないのに。
その証にあたしの小指を切るなんて
できるはずもないのに。
もう、「ゆびきり」なんて
できないこと
わかっているのに。
あたしの目の前で組まれている男の、
その両手の、 
絡み合った指から目が離せない。
指の美しい男だな、
あたしは、まだ思い続けている

*出演者情報 深浦加奈子

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