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神谷幸之助 2008年6月



老人と雨

                     
ストーリー 神谷幸之助
出演 竹下明子

「あなた、いい天気ですねえ。
わたしたちの結婚式の日みたいですねえ。
わたしは雨が好きだから、雨が降ったってよろこんでいたら
みんな変な顔してましたよね。

ふたりで傘をさして庭で結婚写真を撮りたいって言ったとき
みんなびっくりしていたけれど、
撮ってよかった。
白無垢と紋付袴の相合い傘の結婚写真って、いまでも大好き。
こんな結婚写真、誰も持ってないもの」

「いい雨。
どしゃぶりは気持ちいい。
一番好きな曲は「雨の日と月曜日は」
そう、カーペンターズ。
「雨に唄えば」は、能天気すぎて好きじゃなかった

子どもが生まれたときも幸せな日だったけれど
おもえば、結婚式の日が一番うれしい日だったなあ。

いろんな反対があった。
何度もいろんな人にアタマを下げて
嫌な思いも山のようにして、
やっと結婚できたからね。
あれから50年。あっという間だったわね。

あなた、あなた・・・
もう、
すっかり物忘れが進行しているのね。

あなた聞いてるの?
え、
『きょうの晩ごはんは、鮎が食べたい』ですって?」

    アナウンサー:
    「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
     まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

「『きょうの晩ごはんは、鮎が食べたい』ですって?

ふー。(ため息)
しっかりしてください・・

わたしは、この世にはもういないのよ。
2年前にお陀仏したの。忘れたの?

わたしもあなたと
夕ご飯もう一回一緒に食べたいけれど、
もう叶わないのよ。

私が死んだ事も、忘れちゃったのね。
ああ、もうそろそろ行かなくっちゃ。
あの世からこの世には、一度しか来れないんです。

『生まれ変わったら、もう一回あなたと結婚したい』
って、最期にいいそびれたから・・
それを言いに来たの。

雨が降ったら、わたしのこと思い出してね。
それじゃあ、元気でね。ばいばい」

    男性:次のエンディング/タイプBをお楽しみください。

「『きょうの晩ごはんは、鮎が食べたい』ですって?

ふー。(ため息)
馬鹿も休み休み言いなさい・・ははは

わたしは、この世にはもういないのよ。
あなたが殺したんじゃない!
あなたが保険金欲しさに、手をかけたんじゃない!

私を殺したことも、忘れちゃったのね。
今日は、あなたが死刑になる日と聞いて
そのもがき苦しんで死ぬ姿を
よーく見物しようとあの世から来たのよ。
裁判の日から今日まで待った、待った。

ほらほら、始まったよ。
そうそうそのわっかに首を入れるのよ・・・。

この世で死刑になったら、
あの世でもう一度殺してあげる。

生まれ変わったらもう一回結婚して
もう一回殺してあげる。

むこうで待ってるからね。
それじゃあ、元気でね。ばいばい」

出演者情報:竹下明子 03-5481-5801 アクトレインクラブ

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小野田隆雄 2008年6月13日



琴を教える老女が語る傘の話

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳        

 
畳叩いて、こちのひと
悋気でいうのじゃないけれど
一人でさしたる傘ならば
方袖ぬれよう筈はない
トコトットット。

このおかしな歌は、明治時代の
はやり歌で、ラッパ節と申します。
えっ、わたくしの
子供の頃の歌かって? そんな、あなた、
それでは、わたくし、
百歳をこえてしまいます。
幼少のみぎり、祖母から
聞いたのでございます。
トコトットット、このはやし言葉が、
なんとなく、兵隊さんの
ラッパの音色に
似ていますでしょう?
はぁ?歌の意味がわからない?
ああ、そうでしょうねえ。
平成の御世ですものねえ。

ここにね、好きあって一緒になった
夫婦がいると、おぼしめせ。
ところが、殿方というものは、
ときおり浮気の虫に誘われる。
ある雨の夜のこと。
ご主人がいつになく、
遅く帰ってきました。
「いやぁ、ひどい雨であった。
 吉田の家で、傘を借りてね」
などと、ぶつぶつ、いいわけをいう。
そこで、奥方、たまらずに、
悋気の炎を燃やします。
つまり、ヤキモチでございますね。
やおら、きちんと坐りなおし、
畳をポンと叩いて、問いただします。
「まあ、あたな、しらじらしいこと。
 おひとりで傘をおさしになったのなら、
 なぜ、方袖ばかり、
 こんなに濡れるのでございます?
 どなたか、粋なお方と
 相合傘だったのでございましょう?
 わたくし、おさきに、
 やすませていただきます」……
ま、こんなあんばいでございます。

 ところで、あなた、
相合傘って、ご存知?
そうそう、殿方と御婦人が
ひとつの傘に入ること。
あれは、なかなか、
乙なものでございました。
 
 例えば、雨の銀座の柳の下を
殿方の番傘に入れてもらって
歩きますとね、
傘に当る雨音が、あたたかく聞える。
ときおりは、柳の枝が
傘の上にサラサラ鳴る。
㊚「濡れませんか。
冷たくはありませんか。
さ、もっと、こっちへ」
㊛「ハァ、いいえ、どうも、
おそれいります」
 すると、私の肩が、
 殿方の肩に触れる。
 ギュッと、あたたかい感触が
こちらに伝わってくる。
㊚「香水をお使いですか。
いい香りがする」
などと、いわれると、
もう、たいへん。……

おや、まあ、ごめんあそばせ。
わたくしにも、若い頃が
あったのでございます。
あら、雀が鳴き始めました。
ようやく、雨もあがったようですよ。
今日は、雨のおかげで
昔話を聞いていただけました。
あなたは、お若いのに
お琴がお好きなんて、
ほんとうに、うれしい。
はいはい、それではまた来週。
ごきげんよう。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

*「のんちゃん」ファンのみなさま、Tokyo Copywriters’ Street ライブに
 ご来場くださってありがとうございました。

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一倉宏 2008年6月6日



できることのなかでいちばんよいことをする
               
ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし

 
あれは 雨の降る日曜日だった
私は 妻とスーパーマーケットから帰ってクルマを降り
傘を開き 荷物を下ろしたその直後…
彼女が威勢よく閉めたドアに 指をはさまれ
悲鳴をあげた

その夜 私の右手中指は 一晩中泣いていた
私もまた 怒りながら笑いながら 泣いていた

翌朝 病院に駆け込み事情を話すと
医者も 同情と微笑みを浮かべながら 私に訊いた
「それで 昨夜は どうされましたか?」
「とにかく とりあえず グラスに詰めた氷で冷やしました」
と答えると 医者は うなづきながらカルテを書きながら
「そうですか それは… 
できることのなかでいちばんいいこと を 
されましたね」と 言ったのだった

そうか… 
痛みに耐えられず ほかにどうしようもなく
ロックグラスに氷をいっぱいに詰めて 泣く指を冷やした
あれは できることのなかでいちばんいいこと だったのか

できることのなかでいちばんよいことをする

それから私はときどき この経験を思い出すのだ
しんみりと 雨の降る日と
こころの 泣きたい夜には…

上司が ただ
威厳を示したかったのか 機嫌がわるかったのか
誰も幸せにしない 思いつきを口にしたとき

あるいは
取引先の担当課長が 週末を費やしたプレゼンテーションに
「こんなところですか 検討しますよ…」と
資料を流し見て 立ち上がったとき

「ごくろうさま」のひとこともない 上司に
「ありがとう」のひとことも言えない 取引相手に
 
情けなくて 悔しくて 
こころの 泣きたい夜と
しんみりと 雨の降る日には…

左手にカバンを持ち 右手に傘を差して
あのときの痛みを思い出してみる

そうだ それでも
できることのなかでいちばんよいことをしよう  

左手に情けなさを持ち 右手に悔しさを握りしめて
繰り返し 思い出してみる

だけど それでも
できることのなかでいちばんよいことをするんだ
絶対に 私は

どんなに こころが泣いても…
おたんこなす

出演者情報:水下きよし 花組芝居

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中山佐知子 2008年5月30日



雪しろの水がトクトクと

                                         
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

雪しろの水がトクトクと音を立てて水路を流れています。
野の土も畑の土は湿って黒く
うっかり踏み込むとずぶずぶと足が沈んで水が滲み出します。
その泥の中で、緑のはこべが潰れているのを
僕は知っていました。

その足にもっと力を入れてはどうだろう。
僕が風を真似てささやくと
田んぼに踏み込んだ人はぐっと踵に力を加えたけれど
それでもはこべの息の根は止まらず
雪国の5月は
日を追うごとにあたりの緑が増えていきます。
山の頂はまだ雪のままですが
麓の木々は芽吹いてもやもやと霞のようになってきました。

あなたが開く春
僕はいつもはこべやタンポポが嫌いになります。
あなたがいつも僕を置いていってしまうからです。

それでも、うそのように雪の舞う日があると
あなたはまた躯を閉じようとするのですが
ふたりで丸く眠りつづけた
大雪の冬に戻ることはできません。

あんなに冬中一緒に過ごしたのに
どうして僕はいつも置き去りにされるんだろう。
僕たちはクローンだから。
僕たちは人の手で改良されたから。
人は花の開く姿だけを見たがって
緑の葉の開くのを邪魔だと思ったから。

僕たちは1本のソメイヨシノの木に生まれた
ひとつの花と1枚の葉だから。

雪国の山に自然に芽生えた桜は
花と葉が手を取り合って開くのに
人の手で植えられたソメイヨシノは
満開の花の散るころにやっと葉が開く宿命です。
僕はいつもあなたに追いつけず
あなたが空に舞って雲になるのか
土に落ちて雫になるのか
あれだけ咲いてあれだけ散った花はいったいどこへ消えるのか
知ることもできません。

雪しろの水が音を立てて水路を流れています。
ずぶずぶと湿った土にまた小さな緑の芽が出ました。
僕がどれだけはこべやタンポポを憎んでも
雪国の5月はやってきます。
桜が開き、桃が開き、林檎が開き
それから、桃の葉は桃の実を守り
林檎の葉は林檎の実を守って夏を過ごしますが
子孫を残すことのないソメイヨシノの緑の葉は
守るべきものもないままに孤独な夏を迎えます。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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山田慶太 2008年5月23日



緑のおばさん

                      
ストーリー 山田慶太
出演 森田成一

赤信号になりました
僕は今 横断歩道の前に立っています
ここは僕が小学生のころ
学校への行き帰りにとおった横断歩道です

当時からクルマの通りが激しかったけれど
今も相変わらず ひっきりなしにクルマが通り過ぎていきます
青信号になりました
かわいらしい小学生たちが 元気よく渡っていきます
まだ明らかに大き過ぎるランドセルをしょって
20年以上前の 僕と同じように

でもあのころとは ひとつだけ違いがあります
あのころ この横断歩道には
緑のおばさんが立っていたんです

子どもが横断歩道にやってくると 
緑のおばさんは 大きな声をかけてきます
おはよう 忘れものはない? 勉強がんばんなさいよ
子どもたちもそれに 大きな声であいさつを返します

もちろん僕にもおばさんは 大きな声であいさつをしてきます
でも あのころの僕は 人見知りがとても激しくて
おばさんが声をかけてくれても 
何も言わず下を向いて通り過ぎていました
それでもおばさんは 毎日毎日 僕に声をかけてきました

ある日 いつものようにその横断歩道の前に行くと
緑のおばさんの姿がありません
次の日も またその次の日も 
緑のおばさんはあらわれません

僕には緑のおばさんがいないことが 
とても不安に思えてきました
おばさんのいる横断歩道を渡ることが、あんなに嫌だったのに

緑のおばさんがいないその横断歩道が 
とても危険なものに感じたのをよく覚えています
それから一ヶ月くらいが過ぎた ある日のことです
横断歩道に近づくと 聞きなれた大きな声が聞こえてきました
緑のおばさんは 少しやせていました 
僕が近づくと あいかわらずの大きな声で 
おはよう 元気かい と声をかけてきました
でも僕はその日も 久しぶりに会った恥ずかしさで
やっぱり何も言わず 走り去ってしまいました

僕は結局 それからもずっと 緑のおばさんに 
一回もまともにあいさつができませんでした

緑のおばさんが亡くなったという話を聞いたのは
僕が高校に入ったころでした

あとから母に聞いた話です
僕の人見知りを心配する母に 緑のおばさんは言ったそうです 
心配要らない あのままでいい 
あの子はおとなしくて人見知りだけど そのぶんやさしい良い子だと

僕は今 横断歩道の前に立っています 
久しぶりに実家に帰ってきて ここを通りかかって
ふと おばさんのことを思い出しました

緑のおばさん
今もあなたはどこかに立っていて 黄色い小旗を持っていて
たくさんの子供たちが 
人生という 少し長い横断歩道を渡っていくのを
見守ってくれているのでしょうか
もしもまた会えたら こんどこそ僕は 
おもいきり大きな声で あいさつするつもりです

青信号になりました

出演者情報:森田成一 03-3479-1791 青二プロダクション

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古田彰一 2008年5月16日



緑色の恋

                  
ストーリー 古田彰一
出演 坂東工

「緑色の恋をしようよ」
いつものように、唐突に彼女が言った。
ふたりに運ばれてきた熱々のカレーうどんに、
ちょうど口を付けたときだった。

緑色の恋って、なんだろう。
情熱の赤い恋とか、未成熟な青い恋とかならわかるけど。
僕が話を拾えずに戸惑っていると、
彼女はお構いなく話題を前に進めた。

「キミ、共感覚って、知ってる?」
まただ。B型の彼女はいつも話題がとっ散らかる。
共感覚? 緑色の恋の話はどこへ行った?
「音を聞くと色が見える人や、
何かに触ると匂いを感じる人が、世の中にはいるの。
視覚とか、嗅覚とか、そういった五感が脳の中で交じり合うのね。
そういうのを共感覚って言うんだけど、素敵な体験よね。」

素敵な体験? 大変な体験の間違いだろうと僕は思った。
共感覚についてはテレビで見て知っている。
アルファベットの「A」がいつもオレンジ色に見えるとか、
木琴の「ラ」の音を聞くとハンバーグの匂いがするとか。
それって、案外うんざりするまいにちじゃなかろうか。

「じつは私にも共感覚があるんだ。どんなのか、知りたい?」
なるほど。きっとここで緑色の恋の話につながるのだろう。
どう返事をしようか戸惑っていると、彼女は意表を突く展開に出た。

「キスして」
え、いや、だってここうどん屋だし、という間もなく、
彼女はテーブル越しに乗り出してきて、いきなり唇を重ねた。
やわらかな感触と、カレーの香り。

とつぜん、まわりの世界が緑色に包まれた。
うどん屋の壁は鮮やかな若葉色に染まり、すすけた天井が新緑に彩られる。
店内の喧噪は木々のざわめきに変わり、カレーの匂いすら
草原の風となってふたりをやわらかく包みこんだ。

それは、以前付き合った女の子と、いつも訪れた風景に似ていた。
あったかくて、おだやかで、すべてが癒される、僕が大好きだった場所。
あの子はいま、どうしているんだろう…。

「わたし、唇に触れられると、緑色が見えるの。
キスをすると、緑色の世界に飛ぶの。」
その言葉で、僕は我に返った。たしかに緑色の恋の意味はわかった。
けど、どうして彼女が見ている世界が僕にも見えたのか。
しかも、どうしてそれが昔好きだった子との思い出の風景なのか。

彼女は何事もなかったようにうどんを食べている。
僕は気を落ち着かせるためにコップの水を飲み干すと、
ゆっくりとカレーうどんの残りをすすった。
そのタイミングで、彼女は席を立った。

店の奥に消えたきり、彼女は戻ってこなかった。
僕はすべてを悟ると、ひとり分の支払いを済ませて店を出た。

10万人にひとりの割合で、不思議な共感覚体験を持つ人がいる。
僕は、カレーの味覚で、いつも同じ女の子を感じる。
幻想でも、思い出でもなく、彼女は確かに僕の前に現れる。
そして、僕はいつも緑色の恋におちる。

出演者情報 坂東工

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