一倉宏 2010年9月5日

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使わなくなった「ことば」たちは

ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし

 まいど お騒がせしております 
 「ことば」の回収車でございます
 ご家庭で不用になった「ことば」
 使わなくなった「ことば」は ございませんか
 無料にて 無料にて お引き取りいたします

そうですね 
この仕事をはじめて5年になりますね
いちばん多いのは やっぱ
「ナウい」とか「イケイケ」とか「ボイン」とか
「シティ感覚」とか「スグレモノ」とか
そういうのですね それこそ掃いて捨てるほどで
あの レインボーブリッジから 向こう
あっちの埋め立て地には たくさん埋まってますよ
そういう「ことば」が

あと「ハマトラ」とか「ボディコン」とか
そういう ファッション系ね
ファッション系のなかには ごくまれーに
いわゆるレアもの? ありますけどね たまーに
でも めったに出ないです そういうのは

あと多いのは ギャグ系ね
「こにゃにゃちわー」とか 「そんなバナナ」とか
もう 古くて笑っちゃうやつ だけど使えない
修理しても 電池入れ替えても だめ
だけど たとえば 「ゆるしてちゃぶだい」
これなんかは 「ゆるして」を取っちゃうんです
そうすると 「ちゃぶ台」は人気ありますからね
いまの 若いひとには

 まいど お騒がせしております 
 「ことば」の回収車でございます

そうだなあ
古い住宅街 昔からのお屋敷町みたいなところをまわると
ひょっこり「無礼者」「名をなのれ」なんてのが
出てきて びっくりしますけど
そんなに古くなくても 「逢い引き」とか「接吻」
「インテリゲンチャ」とか 「愚妻」とか「豚児」とか
このあたりも どうかなあ 
アンティークというほどでもないし

 ご家庭で不用になった「ことば」
 使わなくなった「ことば」は ございませんか
 無料にて 無料にて お引き取りいたします

たとえば このあいだ見つけたのは
「たゆたう」 なかなかいいでしょ これ
ていねいに磨けば まだ使えますよ 
「たゆたう」 僕は好きだなあ
あと 「ひたぶる」とか 「もの憂い」とか

ここだけの話ですけどね
この仕事してると 気がつくことがあるんです
立派なお宅の奥さんに声かけられて 
お邪魔して いろいろ拝見して 引き取って
そうするとね 
その向こうに うっすら埃をかぶって
あるんです 「ありがとう」とか 「ごめんなさい」
あ もう何年も使ってないなって わかるから 職業柄…
そっと埃だけ払って 置いてくるんですよ
そういうときは

奥さんはたいてい いいますね 最後に
ちいさな声で   …ありがとう って

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/

*音声のみはこちらから
使わなくなったことばたちは.mp3

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古田彰一 2010年1月21日



気持を塗り重ねてみる
                    
ストーリー 古田彰一
出演 水下きよし

日本人は悲しい時に悲しい歌を聴くという。
悲しい気分に悲しい歌を重ねれば、
もっと悲しくなるだけではないのか。
ところが意外にそうではないらしい。

より大きな悲しみに抱かれることで、
人は気持ちを癒すことが出来るのだという。

悲しい色に、悲しい絵の具を塗り重ねることで、
ひとりの悲しみは人間の普遍的な悲しみのパレットに、
混ざり、薄まり、溶けてゆくのだ。

喜怒哀楽とは言うけれど。
赤、青、白、黒といった、原色のような
気持ちで過ごしている時間は、ほとんど無い。

私たちのいまの気持ちは、さまざまな気持ちの
足し算でできあがっている。

想像してみよう。
宝くじで十万円当たったとしよう。とても嬉しい。
さらに十万円当たったとしよう。めちゃくちゃ嬉しい。
さらに十万円当たったとしよう。嬉しさはこの世の頂点に達する。

しかし、その瞬間から、嬉しさは物たりなさにとって変わる。
次も当たるべきだ。もっともっと当たるべきだ、と。

嬉しい気持ちに嬉しい気持ちを塗り重ねると、
意外にもその色は濁り、汚れ、澱んでいく。

「嬉しい」という色の絵の具は、
チューブからしぼり出しすぎると、
貪欲で下品な絵に仕上がるようだ。

では、嬉しい気持ちと悲しい気持ち、
反対の気持ちを混ぜ合わせるとどうなるのだろう。

想像してみよう。
庭の梅の木が美しく咲きほころんだ後に、
家の金魚鉢の金魚が死んでいるのを発見したとしたら。

紅梅白梅の華やかさとかぐわしい芳香の喜びは忽ちのうちに消え失せ、
水面に浮かび出た白い腹が、妙に切なくぷかぷかと漂うことだろう。
萎えた気分がその日一日、自らにまとわり付くのみである。

では逆に、金魚鉢の中の哀れな死骸を見つけたあとに、
庭で咲き誇る梅の花を目にしたとしたら、どうだろう。

赤々と鮮やかな金魚を失った悲しみこそ変わることはないが、
そのあとに眺める梅の花には、少し複雑な感情が生まれる。

まるで失われた小さな命が、花々の芽吹きに乗り移ったかのような、
美しい錯覚。魚と梅の木という、何の関係もないものに
命のつながりがあるかのような、森羅万象への想い。

私たちは、ただ美しいものよりも、哀しげに美しいものに
より澄み切った美しさを感じてしまう民族だ。
「美しいものを見たかったら、目をつむれ」という言葉を思い出す。

黒に白を混ぜた灰色と、白に黒を混ぜた灰色は違うのだと画家は言う。
気持ちの足し算も、またしかり。
嬉しい気持ちのあとに訪れる悲しい気持ちと、
悲しい気持ちのあとに訪れる嬉しい気持ちは、確かに違う。

しかし、私たちはその順序を支配することは出来ない。
うれしくて、腹立たしくて、やがてかなしかったら、どんな気分になるのか。
希望のあとの絶望のあとの希望は、どんな希望なのか。

スイカに少量の塩を振ると甘みが増すように。

しんどい経験も積まなければ、人生の味わいは深くならない。
私たちが知っているのは、せいぜいその程度のことだ。

いつの日か、気持ちの絵の具を自由自在に
混ぜ合わせることができるようになったとき。

混ぜ合わせの黄金比を発見して、
まだ人類の誰も経験していない、
まったく新しい幸せな気持ちが生まれる日を夢見る。

*出演者情報:水下きよし 03-3709-9430 花組芝居所属

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一倉宏 2008年6月6日



できることのなかでいちばんよいことをする
               
ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし

 
あれは 雨の降る日曜日だった
私は 妻とスーパーマーケットから帰ってクルマを降り
傘を開き 荷物を下ろしたその直後…
彼女が威勢よく閉めたドアに 指をはさまれ
悲鳴をあげた

その夜 私の右手中指は 一晩中泣いていた
私もまた 怒りながら笑いながら 泣いていた

翌朝 病院に駆け込み事情を話すと
医者も 同情と微笑みを浮かべながら 私に訊いた
「それで 昨夜は どうされましたか?」
「とにかく とりあえず グラスに詰めた氷で冷やしました」
と答えると 医者は うなづきながらカルテを書きながら
「そうですか それは… 
できることのなかでいちばんいいこと を 
されましたね」と 言ったのだった

そうか… 
痛みに耐えられず ほかにどうしようもなく
ロックグラスに氷をいっぱいに詰めて 泣く指を冷やした
あれは できることのなかでいちばんいいこと だったのか

できることのなかでいちばんよいことをする

それから私はときどき この経験を思い出すのだ
しんみりと 雨の降る日と
こころの 泣きたい夜には…

上司が ただ
威厳を示したかったのか 機嫌がわるかったのか
誰も幸せにしない 思いつきを口にしたとき

あるいは
取引先の担当課長が 週末を費やしたプレゼンテーションに
「こんなところですか 検討しますよ…」と
資料を流し見て 立ち上がったとき

「ごくろうさま」のひとこともない 上司に
「ありがとう」のひとことも言えない 取引相手に
 
情けなくて 悔しくて 
こころの 泣きたい夜と
しんみりと 雨の降る日には…

左手にカバンを持ち 右手に傘を差して
あのときの痛みを思い出してみる

そうだ それでも
できることのなかでいちばんよいことをしよう  

左手に情けなさを持ち 右手に悔しさを握りしめて
繰り返し 思い出してみる

だけど それでも
できることのなかでいちばんよいことをするんだ
絶対に 私は

どんなに こころが泣いても…
おたんこなす

出演者情報:水下きよし 花組芝居

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一倉宏 2007年4月6日



ちいさな旅人
                      

ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし

その旅は私のささやかな そして曖昧な 自慢話だ

小学5年生になる春休みに はじめて長距離のひとり旅をした
電車を乗り継いで 関東のある街から 関西のある街まで
乗り換えは 上野 東京 そして京都 の3回
新幹線を京都で降りて 無事 叔母の住む街に向かうローカル線に乗った

平日の午後 乗客はまばらとはいえ 無人のボックスはなかったのだろう
私は車内を見渡し 窓際に白髪のそのひとのいる席の向かいに座った
おそらくは ちいさな会釈をして

いま知っていることばでいえば 「気品のある老紳士」
当時に知っていることばでいえば 「ちょっとかっこいいおじいさん」は
こころよく 小学生の私を迎え入れてくれた
なんだか・・・ どこかで見たような 頭のよさそうなおじいさん

2駅めも過ぎた頃だったと思う なにかの本を読んでいた私は 
向かいの そのひとに話しかけられたのだった
「本は 好きですか?」
決して口数が多いというタイプには思えない そのひとは
線路沿いの踏切が通り過ぎるあいだに ぽつりぽつりと私に話しかけた

「学校は 楽しいですか?」

いまでは 多くの悪口をいわれる「戦後民主主義教育」だけれど
すくなくとも 私の受けた学校教育はそんなものではなかった
それは 「希望」とか「理想」とか まっすぐに語るものだったから 
私はそれを 「大好きだ」と答えたと思う

そのひとはよろこんだ そして
「どの科目が好きですか?」 と 尋ねた

私はすこし考えて そして 2つに絞った
「国語 と 理科」
そう答えたら そのひとの眼が きらりと光ったことを忘れない

「そうですか・・・
 私もこどものころから 両方好きでした
 私は ずっと理科の勉強を専門にしてきましたが・・・
 どちらも すばらしい・・・
 そして はてしない
 ・・・宇宙も ・・・ことばも」

誰だったと思う?
その 向かいの老紳士は 誰だったと思う?

「どちらに進むにせよ
 ぼっちゃん がんばって勉強なさい」

そういって そのひとは 私の頭をなで 次の駅で降りた
そのひとは・・・ もしかして・・・

湯川秀樹博士 だったのではないか と思うのだ

その旅は私のささやかな そして曖昧な記憶の 自慢話だ
私の憧れが 勝手につくった思い出話でない限り

そのひとは素敵だった まっすぐに「未来」を語った

あの頃のこどもたちが みんな好きだった
「湯川博士」よ そして 「希望」よ 「理想」よ 「平和」よ
いつのまにか この時代のローカル線は・・・

どこへゆく?

*出演者情報 水下きよし 03-3709-9430 花組芝居所属

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