波間知良子 2017年9月3日

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8月32日

    ストーリー 波間知良子(ちよこ)
       出演 石橋けい

9月が消えた。突然だった。
もしかしたらもっとずっと前にいなくなっていたのかもしれないけれど
8月が終わるまで誰も気づかなかった。

実を言うと僕はときどき9月の悩みを聞いてやっていた。
8月の次という順番のせいでいかにみじめな思いをしているか
というのがそのおもな主張だった。

9月はいつも、美人でスタイルもいい同級生の隣に
引き立て役として並ばされているような居心地の悪さを感じていたようだ。

8月はあまりにも特別だ。
海。プール。花火。スイカ割り。入道雲。セミの声。
甲子園。キャンプ。盆踊り。アイスクリームにかき氷。
長い夏休みのなくなって久しい大人も
8月と聞けばときめきや解放感を感じるし、
そうでなくてもまぶしい夏の思い出のひとつくらいは
誰もが持っているだろう。

それに他の季節とは違って、夏は終わりの日が決まっている。
どんなに暑さが続いても、台風がいくつ来ても、
夏は8月31日で終わり。9月1日からは秋だ。
暦の上での立秋とは違うもっと感覚的なものとして
それは日本人の中に刷り込まれている。

冷酷に振り下ろされる夏の終わりは
むしろ人々の心をうっとりとさせる効果を持つ。
現実の日々に急に放り出された人々は
8月への郷愁を抱きながら9月をやり過ごそうとする。
9月1日を、8月32日などと呼んで。

9月はいつも、自分とデートしているのにもかかわらず
美人でスタイルのいい同級生の話ばかり聞かされているような気持ちがしていた。

近頃の異常な夏の暑さで8月の人気が下がると期待したが、
当然9月も暑くなった。
「もう9月なのに夏みたいに暑い、勘弁してくれ」などと言われ、
いよいよ自分が何者なのかわからなくなった。
人々は夏が続いていて欲しいのか。秋を求めているのか。
自分はいったい夏なのか。秋なのか。どこを目指せばいいのか。
アイデンティティの喪失。

9月はいちどゆっくりと自分を探しに行きたいと言った。
僕は9月には9月のいいところがあるじゃないか、
もっと自分に自信を持って、と励ましたが、9月の決意は固かった。

8月と9月の間について、
つまりは夏と秋の間について考えるとき、
いつも思い浮かべるものがあるの、と9月は言った。
地球が球体であると証明される前に
この世界の想像図として描かれていた円盤状の地球。
円盤の淵からは海水がこぼれ落ちている。
こぼれ落ちた先は描かれない。
もうそこは地球ではないから。
8月31日の淵からは夏がこぼれ落ちてくる。
でももうそこは夏ではないのよ。

そうして9月はどこかへ行ってしまった。
政府は応急処置として8月を1カ月延長することに決めた。
8月32日が、本当にやってきた。

石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

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