中村直史 2022年11月27日「どうして今ここでお皿を拭いているかと言いますと」

「どうして今ここでお皿を拭いているかと言いますと」

ストーリー 中村直史
   出演 平間美貴

どうして私がこの山小屋にいて、
今このテラスでお皿を拭いているのかについて、
私は考えていました。

私が働いている山小屋は、
北アルプスの最奥地といわれるような場所にあります。
どの登山口からも山道を歩いて最低二日はかかる、
まあ大変な場所なのです。
だから若い女性が働いていると登山客たちはよく
「どうしてこの山小屋で働くことになったの?」と聞いてきます。
「もともと山登りが好きで」とか
「前の仕事をやめてどうしようかなと思っていたときに
スタッフ募集を見つけたので」とか
一応それらしい答えを都度言うのですが、
正直なことを言えば、正確な理由はたぶん違っていまして。

いちばんの理由と言われれば、
きっと140億年前にこの宇宙が生まれたことが大きいと思います。
あれがなかったら、こうはなっていなかったし、
かなり決定的な原因だと思うんです。
で、それから、いろんなドタバタがありました。
いろんなものができたり、光りはじめたり、引き寄せあったり。
そんなようなことです。
そしてさらに100億年くらい経って、
二つ目の大きなきっかけがありました。地球ができました。
それからがまた大変な日々で。ぶつかったり、爆発したり、
とけたり、かたまったり。そのうち雨なんか降りだしたりもしたようです。
で、生き物が生まれました。
正直そのへんのことはくわしくわからないのですが、
とにかく、生まれたそうです。
それからもまた大変で。生きたり死んだり。
食べたり食べられたり。
そういうことをえんえんとやって、
で、これはわりと最近の話なんですが、
キミちゃんがこの世に生をうけました。
キミちゃんはいま私のとなりでいっしょに皿をフキフキしている女性です。
キミちゃんが生まれてちょっと後に、私もなぜかこの地球の、
今は日本とよばれる場所に人間として生まれました。
まあ、ほんとにたまたま、長い長い時間の末に生まれてしまいました。
キミちゃんと私は知り合いでもなんでもなかったけれど、
この夏シーズンのはじまりにこの山小屋で出会いました。
この超山奥の、山々に囲まれた台地に立つ山小屋で。

で、話は15分前にさかのぼります。
キッチンで登山客の夕食の皿洗いをしていたとき、
キミちゃんが私に言ったのです。「ねえ外見て、夕焼けすごいよ」と。
私は窓の外を見ました。
南側に連なる山々と、山小屋が立つ台地の間の谷に雲海が広がっていて、
その雲海に西からの夕日があたって、
赤と言ったらいいのか、紫と言ったらいいのか、
不思議な色をしていました。
キミちゃんが、山小屋のオーナーに言いました。
「お皿拭き、テラスでしてもいいですか?」
オーナーはもちろんと言いました。
そしてキミちゃんは、私に「外でやろう」と言いました。
というわけで、今なのです。

テラスに出ると、まだ9月だというのに空気はキンと冷たくて、
皿を持つ手もひんやりしました。
西の方を見たら、山々の向こうにちょうど太陽が沈んでいこうとしています。
キミちゃんは手を休めずお皿を一枚一枚拭きながら
黙って太陽のほうを見ています。
私がふと後ろを振り返ったら
東にそびえる水晶岳が西日を真正面に受けて真っ赤になっていました。
私はキミちゃんの肩をたたいて「水晶岳、見て」と言いました。
キミちゃんが振り返り、
昼間はあんなに青々としていた山肌を見上げています。
黒部川が流れる南側の谷に広がった雲海はどんどん色を変えていて
今は青い紫とでも言えばいいのか、そんな色をしています。
皿は拭き終えました。キッチンからほかの仲間たちも出てきて、
太陽が沈んだ西の空をみんなでしばし眺めました。
宇宙が始まってから140億年ほどたった今のことでした。



出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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