三陸鉄道 歴史その2

         制作:三鉄復興支援ネットワーク
          声:地曵豪

三陸鉄道は、
昭和59年の開業以来市民の足だった。

2011年3月、あの震災のとき
道路は流され、
車を失った人が線路を歩く姿を見た。

そうだ、線路は町と町をつないでいる。
そう思ったとき
たとえわずかな区間でも列車を走らせる決心をした。
   
やがてファンからの声援が届くようになった。
いいぞ三鉄、がんばれ三鉄。
 
赤字続きの鉄道でも
復興をあきらめてはいけないと思った。 

走り出す列車の音

2014年4月、三陸鉄道は全線復旧。
応援、ありがとうございます。

三鉄復興支援ネットワーク

三陸鉄道株式会社http://www.sanrikutetsudou.com/

三陸鉄道ブログhttp://tetsulog.jp/


写真提供:三陸鉄道株式会社

Tagged:   |  コメントを書く ページトップへ

三陸鉄道 歴史その1

      
         制作:三鉄復興支援ネットワーク
          声:地曵豪

三陸鉄道の開業は1984年。
しかしその起源は、
明治にまでさかのぼることができる。

明治29年6月15日。
釜石沖で地震が発生し、巨大な津波が三陸を襲ったとき
復興対策のひとつが
三陸を縦断する鉄道の建設だったのだ。

町や村を孤立させないために。
大量の物資を運ぶために。
それが三陸鉄道の役目だった。

そして2011年3月。
三陸鉄道は壊滅的な打撃を受けながらも
列車を走らせた。

2014年4月、三陸鉄道全線復旧。
人と人、町と町をつないで
がんばれ、三鉄。
   
三鉄復興支援ネットワーク

三陸鉄道株式会社http://www.sanrikutetsudou.com/

三陸鉄道ブログhttp://tetsulog.jp/


*写真提供:三陸鉄道株式会社

Tagged:   |  コメントを書く ページトップへ

三陸鉄道 3 元気


三陸鉄道 3 元気

             声:瀬川亮

「がんばれ久慈駅、三陸ファイト」
「大阪から来ました。初めての三陸鉄道。
 こんなにも素敵なところがまだあったなんて」

三陸鉄道の駅には、お客さんからのメッセージが
たくさん書き込まれています。
震災後、わずか5日で復旧した列車を応援するために
東京や大阪からわざわざ来る人も多いのです。

「がんばれ三鉄、ファイト三鉄、いいぞ三鉄」
「we love 三鉄、えいえいおー」

みなさん、言葉が元気です。
列車に乗る喜びも伝わってきます。
見ているだけで自分も元気になりそうです。

元気は人から人へ
本当にあげたりもらったりできる。
三陸鉄道が教えてくれました。

ヒューマンコンシャス
ジャパンエフエムネットワーク

Tagged: , , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

三陸鉄道 2 つなぐ


三陸鉄道 2 つなぐ

             声:瀬川亮

三陸鉄道に乗っています。

三陸鉄道は1両編成の小さな路線ですが
あの震災のあと、たった5日間で
一部の区間を復旧させました。

列車が走れない区間には
流された駅、分断された線路があります。
でも、被害を調査するよりも
列車を走らせることが先だと決心したのは
家を流され、クルマを流された人たちが
線路を歩く姿を見たからです。
人と人をつなぐ道は線路しかないと思ったからです。

いまでは列車に乗るためだけに
遠くから来てくれる人がいます。
人をつなぐことは自分もつながること。
三陸鉄道が教えてくれました。

ヒューマンコンシャス
ジャパンエフエムネットワーク

Tagged: , , , , ,   |  2 Comments ページトップへ

三陸鉄道 1 ささえる


三陸鉄道 1 支える

             声:瀬川亮

三陸鉄道の発車です。

三陸鉄道は、岩手県のリアスの海岸を
ひとつに結んでいます。

線路を埋めるガレキをとりのぞき
運行可能な区間を復旧させたのが3月16日。
それは、三陸鉄道の北の端、岩手県久慈市に
救援物資を積んだ最初の船が到着する
10日も前のことでした。

乗ってみるとわかるのですが
制服の高校生も買い物袋のおばあさんも
みんなうれしそうです。にこにこしています。

復興を支える列車は
お客の笑顔に支えられて今日も走っています。
支えることは支えられること。
三陸鉄道が教えてくれました。

ヒューマンコンシャス
ジャパンエフエムネットワーク

Tagged: , , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ