三井明子 2007年8月3日



君がいた夏          

                        
ストーリー 三井明子
出演  小川範子

前髪を切られ過ぎた。
歌の世界では「切りすぎた髪」を
詩的な出来事みたいに表現するけれど、
きれいごとでは済ませない。
「切られ過ぎてしまった」のだから。
平面的な丸顔や、眠そうな瞼。
ワタシのコンプレックスを上手に隠してくれていた前髪を、
あの美容師さんは、どうしてこんなに切り過ぎてしまったの?

駅ビルの化粧室で、何度もとかす。
髪の流れを変えても、長さは変わらない。
鏡の中から、悲しそうにこっちを見ているワタシ。
ごめんね、また誘ってね…、ほんとごめんね。
今夜の合コンはパスした。
キレイな髪で参加するつもりだったのに…。気合入れてたのに…
電車の窓に映る顔。
どこから見ても短すぎる。泣きたくなる。

夕食はコンビニのワカメサラダ。
育毛シャンプーの後は、育毛剤。
気休めだよね、こんなの。
悲しくなるから、鏡は見ないことにした。もう、眠ろう!
前髪をぎゅうぎゅうとゴムで縛って眠る。

早く伸びますように
早く伸びますように
どんどん生えますように…

翌朝、顔を洗い、コンタクトレンズをつける
と、
ワタシのある部分から、
黒々と長い毛が生えている。

指毛?!

左手の小指から、太くて長い毛が生えている。
な、なにこれ? 大声で驚く。
昔、眉毛の長い総理大臣がいたけれど、
この指毛、それどころじゃない。
だって指より長いし。

とにかく剃らなくちゃ。
と、カミソリを手にすると、
「剃らないで!」という声。
え?誰?
「ワタシ剃られると死んじゃうの」
かまわない、剃ってやれ。
カミソリをあてると。
「エーンエーン」と泣き声が。
もう、ワケわかんないわよ。
遅刻しても困るから、とにかく手袋で出社した。

おはよう。あれ手袋?
ねえ、その手どうしたの?
上司や同僚に手袋を指摘されながら
何とかごまかして一日が過ぎた。
あのね、今日一日タイヘンだったの。
やっぱり剃らせてもらいますからね。
「ねえ、ウソでしょ」
ホンキよ。と剃ろうとすると
「剃ったら化けて出るわよ」
と泣かれる始末。
指毛との暮らしがはじまってしまった。

もうさ、あんたのせいで、プールやエステにも行けないし。
だいたい、ネールサロンで整えたこの爪、
手袋してたら意味ないじゃない。
すると指毛は、
「ネールアートは長持ちするし、日やけもしなくて一石二鳥よ」
と言ってのけた。

お風呂あがりに、ドライヤーで指毛を乾かしてあげると、
「わ~、きもちいい~」と喜んだ。

日曜日に、散歩の途中で手袋をはずして、
川原で指毛とひなたぼっこをした。
「サヤカちゃん、日やけしちゃうね」
といいながら、指毛は歌を歌ってくれた。
意味はよくわからないけど、いい声だった。
指毛の歌と、そよ風が気持ちよくて、
夕暮れまで川原で過ごした。

そんなある日、指毛が言った。
「さよなら、サヤカちゃん」
え?
「わたしがいなくても、もう大丈夫」
どういうこと?
「そろそろ、前髪そろえてもいいと思うの。今までありがとう、たのしかった」
そう言って、指毛は抜けていった。

忘れてた。
ワタシ、前髪のこと気にしてたんだ。
指毛のおかげで、ずっと忘れて過ごすことができたんだ。
鏡を見ると、前髪がほどよい長さになっていた。

今年もこの季節になると思う。
目が覚めたら、指毛がにょきにょき生えてたりしないかなって。
指毛、いつでも帰ってきていいのよ。
ワタシの指は、指毛のふるさとなんだから。
そして、つい、ワタシは考えてしまう。
ためしに、前髪をばっさり切ってみようかな、なんて。

出演者情報:小川範子 03-3973-1256 (有)ブルックカンパニー

*出演者のご都合で音声を全部お聴かせできず、ごめんなさい。

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