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吉岡虎太郎 2011年8月21日



「風オンナの思い出」

          ストーリー 吉岡虎太郎
             出演 地曵豪

昔、風オンナとつきあっていたことがある。

風オンナと出会ったのは、ある夕暮れ。
青山通りの歩道橋を上っていたら、
突然ぴゅうっと突風が吹き、
スカートを押さえた女子高生が小走りに逃げ去ったあと、
気づいたら隣で風オンナが笑っていた。

おもしろいやつだと思って
部屋に連れ帰ってビールをご馳走すると、
風オンナはひどくご機嫌になり、
僕の靴下やトランクスを風に舞わせ、
壊れた扇風機のハネをくるくると回転させてみせた。
うちの天井の高いのがずいぶん気に入ったようで、
彼女はそのまま居ついてしまった。

風オンナは乾きにくい部屋干しの洗濯物を
あっという間に乾かしてくれたり、
寝苦しい夜に一晩中そよそよと優しい風で
僕の頬を撫でてくれたりした。
東京ドームに野球を観に連れて行った時は、
カープの前田が打ったレフトスタンドへのファウルボールを
追い風でホームランにしてくれたりもした。

ときどき、風が騒がしい夜にかぎって、
気まぐれにいなくなってしまうことがあったけど、
寝室の窓を少しだけ開けておくと、
朝までにはその隙間から戻ってきて、
僕の隣ですやすやと寝息を立てていた。

僕たちの関係は、爽やかな風のようなものだったけど、
色っぽいことがまったくなかったわけでもない。
そんな時彼女は熱帯夜のような、
湿ったなまあたたかい風を僕によこして、
僕をうっとりとした気分にさせてくれた。

そうこうするうちに、
季節外れの大型台風13号がやってきて、
首都圏の交通網が壊滅したというニュースを見ていたら、
風人間の中にはずいぶん荒っぽい男たちがいて、
こうやってときどき暴れて
ストレスを発散しているんだと教えてくれた。

「もしも突然、私がいなくなったら、どうする?」
風オンナが僕に聞いた。
「びっくりする」と、僕は答えた。
彼女はいかにも風らしい乾いた声で
「あはははは」と笑ったけど、
僕はちょっと嫌な胸騒ぎがして、
「結婚とかしたいと思う?」と彼女に聞き返した。
「したい。したい。したい。」
風オンナは、部屋の中に小さな竜巻を起こして、
チリンチリンと風鈴を鳴らした。

次の日、台風13号といっしょに、
風オンナは僕のもとから去って行ってしまった。
今度は何日待っても、何ヶ月待っても、
窓の隙間から戻ってくることはなかった。
本当は僕みたいな煮え切らない男より、
もっと男らしい男の方が好きだったんだろう。
胸にぽっかりと穴があいて、
風が通り抜けたような気がした。

風オンナの名前は、カトリーヌ。
海外のニュースで彼女の消息を知ることになるのは、
それから何年もあとのことだ。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html


動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2011年8月14日



風の祭

             ストーリー 小野田隆雄
                出演 長野里美

立春の日から数えて二百十日めは
ちょうど九月の初めに当る。
この季節になると、南の海から日本列島に
雨をともなう強い風が襲ってくる。
昔は野分と呼ばれ、現代では台風と呼ばれる。
おりしも農村では、
田んぼの稲が花をつけ始める頃である。
その白い小さな花が強い風で散ってしまうと
稲は実らず、収穫できなくなる。
そんなことがないように、
「どうぞ、強い風がやってきませんように」
農民たちの切実な祈りをこめたお祭りが
二百十日の前後に、この国では行われてきた。
その祭を、風祭(かざまつり)と呼ぶ。

地方によっては、この祭りの日には
竹竿(たけざお)の先に草を刈る鎌をつけ
その刃を風上に向けて、高々と屋根の上に立てる。
「この鎌で悪しき風を切ってしまえ」
そのような、おまじないである。

小田原から箱根山に向かって
昔の東海道は続いていた。
現在の国道一号線である。
この道路にそって箱根登山鉄道が走っている。
その電車で小田原からふたつめの駅が
風祭という名前である。

そのあたりは小田原市の郊外で、人家も多い。
そこから南へちょっと行けば、相模湾の海、
北へすこし登れば、もう山である。
けれども、この細長くひらけた平野も
ずっと古い時代には、田畑が広がり農家が並び
海沿いは漁村だったのだろう。
そして二百十日が近づく頃には
海からの強い風が吹き、ちぎれ雲が空を飛び、
田んぼの稲は波のようにゆれ動き、
家々の屋根には、草刈り鎌が並び立てられ、
夏の終りの光に、ギラギラひかったのだろう。

箱根登山鉄道に乗り、この駅を通るたびに、
私は昔の風祭のようすを空想するのだった。
それは、ちいさな楽しみだった。
ところが、つい最近、ほんとうのことを言えば
この話を書くにあたって、
次のことを知った。

鎌倉時代、この地域の地頭であった一族が、
風祭氏といった。その名前が地名として残り、
駅名になったのであると。
この事実を知った時、私は思った。
きっとこの一族は、心をこめて
風の祭をおこなってきたのだろう、
そして、よい人たちであったのだろうと。

出演者情報:長野里美 03-3794-1784 株式会社融合事務所所属


動画制作:庄司輝秋

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安藤隆 2011年8月7日


風と監督

     ストーリー 安藤 隆
        出演 水下きよし

僕は25年前、地元の高校から甲子園に出場した。
4番打者だった。
いまは地元の役所に勤め、
毎週日曜に軟式の少年野球の監督をしている。
受け持っているのは、小学校の5年と6年の生徒だ。
チームの名前は富士見町ホエールズ。
50年前に、近くの多摩川の川原から、
鯨の全身の化石が出土したことからホエールズと名づけられた。
チームの練習場も、多摩川べりにある。
きわめて平和なチームだが、問題はある。
軟式だから引き受けたのに、勝負やレギュラーにこだわる親が多い。
子供をプロ野球選手にするという夢を見始める者さえ、出てくる。
もっとスパルタで鍛えてさあ、勝つ野球やってよ監督、と
小声で言う親が出てくると、そらきたと僕は思う。
高校野球の経験から、プロ野球のレベルは想像できる。
やり方を変えることは絶対にない、と僕は宣言する。

僕は基本的な練習を重視する。
ゆるいゴロを正面でとる。
ゆるいタマをピッチャーがえしに打つ。
変化球を投げさせない。
試合で40球以上は投げさせない。
決して子供たちを怒らない。
そんな風だから、
僕が監督を引き受けてからチームはたいてい弱い。

そして、きょうの日曜日だ。
秋晴れの美しい天気だった。
チームはいつものように練習をしていた。
するとにわかに、風が吹きはじめた。
グラウンドの土が、竜巻のように空を覆い、
富士山が見えなくなった。
僕らは練習を中断して屈みこんだ。
風が止んで、顔を上げた。
するとそこに中年の男が一人立っていた。
男はこう言った。
「君のチームは、とてもよい練習をしている」と。
そしてネクタイ姿のまま、股を割って、
子供達にゴロの取り方を見せてくれた。
それからボールの打ち方も見せてくれた。
強く打っても、タマは子供達の正面にゆるく飛ぶ。
いつもは騒ぎまくる子供達が、
このときは神妙な顔で聞き入っているのが不思議だった。
中年男は優しく教えるだけなのに。
だが、いちばん魔法にかかっていたのは、僕自身だろう。
男が「きょうはありがとう」と言って去るまで、
なにも言えない有様だった。
なにせ男は、落合監督だったのだ。
1985年、打率3割6分7厘。
得点圏打率4割9分2厘。
打点146。
僕が高校の4番だった年の落合。
僕の知っているほんとうの四番打者。
どうして落合監督が、ここにいたのかはわからない。
近所の大きなスーパーの駐車場で、
落合監督来たると書かれたのぼりが、
風に吹かれてちぎれていたのを見た。ような気がする。
それともそれは、10年前のことだったろうか。

ゆっくり歩いているのに、
落合監督の姿はまたたく間に見えなくなった。

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/

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中山佐知子 2011年7月31日


水の眼を持つものはやがて

             ストーリー 中山佐知子
                出演 西尾まり

水の眼を持つものはやがて空へ旅立つ

これはこの星に古くから伝えられている呪文のような言葉で
年寄りにきいても正しい意味を答えてくれる人はいなかった。

水の眼とは何だろう。
水の色をした瞳のことだろうか。
私が生まれた星では水は緑色だったが
この星の水はほとんど色がなかった。
果てしない砂のなかのたったひとつのオアシスでは
水路の水が踝ほどの深さしかないからだ。
オアシスの木や草は丈高く茂り
乾いた砂をどこまでも掘ると湿った砂になるのだから
地の底には巨大な水脈があるに違いないのだが
その水の在処(ありか)は
いまだかつて突き止められたことがなく
この星には井戸から水が出たという古い記録さえない。

人が生きるために使える水があまりに限られているために
この星では人々はオアシスに寄り添って昔ながらの暮らしを営み
人口も増えることがなく、辺境、秘境などと呼ばれていた。

1年か2年に一度、遠い星から船がやってくる。
船は住人をひとりひとり検査する。
誰か目当ての人間をさがしているように見える。
そして、見つからなかった腹いせに
船は何人かの男と場合によってはその家族を連れ去り
かわりに天文台の技術者や学校の教師など
どうしても必要な人間をひとりかふたり降ろしていった。

私も数年前に大きな船で運ばれてきて
それ以来、この星の小さな学校で教えている。
私が教える子供たちは
夜空に見える星のほとんどすべてが
何世紀もにわたる戦争に巻き込まれていることを知らない。
船に乗せられていった人たちが遠い戦場に送られて
決して帰って来ないこともたぶん知らない。
子供たちはいつも笑顔で手を振って船を迎えた。

ある年の夏、水が涸れた。
不思議な光景だった。
畑ではいままでにないほど作物が実っているのに
水路は乾いてひび割れた底を見せているのだ。
喉の乾きは食べ物がないことよりも深刻で
村の大人たちは相談して船を呼ぶことにした。

船はすぐにやってきた。
13歳になったばかりの私の教え子が乗ることになった。
私は反対したが、その少年の両親も村の長老たちもすでに納得しているので
なすすべもなく連れていかれた。

翌日、少年の乗った船から地図のような画像が一枚だけ送られてきた。
大人たちはそれを読み解き、ポイントを決めて井戸を掘った。
井戸からは水があふれた。

これが水の眼だ、と私は思った。
地下深く隠れた水脈を空からさがす眼だ。
あの子はそのために船に乗る必要があったのだ。

水の眼を持つ子供が、
戦いの続く星の奥底に封じ込まれた水脈を見つけてしまったら
そしてその水脈に1500度の溶けた金属、1200度の熔岩、
またはマイナス160度の液化ガス、
極端に温度差のある液体を接触させることができたら
水は数千倍の体積に膨れようとして水蒸気爆発を起こす。
場合によっては小さな星ひとつ、ポップコーンのようにはじけ飛ぶだろう。

それは遠い星でこれから起きる出来事であり
いま私がいる星のことではない。
けれど、その夏は井戸の水を飲むたびに
躰のどこかを刺される痛みがあった。

夏が過ぎ、貧弱な水路にわずかな水がもどったとき
黒い服を着た人たちが大勢集まって役目を終えた井戸を埋めた。
あふれる水の息の根を絶つかのように
私も石や砂を運んでは井戸に投げ込んだ。
そこに水脈があったこと
水脈を見つけるために船を呼び、少年を乗せてしまったこと、
そして少年が連れて行かれる戦場で起こる出来事も
どれもこれもすべての記憶を埋めているのだと思った。
井戸は跡形もなく消え、誰も目印を残そうとしなかった。

水の眼を持つものはやがて空へ旅立つ

私たちの属する銀河の古代史には
見えないものを見る眼を持った民族の記録がわずかに存在するが
そのほとんどは事実が風化した後の曖昧な伝説に過ぎないのは
みんなであの井戸を埋めたように
その存在の痕跡さえ消そうとする意志が働くからだ。

しかしそれでも、
毎朝学校に行くたびに
生徒の数がひとり足りないことに気づかされるので
私はどうしても水の眼の行方を思わずにはいられない。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

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蛭田瑞穂 2011年7月24日



空色の帽子
          ストーリー 蛭田瑞穂
             出演 石飛幸治

少年の帽子が飛ばされたのは停留所を発車したバスが
俄にスピードを上げた折である。
車内を通り抜けた風が少年の帽子を拐って、
瞬く間に窓の外へ飛ばした。

帽子は空色のセーラー帽で、
側面に真鍮のヨットのバッジがついていた。
少年よりはむしろ母親の方が気に入って、
折に触れてその帽子を少年にかぶせていた。

バスを降りて叔父の家に着いた後、
母親は帽子の捜索を叔父に頼んだ。
叔父は車を用意し、少年を連れて捜しに出た。

帽子はおそらく車道に落ちたはずだった。
少年と叔父は辺りを慎重に捜したが、帽子はなかった。
車は車道を二度往復した。
しかし、帽子を見つけることは終にできなかった。

きっと誰かに拾われたのだろう、
叔父は諦めて車を家へと向かわせた。
その時、少年は何かの予感にふと後ろを見返した。
すると、遥か後方の路上に小さな点がぽつんと見えた。

それは帽子のようでもあった。

叔父に告げてすぐに引返してもらおう。
少年はそう思った。
しかし、次の瞬間、何かがそれを押し留めた。

少年の僅かのためらいの間に、
路上の点は消えたように見えなくなった。

なぜあの時叔父に言うことが出来なかったのか。
少年はその夜ひとり思悩んだ。
ひとつにはそれは、これ以上叔父を煩わせることへの遠慮であった。
またひとつは、引返してみたはいいが、
それが見間違いと判明した時の恥を畏れる気持であった。
しかし、それだけではなかった。
そうではない別の感情もそこにはあった。

それが何であるかを理解したのは、
少年が思春期を迎えた後である。

帽子がなくなれば母親はきっと悲しむ。
少年はその姿が見たかったのだ。
愛するがゆえに不幸せを願うという矛盾した愛情が、
人のこころに潜むことを少年はその時初めて知ったのである。

出演者情報:石飛幸治 スタジオライフ所属 http://www.studio-life.com/


動画制作:庄司輝秋

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岩崎俊一 2011年7月17日



空の庭
          ストーリー 岩崎俊一
             出演 山田キヌヲ

 ヨステビトみたいだよ、と従姉妹のみっちゃんから聞いた。小学
生になったばかりのモモに、その漢字は書けなかったけれど、初め
てその姿を見た時、なんとなくその意味がわかる気がした。モモ自
身は、外国の絵本に出てくる魔法使いのおばあさんのようだと思っ
た。
 それが、モモの祖母、空(ソラ)さんだった。
 とても小柄で、痩せていた。鼻は、日本人には珍しく、細くて高
く、色は白く、目は窪んでいた。踝まである長いスカートを穿き、
頭から肩までスッポリと隠れるストールを巻いていた。
 空さんの家は、いちばん近い小さな町からも車で一時間くらいか
かる山の中にあった。あの家の庭は、野球場の3倍あるからね、と
父に聞いていたが、空さんに案内されて歩いてみると、それどころ
じゃない気がした。
 空さんを訪ねる人は少ない。
 近隣に住宅は数えるほどしかない上、人づきあいが苦手な空さん
は、自宅に人を呼ぶことも稀で、自分の周辺には、2代目になるビ
ーグル犬と、立派な小屋まで持つ何羽かの鳩がいるばかりであった。
 だがモモは、会って数時間後には、空さんのことが大好きになっ
ていた。魔法使いみたいだと思った顔は、正面からちゃんと見ると、
驚くほどやさしかった。無口で、話す時もつぶやくようだし、声を
立てて笑うことは一度もないけれど、その言葉も、まなざしも、今
まで見たどんな人よりも柔和だった。
 なにより、空さんは、花と話せる人だった。
 空さんの広大な庭には、訪れる人が息をのみ、言葉をなくすほど
のたくさんの花が咲いている。その庭を、空さんは一歩一歩、ほん
とうにゆっくりと歩を進めながら、一輪一輪の花の顔をのぞいて行
く。その時モモは、まばゆい初夏の陽ざしの中で、風に揺れる花
々を見ながら確信した。
 「あ、この花たちは、空さんに声をかけられるのを待っている」
 そう感じた瞬間、モモのからだに電流が走った。
 そうなんだ。
 空さんは、さびしい人でも、世捨人でもなかった。ただ単に、人
とのつきあいが極端に少なかっただけである。私たちは、ともすれ
ばたくさんの人に囲まれて暮らすことが幸せなことだと思っている
けれど、それは偏った見方なのかもしれない。たくさんの人ではな
く、たくさんの生きものであっても、ちっともかまわないのだ。そ
こにだって歓びも、充実も、幸せもあるのだ。そう気づいたモモの
胸には、それまでに感じたことのない新鮮な風が吹き渡っていた。
 空さんの思い出で、モモには忘れられない言葉がある。
 「私も不器用だけど、動けず、話せない花たちも、とても不器用
だと思うの。だから、私と花たちは、不器用な生きもの同士で友だ
ちになれたのね」

 空さんの庭が、主(あるじ)を失って2年目の夏が来ようとしている。
 敷地は村に寄贈され、庭も管理人によって手入れされているらし
いが、あの夏空の下で、空さんが声をかけてくれるのを、今か今か
と待っていた花たちは、いまどんな思いをしているのだろう。ただ
それだけが気がかりなモモなのである。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

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