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小野田隆雄 2007年6月8日



出来ちゃった婚、昔と今

                  
ストーリー 小野田隆雄
出演    久世星佳

 お手打ちの 夫婦なりしを 衣更
という、蕪村の俳句がございます。

 江戸時代、武家屋敷の奉公人の男女が、恋
をするのは、ご法度、つまり禁止されており
ました。でも、ときおり、恋に落ちてしまう
若いふたりもいたのですね。これが、主人に
知られると、さあ、大変。やぼな主人ですと、
 「ふたり並べて、四つにする!」
つまり、エイヤーッとふたりを切って捨てよ
うという、大騒ぎにもなってしまいます。
 こんなとき、さいわい奥方が話のわかる女
性ですと、まあまあと、止めに入ってくれる。
「おまえさまも、ずいぶんおなごを泣かせて
きたではありませぬか。若いふたりが好きお
うているのです。許しておあげなさいましな」 
などと主人をいさめてくれまして。

晴れてふたりは許されて、夫婦になり、
お長屋門の小さな部屋で新世帯。
お手打ちの騒ぎが、梅の咲く頃で、
春も過ぎて、めでたく衣更を
迎えたという、そんなロマンスが
蕪村の俳句でございます。

衣更して、浴衣姿で、差し向い。
おたがいに見つめあって、
いまの時代でしたら、
ビールで乾杯って、ところですが、
あいにく江戸時代でございます。
ギャマンのさかづきに
ひやざけを、なみなみ注いで、
甘ーい気分で飲んでおりますと、
螢が一匹、庭先を、スーイ、スーイ・・・・・・
昔は、こういう結婚もございました。
けれど、よく考えてみますと、
これもひとつの「出来ちゃった婚」
なのかも知れませんねえ。

「おい、花子、どうしたんだ。
 ビール飲まないのかい、
 よく冷えてるぜ」

「しばらく飲まない。それからね、
 これからは私の前で
 タバコ吸うのも止めてね。」

「なんだ、なんだ、
 どうしたの、なにがあったの」

「ねえ、次郎。キミが鈍感でもいいよ。
 でも、今日から、私のことには
 敏感になってね」

「おいおい、お願いしますよ。
 おれ、ずーっとまじめだったし、
 コンビニで働くの、向いてそうだし、
 もう、フリーターとは呼ばせないぜ」

「あのね、次郎がしっかりしてきたから、
 こうなったのかも知れないんだ」

「なにが、こうなったの?
 えっ? もしかして、赤ちゃん?」

「そう、赤ちゃん。今日、病院行ってきた」
「うーん、よーし、わかった。覚悟をきめ
た。
 キッチリ結婚式をあげよう」

「結婚式の式なんて、どうでもいいよ。
 でも、ふたりが結婚してるってこと、
 そのことを大切にしてね、次郎。
 もう、ママゴト、終りだもんね」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Photo by (c)Tomo.Yun

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一倉宏 2007年6月1日



せつないオカザキくん

                       
ストーリー 一倉宏
出演   光野貴子

会いに来てくれてありがとう オカザキくん と 私はいった
なんだかせつなくなっちゃったよ オカザキくん

そう私がためいきをついても 絶対に誤解しないところが 彼のいいところだ
こうしてふたりだけで会うなんて たしか3年ぶりのこと
そして もう2度とはないのだろうと思う 私は結婚するから

幼なじみ ともだちよりは もうすこし男性として意識して
けれど 恋人であったことは一度もなかった オカザキくん

3年前 私が手痛い失恋をして お粥さえすする気力をなくしていたとき
たまたま ごく平凡な用件で電話してきたので 私から会おうよと誘い
そうしたら 煙がモウモウの焼き肉屋に連れていってくれた オカザキくん
あの店のタン塩とミノはたしかにおいしかったけれど 煙が目にしみた

ばかだなあ オカザキくん けれど 私は知ってる
あなたは鈍感なんじゃなくて 敏感すぎるから かんじんな話題を避けたこと 
炭火焼き肉の煙と 忘れていた中学時代の笑い話で 私は涙をこぼした
なんだ あいかわらずで安心したよといった オカザキくん
あの日 私はなぜだかヒールの高いサンダルを履いてきてしまい
帰り道 2回もよろけて右側から支えてもらい
3回目につまづいた後には 左側からしっかり腕を抱えてくれて
けれど 決して手は握らなかった オカザキくん

あれから3年 どこから聞いたのか
結婚を決め 仕事をいったん辞めて 郊外の実家に戻った私を 訪ねて来てくれた
結婚する彼氏の話を 多すぎず少なすぎずすると 思ったとおり 
よかったね うまくいくよと 多すぎず少なすぎず うなずいてくれて
私は そのオカザキくんの いい加減でも大げさでもない祝福のしかたが
静かにうれしくて そして ちょっぴりせつなかったのだ

上り電車で帰るオカザキくんと 店を出て歩きはじめた
生まれ育った街だから 神社の参道を抜けると近道だということを知ってる
ここでもういいよというオカザキくんに 駅まで見送るよと付いていった
照明も人通りも少ない道だけど べつに近道以外の意味があるはずもない
両親も元気 兄妹も元気 みたいな話をして歩くだけだった

すると オカザキくんは せっかくだからお参りしていこうと言い出し
拝殿の階段をのぼって お賽銭を投げ 手を合わせた
突然のことに戸惑いながら 私もそれにならった

どうしてなんだろう そして オカザキくんは何を祈ったのだろう
まさか 私のことを? 私の結婚のことを?
だとしたら いいひとすぎるよ せつなすぎるよ オカザキくん

それから 急ぎ足で駅まで向かい 改札を通って一度だけ振り返り 
消えていった後ろ姿の 一度も恋人ではなかった オカザキくん

ありがとう さようなら

*出演者情報 光野貴子 03-5571-0038 大沢事務所

Photo by (c)Tomo.Yun

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中山佐知子 2007年5月-2



夕暮れになると海から

                       
ストーリー 中山佐知子
出演  大川泰樹

夕暮れになると海から霧が流れてきます。
飛行場の視界は10メートルもなく
5月だというのに冷たい風も吹いていました。

けれども
飛行機の、風防ガラスの窓の外は素晴らしい夕日です。
高度100メートルで霧の上に出て
600メートルで雨雲も突き抜け
青空に向かってぐんぐん飛んでいきます。
だから、空は自分のふるさとだ
いつもそう思っていました。

左90度に標的をとらえ
2000メートルの高さから左に旋回しながら急降下し
距離1000メートル、
高度100メートルで魚雷を発射する。

実戦の訓練がはじまったとき
高度100メートルはあの霧の高さだと思い出しました。
霧は地上に属するものだから
青空がふと遠ざかった気がしました。
それなのにさらに低空飛行をめざすのは
魚雷の命中率を上げるためでした。

プロペラの風圧で海面に飛沫が上がるときは
高度10メートルもない危険なところを飛んでいます。
食らいつく海をなだめながら魚雷を発射し
炎上する敵の船を飛び越えて
はるか高みに舞い上がる...
海面すれすれの低さに身構えるのは
あの青空にもどるためのたったひとつの手段であり
青空をめざす姿勢のはずだったのに。

いま、自分の頭上に青空はなく闇があります。
足元も暗い海です。
自分が乗っているのは
250キロの爆弾をふたつ抱えた
白菊という名の練習機。
海軍航空隊の飛行機には違いありませんが
偵察や無線の訓練のための
スピードの出ない飛行機です。

敵と遭遇しても戦うことも逃げることもできない
爆弾を投下した後も青空に舞い上がれない
かわいそうな飛行機は
夜の海をよたよたと這うように飛んで敵に接近し
爆弾を抱いたまま突撃するしか攻撃の手段がありません。

夜の海を5時間も飛ぶと、夜明け前には沖縄に到達します。
運良く敵の戦艦に近づいて突撃できたら
僕は飛行機からも自分のカラダからも自由になって
きっとあの青空にかえっていくでしょう。

昭和20年5月24日
白菊特攻隊

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

*「夕暮れになると海から」は2007年5月に収録されましたが
 Tokyo Copywriters’ Streetの当時の番組スポンサーだった某社が放送を許諾せず
 番組ブログのみに掲載されました。

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中山佐知子 2007年5月25日-1



女は蔵のなかに

                        
ストーリー 中山佐知子
出演  大川泰樹

                      
女は蔵の中にもうひと月も潜んでいた。

蔵は屋根に近い高さに小さな窓がひとつ開いているだけで
いつも暗い上にネズミの鳴き声まで聞こえたけれど
それでも辛抱して縁を切りたい世間があった。

十をいくつも出ないうちに女を色街に売った父親は
すでに亡くなっていたし
自分を買い取って財産の一部のように扱った
たった一度の結婚相手とも
どうにか縁が切れていた。

それでも女をさがして何度も足を運ぶ客が来た。
それは曰くつきの昔の相手だったり
古い馴染みのお茶屋の女将だったりしたのだが
女は息を潜めて出ようとはせず
人の執念と欲の深さにその都度怯えた。

女はもう女であることに飽きていた。
それなのにまたひとり
この蔵に住みはじめてから
影のようにひっそりと女の世話をする男が出来た。

男は年下で財産もなく
細工物をしてわずかに稼いでいた。
箒の握りかたも知らない女にかわって
器用に蔵の掃除もしたし
客が女を尋ねてきたときは走って知らせにも来た。

女が病気をしたときは自分の稼ぎで薬代も払い
女の過去を問うこともなく
蔵の窓から差し込む小さな光のように
女の心をあたためたので
男の存在は日々大きなものになっていった。

それなのに、月明かりが蔵の窓から差し込む晩
男は、生き仏さんに手を触れることはできないと言って
女を拒んだ。
それがきっかけになった。
それならば、本当に仏になってしまおうと思った。

女が長い髪と一緒に世間を断ち切って尼の姿になり
小さな庵に住むことになったとき
男は当然のようについてきて、女の世話をしはじめた。

その手狭な寺には
座ると目の高さに小さな障子窓がある。
窓から見える庭は緑の苔でおおわれ
その苔が蛇のように波打つのは
盛り上がった木の根まで
苔が覆いつくしているからだった。

男は朝晩その庭を掃き清める。
その遠慮がちな箒の音に耳を澄ませながら
女は、自分に指1本触れたこともない男が
いままででいちばん、もう身動きもつかないほどに
自分をがんじがらめにしているのだと気づいた。

*出演者情報  大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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小野田隆雄 2007年5月18日



アゲハチョウとオーデコロン

        
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

ある高原の町に、赤い屋根の幼稚園がありま
した。それは、よく晴れた五月下旬のある日、
午後二時頃のことでした。
年少組の教室の、いっぱいに開かれた窓から、
大きなアゲハチョウが一匹、ひらひら、ふら
ふら、舞い込んできたのです。
ちょうどお昼寝の時間で、子供たちはみんな
ぐっすり眠っていました。
担当のよし子先生も、椅子にかけたまま、う
つらうつら、夢を見ているようです。

幼稚園の外は白樺林。その木陰に続く道を、
十分ほど南に歩くと、小さな湖があります。
夏が近づくと、恋人たちのボートがアヒルと
追いかけっこをする湖です。
アゲハチョウは、その湖のほうから
飛んできたのでした。

さて、アゲハチョウは、しばらく教室の中を
あちら、こちら、飛びまわっていましたが、
誰も気づいてくれないので、すこし退屈な気
分になってきました。
けれど、ふと、何かとても良い香りがするの
に気づきました。
「はて、何だろう」
アゲハチョウは、眠っている子供たちひとり
ひとりに、そっと近づいてみました。
この子ではありません。あの子でもありませ
ん。そしてとうとう、よし子先生のほっそり
白い首筋から、オーデコロンが香ってくるの
を発見しました。
アゲハチョウは、よし子先生の肩に、そっと
羽根を休めて、そのやさしくほんのり甘い香
りに身をまかせました。

ところで、よし子先生には音楽家の恋人がい
ます。高原のオーケストラでピッコロを吹い
ています。いまは、北海道に演奏旅行に行っ
ています。
「あら、いつお戻りになったの?」
よし子先生は、彼がそっと肩に手を触れるの
を感じて、尋ねました。
「ちょっと、君にあいたくて。でも、すぐ帰ら
なきゃ」
「まあ、せっかく戻ってきたのに」
よし子先生は、夢の中で、思わず大きな声を
出してしまいました。
その瞬間、アゲハチョウは、よし子先生の肩
を離れて舞いあがり、窓から白樺の林の方角
に飛び去って行きました。

またひとしきり、白樺林に風が吹き、
葉と葉が触れあって、サラサラ、サラサラ、
ハミングで歌い始めました。
そして、その音に合わせるように、
子供たちの寝息が、スヤスヤ、スヤスヤ、
ハミングするのでした。
よし子先生は、ちょっと目ざめかけましたが、
少しほほえむと、また眠りに落ちていきまし
た。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2007年5月11日



ミスター リリックを探して
                     

ストーリー 一倉宏
出演    塚本晋也

1987年のある日 
西新宿のホテルをチェックアウトしたまま 彼のゆくえを知らない
誰にも気づかれず ひっそりと姿を消した 
それはどんなマジック? あるいはトリック?
いいえ 彼の名前は ミスター リリック

思い出せるかな?
かつては いろんなところでよく 彼の姿を見かけたものさ
駅のホーム にわか雨の商店街 ジャズの流れる喫茶店 
レイトショウの映画館
いうまでもなく 彼はとてもシャイだったから
僕らはおたがいに 声をかけあうでもなく
かといって無視するでもなく
目を合わせ はにかんで 目を伏せる
( それだけで十分だった 僕らのやさしい流儀 )
それとなく 彼はときどき
とてもきれいな女のひとを連れていたから
そうさ 彼の名前は ミスター リリック
  
1970年のある日 
僕ははじめて彼に出会ったのだと思う 眠れない夏の夜
彼のひとことが僕をとりこにしてしまった 
まるでエレクトリック 息苦しいパニック
僕のヒーロー 彼の名前は ミスター リリック

思い出してみないか?
いつから彼の姿を 見かけなくなってしまったのだろう? 
夕暮れの街角にも 路地裏にも電話ボックスにも 酒場のカウンターにも   
図書館にも書店にも
たしかに 彼がいなくたって 僕たちは生きていける 
ほらこのように
僕たちは結婚し マンションを買い ごちそうを食べる 
僕たちはよく笑い よくお金をつかう
( テレビのニュースでは また爆殺の跡 )
たしかに 彼がいなくたって 僕たちは生きていけるのだけれど
消えた歌声 彼の名前は ミスター リリック

1987年のある日 
東京では最後にその姿が目撃されたまま 彼のゆくえを知らない
誰にも気づかれず ひっそりと姿を消した 
それはどんなマジック? あるいはトリック?
いいえ 彼の名前は ミスター リリック
   
思い出せないのかい?
街中の人間がみんな記憶喪失してしまう チープなSF映画のように
なぜか誰も彼の不在を 怪しまない 話題にしない 
つつがなく日常の地平はつづく
みんな さびしくないのかい? あのさびしい後ろ姿を見失って
新聞は報道しない TVは気にもしない 名前さえ忘れたかも知れない
彼が消えた街の 人気者は ミスター コミック 
( あるいは 羽振りのいい ミスター エコノミック )
みんな 泣かないのか? 泣かないのか? あの哀しみも涙も失って
ああ 僕はひどくさびしいよ ミスター リリック

2007年のある日 窓の外に誰かの気配
僕は窓を開ける そこに あなたはいない
僕の 抒情よ

*出演者情報 塚本晋也 海獣シアター 03-3949-7507

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