一倉宏 2007年1月5日



「それぞれ」の日記たち
                 
                 
ストーリー 一倉宏                   
出演  坂本真綾

「それぞれ」の日記には
きっと 「それぞれ」のことが書いてある

たとえば
「ねこ」の日記には きっと
お天気のことが 詳しく書いてある
晴れの日には満足そうに その暖かさを幸福そうに
陽射しのぐあい 光の温度と肌ざわりまで 
そう ワイン好きが ワインを愛でるように
おひさまの 光のことを書いている 舌なめずりして
そのかわり 雨の日 曇りの日には 不満やグチを書いておく
そうだ 昼寝の回数もきっと 書いてある
お天気と昼寝 それが ねこさまの日記に違いない

それなら

「いぬ」の日記には 散歩のことが書いてある
散歩のことばかりが書いてある
たとえ まいにち同じコースだとしても
いぬたちの目には まいにち新しいページのように映るのだ
だから わくわくして わんわんするのだ
まいにちの同じ風景が まいにち新鮮に映る 幸せ
だから いぬたちは あんなに幸せそうなんだ
まいにちの散歩の風景が まいにち新鮮なことばで書いてある
そんな いぬたちは 名エッセイストに違いない

ということは

「自動車」の日記には 走ったことが書いてある
道の名前 通りの名前を つぎつぎと
性格上 けっこう律義な日記なんだろう
ちょっと危なかったこととか しっかり反省したりして

あるいは

八百屋の店先の 「キャベツ」や「トマト」の日記には 
そうだな 故郷のことが書いてあるだろう
みんな 田舎もんなんだけど それをちっとも恥じたりしない
みんな お国訛りまるだしで 故郷の思い出を書いている

わが家の「冷蔵庫」の日記には 住人たちのこと
本日 新たな入居者は5名 転居者は2名
1階に白菜と椎茸 2階にピザ 3階にビールと豆腐
そういえば 2階のアジの干物 家賃滞納 もう2ヶ月も

そして

わが家の「カーテン」が日記に書くことは
きっと カーテンに会いに来た 風たちのこと
ゆらゆらと おだやかに 風の身の上話を聞いている
ひらひらと 笑いながら 風と親しく話している

その「風たち」の

「風たち」の日記には 何が書いてあるだろう
国境も日付も 大陸も海も越えて吹く 風たちの日記には
きっと どこの国のことばでもない ことばで
だけど 世界中の誰もがわかる ことばで
この地球の 美しさが 書かれているだろう
たとえば サンゴ礁の島の大空で生まれ
地中海も カスピ海も ゴビの砂漠も 知っている風
ローマの教会も アラビアのモスクも 奈良の寺院も吹き抜けた風
モンゴルの大草原を駆けて アリューシャン列島を渡り
グリーンランドのオーロラにも 南氷洋のクジラにも挨拶した 風
そんな風たちが 山茶花の葉を揺らしながら
わが家のカーテンに 吹いている

それぞれの 日記たち
それぞれの この星の話

そんな想像を きょう
「私」は 日記に書いた

出演者情報 坂本真綾 http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2006年12月8日



ぐるっとまわって ~マフラーのうた~     
                 

ストーリー 一倉宏                    
出演 坂本真綾

<マフラー>は
<ありがとう>ということばに似ている
光も息も白い12月の朝
極太の毛糸の手編みのように くすぐったい<ありがとう>
ふんわりとカシミアのように やさしい<ありがとう>
<ありがとう>のあたたかさを 嫌いなひとはいない
だから <マフラー>は
<ありがとう>ということばに似ている 

<ありがとう>ということばは
<アリゲーター>に似ている
たとえば多摩川の河原を散歩して
ばったり出会ったら 足がすくんでしまう<アリゲーター>
ばっちり目が合ったら 心臓が止まりそうな<アリゲーター>
<アリゲーター>に会って <ありがとう>というひとはいない
だけどやっぱり <ありがとう>ということばは
<アリゲーター>に似ている

<アリゲーター>は
<夏の日の恋>に似ている
アラビア半島で戦争がはじまったあの年
激しい陽射しの下の 瞳が私を虜にした<夏の日の恋>
すっかり忘れているのに 突然ちくりと思い出す<夏の日の恋>
<夏の日の恋>は かすかな痛みとして刻まれる
だから <アリゲーター>は
<夏の日の恋>に似ている

<夏の日の恋>は
<友だちに貸した本>に似ている
高校時代 毎日のように会っていた親友に
私が好きで 彼女も好きになってほしかった<友だちに貸した本>
いつまでもと願ったから 約束はしなかった<友だちに貸した本>
<友だちに貸した本>は ほとんど 永遠に帰らない
だから <夏の日の恋>は
<友だちに貸した本>に似ている

<友だちに貸した本>は
<セッケンの匂い>に似ている
朝起きて 働いて 家に帰る毎日
わるい時もあるけど いい時もある<セッケンの匂い>
ぶつぶつ文句いうより さっぱり洗い流したい<セッケンの匂い>
<セッケンの匂い>は 誰かを恨む気持ちにさせない
だから <友だちに貸した本>は
<セッケンの匂い>に似ている

ぐるっとまわって
<セッケンの匂い>は
<マフラー>に似ている
母親から 友だちから 恋人からもらった
私をいつも取り巻いて ほっとさせてくれる<マフラー>
なのに うっかり涙を落としてしまうこともある<マフラー>
<マフラー>は ときどき 目頭まで熱くする
だから <セッケンの匂い>は
<マフラー>に似ている
<マフラー>は <ありがとう>のことばに似ている

*出演者情報 坂本真綾 http://www.jvcmusic.co.jp/maaya/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2006年11月10日



1時を過ぎてもう1軒      

                  
ストーリー 一倉宏
出演 マギー

「女は、別れた男の数だけ腕時計を持っている」
 そういう説がある。
 この卓抜な警句をつくったのは、ぼくのともだちだ。

「女はね、別れた男の数だけ腕時計を持ってる」
あの夜、失恋したともだちが繰り返し言うので、
そのたびに納得してやった。

もうそうとう酔ってるな。
傷が深いのは、わかるけど。

「ある日突然、見たことない時計をしてきた彼女に、
 切り出されたわけですよ。
 突然よ! それでさ、わかる? 
 その時計をちらちらっとさ、気にしながら
 じゃ、私行くから、ごめんね。
 だって。つくしょーっ。

 おれがプレゼントした時計がいちばんのお気に入りって。
 いつもいつもその時計をしていたのにねーっ。
 みごとだよ。おみごとっ。」

こういう夜だから。
女性全般をワルモノと言うのもしかたない。
「そうだそうだ、女はそうよ」と相槌を打ちながら、
テーブルの下の携帯で、
「かなり荒れてます。遅くなります」
のメールも打ったりしてた。

ともだちが失恋して、なぐさめるなら、
その夜は、腕時計を見るべきではない。
僕もまた、もう何杯目かのウイスキーを飲みながら、
「だからさ。いい女はいっぱいいるよ。
見返してやれ。おいっ」と言った。

僕も彼女に時計を贈ったことはある。
そんなに高いのじゃないけど。
僕が彼女に時計を贈られたことはない。
なぜなら、
つまり僕は時計が好きで、
欲しかったのはもちろん機械式で、
かなり値の張るものだから。

「いいんだよ。
僕の時計は自分で買うから、お金貯めて」と言ってた。
去年のクリスマスの、数日前のことだった。
売り場で見て来たらしくて
「ほんとに高いんだね」と、泣きだしそうな顔で言った。

うん。
その泣きべそだけで、
僕はもう、おなかいっぱいに、じゅうぶんだから。

*出演者情報 マギー  03-5423-5904 シスカンパニー所属

音楽:ツネオムービープロジェクトhttp://tsuneo.cart.fc2.com/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一倉宏 2006年10月6日



万葉の孤悲 

                     
ストーリー 一倉宏
出演 一倉宏

いまは もう
オープンカフェで待ち合わせするには
肌寒い季節だろう。

あなたと僕が待ち合わせをしたのは
5年前のちょうどいまごろ。 
神宮前のあの店で。

はじめてだから わかりやすいように
外側のなるべく奥のテーブルと約束して。

だから 20分も遅刻してしまった僕も
すぐにあなたを見つけることができたのだけれど。

いまでも憶えている。
そのとき カーディガンを肩にかけ
本を読んでいた あなたの横顔を。

こんな場面で
若い女性が開いている本は 先入観でいうなら
村上春樹やニューヨーカー短編集などがふさわしい。

けれど あなたがしおりを挿んだその本は
夏目漱石の『草枕』だった。

さらに 僕を驚かせたのは
遅れた失礼をわびると 
さらりと微笑んで あなたが こう答えたこと。

「いいんです。
 私、こういう時間が好きだから。」

男は誰だって 自惚れで肥大して 幻想を甘やかす。
だから あなたは無防備すぎたと いうつもりはない。
あなたが 好きだといったのは
相手が誰であれ 待ち時間に本を読むこと。
その ひとりの時間。

いまでも 青山通りから新宿方面に抜けるとき
あの店の前を通る。

あなたの名誉のためにいえば 
漢字の多い やや昔の小説を読むこと以外は
あなたは若い女性として 特に変わってはいなかった。

ふたりになれば
コーヒーにケーキをつけておかわりし
そして よく笑った。

なにが幻想で なにが幻想ではなかったのか 
ほんとうは いまでもよくわからない。

元気でやっていますか。
僕らは 僕らのあいだにあったなにかを
なかなか飛び越えられなかったね。

このあいだ 昔の日本語について調べていたら
万葉集では 「恋」を 「孤悲(こひ)」
孤独の「孤」に 悲しむの「悲」で 「孤悲(こひ)」
と書いていたことを はじめて知った。
ひとり 悲しむ の「孤悲」か。
恋とは結局 ひとりの時間のことなのか。

いまも カップを片手に ひとり静かに悲しんでいる。
それが 「孤悲」の時間なら 僕もまた 
この時間が どうしようもなく 好きかもしれない。

*出演者情報:一倉宏 http://www.1-kura.com/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ