安藤隆 2019年6月2日「Y字路の、行かなかったほうの道での物語」

Y字路の、行かなかったほうの道での物語

   ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

 午後になると太る男は長靴をはいて石畳
の通りを突きあたりまで突進する。突端には
大多摩川の船着き場があり、近ごろ絶滅が叫
ばれるタマガワクジラ見物用のちいさなボー
トが数隻繋留されている。
 船着き場の記念写真屋が「クジラがジャ
ンプするぞー、撮るならいまだぞー」と勧誘
している。太る男は記念写真屋に見つからな
いように三角の立て看板に幾枚も貼ってある
見本の記念写真を眺めようと近づく。小嶋弓
の面影を追いかける太る男はとうとう船着き
場の記念写真に辿り着いたのだ。川をバック
に屈託なく笑うジーパンの娘は、記念写真屋
の腕を疑わせるピンボケだが、たしかに貧乏
旅行の若き小嶋弓に違いない。そこで太る男
は毎日のように古びた写真を眺めにくるので
ある。だが記念写真屋は太る男が大嫌い。な
ぜなら太る男は太った体で看板を覆って自慢
の見本写真をまるごと見えなくしてしまうか
らだ。怒ると甲高い中国語で怒鳴りながら追
いかけてくるので、船着き場の突端の階段ま
で逃げるものの、体重を制止しきれずに二段
あるいは三段、水中へつづく階段に足を突っ
こんでしまうのが常だ。
 ちいさな土産物店や食堂が隙間なく並ぶ
石畳の通りは影のような人々が行き交い賑わ
っている。常にほうほうのていの太る男が通
りの脇のドブ川で長靴をジュポジュポさせて
濁った水を吐き出していると、あたりをいつ
ものように静かな霧雨が覆いはじめる。仄白
い闇となって閉ざす。それを合図のように白
いカーテンをつまんで忘不了小吃店(おもい
でしょくどう)の客引き少女月紅(ユエホン)
がみじかい睫毛でウインクする。「月」とい
う字に「紅」と書くユエホンは貧しい育ちの
少女特有の大きな目をしている。
 太る男はいそいそとボウモアと生牡蠣を
注文する。月紅(ユエホン)はボウモアを白
酎(パイチュウ)用のちいさな歪みグラスに
そそぐ。生牡蠣は水餃子用のどんぶりに放り
こむ。今日もあれを言ってもらうのだ。
 心得た月紅(ユエホン)は太る男好みの
棒読みで言った。「ボウモアって、ストレー
トのほうが甘くて飲みやすいですよね」
 すると太る男は熱心にこたえた。「あっ、
ほんとだ、ボウモアはストレートのほうが甘
くて飲みやすいや!」
 海老色のボックスシートは背もたれが高
いので、月紅(ユエホン)はすばやく太る男
の太った指をとってスカートの中へみちびく。
少女らしい三日月のほんのさわりへ。

 くしゃみがつづけて七回でたのは、どこぞ
山の上ホテルのバーで太る男の噂をしてでも
いるのか。
 「太る男さんってまだY字路にいて何してら
っしゃるんでしょう」
「太ってんじゃねえの、あはははは」

 「あんたは日本人かね」
 石畳の通りの赤と青のアメリカ柄のテン
トの下、「豚の脳のスープ専門店」の店主で
ある中国人の父親が太る男に尋ねる。
 「そうそうそうそうそう! そう!」
 太る男は愛想よく答えてスープに浮かん
だ豚の脳を噛まずに呑みこむ。店主の横に利
発そうな長男が座って、わるい日本人を睨ん
でいる

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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安藤隆 2018年7月8日

お気に入りの家
    
   ストーリー 安藤隆
      出演 大川泰樹

朝、その遊歩道を通って出勤する。
遠回りになるが遊歩道は家々の裏手にあたる
ので人通りがすくなく気分がいい。
途中一軒の白い板壁の平屋が建っていて、わ
たしはきまって歩をゆるめる。
遊歩道との境目の白い木の柵にバラがからま
っている。
とくに手入れが行き届いているようでもない
裏庭にはバラのアーチもつくられている。
どういう品種か知らないが花のちいさなバラ
である。
その家のバラが妙にすきだった。
バラなのに控えめなたたずまいがすきなのだ。

三日前のことだ。
いつものように横目で鑑賞して通りすぎよう
とすると、バラの間から誰かがわたしをみた。
この家の老人夫婦かと振りむくと顔ではなか
った。ヒマワリだった。
まだ夏でないのにと思ったがおきまりの異常
気象かもしれない。
問題はそれが嫌な感じだったことだ。
ヒマワリのどぎつさはどうみてもちいさなバ
ラたちのたたずまいと調和しない。
この庭が嫌いになっちゃうじゃないかと思っ
た。

夜中、遊歩道を歩いている。
街灯のまわりだけ雨が照らされている。
わたしは黒い傘をさしゴム靴をはいて黒いウ
インドブレーカーを着ている。
雨を待っていたのだ。

夜目にも白い家の電気はひっそり消えていた。
わたしは断固たる決意でひくい柵を乗り越え
た。雨が音を消してくれる。そのうえ雨が土
を掘り起こしやすくしてくれる。
わたしはバラの茂みにしゃがみこみ、用意
してきたちっちゃなスコップでヒマワリの根の
まわりを掘り起こした。
土はやわらかく三十センチかそこら掘るのに
二十分とかからなかった。
根が張っていた。このときだけ傘を閉じ両手
で慎重に根っこを抱えた。
それからヒマワリを遊歩道とは逆向きに植え
直した。要はヒマワリの顔がみえなきゃいいのだ。

翌朝、快晴である。
できるだけなに食わぬ顔して遊歩道を会社へ
むかっている。
白い家にさしかかる。
ドキドキを悟られないよう横目で通りすぎる。
その刹那また視線を感じた。
思わず振りむくとソイツがわたしをみていた。
お日様にむかって半回転し、前とおなじ向き
になってわたしをみていた。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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安藤隆 2017年9月17日

ando1709

9月の芋虫

  ストーリー 安藤隆
     出演 大川泰樹

中原中吉( なかきち) はかなりの老人であ
るが機嫌はすこぶる良い。なぜなら仕事に行
かなくなったかわりに毎日よく歩いているか
ら、と人には説明している。きょうもキチ外
( キチソト) 公園のまわりを老人の足取りで
ヨボヨボ歩いていた。
 大きなスズカケノキの枝葉が歩道に低く垂
れている下を歩いていると足元を鮮やかな草
色の、薄皮がはちきれんばかりの芋虫が、歩
道を横断すべく勇んで這っていた。中吉は地
面に近い小男だからよく観察できるのだが、
それは顔の模様のある芋虫で大きさは1 5 セ
ンチほどもある。そうしてツノをたてて中吉
を威嚇する。
 九月のこんな時期まで芋虫でいつづけた結
果、芋虫としての美学が高まりすぎてチョウ
チョに変身できなくなるものが毎年でると聞
く。緑便の大きさでもある芋虫にわずかでも
触れないように中吉はおおきく迂回して避け
た。柔らかいものを踏んだときの「あっ」と
いう感触や、靴底に汁が付着するような恐ろ
しい関わりを恐れた。
 しかしおおいにのろい芋虫が、この散歩者
と自転車の多い歩道を横断しきるのは不可能
と思えた。かれが無事渡り終えるかを観察し
とおす勇気はとてもない。いっそこの場で水
袋の可憐な身体を一気呵成に踏みつぶしたい
誘惑に駆られるのは、希望を持つ苦痛から逃
れるためか。
 それならばわが両手でみずみずしい芋虫を
掬いあげ、かれの目指す道路脇の植え込みの
根方にそっと置く方法を選ぶべきと想像する
が、老いて堕落した中吉の手指は芋虫の湿っ
た皮膚の感触を1 ミリたりとも受け容れず
気味悪がるのだ。それに植え込みの根方に置
いたとて、いつなんどきまた歩道を引き返さ
ぬとも、また車道にさえ乗り出さぬとも限ら
ぬ。であれば完全な解決はいっさいの想像を
閉じること、つまりやっぱり殺すしかないで
はないか。
 中原中吉はとりあえず逃げるが勝ちとばか
り老人得意のヨイヨイ走り( ばしり) で犯罪
現場に居合わす災難から逃げた。ヨイヨイ走
りしながらヒマラヤ杉の角をめがけて走った。
そこを曲がれば振り返っても現場はみえない。
みえなければ無いことになる‥ 。
 するとふいに後ろから黒人ランナーがきて
追い抜いていった。中吉はとっさに靴底を盗
みみようとしたがたちまち視界を塞がれた。
というのはつぎなるランナーたちが続々やっ
てきたから。日本人たちがきた。老人たちが
きた。いちいちの靴底をみとどけることはで
きない数、きた。車椅子もきた。がんばって、
がんばってー。それは公園一周市民マラソン
であった。
 これでは芋虫の命はひとたまりもないだろ
う。中吉も集団に巻き込まれて動く歩道のよ
うに滑走したのだ。それなのにいつもみんな
みんなどこへ掻き消えるのか。気がつけば人
生のように一人ぼっちでヒマラヤ杉のふもと
にいる。
 安心は安心だった。ヒマラヤ杉からすっか
り顔をだして元の歩道を指で遠眼鏡して覗か
ぬかぎりスズカケノキもみえない。安心した
ら中吉は思った、ああ、やっぱりおいらが踏
み殺すべきだったんだ。もどって芋虫のあわ
れな残り滓を見てあげるべきなんだ。こうな
ったらもう触ってもいいや!
 中原中吉は高ぶった。それでなにをしたか
というとヒマラヤ杉に抱きついた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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安藤隆 2017年3月5日

ando1703

冬の陽炎

    ストーリー 安藤たかし
       出演 村木仁

 その駅の、線路をまたぐ跨線橋(こせんきょう)の窓には、
必ず四、五人の人影があって、
東京とは反対方向の線路の彼方を眺めています。
東京へ向かう電車が姿をみせるのを、見張っているとみせて、
そのじつ人々の目は、さらに遠くの、奥多摩の山並みを眺めているのかもしれません。
そのような、遠くを眺める人の、どこか茫然たる佇まいをしています。

 西新宿の会社に勤める川瀬さんも、そのなかのひとりです。
ただし電車がやってきて、ほかの人たちが寒いホームへ降りたのに、
川瀬さんはひとり残っていました。
すこしして、反対方向へ向かう電車がの真下から頭を覗かせたとき、
あわてて、そっちのホームへ駆け降りてゆきました。

 川瀬さん、じつは二日連続です。
きのう山並みをみているうち、「東京でないほう行き」に乗ってしまったのです。
そんなこと、はじめてでした。
すると、一駅一駅「なにか」から遠去かるのが、心配でなりませんでした。
電車がいったん乗り換えになる「青梅駅」で、もう限界とばかり降りました。
なのに時計をみると、たかだか三十分しかたっていません。
いったいなにから遠去かったというのだろう。
これから出社しても遅刻ですむくらいです。
わかることは、ひどくドキドキしたことだけ。
癖になりそうだと微かに予感しました。
そうして、きょうです。案の定です。二日連続で「青梅駅」です。

 川瀬さんは迷わず、街道の、きのうとおなじレトロな喫茶店に入りました。
店主が、顔を覚えていたらしく、「あ、どうも」とちょっと笑いました。
川瀬さんは「暇なんでアハハハ」と言い訳しました。

 コーヒーを頼むと、リュックからノートパソコンを出して、
いつもの、ドラゴンズファンの集まるサイトを開きました。
そこはブログをまとめたページで、川瀬さんも、じぶんのブログを載せているのです。

 あゝ今月から、沖縄キャンプがはじまっています。
おとといはフリーバッティング、きのうはシートバッティングでした。
川瀬さんは、CS放送を録画してチェックしています。
贔屓にしている二人の選手が、二人とも気掛かりな出来で、
そのことを書こうと思っていました。
ピッチャーの伊藤と、ショートの堂上(どのうえ)です。
 きょうは準規(じゅんき)と直倫(なおみち)について書く、
というタイトルにしました。
ファンにはそれだけで通じます。
書き出しは「準規は相変わらずであった」

 「つづけて「ストライクをとる自信が、みるからにない。
私の目には投げることそのものを怯えている、としかみえなかった。
ストライクどころか、球を投げることに汲々としている。
フォアボール、ヒット、フォアボール、ホームランという結果は、
ある意味予想どおりであった。思い出すのは去年のキャンプである。
まったくおなじ成りゆきで、シートバッティング途中で投球を禁止され、
即二軍行きを命じられた。
指令したのは去年のピッチングコーチで今年の新監督、森繁和氏その人である。
準規は去年の経験がトラウマとなり、
突然のイップスを発症したのではないか、と心配している。
きのうはそれほど尋常でないピッチングであった。
意外と評判の良い新監督であり、応援するにやぶさかでないが、
なにか恐ろしいところもあるような男かもしれない」とここまで書いて、
最後の行に「よい意味でも」とつけ加えました。
「よい意味でも、なにか恐ろしいところもあるような男かもしれないてんてん(‥)」

 なんだかいつもより疲れたけど、やめると書けなくなるので、
まずいコーヒーをおかわりして、つづけます。

「直倫も相変わらずであった」書き出しはとおなじにしました。
「直倫は美男である。人の良い美男である。
去年苦労してやっととったレギュラーなのに、
ライバルのルーキー京田や、眠い目をして虎視眈々の阿部とニコニコしている。
その笑顔が、いい人丸出しなのだ。
もちろん、打席にそれが出なければ、いい人でいい。出るから問題なのだ。
ライバルの京田と阿部が、抜け目なくヒットをったのに、直倫は中途半端な三振。
どこかまだ本気でないのである。
森新監督は、を意識して「足の速い選手を使う」と公言している。
阿部については去年、代理監督をやったとき、レギュラーの直倫をなぜか外して、
阿部を起用していた。それらはを評価していない、という新監督のメッセージと考えねばなるまい。
直倫よ、笑っている場合ではないのだ」
と書きました。読み返して、もうひとこと、最後につけ加えました。
「私は 心配です」と。

 勘定のとき、レジで、店主が、お近くですかとちょっと怪しむ目をしました。
「あっ、あっ、近いですアハハハ」川瀬さんは答えました。
 外は冬晴れで、暗い店内から出た川瀬さんは、
道の明るさに、一瞬目眩(めまい)に襲われました。
もうやることはありません。そのことにも目眩がします。
駅前のコンビニで、好物のメロンパンを買いました。
時間があるという言い方は、いまの場合変だよなあと考えながら、
駅の反対側へ行ってみることにしました。
そっちは山の斜面で、急な坂道になっていました。
途中、無人のテニスコートに陽が当たっていました。
桜の木がたくさん植わっていて、
春はきれいなのかなと想像しました。

 上まで登ると、グラウンドがひらけていました。
茶色く枯れた、高い樹木たちを背に、野球のネットが立っています。
サッカーのゴールもあって、斜面を利用した観客席が設けられています。
川瀬さんは近くのベンチに座り、コンビニで買ったメロンパンを、
袋からごそごそ出して齧りました。
人っ子ひとりいない広いグラウンドに、尖った透明な光があたっています。
明るすぎます。

 川瀬さんは、これからどうしようと思いました。
家へ帰って、早退き(はやびき)してきたよと妻に告げようか。それとも‥
ここより先にも‥「きょう」はつづいてるんだよな。
ふいに線路がみえます。山へ延びています。
明るすぎます。
なにかが行方を隠しています。
メラメラと陽炎がたっています。
陽炎が逃げてゆきます。
川瀬さんは追いかけます。

出演者情報:村木仁 劇団新感線所属
          (ヴィレッヂ:http://www.village-artist.jp/

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安藤隆 2015年7月5日

1507ando

甘いトマトはよけい嫌

     ストーリー 安藤隆
        出演 内田慈

 ミナさんは、川のこちら側の町に住んでいます。坂と
並木の多い町です。町中のこぎれいなマーケットには、
外国の食べ物や果物が並んでいます。
 町のどの坂も、くだると、川に突きあたります。おお
きな橋を渡ると、川向こうの町です。このごろは、毎日
川向こうの町を訪れます。きょうも、じぶんの黄色い軽
自動車で、橋を渡って川向こうへ来ています。いつもお
昼まえです。
 こちらは坂のない、平べったい町です。橋を渡ると、
じきに、広く明るい住宅展示場があります。世界各国の
小旗を、ひもに吊ったのが、空を飾っています。熊の人
形が、旗を持った機械仕掛けの腕を上下に動かして、
人々を呼びこんでいます。
 住宅展示場の先に、パチンコ屋「百歳の孤独」があり
ます。黄色い壁にパチンコ、スロット、ジャックポット
と英語で書いてあります。駐車場に、開店したときのの
ぼりが、色あせたままはためいているのが、通りからみ
えます。以前はこうした風景を、恐ろしく感じていまし
たが、このごろはむしろ惹かれています。駐車場に入っ
て、ちょっとだけいて、店には入らず出ていったら、
怒られるのかなと思って、どきどきします。
 パチンコ屋をすぎると、平べったい大きなスーパーが
あります。ミナさんはスーパーの駐車場へ入ってゆきま
す‥。わたしってあまりにも平凡かなと、ときどき、た
まに思います。
 スーパーでは晩ごはんのおかずとお昼の弁当と、ワイ
ンと日本酒と焼酎を買って帰ります。買い物の最後に、
トマトの売り場にやってきます。
 ミナさんは、母親が人見知りで、たぶんそのせいで、
小さいときトマトを食べたことがありませんでした。初
めて食べたのは、お兄ちゃんに連れられて、トマトの畑
へ盗みに行ったときです。お兄ちゃんは、友達といっし
ょに、盗み食いをよくしていたようです。
 畑にふたりでしゃがんで隠れて‥お兄ちゃんが、トマ
トを、大人みたいにもいだのでびっくりしました。一口
かじって食べやすくしてくれたのを、どきどきして口に
入れました。厚い皮の中の、どろっとした実を食べて‥
ぎょっとして、吐きだしました。想像とは違う、ただた
だ気味の悪い味がしました。お兄ちゃんは怒って、ミナ
さんの口をこじあけました‥。
 ミナさんは、いまもトマトは嫌いですが、いまではた
いしたことではありません。食べることもできます。生
のトマトも、料理したトマトも、ミナさんには同じ味が
します。つまり、あの畑の味がします。嫌いですが、食
べられます。ただフルーツトマトは、普通のトマトより、
もうちょっと嫌いです。甘いとか、小さいとか、フルー
ツとかいう噓をついているからです。
 ミナさんは夫のことも、ちょっと嫌いです。夫はトマ
トが好きで、トマトのおいしさを説きます。夫とセック
スしたとき、ふとトマトの生臭さがしたので、それ以来
しません。
 ミナさんは売り場のトマトに、内緒の儀式をします。
ほんとにどっちでもいいようなことです。トマトのヘタ
って、ありますね‥ヒトデか、大きな蜘蛛みたいに、頭
にへばりついているあれ。トマトの気味悪さのあらわれ
です。そのヘタを、ほんの先っぽだけちぎるのです。1
ミリか、5ミリくらい。ちいさなことだけど、とてもど
きどきします。破裂しそうです。ミナさんは見つからな
いように、体で隠して、親指と人差し指をのばします。
 片手だけの作業なので、かなり難儀します。二本の爪
の先でキキキッとこすって、切りにかかります。視線は
あらぬ方へ向けて。でも心はヘタにあるので、目にはな
にも映りません。するうち、やっと先端のちぎれた手応
えがあります。盗みみると、たしかにちぎれています。
皮に傷がついて、汁が滲んでいます。
 ミナさんは、その場をすばやく離れます。
「婆さん、なにしたんだよ」と言うような声が、近くで
したような気がします。でもわかりません。ミナさんは、
聞こえない振りをして急ぎます。
「婆ぁ、待てよ」の声が、こんどはたしかに、後ろから
追いかけてきます。

出演者情報:内田慈 03-5827-0632 吉住モータース

youtubeが表示されにくい場合は下のリンクからどうぞ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=UsiGvmemEas

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安藤隆 2014年7月5日

ファーストタイム

     ストーリー 安藤隆
        出演 大川泰樹

原っぱの定義はむずかしい。空き地というだけでは足りない。
原っぱというからには、まず草が全面的に生えている、
かつ浅く生えているのがよい。あまり草深くてもいけない。
それでは子供が自由に遊べない。これはだいじな点だ。
つぎに所有者を示す立て看板や柵がない。
誰でも出入り自由である。むしろ人を誘いこむ風情がある。
もうひとつ肝心なことは、都市にあるということだ。
都市との釣り合い、もしくは不釣り合いのなかに
原っぱは浮かんでいる。

そんな諸条件を、その原っぱは満たしていた。
正しい原っぱであった。
ちなみに住所は、南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿三丁目である。

草は大葉子(おおばこ)に馬肥(うまごやし)が生えている。
遠巻きに羊蹄(ぎしぎし)と酸模(すかんぽ)も生えている。

三人の少年が遊んでいる。みたことのない遊びをしている。
じつは当の少年たちも、その遊びのほんとの名前を知らない。
なんでも近ごろ外国からきた遊びらしかった。
「林(りん)さん、ここですよー、ここ!」
そう声を張りあげたのは、棒を担いだ少年である。
その棒で「ここ、ここ」と体の前を指し示す。
竹の棒のようだ。地面に当たると竹の音がする。

少年の名前は升(のぼる)。
林(りん)さんと呼ばれた少年は、年長の林太郎(りんたろう)。
林太郎は手に、なにやらお手玉のようなものを握っている。
白い布(きれ)はしが、手からちょびっと垂れている。
それを升(のぼる)の言うとおり、山なりに放(ほう)る。
待ち構えた升が竹の棒でぶつ。
林太郎の後方に、隠れるように、もうひとり小柄な少年がいて、
あちこち転がるお手玉を拾う。
小柄な少年は金之助(きんのすけ)。

この遊びを言い出したのは升(のぼる)だった。
升は学校で先生から、横浜で流行(はや)る外国の遊びと聞いた。
外国と聞いて血が騒いだ。
白い玉を母親にせがんで作ってもらった。
中味をかちかちに詰めたお手玉のまわりを手ぬぐいで包み、
糸を固く何重にも巻き、外側を白いふんどしで二重に包んで縫った。
升さん、どうせよごすだけならば使い古しで我慢なさいと、
黄色まじりの白玉(しろだま)ができた。
そんな白玉と竹の棒であっても、
道具を持ってきた升が、いちばん面白そうな役をやるのを、
金之助も林太郎も承知するしかなかった。

 升(のぼる)は玉を力一杯ぶたないように我慢していた。
コワレテシマッタラタイヘン困ル。
だけど我慢の掛金がそのときふいにはずれた。
律儀だがそそることのない林太郎の放る玉が、珍しくそそってきた。
升は思わず我を忘れて思いきりぶった。
玉は金之助の頭上はるか、
原っぱの周りの鬱蒼たる叢(くさむら)まで飛んだ。
そのへんの草は背が高く、性悪(しょうわる)である。
玉を探しに分け入った金之助は、当然のように見失った。
升も、しまいには年上の林太郎もきて、手伝ったが、
玉はどこかに隠された。

 そのときだった。三人より年端(としは)のいかない、
汚いなりをした男の子供が、
髪文字草(かもじぐさ)のあいだからぬっと顔を出した。
「これ‥」と、玉を差し出した。
心底たまげたことへの照れかくしで、
升は奪うように玉をとりあげ、点検した。
玉は傷んでほどけていたが、でも無事だ。
「おまえ、名前はなんという?」林太郎が言った。
「公之(ひろゆき)‥」

その怯えた様子からも、汚いなりからも、
このあたりのいかがわしい家の子供だろうと三人は思った。
「みつけてくれたのだ。礼をいうべきである」
林太郎が率先して「ありがとう」と言った。
ありがとうはハイカラすぎると思いながら、他の二人も追随した。
子供が照れたように笑った。歯は白かった。

「林(りん)さん、この遊びの感想はいかが?」
升が林太郎に言った。
玉を拾ってばかりですこしも面白くない、と金之助は思った。
なのに林太郎は「うむ、欧米的の面白みがある」と答えた。
林太郎だって私よりよほど面白いに違いないのだ、
あんな真ん中で玉を放るんだもの、と金之助は気づいた。
「キンちゃんは、どうだい?」
升が金之助に向き直った。
升はいつになく強い目をしていた。
その目に気圧されて金之助は「私も面白い‥」と答えてしまった。

「よし、決まった」升が叫んだ。
「明日もやる! 公之(ひろゆき)、おまえもきていい!」

いつのまにか夕暮れである。西の空に夕焼けが広がっている。
夏の盛りとみえるのに、空には秋(あき)茜(あかね)が舞っている。
秋茜の寂しい朱色(あかいろ)は、夕焼けを染めた朱色である。
「ぜんたい、この遊びはなんという名前だ?」
と林太郎が言った。
野原で玉遊びだから野玉(のだま)だ、と升はひそかに考えていたが、
まだ黙っていた。
その考えは明日言おう、と思った。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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