勝浦雅彦 2015年6月7日

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オリーブ

      ストーリー 勝浦雅彦
         出演 長野里美


病室の扉をあけた私は、眠っている祖母を見て愕然とした。
髪は抜け、肌は黒ずみ、右頬に大きなしみができている。
体中に差し込まれた無数のチューブが、彼女をこの世に留めていた。

「もってあと数日です」、と担当医は母に言ったそうだ。
大学出たての若い女医にまるで「いい天気ですね」と言うような口調で
そう告げられ、母は戦う意思のようなものを失くしたのだという。

「最近よく言ってたんよ。貴美子の夢を見るって」
私は母の呟きに答えず、祖母の顔を見つめていた。

私が離婚して、別の人と一緒になる、と言ったとき、
緞帳が降りたように、さあっと変わった祖母の顔色を今も覚えている。

それが、世間で言うところのW不倫であり、
相手が15歳も年上であったことが、当然のごとく我が家の問題など
軽々と飛び越え小さな街の大事件になった。

彼は測量技師であり、街の再開発工事のために長期で滞在していた。
私は小さな工務店に勤めていて彼と出会った。型紙のようによくある話だ。

不思議なことに、私も彼もお互いの夫婦関係に問題はなかった。
どちらも子供はいなかったが、セックスレスでも、冷え切ってもいなかった。
ただ、そうあるべき相手に出会ったとき、
あらゆる事情を踏み越えて二人は共同して事にあたるべき、
という認識が瞬時に出来上がったのだ。

私は彼のことを「相棒」と呼んだ。
恋人とか夫婦とか、
ショウケースの中のハンバーグやケーキくらいわかりやすくて
確かなものに意味を失った私たちは、
自分たちにしかわからないルールを決めて一緒に守っていく、
というかたちでしかその関係を続けられなかったのだと思う。
私たちはあやふやなものなかにある確かなものを必死でたぐりよせようとした。
それがこんがらがった毛玉に二人して手をつっこむような
愚かな行為だったとしても、私たちは真剣だったのだ。

当時、祖母はとにかく泣いた。
離婚なんてとんでもない、我慢がたりないんじゃないの、
感謝が足りないんじゃないの、そんなことをして神様が許すと思うの、と。
祖父をはやくに亡くし、
小学校の教師をしながら母を育てた祖母は、敬虔なクリスチャンだった。
毎週末、必ずミサに参加していたし、
私も時どき連れて行かれた。
カトリックの教えでは離婚は禁じられていた。

私の離婚が成立すると、私と相棒は街を出た。
それ以来、私は祖母と一度もつながりをもっていない。

翌日の朝、母は着替えを取りに帰り、私は祖母と二人きりになった。
空の表情はすっかり機嫌を取り戻していたが、
病室の中には湿った空気があふれ鼻腔をついた。
それは紛れも無く、死の匂いだった。

部屋の外窓にはいくつかの大ぶりの鉢植えが置かれていた。
珍しいことにオリーブの木があった。
濃い緑が、日の光に揺れている。

祖母からよく聞かされた、「ノアの方舟」を私は思い出した。
世界を覆う大洪水から逃れるために、
ノア一家と動物たちは男女のつがいになり方舟に乗り込む。
そのノアたちに新世界の到来を告げたのが、
オリーブの葉をくわえた鳩だった。
話を聞きながら、私はいつも疑問に思ったものだ。
その乗り込んだつがいの、
組み合わせが間違っていたらどうするの・・・。

「・・・さん、・・・さん」
振り向くと祖母の口がひらき、微かな声が漏れている。
慌ててベッドに駆け寄った。
「おばあちゃん、私よ。どうしたの、苦しいの?先生?」
次の瞬間、祖母の唇が動き、名前がこぼれた。
私は、たしかにそれを聞いた。

次の日、付き添いの母が眠りに引きずり込まれている間に、
祖母はこの世を去った。一瞬の悲しみのあとに、
手続きの嵐がやってきた。
母は速記官のように書類を記入し、判断をくだしていった。

病室の片づけを終え外庭に出ると、視界がぼやけた。
そこには東京にいるはずの「相棒」がいた。
ベンチに座り、シャツの裾をまくって鳩に餌をやっている。
どうして偶然のように、この人はいつも私の側にいるのだろう。
今、私はこのさえない年上の男を愛おしくただ会いたい、
と願っていたのだ。

「おばあさん」と彼は言った。
「うん、今しがた」
そう、と餌をやる手を止め、彼は深く溜息をついた。
「ひと目、と思っていたけどね。入る勇気なかった」
「うん」

私は、ポケットに手を突っ込み、
さっきまで一つの命を抱えていた白い病棟を見上げた。

最後に祖母が口にした名前。それは、祖父のものではなかった。
知らない名前だった。
私は別れの一歩手前で、はじめて祖母のことを理解したような気がした。
祖母は、誰と方舟に乗ったのだろうか。
それがあるべき「つがい」であることを私は祈った。

病棟から出てきた母が相棒をみとめ、会釈をした。
慌てて頭を下げた相棒の手から残りの餌がこぼれ落ちると、
鳩が一斉に飛び立った。


出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/


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長野里美から「ひと言」

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名取りを目指して日本舞踊のお稽古に励んでいます。
夏には発表会で小唄『春雨』を踊ります。
それから、クラシックバレエにも夢中です。
もちろん踊る方です。
何を目指してるんですか?とよく人に聞かれます(笑)
とりあえず100歳まで動けることじゃないでしょうか。

長野里美:http://www.yougooffice.com/artist/profile/index.php?pid=5

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小野田隆雄 2013年1月6日



別れる言葉

          ストーリー 小野田隆雄
             出演 長野里美

ひとは別れるとき、
誰かに何かを言い残す。
黙って別れてしまって
もしも、自分がいなくなったことに
気づいてくれるひとがいなかったら
それは、とても寂しいことかもしれない。
けれど誰かが自分のことを、いつまでも
きちんと憶えていてくれたら
それは、とてもうれしいと思う。
次の文章は、もうはるかな昔、
私が美術大学の学生だった頃に、
後輩からもらった手紙である。

白いコスモスの花を
青い花瓶にいけて
もう、10日がたちました。
花びらは畳に落ちて
ひからびてしまいました。
コスモスを見つめて
どこにも出かけないで
黒いセーターを着て
日本茶ばかり飲んでいました。
フランス語の勉強は止めて
古いプレーヤーで、
シューベルトの「冬の旅」を、
ぼんやり聴き続けていました。
ある雨あがりの日、空を見て
南の町へ引っ越そうと思いました。
どこか、岬の見える南の町へ。
室戸(むろと)岬、足摺(あしずり)岬、都井(とい)岬、
佐多(さた)岬、枕崎(まくらざき)。
中学時代の学習日本地図を、
昨夜は、ずっと眺めていました。
旅立つ日、あなたに、
この手紙を出します。
短かった。けれど、とてもすてきだった日々。
でも、別れます。あなたは、まぶしすぎるんです。
すばらしい青春の思い出を、ありがとう。
大丈夫、大丈夫。私は働いて、
ときおり絵を書いて、生きていきます。
いつか、長い歳月のあとで、
お会いする日がくるかもしれません。
私のことを忘れないでください。
あなたが憶えていてくれると思うと、
そのことが強い支えになるのです。
いつも、わがままばかり言っていた私の、
これが最後のわがままです。
さようなら。

……2歳年下の彼女は、秋に咲く花のように
せつない感じの少女だった。けれど、
雨や風には折れないような、
しなやかな強さがあった。
私は、そんな彼女が好きだった。
ほかの友人たちは、それを恋と呼んでいた。
女性同士の恋であると。
けれど 私は友情だと思っていた。

思えば、彼女の手に触れたこともなかった。
ある秋の終りに、
彼女が突然に私の前から消えて、
そのまま、なんの音沙汰も無しに
数十年が過ぎてしまった。
私は結婚し、専業主婦となり、
すでに私の娘が、あの頃の
彼女の年齢になってしまった。
けれど、私は彼女を忘れていない。
そして彼女も、私のことを
憶えていると信じている。
思い出は、すべて現実から離れていく。
だから、人の心を支えてくれるのだと思う。

いつかある日、誰でもみんな
愛する人たちに別れのあいさつをする。
「もう、私のことは忘れておくれ、
ありがとう、楽しい人生だった。
さようなら」、と。


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直川隆久 2012年9月23日


なでしこの星

       ストーリー 直川隆久
          出演  長野里美

西暦2139年。
堀内海斗(116歳)は、死の床にあった。
おおむねよい人生だったと思う。
若い頃には、まさか自分が人類最後の男性になろうとは夢にも思わなかった。

はじまりは2022年だった。
健全な卵子にもかかわらず受精をしない――
あたかも卵子が精子を拒絶するかのようにふるまう――
という不妊症例が、ぽつりぽつりと学会で報告されるようになったが、
学会後の懇親会のメニューほどには参加者の興味をひかなかった。

爆発は2023年だった。
全世界的に不妊患者が激増し、各国の出生率は目に見えて落ち込んだ。
何万という医師、研究者が原因究明にあたったが、
手掛かりすら一向につかめない。

2026年。
WHOは、今年、地球上には一人の赤ん坊も誕生しなかった。と発表した。
そして、調査がおよぶ範囲を見る限り、妊娠をしている女性は
現在地球上に存在しない。とも。

そして、その後ほぼ10年にわたってWHOは同じ発表を繰り返すことになった。
人々は、観念した。

それからの世の中の混乱ぶりは、大変なものであった。
希望を託する、といえば聞こえはいいが、
要はもろもろのツケをおしつけられる「次世代」がいなくなってしまったのだ。
絶望が世界を覆った。

その後20年ほどをかけて全人類の数はおよそ3分の2になった

小学校時代、堀内海斗が6年生のとき、5年生のクラスは15人。
4年生は4人。3年生から下はゼロであった。
大学生になっても、社会人になっても状況はかわらない。

ヒトという種の緩慢なる絶滅、
という物語を「用事をいいつけられる後輩がいつまでたっても現れない事態」として
海斗は認識した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

意外なことに、世界の状況は人口の減少とともに好転していった。
まず、消費が減ったことで、地下資源の枯渇、熱帯雨林の減少に歯止めがかかった。
縮小した経済活動は、CO2の排出も少なくした。
なにより、世界を覆ったある種の「あきらめ」のせいか、
過度な競争や抗争がだんだんと「バカらしい」ものと認識されるようになった。
ようやくにして「人類の進歩と調和」が訪れはじめたのであった。

2061年、第2の転換が起こる。
中央アフリカに住むある女性の妊娠のニュースが世界を駆け巡ったのだ。
奇妙なことにその女性は自分に男性経験はないと主張した。
「処女懐胎!か?」の文字がゴシップ紙の見出しを華々しく飾った。

2062年、36年ぶりに人類に子供が生まれた。
女の子であった。
世界が注目する中、女の子のDNA解析がなされ、不可思議な事実が発見された。

この女の子のもつ遺伝子は、すべて母親由来だったのである。
何度検証を重ねても結果は同じであった。
科学者はこう結論した――
この子は、母親由来の卵子が二つ結合して発生した個体としか考えられない。

月に一個排出されるはずの卵子が2個となり、その卵子が結合して、
一個の卵(らん)となる。
卵子の性染色体はXであるので、結合した卵もXX、すなわち女となる。

ヒトという種が単性生殖の生物へと変貌をとげたこの年は、
「人類再生の年」として記憶されることになった。

その後も世界の「男」達は歳をとり続け、徐々に数を減らしていった。
堀内海斗は、友人たちが老衰で一人、二人と死にゆくのを眺めながら、
思いのほか長生きをした。
気がつけば、自分が人類最後の男になっていたのである。

なぜ自分が?堀内海斗には、わからなかった。
なぜあんな男が?堀内海斗以外の人間にもわからなかった。

世間から注目されるという経験を、堀内海斗は100歳を間近に初めて経験した。
だがあまり弁もたたず、性格もどちらかといえば暗い堀内海斗はテレビ受けせず、
取材陣もじきに彼のもとを訪れなくなった。

生存する男が残り2人になった時、片方はフランス人の元俳優で、ハンサムであった。世間は明らかにそのフランス人に“人類最後の男”になってもらいたげであった。

21世紀初頭からの人類の変化についての科学者の見解は
「“オスという生殖ツールの切り捨て”であった」という解釈で一致している。
戦争や競争といった環境負荷の高い行為を嗜癖するオス。
それを「掃除」することが、遺伝子レベルで決定されたのだと。

現に、女だけの世界は、すこぶる平和であった。
なんだ、男なんて結局いらなかったじゃん。
という気分が世に広がった。

2137年。
特別療養施設で命をつなぎながら堀内海斗は、
件のフランス男の訃報を複雑な思いで聞いた。
看護師の控室に広がる落胆がベッドの上からも感じとれた。

世間は堀内海斗を忘れ、堀内海斗も様々なことを忘却しはじめていた。

2139年の夏。
看護師がエアコンの設定温度を低くしすぎたために、
風邪をこじらせた堀内海斗は、肺炎にかかった。
延命措置はとられたが、彼の体力では耐えられそうにない。

乏しくなった記憶をつなぎ合わせた上で「おおむねよい人生だった」と
堀内海斗はあらためて結論した。まがりなりにも、人類最後の男だ。
世界中の「女」が、堀内海斗の死を知るだろう。

天国へと旅立つときに見える花畑はたぶん、なでしこでいっぱいだ。


出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/ 




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長野里美さんの写真がない(9月の収録記4)


どうも長野里美さんが来ると話しこんでしまうので
写真を撮り忘れる傾向にあるようです。
仕方ないので「ハムレット」の写真をさがしたんですよ。
ええっとね、1995年にグローブ座で上演されたハムレットです。
演出がペーター・ストルマーレという人で
この人はもともと役者さんだったと思います。
ハムレット役者が演出する「ハムレット」は
ハムレットが上杉祥三、オフィーリアが長野里美で上演されました。
素晴らしい舞台で音といい美術といい…ってキリないんでやめますが、
長野さん、キレイでした。

ところがその写真が見つからないんです。
で、真逆な傾向のものをさがしました(上の写真)
じゃーん、劇団新感線「星の忍者」です。
デーモン閣下がご出演あそばされていました。
これも1995年ではなかったか…
うーむ、同じ年に両方見たのか、私は… ….
まあ、いいか。考えるのやめます。
こちらの長野さんは派手な衣装をつけてかわいらしかったです。
(上の写真参照。高田聖子ちゃんも出ています)

どっちの長野さんを見ても天然だってことが
わかりにくいかもしれませんが、
長野里美さんは実は天然です。
私は少し固めのナレーションが欲しいときに
長野さんに来ていただくのですが
長野さんは固い読みで練習してきてくれるにもかかわらず
どこかに「天然」が顔をだしており
そこがたいへん魅力的だと思っているのです。

9月23日のTokyo Copywriters’ Street は
直川隆久さんの原稿を長野里美さんが読んでいます(なかやま)

長野里美 TOLERANCE:http://www11.ocn.ne.jp/~tole2012/


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小野田隆雄 2011年8月14日



風の祭

             ストーリー 小野田隆雄
                出演 長野里美

立春の日から数えて二百十日めは
ちょうど九月の初めに当る。
この季節になると、南の海から日本列島に
雨をともなう強い風が襲ってくる。
昔は野分と呼ばれ、現代では台風と呼ばれる。
おりしも農村では、
田んぼの稲が花をつけ始める頃である。
その白い小さな花が強い風で散ってしまうと
稲は実らず、収穫できなくなる。
そんなことがないように、
「どうぞ、強い風がやってきませんように」
農民たちの切実な祈りをこめたお祭りが
二百十日の前後に、この国では行われてきた。
その祭を、風祭(かざまつり)と呼ぶ。

地方によっては、この祭りの日には
竹竿(たけざお)の先に草を刈る鎌をつけ
その刃を風上に向けて、高々と屋根の上に立てる。
「この鎌で悪しき風を切ってしまえ」
そのような、おまじないである。

小田原から箱根山に向かって
昔の東海道は続いていた。
現在の国道一号線である。
この道路にそって箱根登山鉄道が走っている。
その電車で小田原からふたつめの駅が
風祭という名前である。

そのあたりは小田原市の郊外で、人家も多い。
そこから南へちょっと行けば、相模湾の海、
北へすこし登れば、もう山である。
けれども、この細長くひらけた平野も
ずっと古い時代には、田畑が広がり農家が並び
海沿いは漁村だったのだろう。
そして二百十日が近づく頃には
海からの強い風が吹き、ちぎれ雲が空を飛び、
田んぼの稲は波のようにゆれ動き、
家々の屋根には、草刈り鎌が並び立てられ、
夏の終りの光に、ギラギラひかったのだろう。

箱根登山鉄道に乗り、この駅を通るたびに、
私は昔の風祭のようすを空想するのだった。
それは、ちいさな楽しみだった。
ところが、つい最近、ほんとうのことを言えば
この話を書くにあたって、
次のことを知った。

鎌倉時代、この地域の地頭であった一族が、
風祭氏といった。その名前が地名として残り、
駅名になったのであると。
この事実を知った時、私は思った。
きっとこの一族は、心をこめて
風の祭をおこなってきたのだろう、
そして、よい人たちであったのだろうと。


出演者情報:長野里美 03-3794-1784 株式会社融合事務所所属



動画制作:庄司輝秋

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