直川隆久 2012年9月23日

なでしこの星

       ストーリー 直川隆久
          出演  長野里美

西暦2139年。
堀内海斗(116歳)は、死の床にあった。
おおむねよい人生だったと思う。
若い頃には、まさか自分が人類最後の男性になろうとは夢にも思わなかった。

はじまりは2022年だった。
健全な卵子にもかかわらず受精をしない――
あたかも卵子が精子を拒絶するかのようにふるまう――
という不妊症例が、ぽつりぽつりと学会で報告されるようになったが、
学会後の懇親会のメニューほどには参加者の興味をひかなかった。

爆発は2023年だった。
全世界的に不妊患者が激増し、各国の出生率は目に見えて落ち込んだ。
何万という医師、研究者が原因究明にあたったが、
手掛かりすら一向につかめない。

2026年。
WHOは、今年、地球上には一人の赤ん坊も誕生しなかった。と発表した。
そして、調査がおよぶ範囲を見る限り、妊娠をしている女性は
現在地球上に存在しない。とも。

そして、その後ほぼ10年にわたってWHOは同じ発表を繰り返すことになった。
人々は、観念した。

それからの世の中の混乱ぶりは、大変なものであった。
希望を託する、といえば聞こえはいいが、
要はもろもろのツケをおしつけられる「次世代」がいなくなってしまったのだ。
絶望が世界を覆った。

その後20年ほどをかけて全人類の数はおよそ3分の2になった

小学校時代、堀内海斗が6年生のとき、5年生のクラスは15人。
4年生は4人。3年生から下はゼロであった。
大学生になっても、社会人になっても状況はかわらない。

ヒトという種の緩慢なる絶滅、
という物語を「用事をいいつけられる後輩がいつまでたっても現れない事態」として
海斗は認識した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

意外なことに、世界の状況は人口の減少とともに好転していった。
まず、消費が減ったことで、地下資源の枯渇、熱帯雨林の減少に歯止めがかかった。
縮小した経済活動は、CO2の排出も少なくした。
なにより、世界を覆ったある種の「あきらめ」のせいか、
過度な競争や抗争がだんだんと「バカらしい」ものと認識されるようになった。
ようやくにして「人類の進歩と調和」が訪れはじめたのであった。

2061年、第2の転換が起こる。
中央アフリカに住むある女性の妊娠のニュースが世界を駆け巡ったのだ。
奇妙なことにその女性は自分に男性経験はないと主張した。
「処女懐胎!か?」の文字がゴシップ紙の見出しを華々しく飾った。

2062年、36年ぶりに人類に子供が生まれた。
女の子であった。
世界が注目する中、女の子のDNA解析がなされ、不可思議な事実が発見された。

この女の子のもつ遺伝子は、すべて母親由来だったのである。
何度検証を重ねても結果は同じであった。
科学者はこう結論した――
この子は、母親由来の卵子が二つ結合して発生した個体としか考えられない。

月に一個排出されるはずの卵子が2個となり、その卵子が結合して、
一個の卵(らん)となる。
卵子の性染色体はXであるので、結合した卵もXX、すなわち女となる。

ヒトという種が単性生殖の生物へと変貌をとげたこの年は、
「人類再生の年」として記憶されることになった。

その後も世界の「男」達は歳をとり続け、徐々に数を減らしていった。
堀内海斗は、友人たちが老衰で一人、二人と死にゆくのを眺めながら、
思いのほか長生きをした。
気がつけば、自分が人類最後の男になっていたのである。

なぜ自分が?堀内海斗には、わからなかった。
なぜあんな男が?堀内海斗以外の人間にもわからなかった。

世間から注目されるという経験を、堀内海斗は100歳を間近に初めて経験した。
だがあまり弁もたたず、性格もどちらかといえば暗い堀内海斗はテレビ受けせず、
取材陣もじきに彼のもとを訪れなくなった。

生存する男が残り2人になった時、片方はフランス人の元俳優で、ハンサムであった。世間は明らかにそのフランス人に“人類最後の男”になってもらいたげであった。

21世紀初頭からの人類の変化についての科学者の見解は
「“オスという生殖ツールの切り捨て”であった」という解釈で一致している。
戦争や競争といった環境負荷の高い行為を嗜癖するオス。
それを「掃除」することが、遺伝子レベルで決定されたのだと。

現に、女だけの世界は、すこぶる平和であった。
なんだ、男なんて結局いらなかったじゃん。
という気分が世に広がった。

2137年。
特別療養施設で命をつなぎながら堀内海斗は、
件のフランス男の訃報を複雑な思いで聞いた。
看護師の控室に広がる落胆がベッドの上からも感じとれた。

世間は堀内海斗を忘れ、堀内海斗も様々なことを忘却しはじめていた。

2139年の夏。
看護師がエアコンの設定温度を低くしすぎたために、
風邪をこじらせた堀内海斗は、肺炎にかかった。
延命措置はとられたが、彼の体力では耐えられそうにない。

乏しくなった記憶をつなぎ合わせた上で「おおむねよい人生だった」と
堀内海斗はあらためて結論した。まがりなりにも、人類最後の男だ。
世界中の「女」が、堀内海斗の死を知るだろう。

天国へと旅立つときに見える花畑はたぶん、なでしこでいっぱいだ。

出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/ 


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収録記 2011年1月5日

2011年1月5日現在において
実のところまだこのHPは公開しておらず
正月も正月明けもなく、
ひたすらインデックスをつくったり
記事のレイアウトを整備したりしている。

HPそのものを家だとすると
建築や荷物の運び込み、家具の配置などは
すでにしてWeb担当がやってくれてあって
私の仕事といえば
書棚の本の並び替えとか、衣類の整理程度なのに
それが限りなく果てしない作業なのだ。

今日はTokyo Copywriters’ Street 関係でメールを2本いただき
その1本は黒須美彦さんの「ぎえ〜」というメールで
つまり締め切りを忘れていたということだったが
「ぎえ〜」という件名には心がなごんだ。

もう1本は吉岡虎太郎さんからで
こちらはメールの本文に原稿が書いてあり
その原稿の内容に笑いころげた。

ああ、早くHPを公開したい…と、つくづく思う(なかやま)

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収録記 2010年12月25日

なんでクリスマスに録音なんですかと訊かれても困る。
なぜかそうなってしまったのだ。
しかも、都合の悪い人がひとりもいなかった。
この事実も問題だと思う。

三回めの収録に来てくれたナレーターは30代が四人。
すべて独身だというのに、こんなことでいいのか、君たちは。

まあしかし、いいと言うのだから仕方がない…と
威張れる立場では決してないが、
そもそもナレーターは交通費も自腹で来てくれているのだから
威張っている場合ではないが、それにしてもおかしいぞ。
しかも吉住モータースの社長まで登場した。
あんたは妻子持ちなんだから帰ってクリスマスをやりなさいってば。

とにかくそんなわけでクリスマスの収録だったのだ。
寒かった。本当にごめんなさい。

私とミキサー森田と大川泰樹と坂東工は
収録後、クリスマスではなく単なる酒と飯の会をやりました。
立ち飲みのワインバーで店の名前は忘れたけれど
その店でうまかったマカロニほうれん草の写真を下に置いときます(なかやま)

この日の収録は
瀬川亮(岡部将彦)、内田慈(佐藤義浩)、地曳豪(関陽子)
坂東工(西島知宏)、大川泰樹(門田陽・中山佐知子)
*( )の中は執筆者

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収録記 2010年11月27日

二回めの段ボール収録は11月27日だった。

段ボール収録というネーミングの由良だが、
録音機材が大きな段ボール箱ひとつにおさまってしまうことから
ミキサーの森田が「段ボールスタジオ」と名付けたのだが
その段ボールスタジオでおこなう収録なのだ
まあ、段ボール収録と呼んでもいいだろうと思うのだ。

段ボールスタジオの欠点は、「暑い寒い」だ。
11月の末ともなればすでにして寒いし夏はさぞ暑かろう。
建物も付帯設備も断末魔までに古いランダムハウスでは
うるさくて暖房もつけられない。
この先が思いやられた。

この日の収録は、
山田キヌヲ(古居利康)、西尾まり(坂本和加)、水下きよし(直川隆久)
大川泰樹(小野田隆雄・中山佐知子)
*( )の中は執筆者。

この日、直川隆久さんの原稿が前編後編に分けて計20分という
超大作になり、録音終了後は足早にだるま亭へ行って
中華をたらふく食べたのだった。
おっと、その前に水下さんが持ってきてくれたビールで
乾杯もしたぞ(なかやま)

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収録記 2010年10月28日

第一回めの収録本番は2010年10月28日の19時からだった。
ウイークデーだったので、
ランダムハウスの社員をむりやり追い返し
録音の最中に電話が鳴らないことを祈りに祈った。

しかしチャイムは鳴る。
時差で呼んであるナレーターが到着すると
礼儀正しくチャイムを鳴らすからだ。
これはどうしようもなかった。
いままで礼儀のある人生を歩んできた役者に
泥棒のように物音を立てずに侵入しろとは今更いえない。

ピンポーン、ピンポーン
まあ、そういうこともあるさ。

この夜は収録後、ミキサーの森田仁人と
ナレーターの水下きよし、大川泰樹と舟よしでおでんを食べた(なかやま)

この日の収録は
水下きよし(一倉宏)、皆戸麻衣(薄景子)、西尾まり(福里真一)
大川泰樹(薄景子・中山佐知子)
*( )の中は執筆者

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収録記 2010年10月20日 テスト録音

ネット配信のTokyo Copywriters’ Street は10月スタートだ。
なのになぜ10月にテスト録音などをしているかというと
10月分はスタジオ収録ができたからだ。
それはキューテックのご好意によるものだったが
予算0円になった以上、そうそう甘えてもいられないということで
敢然とというには遅まきだったが、自立の準備をはじめた。

収録の場所はランダムハウス。
社長の事務用デスクにマイクを釣ってナレーターが座る。
その後の打ち合わせテーブルに機材を置いて森田が録音する。
これだけのことだ。
レコーダーがわりのノートパソコンは私が買った。
スピーカーも私が買った。残りは森田が買ったらしい。
噂では、そのせいでヤフオクにはまっているともいう。

まどからクルマの音も聞こえるし
建物も付属設備も古いのでエアコンの音もうるさいが
クルマは気にしない。エアコンは止めればいいということにした。

まあ、なんとかなるさ(なかやま)

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