廣瀬大 2020年2月9日「パンチラ」

「パンチラ」

    ストーリー ストーリー 廣瀬大
       出演 地曵豪

「名前も知らない女学生の下着に、人生を救われたことがある」
小学生相手に、休日は、近所の空手道場で師範を務める、
堅物の親父の口から、
女学生の下着などという言葉が出て、
俺は面食らって親父の顔を見つめた。

この日、俺は大学四年生で、結局どこにも就職先を
見つけることができなかったことを報告しに、
実家に戻っていたのだった。
別に手を抜いていた訳でも、さぼっていた訳でもない。
最悪の就職難と言われた時代に、
俺は真面目に必死に就職活動をしたが働く先は見つからなかった。
「どうするんだ」とか、「なにやってんだ」とか、
そんなことはひとことも言わず親父は語り始めた。

「初めて言うんだけどな。大学時代に、
実は奇妙な新興宗教に片足を突っ込みかけたことがあって」
親父は俺と目を合わせることなく、縁側を眺めた。
下着とか、新興宗教とか、就職先が決まらなかった息子になんの話してんだ。
「最初はちょっとした東洋哲学を学ぶ勉強会だった。
加えて精神統一の仕方とか、それにともなう食事法とかね。
そこからちょっとしたヨガをやったりとか。
空手をやっていたこともあって、以前から座禅とかには興味があったし」
親父は苦笑いをしながら俺を見つめた。

「今、考えると没頭する性格が仇となった。
人間とはなんとも自分に都合のいい生き物だ。
時間を費やせば費やすほど、
その時間はムダではなかった、
そこには意味があったと思いたくなるもので。
その会でトレーニングを重ねるほどに、
彼らの信仰や言っていることにときに矛盾を感じても、
でも、この精神統一の方法は効果的なのではないか、
健康方法としては続けてもいいんじゃないか、
なんて自分に言い聞かせるようになって。
で、その会に参加するようになって一年が経ったころ、
大学のキャンパスで本格的に入信するように
迫られたわけだよ。遂に幹部二人に。
『生きる意味』だとか、『役割がある』だとか、
彼らはそんな言葉を使ってな。
その歳になるまで、そんなに自分が人に求められた
ことなんてなかったし、なんだか、話を聞いているうちに、
やってやろうじゃないか。
辞めたくなれば、そのとき辞めればいいじゃないか。
そんな風に思えてきて。
一度入ったら、絶対に辞められないんだけどな。
で、はい。入ります。やってみます。
と言いそうになったとき、ふと風が吹いたんだよ。

『人生の本質がうんぬんかんぬん』
『悟りがうんぬんかんぬん』
そんなことを話していた幹部二人と私の前を歩いていた
女学生のスカートをその風がめくった。
大仰な言葉を使って、高尚な話をしていたはずの
私たちの目はつい追いかけてしまった。
風のいたずらを。
パンチラを。
滑稽だろ。真面目な話をしてたのに。
私はもうおかしくてね。
笑いが止まらなくなって。
そのときふと、肩の力が抜け、楽に呼吸ができるようになった気がした。
で、冷静になって、入るのをやめることができたんだ。その宗教に。
つまり、あの日、あの名前も知らない女性のパンチラが
私を救ってくれたってわけだよ。
…この話がお前のこれからの人生にどう役立つかはわからないが」

アドバイスなのだか、よくわからないむちゃくちゃな
親父の話を聞いてから、もう15年以上が経つ。
僕は結局、その年、就職先を見つけることはできなかった。
でも、なんとかこうして生きて暮らしている。
親父の話が、当時の俺に役に立ったのかどうかはわからない。
だが、話を聞いて以来、人生に困難が訪れたとき、
俺はあの話を必ず思い出す。
若い真面目な親父の横を風が通り抜ける。
名前も知らない女学生のスカートをめくる。
それをつい追ってしまう親父。
見たことのないはずの滑稽な人間の姿が
はっきりと目に浮かぶ。
そして、俺の肩の力が抜ける。
ふと楽に呼吸ができるようになる。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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