遠藤守哉と地曵豪(2013年8月の収録記-2)

地曵豪くんはいつも何か食べてます。
収録のときはウインナクロワッサンを用意するのですが
この日は他に三井明子さんからいただいた山形のラスクがあり
ずいぶん喜んで食べていました。
180センチを超える身長ですし、まだ三十台ですし…
ん〜〜〜、しかしこんな怖い顔で食べなくても…

この日の地曵くんは本編が1本
http://www.01-radio.com/tcs/archives/25075
東北が1本
http://www.01-radio.com/tcs/archives/25101

本編は磯島拓矢さんの原稿で、
私はこれで「喃語」という言葉をはじめて知りました。
考察のしかたが磯島さんらしい原稿でした。

そして、遠藤守哉です。
私はどうしてもモリヤと呼び捨てにしなければ
モリヤのことではないような気がしてしまうので
ここでも呼び捨てにさせていただきますが、
今回は、まず「東北へ行こう」を2本読んでいただきました。
この人はたいへん技を持っている人で
何かが足りない原稿にスパイスを加えてくれます。
http://www.01-radio.com/tcs/archives/25107
http://www.01-radio.com/tcs/archives/25095

そして本編は中村直史くんの原稿でした。
http://www.01-radio.com/tcs/archives/25174
この原稿は人生であり哲学でもありました(なかやま)

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武田義史のカンヌの誘惑-①

第1話「カンヌは若いうちに行け」

カンヌラインオンズ2013が閉会してから、1カ月半。
カンヌライオンズ公式サイトのWinners & Shortlistsページも
先日閉ざさされましたが、
広告関係各社での社内報告会や関係者による
公開のカンヌセミナーが各地で開催され、
未だ”カンヌ熱”覚めやらぬ空気が漂っています。

はじめまして。武田義史と申します。
簡単に自己紹介しますと、約18年間、広告制作会社で
プロモーション領域を起点とした
コミュニケーションプランニング&プロデュースに携わり、
今年7月に広告会社に転職。
現在はインタラクティブ領域を中心に、
これからの広告コミュニケーションのあり方を模索、
実践する日々を過ごしています。

このコラムの主旨は、一度もカンヌに現地参加したことがないかた、
特に20代の若い人達に向けた“誘い”です。
というのも、私が初めてカンヌに参加したのは
2010年、38歳のとき。
初めてのカンヌに感激した一方で、
もっと早くこの世界を知っていたら人生変わっていた、と
後悔の念に駆られたことを覚えています。
英語が得意でなくても、素晴らしいエントリーは言葉だけでなく、
社会背景、文化も越えて、心を動かすものです。
それらは一見すると「日本の社会では無理」
「クライアントに採用されない」と思えるものも多数ありますが、
その根底にある“”人の心を動かし、行動を引き起こす”アイデアは、
生活者が情報にセレクティブになった日本で
コミュニケーションを用いて課題解決を行おうとしている私たちに
普遍的なヒントを与えてくれます。

これらの普遍的なアイデアの引き出しを
若い時から多くストックしていたら、
もっと質の高いアウトプットを企画プロデュースできたのでは?
ビッグアイデアが思い浮かんだのでは?と
思うことがしばしば…

また、時差ボケが解消しない中、
朝9時からキャンペーン系部門の展示や
映像系部門のスクリーニングを観賞、
セミナーやアワードセレモニーに参加、
その後夜中まで仲間と飲みながら語らうことが1週間続くとなると、
好きなこととは言え、歳をとるとフィジカル面で辛くなってくるのが
正直なところです。
気力と体力に満ち溢れ、これから自分のワークスタイルを
確立しようしているヤング層のみなさんであれば、
カンヌが与えるくれるものを100%吸収できるのでは
ないでしょうか。
これから数回に分けて、カンヌの魅力や参加方法や
現地で役立つ情報について紹介していきますが、
私の2回の経験のみでは当然狭い…ですよね。

そこで、カンヌ現地や日本で出会い、
現在も交流が続く“カンヌ仲間”から得た情報も交えて
“カンヌを愛する者たちの集合知”をもって、
みなさんをカンヌに誘いたいと思います!

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東北へ行った

山形へ行ってきました。
まだ梅雨明けをしておらず、しとしと降る雨がやがて霧雨になり
盆地をぐるりと囲む山々も遠くは見えず
すぐそこの山には霧が降りていました。
最高気温23℃という涼しさです。

学生の皆さんが課題で書いてくれた「東北へ行こう」の発表が
ありました。
たくさんの原稿のなかから選ばれたものが20本ほどあって、
まずそのなかから10本を制作しています。
こちらから聴けます。
http://www.01-radio.com/tcs/columnindex/tohoku

そして、夜は来てくれた学生の皆さんと
行きつけの居酒屋に肉を持ち込んでスキヤキです。
涼しくて助かりました。
さすが山形の気象は山形牛に味方しますね(なかやま)

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JAZZ ART せんがわ 2013

総合プロデューサーが巻上公一さんですから
面白くないわけがないのですが
ちょっといま詳しいことを書いている時間がないので
各自、下のURLから見に行ってくださいね〜〜。

http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/09297.html

2011 年のダイジェストがあったので貼っておきます

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佐倉隊長生誕祭の写真

7月8日は佐倉康彦隊長の生誕日でありました。
私はツッキーことナカハタの月村社長から
電話でそのニュースを聞きました。
「8日が佐倉の誕生日で、9日に生誕祭をやります」

ともかくお邪魔しました。
セキュリティの厳しい赤坂のビルですが
入り口で社長みずから案内に立っていました。

会場は屋上です。
風があって、思いのほか涼しく快適でした。
喫煙コーナーも完備していました。
夜景もキレイです。
いい酒がたくさんありまして、たいへんうまかったです。

しかし、単なる屋上に
桜の木の飾り付けに提灯、テーブルに椅子、
飲み物に食べもの(オードブルからデザートまでのケイタリング)
照明に音響に映像のプロジェクター、
何から何まで用意する機動力がすごい。

下に写真をアップしておきます。
クリックで大きなサイズになります。
写っているかた、お持ち帰りください(なかやま)

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勝浦雅彦のリメンバーカンヌ (最終回) 遠い背中を追いかけて

とうとうこのコラムも最終回。

昨年の7月頃からはじまったこのコラムが、まさか足掛け一年を費やして
終了するとは思いませんでした。

数日後にはカンヌライオンズ2013が始まる、
というこのギリギリ感が、
普段の仕事の「切羽詰まらないとやらない感」をあらわしていて・・・、
なんて話はどうでもいいですね、はい。

カンヌに関しては、世界の広告界の最大のイベントであるがゆえに、
いろんな方が様々な角度から体験し、分析した文献がたくさんあるので、
ぜひそちらも参考にしていただきつつ、

(写真② 会場で佐々木さん、八木さん、
菅野さんたちとアジアの広告専門誌の取材を受けました)

この、
「庶民が自費で安い航空チケットを入手しカンヌへ向かい、
ヘロヘロになりながら会場から遠いホテルに泊まり、
失意を感じつつも、最後はそれなりに決意をあらたに
希望を胸に帰還していった物語」

を楽しんでいただければ幸いです。

(写真③ 多くの人と出会いました)

(写真④ 南仏の日差しは優しかった)

僕のカンヌの大きな収穫は2つ。

ひとつは、苦楽をともにしたチームの人々と、
カンヌの地を踏めた事。

結果は伴いませんでしたが、
どんどん仕事が過ぎ去っていく広告の世界でも、
時にみんなが気持ちをこめた仕事が、
プロジェクトを終了してなお、多くの人々を結びつけている。

それを再認識できたことがとても嬉しかったです。

(写真⑤ フィルムの授賞式を客席で見つめるスタッフ)

(写真⑥ この悔しさを目に焼き付けて、いつか登壇を)

あと、どれだけこんな仕事ができるだろう、
そう考えると、途方も無く茫洋とする気持ちと、
ワクワクする感情が交差します。

ちなみに、同じようにカンヌに打ちのめされた、
同じ年のT&E佐々木Pは、
最終日前日の晩、
「この経験を活かして俺は九州を盛り上げるんだ!」
と、叫びつつへべれけに酒場で酔っぱらい、
大通りの真ん中で立てなくなり、
ようやくタクシーに乗せたら、車内で介抱している僕に、
「お前、うるせーよ」
「ほっておけよ」
と暴言を吐き、ホテルに着いても車から降りようとせず、
フランス人の運転手にそのさまをゲラゲラ笑われる、
というステキな思い出をつくってくれました。

翌日は予想通り、一切そのことを覚えていないという、
愛すべきレジェンドを刻んでくれました。
やはり、ブレーンには恵まれているようです(笑)。

(写真⑦ 佐々木Pと。心優しい、打ち合わせが長引くとソワソワする博多の男です)

そしてもう一つは、いきなり実名を出して
申し訳ないですが、

「澤本さんの背中」です。

あれはカンヌに旅立つ前、
このコラムを依頼して頂いた中山佐知子さんと
カンヌについて話していたら、
「私がカンヌに行ったとき、まだ若い澤本君といっしょで、
外にランチに行かず、遊びにも行かず、
ひたすらパン(フランスパンのサンドイッチ)をかじりながら、
最後まで会場でフィルムを見続けていたのが印象的だった」
というような昔話を聞きました。

澤本さんが数年ぶりにカンヌ来られるのは、
電通の事前顔合わせ会で知っていたので、
どんな感じでカンヌに相対されるのか密かに興味がありました。

前述しましたが、
クラインアントや代理店の上の立場の方々はカンヌでは、
最初から会場を見ずにどこかに遊びに行ったり、
ビーチにずっといたりする人も多く、
あれだけの偉い人はどうなんだろう、と気になっていました。

はたして、会場には中山さんから聞いた通りの澤本さんの
姿がそこにありました。

いたるところで見かける澤本さんは、
フィルムはおろか、他部門のプレゼンテーションビデオの
シアターも含めて常に熱心にスクリーンを見つめ続けていました。
よくスクリーニングの会場がかぶった僕は、
遠くからその姿をみとめるだけでした。
そしてお昼が来て、
寒いシアターからランチのために出ようとすると、
そこには人の流れに微動だにせずに座り続けている背中が見えました。

「すげえなあ」とつくづく思いました。

あれだけの、ビッグネームが他の誰よりもどん欲に、
カンヌを吸収しようとしている。
凡人である自分が、普通にやっていてもこれはかなう訳が無い。

カンヌの思い出は多々ありますが、
ふと思い出すのはあの時の「澤本さんの背中」です。
そして、僕も含めて多くの若手があの背中を全力で追いかけてなお、
まったくその距離を縮められないでいます。

(写真⑧ スクリーニング。自分がつくったものが世界にジャッジされる)

(写真⑨ すべての授賞式が終わると、赤絨毯がごった返します)

(写真⑩ クロージングガラ。深夜まで熱いコミュニケーションが繰り広げられます)

・・・さあ、というわけで、
長々と続いてきたこのコラムもこれでおしまいです。

今年のカンヌライオンズは60周年ということで、
さらに部門も増え、多くの日本人審査員が乗り込み、
史上最多の応募数になっているようです。
参加予定の方は、相当ワクワクしているのではないでしょうか。

(写真⑪ カンヌライオンズ2013は16日から!)

繰り返しますが、カンヌへの相対し方は人ぞれぞれ。
そこには問いはありますが、答えは自分で見つけるしかありません。

僕にとってのカンヌは、やはりフィルムカテゴリーです。
それは学生の頃から変わりません。

事情とか、文化の違いとか、そんなことをぶっ飛ばせるいいものを
つくれるように。

そしていつか、この手でライオンを抱く日まで。
志を捨てずにがんばっていこうと思います。
「リメンバーカンヌ」、このコラムのタイトルのように。

それでは、あなたにとってカンヌライオンズが実り多きものになりますように!

ありがとうございました。

(写真⑫ ピカソさんも、またいつか!)

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