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勝浦雅彦 2018年8月5日

終の匂い

    ストーリー 勝浦雅彦
       出演 地曳豪

男と女は幼馴染だった。
同い歳で、物心ついたときから男は真っ直ぐな性分を持ち、
女は優しくいつも慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
周囲の二人に対する仲のいい理想的な男女、
という評価とは関係のないところで、
二人の間にはある種の緊張が常に存在していたが、
お互いにその感情の扱い方を誰聞くともなく心得ていたから、
とりたてて語るべきことは何一つ起きなかった。

二人は小学校の頃からいつも一緒だった。
その姿があまりに自然だったからか、
友人たちは、はやしたり、からかったりもしなかった。
やがて、年頃になれば、二人には男と女としての意識が芽生え、
自然な形で恋人同士になっていくはずだと誰もが思っていた。
そんな周囲の予想とは裏腹に、
二人は長い時をただ幼馴染であり続けた。

高校一年になったある日、二人は抱き合った。
夏の午後だった。涼しく、風が吹いていた。
いつものように、男の部屋で、二人は好きなロックバンドの話をしていた。
男はいつにも増して饒舌だった。
リードギターのスウェーデン人のアクトを再現しようと
椅子に立ち上がった瞬間、彼は姿勢を崩し、
静かに話を聞いていた女の右肩に寄りかかるように倒れ込んだ。
女は咄嗟にもう片方の手で男を抱え込んだ。
二人はそのまま無言で腕を絡めながら、絨毯の上に横ばいになった。
匂いがあった。嗅いだ記憶のない甘い香りだった。
男は女が香水をつけているのだと思ったが、そうではなかった。
二人は、いま世界の中で、
二人だけによってのみ起こる生体反応によって強い香りを放っていた。
男は体を起こすとお女の顔を覗きこんだ。
「今、こういうことをしてはいけない気がする」
男が言った。
「そうね、今は」
女は答えた。
二人は起き上がると、窓から差し込む夕日の影を中心線として向かい合った。
「今をここに閉じ込めておくんだ」
男は、小さな木箱を取り出した。
ずいぶん唐突な提案だったが、女はふうと息を吐くと、頷いた。
女が帰宅する頃には、二人はいつもの男と女に戻り、
冗談を言い合って笑い転げてさえいた。
男の家を出て歩き出す。
顔を上げると、日が落ち、夕雲がかすんでいた。

それから二人は高校を卒業するまで、一度も口をきかなかった。
周囲の誰もが二人の変節に戸惑いを覚えたが、
やがてすぐに話題にしなくなった。
きっとそれはよくあることなのだ。
高校を卒業すると、女は生まれ育った街を離れ、男は地元に残った。
やがて、それぞれが結婚をし、生活を持ったことは、
友人たちの口の端から自然に伝わってきたが、
どちらも詳細を問うことはなかった。

それから長い時が流れ、女は50歳になった。
ある日、封書が送られてきた。差出人の名はない。
中には一本のディンプルキーが入っていた。
手元に鍵が滑り落ちた瞬間、女は全てを悟った。
ほぼ同時に、傍で電話が鳴った。出たくない、と思った。
しかし、それを取らないわけにはいかなかった。
電話口で地元の友人がすまなさそうな口調で、女に訃報を伝えた。
男が死んだのだ。

葬儀には行かない、ただし、時間と場所を教えて欲しい。
そして香典を送りたいので、男の住所を教えて欲しい、
と女は友人に頼んだ。
友人は何か言いたそうだったが
「あなたたちは、ホントに羨ましいほどに、一緒だったのにね」と
ため息をつきながら了承してくれた。

二日後の夕方、女は家族に葬儀に出る、と言い残し、
喪服を着て家を出た。
喪服である必要はなかったが、
その格好がこれからやろうとしていることにふさわしいと思えたのだ。

女が向かった先は、男が死の直前まで暮らしていたマンションだった。
葬儀会場は自宅から二駅離れた大きなホールだったから、
ここに親族は誰もいないことはわかっていた。
玄関の前に立ち、ディンプルキーを取り出すと鍵は開いた。
が、もう一つ、取手に暗証番号式の電子キーがかかっている。
しまった。さすがに、これは無理かもしれない。
女は諦めかけたが、一縷の望みをかけて番号を押すと
鍵は無機質な音を響かせて開いた。
まさか、と思った。
男は、家族に一体この番号をどう説明していたのだろう。
その数字は女の誕生日の日付だった。

夕闇に沈む廊下を抜けて、リビングに入った。
棚の上には美術館のように写真が並べられている。
それは女の知らない、男の半生だった。
不思議と初めて見る気がしなかった。
それはいつか女が想像した、男ならばきっと選択し、
歩んでいったであろう生の連なりだった。
ただそこに、自分だけが欠けていた。
女は、男とずっと一緒にいなかったし、一緒にいたような気がしていた。

星のない夜だった。
かつて男と、数え切れないほど行き来した通学路の川辺に女は座りこんでいた。
女の手元には、男の部屋から持ち出した、
最後に言葉を交わした日に差し出された小さな木箱がある。
草のない地面にオイルを巻き、躊躇なく火をつけた。
木箱は湿った空気の中であざやかに崩れていく。
中身が少し見えた。二人が書いた文字が、よじれるように消えていった。

喪服の中年女が何かを燃やしている姿は、
幸いにして誰にも見られていないようだった。
灰の散り際、あの時嗅いだ甘い匂いがしたような気がした。
涼しい風が、塵も何もかも運び去っていった。
ようやく、女は女だけになったのだ。
終わったものに名前をつけようと思ったが、何も思いつかなった。
しばらくその場にぼんやりとしていた。
灰と埃をたたき、立ち上がってふと思った。
私の家族の食事をつくらねば。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2018年7月22日

クロムイエロー

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

窓の外で挨拶を交わす声で目が覚めた。
この町では音の響きが鋭く明るく、屈託がない。
音は石の家と石を畳んだ道路にはじかれて
まっすぐに空へ昇っていく。

この明るさだ、と彼は思う。
アルルの街は希望そのものだった。
乾いた夏とあたたかい冬、黄金色に輝く麦畑、
色とりどりの果実が実る果樹園を彼は愛した。
プロヴァンスの透明な光を彼は愛した。
できればこの光を、太陽の光を絵に取り込みたかった。
そのための絵の具も考えてあった。

クロムイエローがその色の名前であり絵の具の名前だった。
クロムイエローは黄金から輝きだけを取り去ったような色だった。
鮮烈で明るく、濃厚で、一度見たら忘れられない。
彼はその絵の具を使って黄金色の麦畑を描き、太陽を描き
ガス灯に照らされたカフェテラスを描いた。
花瓶に挿したひまわりを描いた。
彼は黒猫を描く際にも
クロムイエローにブルーを混ぜ合わせて色をつくった。

彼がクロムイエローに喜びを見いだしたアルル時代から
亡くなるまでの2年余りで描いた絵は400点近くになり
それは彼の油絵のおよそ半分を占める。

ところが、クロムイエローは六価クロムと鉛を含み、
人体に害を与えるが、実はそれだけではなかった。

21世紀になって、4カ国から集められた専門家チームが
彼の「ひまわり」の絵が変色している理由を調べはじめた。
まず当時の絵の具を取り寄せ紫外線を当てた。
さらにアムステルダム美術館所蔵のふたつの絵から
絵の具の粒子を採取し、加速器にかけてみると
クロムイエローの化学変化が認められた。
クロムイエローは太陽光線に含まれる紫外線で
褐色に変化してしまうのだった。

彼はプロヴァンスの光を愛し
アルルの街を愛したが
アルルの人々は彼を気違いと呼んで石を投げた。

彼が、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがアルルで描いた
クロムイエローの麦畑も太陽もひまわりも
やがて褐色に変わって滅びていくのだ。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2018年7月15日

ひまわり男

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

 廊下のほうから、べたべたという靴音が響いてきて、
いつものベレー帽をかぶった菊池の顔が、
病室入り口からぬっとのぞきよった。
「お、ベーやん。こーこやったんかいな」
 やかましい声をはりあげて入ってくる。
「さがしたでえ。406号室!」
 いつものアロハ。片手にはギターケース。
片手にはなんやしらん、でかいスーパーのレジ袋。
俺は「おお、キィやんか」とだけいうと、
ベッドの脇のパイプ椅子を顎でしゃくった。
菊池は、べたべたと病室の中を横切ってくる。
 相部屋にいるほかの3人の患者たちはみなこちらに背をむけるか、
仕切りのカーテンを閉めるかしてるが、
注意の矢印が空気を突き破ってこちらに向けられてる。
 菊池は、どさりと荷物をおろすと、
 「あ、あらっ。あらっ」
 と、こっちの顔を覗き込みながら、わざとらしく明るい声をあげよる。
「元気そうやんか。元気そうやがな」
「そう見えるか」
「見える見える!」
 そう言うと菊池は、レジ袋の中から、
カップ入りの水ようかんを2つ取り出すと、
ベッド横のキャビネットに置いた。
「好きやろ」
「ああ」
 さらに菊池はガサガサと袋の底をまさぐる。
中からにゅっと取り出したのは、
茎を20センチほど残して切り取られたひまわりの花。
直径30センチもあるやろうか。重そうなその花を菊池は持って
「花瓶あるか?」
と訊いた。
「いや…ない」
というと、菊池は肩をおとした。
公園か小学校かに生えているのを無断で切り取ってきたんやろうか。
ばかでかいそのひまわりは、病室の中でなにやらえらい間抜けな感じがした。
「あれやで。入院する前より、顔色ようなってるんとちゃうか?」
 ほんまに、何をぬかしとんのか。
俺が入院したのは、おまえのせいやないか。と喉まででかけて、こらえた。

父親が倒れて家業のプレス工場をどうしても継がなならんようになった…
というのは事実ではあったけど、
正直おれは菊池とのバンド生活にほとほと嫌気がさしていたので、
工場の件は、半分はいい言い訳でもあった。
2人で行った天満の立ち飲み屋でそれを告げたときは、菊池は意外に素直やった。
 勘定を俺が済ませている横で、
「べーやんが決めたことやったらしゃあない」と何度も言っていた。
 本当は二軒目には行きたなかった。酒乱の菊池のことで、
行けば荒れるのは目に見えていた。しかし、行かんわけにいかなかった。
で、案の定荒れた。俺に馬乗りになり、首を締めあげ、
なめくさっとんのかわれ、と声を上げた。
今まで喧嘩になったことはあっても、俺から手をあげたときは一度もない。
でも、これが最後やと思ったから、俺は菊池の顔面におもいきりパンチをあびせた。
するとあいつがカウンターにあった焼酎のボトルで俺の顔面を殴りやがった。
俺はその日、歯を2本と我慢の理由とを、なくした。

「一曲やろか」
「なに?」
 菊池は嬉しそうに病室内に愛想を振りまいた。
「みなさん、すんまへん。こいつね、うちのバンドのベースですねん。
ちょっと事故で入院してるんですけど、元気づけてやろうと思いまして…
一曲だけ、すんまへん」
 と言いながらギターケースを開ける。
「おい、やめとけ」と俺は苦い顔をするが、菊池は
「練習してん」
と言いながら、ギターを抱える。
 練習。久々に菊池の口から出た言葉やった。
ピッキングハーモニクスでチューニングを整えると、菊池は演奏を始めた。
聞き覚えのあるコード進行やなと思うと、菊池の唄がかぶさってきた。

♪You are the sunshine of my life..

スティービー・ワンダーの名曲を、アレンジした曲やった。
今までステージではやったことがない。
自分の声の個性を少しおさえた歌い方で、そういうやり方は、
最近菊池が…自分の声の力によりかかって、
そこから一歩踏み出すことを邪魔くさがっていた菊池がやらんかったことやった。
ここから、もう少しあるかもしれない。そう思わせる演奏やった。
なんで今までやらんかったんか、と思った。

最後のコードをストロークで弾いたあと、弦が鳴りやむまで菊池はじっとしていた。
病室の全員がじっとその演奏をきいていたのがわかったが、
最後の音がやんで静寂が訪れた。拍手はおこらんかった。

「どうかな」と菊池が俺のほうを見た。
「よかった。あんたの声におうてる。レパートリーになるで」
俺も指が動いてもうたで、とは言わんでおいた。
菊池の顔が、「は」と笑う顔になった。
おれは続けた。
「けど、俺は、やらんで」
 菊池の顔はそのまま笑い声をあげることなく、硬い表情にかわっていく。
「すまんな」
おれは、水ようかんをパカリと開けて、黙って食べた。
様子をうかがうと、菊池は窓の外を見ている。震えていた。
俺は反射的に、ナースコールのボタンを握りしめた。菊池の様子次第では、
押すつもりやった。
そやけど、菊池は、それ以上何も言わんかった。
ギターケースにギターをしまい、立ち上がって、
「ほな」
とだけ言うと、またべたべたと足音をさせながら、病室を出ていった。
振り向くかな、と思ったが、振り向かなかった。

キャビネットの上で生首みたいに横たわってるひまわりを、
看護師さんに頼んで捨ててもらった



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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安藤隆 2018年7月8日

お気に入りの家
    
   ストーリー 安藤隆
      出演 大川泰樹

朝、その遊歩道を通って出勤する。
遠回りになるが遊歩道は家々の裏手にあたる
ので人通りがすくなく気分がいい。
途中一軒の白い板壁の平屋が建っていて、わ
たしはきまって歩をゆるめる。
遊歩道との境目の白い木の柵にバラがからま
っている。
とくに手入れが行き届いているようでもない
裏庭にはバラのアーチもつくられている。
どういう品種か知らないが花のちいさなバラ
である。
その家のバラが妙にすきだった。
バラなのに控えめなたたずまいがすきなのだ。

三日前のことだ。
いつものように横目で鑑賞して通りすぎよう
とすると、バラの間から誰かがわたしをみた。
この家の老人夫婦かと振りむくと顔ではなか
った。ヒマワリだった。
まだ夏でないのにと思ったがおきまりの異常
気象かもしれない。
問題はそれが嫌な感じだったことだ。
ヒマワリのどぎつさはどうみてもちいさなバ
ラたちのたたずまいと調和しない。
この庭が嫌いになっちゃうじゃないかと思っ
た。

夜中、遊歩道を歩いている。
街灯のまわりだけ雨が照らされている。
わたしは黒い傘をさしゴム靴をはいて黒いウ
インドブレーカーを着ている。
雨を待っていたのだ。

夜目にも白い家の電気はひっそり消えていた。
わたしは断固たる決意でひくい柵を乗り越え
た。雨が音を消してくれる。そのうえ雨が土
を掘り起こしやすくしてくれる。
わたしはバラの茂みにしゃがみこみ、用意
してきたちっちゃなスコップでヒマワリの根の
まわりを掘り起こした。
土はやわらかく三十センチかそこら掘るのに
二十分とかからなかった。
根が張っていた。このときだけ傘を閉じ両手
で慎重に根っこを抱えた。
それからヒマワリを遊歩道とは逆向きに植え
直した。要はヒマワリの顔がみえなきゃいいのだ。

翌朝、快晴である。
できるだけなに食わぬ顔して遊歩道を会社へ
むかっている。
白い家にさしかかる。
ドキドキを悟られないよう横目で通りすぎる。
その刹那また視線を感じた。
思わず振りむくとソイツがわたしをみていた。
お日様にむかって半回転し、前とおなじ向き
になってわたしをみていた。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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大友美有紀 2018年7月1日

「角を曲がって」

    ストーリー 大友美有紀
       出演 地曳豪

ひまわりが咲いている角を曲がって
3軒目が私のうちだから

と彼女は言った

川沿いの道は日ざしが強くて
道の両側にひまわりが咲いていた
これでは「ひまわりが咲いている角」
だらけじゃないか
不安を抱えながら僕は時速30キロで車を走らせた
後続車がクラクションを鳴らす
夏の日ざしのせいだけではない汗をかきながら
ふと左側に目をやると
「ひまわりが咲いている角」が見つかった
いくつも並ぶ、似たような建て売り住宅の
白い板壁を背景にして
絵はがきのようにひまわりが咲いていた

彼女は3軒目の家の前で待っていた
ひまわり咲いていたでしょと言う
僕は咲いてたねと答えた

それからその日は、ダムに行った
観光放流があるから、と
車じゃないと行きにくい場所だから、と
彼女が言ったので、初めてのドライブデートに出かけた

ダムは溜め込んでいた鬱屈を吐き出すように
水を放った
水しぶきを浴びて、彼女はキャーキャーと笑った
ああ、この人はこんなふうに笑うんだな
僕は、僕たちの新しいページが開いたように感じていた

秋になると、彼女も僕も仕事が忙しくなり
残業帰りにちょっとお酒を飲むぐらいで
遠出のデートは結局、ダム行きの1回だけだった
週に2回会っていたのが
週に1回になり、2週間に1回になり
あぁ、もうひと月も彼女に会ってないな
と思った頃、知らない番号から着信があった
彼女の友だちからだった
3日前から出社していないという
3日前のメールに出張に行くと書いてあったので
そう伝える

出張なんてないですよ
彼女、経理だもん

僕には営業職だと言っていた
それに、彼女の友だちという人とも初めて話した
僕の番号は、彼女から聞いていたらしい

いま、どこにいるの、と送ったメールは
宛先不明で戻ってきた

とにかく、彼女の家に行ってみる
ひまわりは、もう咲いていない
ナビに登録していた家までの道を車で走る

似たような建て売りの
小さな可愛らしい家たちが並んでいる
どの角を曲がるのかわからない
目的周辺に到着したので
ナビの案内は終了してしまった

川沿いの道の角をひとつひとつ曲がって
3軒目の家の表札を見る
表札のない家もある
表札のある家には彼女の苗字がない
そんなことを繰り返して
夜があける頃、彼女はもうどこにも
いないんじゃないかと思えてきた

彼女の友だちに
家にはいなかったと連絡した
もしかしたら
家はなかったと言ってしまったかもしれない

それでも僕は、時間ができると
「ひまわりが咲いている角」を探しに行った
何度も角を曲がり
3軒目の家の前で車を止めた
彼女の家は見つからなかった

3回目に警察に職務質問された時、
彼女の名前を伝え、家を探していると
言ってみたけれど、そんな家はないと断言された

その夜のことだった
「ダムに連れて行ってくれてありがとう」と書かれた
ひまわり畑の絵はがきが届いた

僕は今、アムステルダムの空港で
マドリード行きの飛行機を待っている
成田で見たテレビには
僕のよく知っている彼女の顔が
僕の知らない女の名前で報じられていた

スペインの「ひまわりが咲いている角」を曲がって
彼女に会いたい



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2018年6月24日

祖母の嫁入り

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

祖母の嫁入りは雨の日だったそうだ。
朝からパラパラ降っていた雨が上がって
雲の切れ間から日が差しはじめた頃、
花嫁行列はやっと出発した。

祖母は黒い紋付の大振袖で
昨日まで三つ編みにしていた髪を島田に結い、
初めてさした紅に緊張していたと笑う。

ご近所の人に見送られ、人力を連ねて峠を越えたが
初めて乗ったその人力が恐ろしく
歩くと言って叱られたそうだ。

そのうちまわりを見渡す余裕ができると
雨に洗われた山道の様子が目に入ってきた。
ホタルブクロの花は揺れてシャラシャラ鳴りそうで、
山法師は風車になって飛んで行きそうで、   (かざぐるま)
くるくると丸まったシダの若い芽は歌の音符のようで、
まだ少女の花嫁はすっかり嬉しくなってしまった。

茂みの中からはヤマユリが頭ひとつ背伸びをしていたし、
少し開けた場所には
イチヤクソウが小さな金平糖のような花をぶら下げていた。

山もそういう時期なんだ、と祖母は思ったそうだ。
自分の身に引き換えてのことだった。
山の木も草も秋の実りの準備をはじめている。
自分も同じだ。
今日がそのはじめの日なのだろう。

湿った崖に岩タバコの花があった。
ところどころにミツバツツジの花が散っていた。
いい日だった。美しい日だった。

やがて峠の道は尽き、
ひらけた村里に大きな門構えの家があった。
ずっしりと重みのある家だったが
玄関も庭に面した座敷の障子もすべて開け放たれ
笑顔でやってきた花嫁をこころよく受け入れた。

それから70年余り、祖母はまだその家で暮らしている。
ほがらかで孫たちに人気があり
いまでも一輪挿しに山の花をいけている。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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