勝浦雅彦 2015年6月7日

1506katuura

オリーブ

      ストーリー 勝浦雅彦
         出演 長野里美

病室の扉をあけた私は、眠っている祖母を見て愕然とした。
髪は抜け、肌は黒ずみ、右頬に大きなしみができている。
体中に差し込まれた無数のチューブが、彼女をこの世に留めていた。

「もってあと数日です」、と担当医は母に言ったそうだ。
大学出たての若い女医にまるで「いい天気ですね」と言うような口調で
そう告げられ、母は戦う意思のようなものを失くしたのだという。

「最近よく言ってたんよ。貴美子の夢を見るって」
私は母の呟きに答えず、祖母の顔を見つめていた。

私が離婚して、別の人と一緒になる、と言ったとき、
緞帳が降りたように、さあっと変わった祖母の顔色を今も覚えている。

それが、世間で言うところのW不倫であり、
相手が15歳も年上であったことが、当然のごとく我が家の問題など
軽々と飛び越え小さな街の大事件になった。

彼は測量技師であり、街の再開発工事のために長期で滞在していた。
私は小さな工務店に勤めていて彼と出会った。型紙のようによくある話だ。

不思議なことに、私も彼もお互いの夫婦関係に問題はなかった。
どちらも子供はいなかったが、セックスレスでも、冷え切ってもいなかった。
ただ、そうあるべき相手に出会ったとき、
あらゆる事情を踏み越えて二人は共同して事にあたるべき、
という認識が瞬時に出来上がったのだ。

私は彼のことを「相棒」と呼んだ。
恋人とか夫婦とか、
ショウケースの中のハンバーグやケーキくらいわかりやすくて
確かなものに意味を失った私たちは、
自分たちにしかわからないルールを決めて一緒に守っていく、
というかたちでしかその関係を続けられなかったのだと思う。
私たちはあやふやなものなかにある確かなものを必死でたぐりよせようとした。
それがこんがらがった毛玉に二人して手をつっこむような
愚かな行為だったとしても、私たちは真剣だったのだ。

当時、祖母はとにかく泣いた。
離婚なんてとんでもない、我慢がたりないんじゃないの、
感謝が足りないんじゃないの、そんなことをして神様が許すと思うの、と。
祖父をはやくに亡くし、
小学校の教師をしながら母を育てた祖母は、敬虔なクリスチャンだった。
毎週末、必ずミサに参加していたし、
私も時どき連れて行かれた。
カトリックの教えでは離婚は禁じられていた。

私の離婚が成立すると、私と相棒は街を出た。
それ以来、私は祖母と一度もつながりをもっていない。

翌日の朝、母は着替えを取りに帰り、私は祖母と二人きりになった。
空の表情はすっかり機嫌を取り戻していたが、
病室の中には湿った空気があふれ鼻腔をついた。
それは紛れも無く、死の匂いだった。

部屋の外窓にはいくつかの大ぶりの鉢植えが置かれていた。
珍しいことにオリーブの木があった。
濃い緑が、日の光に揺れている。

祖母からよく聞かされた、「ノアの方舟」を私は思い出した。
世界を覆う大洪水から逃れるために、
ノア一家と動物たちは男女のつがいになり方舟に乗り込む。
そのノアたちに新世界の到来を告げたのが、
オリーブの葉をくわえた鳩だった。
話を聞きながら、私はいつも疑問に思ったものだ。
その乗り込んだつがいの、
組み合わせが間違っていたらどうするの・・・。

「・・・さん、・・・さん」
振り向くと祖母の口がひらき、微かな声が漏れている。
慌ててベッドに駆け寄った。
「おばあちゃん、私よ。どうしたの、苦しいの?先生?」
次の瞬間、祖母の唇が動き、名前がこぼれた。
私は、たしかにそれを聞いた。

次の日、付き添いの母が眠りに引きずり込まれている間に、
祖母はこの世を去った。一瞬の悲しみのあとに、
手続きの嵐がやってきた。
母は速記官のように書類を記入し、判断をくだしていった。

病室の片づけを終え外庭に出ると、視界がぼやけた。
そこには東京にいるはずの「相棒」がいた。
ベンチに座り、シャツの裾をまくって鳩に餌をやっている。
どうして偶然のように、この人はいつも私の側にいるのだろう。
今、私はこのさえない年上の男を愛おしくただ会いたい、
と願っていたのだ。

「おばあさん」と彼は言った。
「うん、今しがた」
そう、と餌をやる手を止め、彼は深く溜息をついた。
「ひと目、と思っていたけどね。入る勇気なかった」
「うん」

私は、ポケットに手を突っ込み、
さっきまで一つの命を抱えていた白い病棟を見上げた。

最後に祖母が口にした名前。それは、祖父のものではなかった。
知らない名前だった。
私は別れの一歩手前で、はじめて祖母のことを理解したような気がした。
祖母は、誰と方舟に乗ったのだろうか。
それがあるべき「つがい」であることを私は祈った。

病棟から出てきた母が相棒をみとめ、会釈をした。
慌てて頭を下げた相棒の手から残りの餌がこぼれ落ちると、
鳩が一斉に飛び立った。

出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/

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勝浦雅彦 2015年3月15日

katsuura1503

名前をつける

     ストーリー 勝浦雅彦
        出演 石橋けい

どうしてそんなことをしたのか、振り返ってもわからない。
いつもの朝のホームだった。
強い風の中を獣のように電車が入ってきた。

私は反射的にふだんと反対方向の電車に乗った。
その電車が終点に着くと、
接続されている別の列車に乗って、ふたたび終点へ。
それを繰り返しているうちに列車は単線になり、
列車が尽きるとそこからバスに乗った。

その間、耳にこびりついた女特有の金切り声や
饐えた薬の匂いやまっ白いシーツの残像が
頭の中で反芻されていた。
時折、こめかみがキリキリと痛んだ。

気がつくと、私はロープウェーの駅に立っていた。
登りの最終便に飛び乗る。
年老いた駅員が怪訝そうに私を見た。
日は陰りはじめ、暗い山肌に向けて私が乗る車両は
ガタガタと小刻みに震えながら、
か細く上昇を続けていた。

ひとりで乗っている、と思っていた。
箱型の車両を中央で区切るつなぎの部分に隠れて、
小さな男の子の姿があった。
ジャンバーを着て、リュックサックを背負い、
じっと窓の外を見ている。
まるで自分もひとりきりで乗っているのだ、と言わんばかりに。

男の子が横を向いた。
不意をつかれたように私と視線が交わる。
彼はそのまま私の向いの座席までやってきて、
リュックサックを膝に置き腰をおろした。

小学校低学年くらいだろうか。
なぜ、この子はひとり、
こんな最終便の車両にいるのか。

「ボク、怪我したの」

呟くように男の子が口を開いた。
よく見ると、膝小僧が擦りむけて、血が流れた跡がある。

「それ、どうしたの?」

つられて私は尋ねた。

「空を見てたの。ずっと上ばかり見ていたら、
つまづいて転んだの。ちょっと痛かったの」

「あら大変、消毒して、絆創膏貼らなきゃ」

男の子は遮るように続けた。

「ううん、もう必要ないの。
ねえ、お姉さんも怪我してるね」

「私?怪我なんてしてないわよ」

不思議な問いかけにまたジン、とこめかみが痛んだ。

「だって、血が出てるよ」

「何言ってるの・・・・」

私はおかしな会話を続けながら、
ますます強くなる痛みを感じて、目を伏せた。

「お姉さんは戦ったんだね。
だから血を流した。ねえ、勝ったの?負けたの?」

「そんなことしてないってば・・・」

その瞬間、私は痛みを覆い隠すように流れる自分の涙を感じた。
そして、涙といっしょに澱のように溜まっていた言葉があふれた。

「ずっと…人と深く関わることを避けてきた。
だから自分にそんなことができるなんて思いもしなかった。
どうして私が?でもしょうがないじゃない、
出会っちゃったんだから」

私はこんな小さな子に何をしゃべっているのだろう。
まるで懺悔している信徒のように。

「うまくいったはずだった。
お姉さん、勝負に勝ったけど、負けたの。
あの人はおかしくなった奥さんの元へ戻って、
それっきり。私にはもう何も無いの。」

「ねえ、お姉さん」

男の子は足をぶらん、とさせながら言った。

「ボク、怪我したけど、いいことあったよ」

「・・・え?」

「転んだとき、遠くはっきりと道の向こうが見えたの。
小さな花が咲いていて、
泥だらけのまましばらくぼうっと見ていたの。
その時、気づいたの。
せかいは上と下と真ん中でできてるの。
どちらかばかり見てちゃいけないの」

顔をゆっくり上げ私はその子の柔らかそうな頬や、
まだ薄くて弱い皮膚がつくりだす赤い唇を見つめた。
誰かに似ている、と思った。問いかけが口をついた。

「・・・あなた、何て名前?」

男の子はきょとんとした表情を浮かべ、次の瞬間、
今までに見たあらゆる人々の中でいちばん悪戯っぽく愛くるしい顔で、
私をまっすぐ指差した。

ふいに大きなアナウンスが流れ、
山頂に到達したことを告げた。
暗くなったホームから再び座席に視線を戻すと、
男の子はそこにはいなかった。

車両から出て暗い山あいを見まわした。
ひんやりした風が吹いていた。
どうしようもなく私はひとりだった。

下りの車両にそのまま乗り込んだ。
発車ベルとともに動き出した車内から、
眼下に広がる街区のまばゆい光が瞼に飛び込んできた。

そのとき、私にはわかったのだ。あの子が誰なのか。
その確信はまるで何十億年前から決まっていた約束のように
私の胸に辿り着いたのだった。

私はこれから何度も負けるだろう。
でも、何度でも立ち上がって見せる。
そして、この上と下と真ん中の世界で、
かならずあの子に巡り合ってみせる。

そのときあの子に、私は名前をつけるだろう。
愛おしさと憎しみと憐れみを知って、
なお歩き続けることのできる名前を。
この不安定に明滅する宇宙の中で、
傷ついてもけして滅びることのない名前を。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース


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勝浦雅彦のリメンバーカンヌ (最終回) 遠い背中を追いかけて

とうとうこのコラムも最終回。

昨年の7月頃からはじまったこのコラムが、まさか足掛け一年を費やして
終了するとは思いませんでした。

数日後にはカンヌライオンズ2013が始まる、
というこのギリギリ感が、
普段の仕事の「切羽詰まらないとやらない感」をあらわしていて・・・、
なんて話はどうでもいいですね、はい。

カンヌに関しては、世界の広告界の最大のイベントであるがゆえに、
いろんな方が様々な角度から体験し、分析した文献がたくさんあるので、
ぜひそちらも参考にしていただきつつ、

(写真② 会場で佐々木さん、八木さん、
菅野さんたちとアジアの広告専門誌の取材を受けました)

この、
「庶民が自費で安い航空チケットを入手しカンヌへ向かい、
ヘロヘロになりながら会場から遠いホテルに泊まり、
失意を感じつつも、最後はそれなりに決意をあらたに
希望を胸に帰還していった物語」

を楽しんでいただければ幸いです。

(写真③ 多くの人と出会いました)

(写真④ 南仏の日差しは優しかった)

僕のカンヌの大きな収穫は2つ。

ひとつは、苦楽をともにしたチームの人々と、
カンヌの地を踏めた事。

結果は伴いませんでしたが、
どんどん仕事が過ぎ去っていく広告の世界でも、
時にみんなが気持ちをこめた仕事が、
プロジェクトを終了してなお、多くの人々を結びつけている。

それを再認識できたことがとても嬉しかったです。

(写真⑤ フィルムの授賞式を客席で見つめるスタッフ)

(写真⑥ この悔しさを目に焼き付けて、いつか登壇を)

あと、どれだけこんな仕事ができるだろう、
そう考えると、途方も無く茫洋とする気持ちと、
ワクワクする感情が交差します。

ちなみに、同じようにカンヌに打ちのめされた、
同じ年のT&E佐々木Pは、
最終日前日の晩、
「この経験を活かして俺は九州を盛り上げるんだ!」
と、叫びつつへべれけに酒場で酔っぱらい、
大通りの真ん中で立てなくなり、
ようやくタクシーに乗せたら、車内で介抱している僕に、
「お前、うるせーよ」
「ほっておけよ」
と暴言を吐き、ホテルに着いても車から降りようとせず、
フランス人の運転手にそのさまをゲラゲラ笑われる、
というステキな思い出をつくってくれました。

翌日は予想通り、一切そのことを覚えていないという、
愛すべきレジェンドを刻んでくれました。
やはり、ブレーンには恵まれているようです(笑)。

(写真⑦ 佐々木Pと。心優しい、打ち合わせが長引くとソワソワする博多の男です)

そしてもう一つは、いきなり実名を出して
申し訳ないですが、

「澤本さんの背中」です。

あれはカンヌに旅立つ前、
このコラムを依頼して頂いた中山佐知子さんと
カンヌについて話していたら、
「私がカンヌに行ったとき、まだ若い澤本君といっしょで、
外にランチに行かず、遊びにも行かず、
ひたすらパン(フランスパンのサンドイッチ)をかじりながら、
最後まで会場でフィルムを見続けていたのが印象的だった」
というような昔話を聞きました。

澤本さんが数年ぶりにカンヌ来られるのは、
電通の事前顔合わせ会で知っていたので、
どんな感じでカンヌに相対されるのか密かに興味がありました。

前述しましたが、
クラインアントや代理店の上の立場の方々はカンヌでは、
最初から会場を見ずにどこかに遊びに行ったり、
ビーチにずっといたりする人も多く、
あれだけの偉い人はどうなんだろう、と気になっていました。

はたして、会場には中山さんから聞いた通りの澤本さんの
姿がそこにありました。

いたるところで見かける澤本さんは、
フィルムはおろか、他部門のプレゼンテーションビデオの
シアターも含めて常に熱心にスクリーンを見つめ続けていました。
よくスクリーニングの会場がかぶった僕は、
遠くからその姿をみとめるだけでした。
そしてお昼が来て、
寒いシアターからランチのために出ようとすると、
そこには人の流れに微動だにせずに座り続けている背中が見えました。

「すげえなあ」とつくづく思いました。

あれだけの、ビッグネームが他の誰よりもどん欲に、
カンヌを吸収しようとしている。
凡人である自分が、普通にやっていてもこれはかなう訳が無い。

カンヌの思い出は多々ありますが、
ふと思い出すのはあの時の「澤本さんの背中」です。
そして、僕も含めて多くの若手があの背中を全力で追いかけてなお、
まったくその距離を縮められないでいます。

(写真⑧ スクリーニング。自分がつくったものが世界にジャッジされる)

(写真⑨ すべての授賞式が終わると、赤絨毯がごった返します)

(写真⑩ クロージングガラ。深夜まで熱いコミュニケーションが繰り広げられます)

・・・さあ、というわけで、
長々と続いてきたこのコラムもこれでおしまいです。

今年のカンヌライオンズは60周年ということで、
さらに部門も増え、多くの日本人審査員が乗り込み、
史上最多の応募数になっているようです。
参加予定の方は、相当ワクワクしているのではないでしょうか。

(写真⑪ カンヌライオンズ2013は16日から!)

繰り返しますが、カンヌへの相対し方は人ぞれぞれ。
そこには問いはありますが、答えは自分で見つけるしかありません。

僕にとってのカンヌは、やはりフィルムカテゴリーです。
それは学生の頃から変わりません。

事情とか、文化の違いとか、そんなことをぶっ飛ばせるいいものを
つくれるように。

そしていつか、この手でライオンを抱く日まで。
志を捨てずにがんばっていこうと思います。
「リメンバーカンヌ」、このコラムのタイトルのように。

それでは、あなたにとってカンヌライオンズが実り多きものになりますように!

ありがとうございました。

(写真⑫ ピカソさんも、またいつか!)

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勝浦雅彦のリメンバーカンヌ ⑨ もしもあなたが南仏の地で深く傷ついたなら

さて、今までカンヌの周辺情報や、
カテゴリーをピックアップしてコラムを書いてきましたが、
今回は「僕にとってのカンヌ2012」を書こうと思います。
ひとことで言うと、「失意のカンヌ」でした。
「カンヌは出品して行かなければ意味が無い」
たぶん、広告業界でカンヌを意識した事がある人なら、
かならずこのコトバに遭遇します。
日本の大手代理店やプロダクションは、
不景気といってもまだ余裕があるのか、
わりと若手でも「視察」「研修」の名のもとに社費でカンヌに行けたりします。
僕も初カンヌはそうでした。
出品しないで行くと、スクリーニングやセミナーに参加したり、
社外の人とふれあったりというのがメインになります。
前述しましたが、それも十分な意義がある行為です。
僕も初めての参加はそうでした。

ですが、やはり制作者である以上、
自分のつくったものが、諸外国人の目にさらされ、ジャッジされる、
という緊張感は何とも言えない経験であると思います。
そして、日本でウケているCMの多くが、まったく無反応であったり、
ブーイングの対象になっていることに愕然とするのです。
2012年、僕は「ぜに屋本店」というCMを出品しました。
あまり自分で言うのもいやらしいですが、
アドフェストでグランプリを穫ったので、
「もしかしたら学生の頃から憧れていたあのカンヌも・・・」
と思ってしまったのは、今思えばムリのないことでした。
自分が行く事は即決したのですが、
「こんなチャンスはもうないかも!」と、
若干テンションが暴走して、
監督の岸さん、プロデューサーの佐々木さん、
音楽監督の松尾さんたちを誘いまくって、
カンヌに呼んでしまいました。
アドフェスのときはまったく油断していて、
(正直、出品した事自体を忘れていた)
別件の撮影でトルコから帰った朝に受賞の知らせを聞いて、
その日の深夜便で羽田からタイに向かったので、
チームの誰も来れずに一人で登壇しました。


(質庫 ぜに屋本店CM・英訳版 

なので、今度こそいいことがあったら
チームで分かち合いたかったんです。
さらに、僕のハイテンションが伝染した営業が、
ぜに屋の社長さん夫妻をカンヌにアテンドすることになってしまいました。
ちょっと大事です。
カンヌの日程が進み、
結果を待つうちに、自分の感情はともかく、
色んな人を動かしてこれで何も残せなかったらどうしよう、
と、ソワソワしてかなり落ち着かないモードになりました。

(写真② フィルムの日本勢は惨敗)

そして発表。
結果は無情なものでした。
自分のCMはもとより、
日本勢はインターネットフィルム以外は、
ブロンズにすら一つも入らず。
フィルムクラフトも日本は全滅。
インタラクティブ系カテゴリーの華々しい成果と裏腹に、
日本のフィルムは厳しい評価を突きつけられたのでした。
リストを見ながら、ボーっと会場に座り込んでいたのを
よく覚えています。

(写真③ ボーっとしている自分)

アジアでグランプリを穫っても、
ヨーロッパでは相手にされないのか・・・、
などとひと昔前のサッカー日本代表のような無力感を
抱えて会場の階段で呆然としていると、
岸監督や佐々木Pが僕のもとにやってきて言いました。
「明日は、クールダウンのために会場を離れよう」
脱力をした僕をCMの最後のようにおんぶするイメージで、
仲間達は僕を救ってくれたのです。
翌日。
一行は街でレンタカーを借り、
カンヌ周辺へと小旅行に出かけました。
行った場所はこんな感じです。
○コートダジュールの海岸→とても美しく、走るだけで気持ちがよかった。

(写真④ コートダジュールの美しい海岸線)
(写真⑤ 思わず気取りたくなる空気感)

○グリマルディ城(ピカソ美術館)→お城が美術館になっています。
ピカソ好きは必見。

(写真⑥ 雰囲気のある古城)

(写真⑦ ピカソ翁が出迎えてくれます)

○エズ→かつての切り立った要塞に、街が出来ていて、レストランが多数存在。
夜はかなりロマンチック。別名「鷲の巣」。

(写真⑧ リアル「天空の城 ラピュタ」)

これはとても楽しい旅でした。
結果発表まで張りつめていた緊張感がゆるんだ
こともありましたが、みんなつとめて明るく振る舞ってくれて、
本当に助かりました。
旅の最後の方でちょっとしたトラブルに巻き込まれ、
けっこうヒヤヒヤしましたが、
みんなそれなりに英語がしゃべれたので何とか切り抜けて帰還。
そしてカンヌに戻った翌日、営業から電話が入り、
ぜに屋の社長さんが夕食のお誘いがあるとのこと。
バツが悪いですが、監督共々ご一緒にすることになりました。
お店は「ムーラン・ド・ムージャン」というカンヌ近郊の
村にある高級レストランでした。

(写真⑨ た、高そうなレストランや・・・)

「入賞できずにすいません」
と平謝りする僕に、
「今まであれだけ結果を出してくれて、
ここまで連れてきてくれたんだから感謝していますよ」
と逆にお礼を言われてしまいました。
やはり、社長とは器の大きな人がなる職業なのだな、と
あらためて感じました。

(写真⑩ 社長夫妻を囲んでの会食)

かくして、僕のカンヌの狂想曲は終わり、
国内外で11の賞を穫ったCMが唯一逃したのが、
カンヌという結果となりました。
「近づけば遠のく、離れようとすると近づいてくる、それがカンヌだ」
かつて誰かから聞いた言葉が、いつまでも耳の奥に響いていました。
前のコラムで書いた、
おすすめしない「エスケープカンヌ」を実行してしまったわけですが、
あまりに、カンヌで辛い事があったら、憤ることがあったら、
一日くらい気分転換することをお勧めします。

「PKを外す事ができるのは、PKを蹴る勇気を持ったものだけだ」
という言葉があるように、
出品した人間にしか得られない悔しさや喜びがカンヌには、
あると思います。
僕はまだカンヌの喜びを知りませんが、
「失意のカンヌ」を糧として、
いつかそこにたどり着けるまでコツコツ頑張ろうと思います。
次回は最終回です。

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勝浦雅彦のリメンバーカンヌ ⑧ それが、カンヌの答えだ!

みなさんこんにちは。
あれ、何だかお久しぶりな気がしますが、
気のせい、気のせい。
気がつけば、時は2013年6月。
そう、もうすぐあのカンヌライオンズがやってきます。
地中海よりも深く、セーヌ川よりも話せば長くなる事情がありまして、
ストップしていたこのコラムですが帳尻をあわせるように、
あと3回最後まで走り抜かせていただきます。
去年のおさらいのような気持ちで、
読んでいただければ幸いです。

今回はカンヌライオンズの華、フィルム部門のお話。
そもそも、このカンヌはフィルムの祭典であり、
スタート当初から存在するこの部門は、
コミニケーションのありかたが変わっても
いまだにメインイベントとして存在しています。
やはり、他の部門が応募作を見るのに、
いちいち会場に置いてあるPCやモバイルからアクセスしたり、
長々と「仕組みビデオ」を見なければならないものであることに比べて、
大シアターでドカッと腰をおろして見られるフィルムはやっぱり、
気楽で楽しいんでしょうね。
もちろん、つまらない長尺シリーズが、
何本もあった日には指笛(ブーイングの意)の嵐ですが。

今回、なるほどーと思ったのは、やはりGPは別格である、ということ。
カンヌを何年かに渡って見ると、
何となく「カンヌ文法」みたいなものがあることに気づきます。
その一つが「不可思議なシチュエーションを描いて、タグラインで落とす」
お作法です。
2012年で言えば、
ゴールドを穫った、CANAL+「BEAR」

なぜか映画監督をしている熊。しかも、何かペラペラしてる。
→実はかつてリビングの置物で、映画を観まくってハマってそうなった。

ブロンズの「ガンジーブックストア」

シリアスなシチュエーションに急に、日常的な邪魔が入る。
→本を読むってこういうことですよね。読み続けましょう。

あるいは、とにかくひとつのタグラインに向かって
スケール感と徹底的なつくりこみで圧倒的な作品をつくる。
ゴールドの「P&G」

The hardest job in the world,
is the best job in the world.
(世界でいちばん大変な仕事は、世界でいちばんステキな仕事です)

ゴールドの「THE GUARDIAN」

THE WHOLE PICTURE.
(全貌)
こういったものが、CM上のカンヌ文法と言われ、
あとは表現にすさまじいお金と時間を注入し、
圧倒的なスケールで、
文化の違いがあろうがなかろうが首根っこ引っ掴んで、感動させる、
というのが欧米的なカンヌフィルムの真骨頂であると思います。
文化の違い、ということでいうと、
「ノンバーバル」という要素も見逃せません。
あまり、セリフやナレーションでくどくど説明するものは、
賞の上位にいかない、というのはもはや定説です。
日本向けは1億2000万人、
しかし、グローバル対象のフィルムならば10億、20億人向けが当たり前、
自ずとかける予算・パワーが違うというのが正直なところでしょう。
で、2012年のグランプリですが、これでした。
chipotle「Back to the start」

最初にこれを授賞式で見た時は、「ポカーン」でした。
恥ずかしながら、
「あ、インタラクティブフィルムにもGPがあるんだな」
とか、勝手に解釈してしまったくらいです。
このアメリカの外食チェーンが、
自分たちが使う食材の生産方法に対して、
「最初に戻ろう」とメッセージしたCMは、直前のCLIOでもGPを獲得しており、
前評判は高かったわけですが、きわめて真面目なアプローチ、
映像にもあまり驚きはありませんでした。
ただ、このCM楽曲をダウンロードすると、
そのお金が食材を育てる施設に「投資」されるなど、
安全で美味しいものをみんなでつくっていく、
という文脈も含めて評価されたとのこと。

GPの決選投票は「真面目、ジャーナリスティック系」のchipotleと、
「エンタメ系」のCANAL+の争いだったようです。
最終的には審査委員長の、
「世の中をいい方向へ導いたのはどちらか」という判断基準で、GPは決定。
ここらへんは、毎年の審査の軸を決定する審査委員長の哲学が、
かなり影響することになります。
他の広告賞とは違う、「カンヌの答え」というものをどう出すのか。
それが明確になるのが、GP。
審査員もかなりのプレッシャーの中で、
何千ものフィルムを審査していくわけですから、
想像以上に、ハードなんだそうです。
いつかやってみたいものです。

さて、今年のカンヌは、アドフェスト2013を制した、
オーストラリアの「Dumb Ways To Die」が圧倒的な下馬評のようです。

どちらかといえば、メッセージは「良識・真面目」系ですが、
表現はエンタメ系がまぶしてあって、バイラルしやすい、
パクリムービーがつくられやすい構成になっています。
分析すればするほど、GPをとりやすいフィルムですが、
そこはへそ曲がりなカンヌ審査員。
あまりに前評判が高くなると、
「それは、カンヌの答えではない」とバッサリ、
ニューカマーに軍配をあげることも。
繰り返しますが、やはりカンヌのフィルムは楽しいですね。

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勝浦雅彦のリメンバーカンヌ⑥ グラグラするもの、しないもの。

 ・カンヌセミナーのひとつ。TBWAのオリンピックセミナー。端にいる女性は、あのコマネチさんです。

お盆も終わり、このカンヌコラムも再開です。

さていきなり余談ですが、
先々週に、電通北海道さんに呼ばれて、講演をしてきました。

「地域の仕事でも海外賞を獲れる」みたいなことを語ってほしい、
とのご依頼でした。
「海外賞の常連でもないのにそんなこと・・・」、と思いつつ、
前の会社を辞めてからの6年間、
今までコツコツやってきたことをかなり詳細に伝え、
結局、いきなり幸運はやって来ない、目の前の仕事をちょっとづつ、
心地よいカタチにしていった先に突き抜けたものをつくるチャンスはあり、
海外賞もきっとあるのでは、というお話をしてきました。

他にも九州の大学で非常勤講師をやっていて、
集中講義の授業を持っている関係で先月からその準備に追われ、
お盆もその講義で休むことができませんでしたが、
ようやく気持ちも落ち着いてきたところでのリスタートです。

閑話休題。

カンヌ終了から二カ月が過ぎました。
さて、今回は海外賞におけるグラフィックのお話。
「プレス」と「デザイン」についてです。

といっても、僕らが口にするグラフィックという概念から、
デザインなどは既にはみだしているのですが、便宜上こう呼んでおきます。

○プレス

ひとことで言えば「とんち」です。
「?・・・!」と言ってもいいかもしれません。

とくに初めて海外賞をみた若者は必ず、
「読広、朝広みたいっすねー」と言います。
エージェンシー名ではありません、公募の新聞広告賞のことですね。

ちなみに、二年前から僕は読売広告大賞のほうの、
審査員もやらせて頂いております。
その経験からいっても、おっしゃるとおり。

謎かけのようなビジュアルがあり、タグラインで落す。
フィルムでもこの手法は後述しますが、カンヌの伝統芸の一つです。

このカテゴリーは、十年前とまったく印象が変わりません。
コミュニケーションの変容にグラつくことなく、
とんちコミュ二ケーションを貫いています。
ある意味立派です。

心が動いて会場で、写真を撮ったものをいくつか紹介しますと、

 ・イヤホン。世界がこう見えてしまうくらいの性能

 ・整形外科?なかなか辛辣な表現です。

 ・虐待を受けた人は、子どもにもしてしまう。シンプルで強い構図

 ・アムネスティも定番。安定した強さ。

 ・年収の差を視覚化

 ・GPはベネトン。「GPに選ばれる理由」をきちんとつくってあります。

・・・といった感じ。ベネトンは、ずるいですよね、いい意味で。

しかし、
ぶっちゃけ、日本でこういう文法でグラフィックをつくりたいお客さんが
どれだけいるのか?考え込まざるをえません。

かつて、海外を視察したADが、
「フィルムより、グラフィックのほうが狙える気がする」
と言っているの何度か目にしましたが、いっこうに日本のプレゼンスは
上がっていないのはなぜでしょうか。むむ。

○デザイン

さて、けっこう多くの人が「プレス」と「デザイン」の違いってなに?
と思われているかもしれません。

応募項目を見ると「デザインを中心に評価する」とわかったような、
わからないような・・・。

ひと言でいうと、デザインは「何でもアリ」という感じです。

ポスターもあれば、プロダクトもあれば、SPツールみたいなものも
入賞しています。
ここらへんは、ダイレクトやプロモと被っていたりします。
評価軸は、グラつかずに一定に出来るのだろうか、
とちょっと思ってみたり。

今年のこのカテはもう、
電通の八木義博さんのためのものといって構わないでしょう。

ゴールド2、シルバー1、ブロンズ1と、大漁旗が背中に見えそうでした。
アドフェストがヤギフェストであったように、ヤギライオンズです。

というわけで八木ギャラリーをどうぞ。(八木さん、勝手にすいません)

 ・行くぜ、東北。

 ・TOKYO ADFEST 2011

 ・MENICON FLAT PACK

 ・TOKYO D&AD 2011

グランプリは、ドイツのこちら。展示の段階で僕もこれは凄いと思いました。
太陽光で内容が浮かび上がる本です。

 ・THE SOLAR ANNUAL REPORT 2011

プレスのグラつかない古典っぷりと、
デザインの異種格闘技感にグラグラしつつ、
カンヌの夜はまたもふけていくのでした。

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