小野田隆雄 2009年10月8日



バイカル湖に伝わる物語
 
           
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

ロシア連邦の南、

モンゴルとの国境に近く

バイカル湖という湖があります。

このあたり、いまは、にぎやかで、

イルクーツクという大きな都会もあり、

飛行場もあります。

けれど、百年ほどまえ、

シベリア鉄道が通るまでは、

森に囲まれた小さな村がいくつか、

のんびりと、あちらこちらに、
あるだけでした。

このお話は、その頃から

伝わっているお話です。

バイカル湖のほとりに近く、

深く美しい森がありました。

細い道を森に入っていくと、

最初のうちは、シラカバやカエデが

明るい影をつくり、草花も咲きみだれ、

木イチゴや野イチゴ、そしてクルミも

みのります。その道を、奥へ、奥へ、

たどっていくと、ブナやカシワや

モミの木が、空いっぱいに枝をひろげて、

昼でも暗いほどに、立ちふさがっています。

そして、ここから奥へつながる道は、

もうありません。かすかに遠く、

木間隠(このまがくれ)にバイカル湖の青い水面(みなも)が、

ひかっています。大きな岩も立っています。

けれど、それは本当の岩ではなくて、

この森に住む、森の精のお家(うち)だったのです。

森の精は、すこし背なかが曲がっています。

銀色の、風のマントをはおり、

ブナの樹皮(じゅひ)でつくった上着とズボン、

カシワの木で作った、太く長く、

曲がりくねった杖をつき、

深緑の髪、トルコ石のような瞳。

もう、百年を二十回以上くり返すほど、

生きてきました。けれど、やさしくて、
少年のような心を持っています。

人間の少女たちが大好きで、

近所の村から少女たちが、

草の実や木の実を摘みにやってくると、

森の精は、そっと、カシワの杖で

地面をたたき、いちばん甘い

木イチゴのある場所を

教えてあげるのでした。

けれど、遠くの村から、

乱暴な猟師たちが、犬をいっぱい連れて、

ずかずかと入ってくると、

森全体がゆれるほどに、カシワの杖で

地面をたたき、ウサギやシカやキツネ、

オオカミやトラまでも、

森の奥深くへ、逃がしてしまうのでした。


まい年まい年、秋が終る頃、

森の精が、風のマントをひるがえすと、

最初の吹雪が襲来し、バイカル湖の水が、

カチカチに氷り始めるのでした。

いつもいつも、冬が終る頃、

森の精が、口笛を高く吹くと、

雪割り草の花が、咲き始めるのでした。

まい年まい年、いつもいつも……

けれど、百年ほどまえ、

森の精は岩のお家で、夢を見ました。

森のなかに、たくさんの人間が入ってきて、

オノをふりまわして、

木を倒しているのです。

動物たちが、バイカル湖へ、

群(むれ)になって逃げていきます。

そして、もっと西のシベリア平原から、

黒い巨大な龍が、火と煙を吐きながら、

長い長い二本の鉄の棒の上を

叫びながら、走ってくるのです。

シベリア鉄道が、モスクワから

バイカル湖に到着する日の、まえの晩。

ひとりの少女は、屋根裏部屋の、

小さな窓から、見たのでした。

オリオン座の三つ星の近くを、

森の精が、マントを広げ、杖にまたがり、

もっと北の、深い森に向かって、

静かに飛び去っていく姿を、

見たのでした。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年9月17日



月見草の記憶

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

十二の星座と十二の花言葉を組み合わせて、
私が、人生占いを始めたのは、
三十年ほど、昔のことでした。
最近は、歌舞伎座(かぶきざ)に近い木挽町で
お客さまの運命を見ています。
私は群馬県の赤城山に近い
桐生という街の
ふつうの公務員の家庭で育ち、
東京の私立大学を出て
ある出版社につとめました。
でも、そこを二年で退社して
占(うらな)い師の勉強を始めました。
私は、私の心のなかに、
ほかのひとには、わからないことが、
見えたり、聞えたりする力のあることを、
気づいていたからです。
そのきっかけになったことを、
お話したいと思います。

桐生の街の西側を、北から南へ、
渡良瀬川が流れています。
私の家は、その川の土手の、
すぐ近くにありました。
四歳か五歳の頃、ある秋の夕暮れに、
私は、土手の上から河原を見て
突然そこにお花畑が出来たかのように、
黄色い花がいっぱい咲いているのを、
みつけました。私は土手を駆けおり、
河原を走り、咲いている花のなかに
飛び込みました。花には四まいの
黄色い花びらがあり、その背丈は
高く、花が、私の胸もとに触れました。
花の中を歩いていると、
うっとりしてきました。
かすかに、甘い香りもするようです。
そのとき、せせらぎの音に気づきました。
ひと筋の流れが、乱れ咲く花のあいだに
くねくねと続き、川のまんなかあたりの
深くて速い、大きな流れに向かって、
走っているのでした。
ふと、見あげると、黄色い丸い月も
出ています。きれいだなと思いました。
そのとたん、石ころにつまづいて、
はいていた赤いサンダルが
片一方(かたいっぽう)だけ脱げて、
水の流れに落ちました。私はあわてて
サンダルに手をのばそうとして、
流れのなかに、ころびました。
私の右足のサンダルは、ゆらゆら流れて、
深くて速い川の中央部に、
飲み込まれていくのです。
私は、悲しくなって、
しゃがんで泣きだしました。
しばらく泣いていると、
私の肩に、温かい手が触れました。
私の家の隣の、かよこさんでした。
かよこさんは、高校生でした。
美しいひとで私は大好きでした。
きっと、泣いている私を、
土手の上から見つけてくれたのでしょう。

かよこさんは、私をおんぶしてくれました。
白いブラウスの背中から、水に濡れた私の
空色のTシャツの胸に、かよこさんの
肌のぬくもりが伝わってきます。
私は、ほっとした気持で、眼を閉じました。
そのとき、突然、半鐘の音が、私の耳に、
聞えてきました。あの時代の町や村で、
火事を知らせて打ち鳴らす鐘です。
「かよこねえちゃん。
 半鐘が鳴っているよ。
 境野(さかいの)が火事になるよ」
でも、かよこさんには、半鐘は
聞えないらしく、私に別のことを
聞きました。
「よしこちゃんは、あの黄色い花が
 なんの花だか、知っていたの?」
「月見草」。私はすぐに答えました。
でも、なぜ、そう言ったのか、私にも
不思議でした。誰にも教わった記憶など
なかったからです。

次の日の朝、私は両親が
話しているのを聞きました。昨夜、遅く、
桐生市のすぐ東隣の境野の町で、
大きな火災があり、
十数軒が燃えてしまっていたのです。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年8月13日



果樹園のひと
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

軽井沢の西、信濃追分駅から
十キロほど北へ入った高原地帯に、
少年の母の果樹園があった。
果樹園から、さらに北の空をみると
くつろいだ牛のように
おおらかな姿をした浅間山が、
いつも白い煙を
たなびかせている。

少年の母は、十九歳のときに
彼女のいとこでもある、銀行づとめの
青年と、東京で結婚した。
少年は、母と父のふるさとである
信濃追分が大好きだった。
それは、小学六年生の、
夏休みのことだった。
もう、来年からは中学生なのだから、
今年は、ちゃんと勉強もしなさいよ。
母にそういわれて、学習帳も
いっぱいかかえて、少年は
信濃追分の駅におりた。
バスの停留所で、
母の果樹園にゆくバスを待っていると、
ひとりの少女に、声をかけられた。
「オオタリンゴ園にいくのは、
 どのバスに、乗るのですか」
少年は、そのリンゴ園が、
彼のゆく村にあることを知っていた。
なぜなら、母の果樹園の隣だから。

少女の家は、横浜にある。
少女のおじさんが、
果樹園の経営をしている。
この夏、両親と
軽井沢まで、避暑にきている。
明日、両親もこちらにくるけれど、
ひとりになりたいので、先に電車で来た。
そういうことを、ガラガラにすいた
バスのなかで、少女が話した。
少年は少女に聞いてみた。
なぜ、彼に道を尋ねたのか、と。
地元の子に見えたから、と少女はいった。
少年は、自分が信濃の少年に
みえたのかと、妙な気持になった。
村に続く道はひどくゆれて、
少女の淡いピンクのワンピースの肩が、
ときおり、少年の半袖のシャツに触れた。

いつもの少年の夏休みは、
川遊びや山遊び中心だったけれど
その夏は、それに、
小さなデートがプラスされた。
果樹園のなかで、少女と会うのである。
彼女は中学一年生だった。
そのことを知ってから、少年には
彼女がずいぶん大人にみえた。
横浜のこと、東京のこと、
中学生のこと。ふたりは、
果樹園のなかを、歩いたり、
セミを追ったりしながら、
そのような話をした。

その日は、風の強い日で
浅間山の上を、ちぎれ雲が
飛び去っていくのが見えた。
ふと、少女は立ちどまり、
果樹園に咲いていた黄色い花を、
茎ごと折って、摘み取った。
「この草は、クサノオーという名前、
 胃ガンの痛み止めになるんだって」
果樹園のおじさんに、教わったと、
少女は、花を見ながら、つぶやく。
それから、ふいに、その花を
少年の白いシャツに押しつける。
茎や葉から、そのエキスが流れて
白いシャツに、しみが出来る。
かすかに、アルカロイドの匂い。
また、風が激しく吹いてくる。
リンゴの木は強くゆれ、
まだ青い果実たちは、葉と触れあって
ガラス細工のような音をたてる。
「ゴメンネ」、と少女がいう。
そのほおを、ひと筋の、涙が流れた。

なぜだか、わからなかった。
次の日から、少女は、いなかった。
少年の記憶も、そこで終った。
遠い昔の、夏の思い出。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2009年7月9日



影踏み遊び

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

「影踏み」という遊びが、
明治時代の初めまで、あったそうです。
月の明るい夜に集まって、
ジャンケンをして鬼を決め、
鬼になった子供が
ほかの子供たちを追いかける。
そして、影を踏まれたら、
新しい鬼になる。
この遊びでは、ひとりの影は、
ひとつしか出来ないことが、
大切な条件になります。
ガス燈も電気もなかった時代、
ほんとうの闇(やみ)が、まだ、生活のなかにあった頃、
夜の月の光にクッキリと見える影が
子供たちの心を、謎めいた興奮につつみ、
ドキドキさせたのかも知れません。

私が月明かりだけで、初めて
自分の影を見たのは、十九の夏でした。
場所は長野県の、白馬(はくば)の山の奥にある
小さな小学校の、夜の校庭でした。
いまから、もう、四十数年も、
昔のことです。当時、私は、
池袋にある私立大学の仏文科の一年生で、
人形劇のサークルに入っていました。
この人形劇サークルは、
夏休みになると、
全国に巡回公演に出かけます。
そしてその年は、長野県の白馬(はくば)の奥の
小学校に、泊りがけで行ったのでした。

その夜は、人形劇の公演が終った日の
最後の夜でした。
小学校の先生や村の助役(じょやく)さんたちに
村役場の会議室で、お別れの
パーティーをやっていただいて、
村はずれにある小学校まで、
夜(よ)も更ける頃に、帰ってきたのでした。
私たちのメンバーは、
女性が私も含めて五名、男性が七名。
この小学校の教室に昨日(きのう)の夜も、
ふとんをしいて眠りました。
そして、明日は東京に帰るのです。
最後の夜、私たちは草の茂る校庭に出て、
手をつないで円陣をつくりました。
サークルの会長が、あいさつをして、
それからみんなで歌いながら、
フォークダンスを踊りました。
なにも明かりのない校庭で、
十五夜に近い月の光を浴びながら。
強い風が吹いています。
小学校の後(うしろ)の山で、クヌギや
ヤマザクラの木がゴウゴウと
音をたてて、揺れています。
フォークダンスを踊りながら
私は地面にうつる自分の影を
みつめました。影は私と同じように、
脚をあげ、手を振り、踊っています。
そのときでした。
いつも道化役の人形を使う
二年のK君が
フォークダンスの輪を離れて、走りながら、
みんなの影を踏み始めました。
そして逃げました。誰かが彼を追いかけ、
その影を踏み返しました。
それから、フォークダンスの輪は乱れて
私たちは、おたがいの影を踏む遊びに
夢中になってしまいました。
私は、ひそかに、三年生のMさんを
追いかけました。建築学科の男性です。
でも、なかなか、その影を踏むまで、
追いつくことが出来ません。
それでも彼は、やっと私に気づいて、
走るスピードをゆるめてくれました。
私は、そっとMさんの影の、
胸のあたりを踏みました。
オー、痛イ。と彼が笑いました。

ええ、おっしゃるとおりです。
私は卒業するとすぐに、
Mと結婚しました。
それから、ずーっと、一緒です。
私が彼の影になったのか、
彼が私の影になったのか。
いまでも、月のある夜に、
ふたりで歩くこともあります。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年6月11日



わたしはネコです。

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

わたしはネコです。

名前は、まだありません。

銀座八丁目、並木通りの裏通りの、

一階がお寿司屋さんで、二階から上に

バーと居酒屋さんが、

十五軒入っているゲンマンビルと

一階がイタリアンレストランで、

二階から上に、クラブと小料理屋さんが、

十一軒入っているアオイビル、そのあいだの、

せまい露地に住んでいます。


わたしは、たぶん、一歳とちょっと。

黒い毛色の女の子です。

どこかで生れて、ここに捨てられたのか、

この近所の露地に生れて、

ふらふらと道に迷って、ここに来たのか、

そのへんのことは、わかりません。

いちばん初めの記憶は、

去年の五月下旬の夜遅く、

ここの露地で、ミーミー、

鳴いていたときのことでした。

「おい、どうした、コネコ」
声をかけてくれたのは、

ゲンマンビル一階の

青葉寿司のタケさんでした。

「まあ、黒ちゃん」

そう、話しかけてくれたのは、

アオイビル三階のクラブ、
スキャンダルのナオコさんでした。

「ハラがへってるのか?
 
 よしよし、魚のホネでも、
 
 持ってきてやるからな」と、タケさん。

「バカだねぇ。こんなコネコに
 
 魚のホネなんて。ちょっとお待ち。
 
 ミルクを持ってきてあげる」
と、ナオコさん。

しばらくして、タケさんが、

マスクメロンの入っていた

空(から)の木箱を、持ってきてくれました。

ナオコさんは、すこし欠けた深めのお皿に
ミルクを持ってきてくれました。


ナオコさんは、タケさんの木箱を見て

いいました。

「バカだねぇ、あんた。
 
 そんな硬い木の箱、

 黒ちゃんが痛いじゃないか。

 ちょっとお待ち」

ナオコさんは、またお店に戻り、

中味のアンコを抜き取った、

古いちいさなクッションを

持ってきました。

それから、タケさんが木箱のなかに

古いクッションをしいて、

腕をのばして、露地の奥に、

その木箱を置きました。すると今度は、

ナオコさんが手をのばし、

ミルク入りのかけたお皿を、

木箱の前に置きました。そしてわたしが、

夢中になって、ミルクを飲み始めました。

そんなわたしを見ながら

ふたりが、話しているのが聞えました。
「ナオコ、今夜は、もう、あがりかい?」

「バカだねぇ、タケは。あったりまえよ」

「六本木でも、ちょっといくか?」

「いいよ。おごってあげるよ」

「ついでに、とめてくんねぇかな」

「バカだねぇ。いいよ、タケシ」

それから、わたしはこの露地に住み、

タケさんとナオコさんに

かわいがられて、とてものんきに

暮らしています。

銀座の夜は、色んなひとがいて、

わたしのことを、色んな名前で

呼んでくれます。でも、わたしは、

タケさんとナオコさんに

コネコとか、黒ちゃんとか、

呼ばれない限り、ぜったいに

返事をしません。わたしは、

ノラネコではありません。

あのおふたりに、飼われているのです。

いつか、お礼をしたいと思っています。

ドブネズミのチュウスケをつかまえて、

青葉寿司のタケさんに

プレゼントしたいと考えています。

きっと、よろこんでくれると思います。

それでは、みなさん、お元気で。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2009年5月16日ライブ



アメリカン

                
ストーリー 小野田隆雄
出演 小野田隆雄

アメリカンと呼ばれる
うすいコーヒーを飲むときは
マグカップを使う。そして
受け皿であるソーサーは使用しない。
その理由について、
次のような話を聞いたことがある。
ここに、ひとりの右利きのカウボーイが
いて、西部の草原で牛を追って
移動中である。彼は、
なるべくなま水を飲まないように
している。大平原に医者はいない。
そして、のどが渇いたときは、
うすいコーヒーを大きめのカップに
いっぱいそそいで飲む。
そのとき、左手にカップを持つ。
そして、右手は、ソーサーを持たずに
手ぶらにしておく。なぜか。
ピストルのために、あけておくのである。
こうして、アメリカンタイプの
うすいコーヒーの飲み方が定まった、
という話である。もちろん、
ほんとうか、どうか、私は知らない。

アメリカン、といえば、
こんな話もある。
これも、昔のことだが。
照明マンのチーフであるSさんが、
コマーシャルの仕事で、
ニューヨークに滞在していたことがあった。
ある朝、彼は、若いスタッフたちと、
ホテルのティールームにいった。
さっそく、グラマーなウエイトレスが、
ニコニコしながら、近づいてきた。
「いらっしゃいませ。
 なにを召し上がりますか」
Sさんは、東京にいるときと同じように、
ボソボソした調子でいった。
「アメリカン」
すると、若いスタッフたちが、
後を追うように、Sさんに続いた。
「ぼくも、アメリカン」
「わたしも、アメリカン」
コーヒーを省略したのが
いけなかったようである。
ウエイトレスは、両手をひろげ、
しばらく、Sさんたちを見つめていたが、
「え?、うそみたい」と英語でいうと、
背中を向けていってしまった。
アメリカンコーヒーから、
コーヒーをとれば、アメリカン。
この言葉には、アメリカ人という
意味もある。
Sさんたちが、このことに気づくのには、
だいぶ時間がかかった、そうである。

なんだか、このごろ、アメリカ合衆国が
元気がない。アメリカンコーヒーの
どこか、ひとの好いうす味が、
そこはなとなく、なつかしい、
今日このごろである。

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