小野田隆雄 2006年12月15日



年上の女と黒いマフラー

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳    

男と女がいたの、昔、昔のお話よ。

冬の始まる頃の寒い夜、ふたりは、
彼女の、板ぶき屋根の小さな家で逢った。
その家は、信州の片田舎の、
宿場町のはずれにあって、
大きな欅(けやき)の木が何本も何本も
街道沿いに続いていた。
それでね、ふたりの夜が更けてきた頃、
急に男が立ちあがり、旅仕度をして、
わらじをはき始めたの。

「今夜のうちに峠を越えないと、
明日のたびが辛くなるんだ、
わかっておくれ」
男はそういった。彼は行商人で、
明日は北の国へ遠出をする。
そのことは女もわかっていたわ。
でもね、その夜は、どうにも寒くて
寂しくて、かなうことなら、朝まで
一緒にいて欲しかったの。

外では風まで吹き始めて、女は、まだ
十七歳になったばかりだったのね。
「また、七日もすれば戻ってくるから、
もう、遠い行商には出ないから。
それじゃあ、な」
そういって男が、戸をあけて外に
出ようとする時、板ぶきの屋根に
なにかが当たる音がした。
「おや、雨かな」と、男が言った。
「いいえ」と、女が言った。
「雨ではありません。あれは、
枯れ葉が屋根に当たる音です。
こんなに木枯しも吹くのですもの。
木の葉だって、飛びますわ。
でも、今夜は、十六夜(いざよい)。
きっと、夜道は明るいでしょう。
どうか、あなた、お気を・・・・・」
お気をつけて、と言おうとしたけれど、
急に涙が出て来て、女はうつむいた。
その言葉を聞くと、戸口にかけていた
手をはずして、男は言った。
「外は寒そうだ。明日、日の出に出かけよう」

・・・・・ねえ、洋(ひろし)、こういう男も
昔はいたのよ・・・・・
でも、洋は帰っていっちゃった。
しかも、私があげたカシミヤの
黒いマフラーまで忘れてさ。
突然だとママが心配するからだって。
一人前の男なのに、しょうがないね、
あいつは。でも、こんな寒い夜に、
風でも引かなきゃ、いいけれど・・・
なんだか、年上の女って、気苦労ばっかり・・・

(ケータイのコール音)
はい。なんだ、洋か。
えっ?終電に乗り遅れた?
それと、なんだか首筋が寒い?
あたりまえでしょう。ひとがあげた
マフラー忘れていくんだもの。
帰ってらっしゃい、すぐに。
なーに?よく聞こえないよー。
タクシーのお金、足りそうもない?
もうっ!
運転手さんを連れて、帰ってらっしゃい!

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2006年11月17日



春に見た夢
         
ストーリー 小野田隆雄
出演 坂本美雨

 
二階のガラス窓に青い空が映っていました。
たたみの上に横になると、フリージアの香
りがしました。白いフリージアが竹製の花び
んにいけられ、柱につるされていました。眼
をとじていると、たたみのひんやりした感触
がここちよく、中学一年生になったばかりの
私は、いつのまにかねむってしまいました。

 長い戦争が終った夏の終り、郵便屋さんが
兄の戦死を知らせる手紙を持ってきました。
「いま頃になって。もう戦争は終ったのに」
と、母が言いました。
「兄さん、かわいそう」
 と、姉が言いました。
 姉は、時間のかかる、治りにくい病気にか
かっていて、寝たり起きたりの日々をすごし
ていました。
「山に行こうか」
 と、姉が私に言いました。
 それは家の裏にある、山というよりも、だ
んだん畑の続く低い丘でした。だんだん畑の
みかんの茂みの間を登って行きますと、頂上
はやや広い草原になっています。
 そこに腰をおろして南を見ると、ずっと遠
くに海が見えるのでした。
「あの海は太平洋よ。兄さんはあの海のもっ
と南で死んだのよ」
 と、姉が言いました。
「海に行ってみたいな」
 私はつぶやきました。兄の死は、幼い私に
とって無関心なことだったのです。
「もっと大きくなったら行くといいわ。あの
道をバスに乗って」
 見おろすと、八月の稲田が湖の底のように
深い緑色に広がり、その間を白い道がひと筋、
くねくねと海に向って続いていました。
 海の、岬のあるあたりに、細く白く、腕時
計の針のように、燈台が見えていました。

「海に行ってみたいわ」
 その少女が言いました。
 姉ではなくて、見知らぬ少女が私の隣にい
ました。長いまつ毛をした少女でした。
 コチコチ、コチコチ。私は私の心臓の音が
時を刻むのを聞きました。時間がゆっくり過
ぎますように・・・・・
 けれど、少女は、突然にうつむいて苦しそ
うにせきこみました。背中をさすってあげよ
うと、私が手をのばしたとき、甘い薬品の香
りがしました。
 少女は立ちあがり、走り始めました。口も
とを手で押えて。そして、白いワンピースの
後姿が、蝶が舞うように、みかん畑の中に消
えました。

 眼をあけると、二階のガラス窓に黒い雲が
映っていました。湿った風が吹き始め、フリ
ージアの香りが、優しい麻薬のように部屋を
つつんでいました。

出演者情報:坂本美雨http://www.miuskmt.com/

 *ナレーターの所属事務所のご都合で
  音声をお聴かせすることができません。

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小野田隆雄 2006年10月13日



コーヒー色の思い出

         
ストーリー 小野田隆雄
出演 坂本美雨

まだ風は冷たいけれど、木に咲く花は、少し
ほころび始めていました。
今日、小さな結婚式が小さな街でありました。
昨日までの雨があがって、二階建ての市民会
館は、なんとなくオランダふうに見えるので
した。彼と彼女が、いま、笑いにつつまれて
結婚式場から出てきました。
「しあわせになれよ」
「ケンカしちゃだめよ」
友だちの声に、花嫁は顔をあからめ、花むこ
は元気に手を振り、ふたりは黒ぬりのハイヤ
ーに乗り込みました。これから駅へ、駅から
港へ、港から船に乗って南のしまへ。
眼を閉じて車にゆられながら、花嫁の心に幼
い日の思い出が、浮かんできました。

あの日も雨があがったあとの、花冷えのする
日でした。
「桜が散っているわ」
ちょうど両親が家を留守にして、彼女がひと
り病気の姉の枕元に座っているとき、姉がぽ
つりとそう言いました。
「でも、家には桜の木なんてないわ」
「なくても散っているの、見えるの」
天井を見つめながら、姉が言いました。
新しく張り替えられたばかりの、真白な障子
は閉めきられていました。障子戸の外は廊下、
廊下のガラス戸に春の風が当たって、誰かが
ノックするような音をたてていました。正午
に近い時刻でした。
「コーヒーを飲みたいな、もういちど。あの
ひとと」
姉はそう言うと眼を閉じました。涙がひとす
じ白い頬を伝わって、形の良い唇の所で止ま
りました。
「姉さん」
彼女は姉をのぞき込むようにして、呼んでみ
ました。返事はありませんでした。

花嫁が瞳をあけると、車は海沿いの道を走っ
ていました。海も青く、空も青く澄んでいま
した。
「姉さん、わたし幸福になるからね」
花嫁は、そっとつぶやいてみました。花むこ
は、彼は、花嫁の手を握ったまま、くったく
なく眠っていました。

出演者情報:坂本美雨http://www.miuskmt.com/

 *出演者の所属事務所の許諾が得られないために
  動画をお目にかけることができません。

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