小野田隆雄 2007年12月14日



   
ボラボラの島まで
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

日本の広告制作のロケ隊が、
初めて南太平洋のタヒチに飛んだのは、
一九六八年の冬だった。
北半球とは季節がさかさまになる南半球で、
来年の夏の、化粧品のキャンペーンの
撮影をすることが目的だった。
このロケ隊に、この原稿を書いている私は、
コピーライターとして参加していた。
鎌倉の江の島以外、
海を渡ったことがない私の、
初めての海外旅行でもあった。

ロケ隊は、羽田空港から
ハワイのホノルルまで飛び、
そこから、ほぼ一直線に
太平洋上を南下して、
赤道を越えてタヒチに飛んだ。
タヒチのパペーテに
着陸したのは、夕暮の時刻だった。
空港の名前は、FAAAと書いて
ファアアといった。
ファアア空港という、
ねむくなるような名前の空港に降りたつと、
空気があたたかく湿り、
熱帯の花の甘い香りが
肌にまとわりつくように思えた。
車に乗って、街を走ると、
祭のある夜だったのか、
あちこちに、かがり火が明るく燃え、
ゴーギャンの絵に出てくるような女たちが、
たわむれるように、歩いていた。
ホテルは、海を見おろす丘の上にあった。
部屋に入り、ベランダに出てみると、
南十字星が見えた。
四つの明るい小さな星が、十字の形になって
口数の多い少女たちのように、
たえまなく、キラキラ、きらめいていた。

タヒチでのロケ地は、
ボラボラという名前の島だった。
パペーテに二泊したあと、
私たちは、ちいさなプロペラ飛行機に乗って、
ちいさな島の飛行場に着陸した。
この島から、自動車で
ボラボラ島(とう)まで走るのだと、
ガイドのひとが言った。
飛行機のドアがひらき、
タラップの階段を降り始めると、
熱い風がほおをなでた。
ここの飛行場は、草原だった。
風の中に草の匂いがする。
短く刈り込まれた草の滑走路の
先端のあたりを、
一本のダートコースの道路が
横切っているのが見えた。
その道路の、滑走路と接する二ヶ所には
鉄道線路のように遮断機がつき、
カァン カァン カァンと、警報のベルが
まのびした調子で鳴っていた。
一台のオープンカーが、
遮断機のあがるのを待っていた。
フランス人の若い兵士が運転席にいて、
助手席には、金髪の女性が乗っていた。

飛行場からの道は、
浅いサンゴ礁の海へ続いていた。
エメラルドグリーンの海の真ん中に、
まっ白なサンゴ礁の破片で固めた道が、
一直線に、ボラボラ島まで続いている。
雲ひとつない空は、あくまで青く、
海もまぶしく青くひかり、
ひともとの白い道は、
影ひとつなく明るかった。
なんだか、もったいなくて、
私は、サングラスをかけなかった。
エメラルドグリーンとコバルトブルーと、
白い道。熱い空気。走り続ける車の中で、
私の耳に、あの空港の警報機の音が、
のんびりと、よみがえってきた。
カァン カァン カァン、カァン カァン カァン。
人生って、いいだろう?
誰かが、そんなことを言っているように
あのときの私には思えた。

タヒチには、そのあと、二度ほど
訪れた。けれど、あの空港のことも、
白い道のことも、最初の時しか
記憶の中にない。あれは、本当だったのか。
いまでも、なぜか、冬が近づくと、
そのことを考える。

出演者情報:久世星佳

*携帯の動画はこちらから http://www.my-tube.mobi/search/view.php?id=bLupfcQ2zoY

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小野田隆雄 2007年11月9日



遠い花

                
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

 
秋の風が冷たく吹く夕暮に、
駅前の古本屋で
一冊の詩集を見つけたのは
もう、ずいぶん前のことでした。
すっかり忘れていたその詩集を
ふと、開いてみたのは、
やはり、秋も終わりに近い、
冷たい風の吹く夜でした。

その詩人は、牧場の仕事をしながら、
いつか、うたうことを忘れた日々を
火の山が見える、九州の高原地帯で
暮らしていました。
数十年は、ひともとの、
ユーカリの木の成長のように早く、
手に縦横に走る、
深い、たくましいしわの、
ひとつひとつと引き換えに、
詩人は、うつむいたまま、
老いていきました。

ある夜、食卓に向ったとき、
詩人は妻の横顔の深い陰影の中に
動かしがたい人生の一つを
見たような気がしました。
そして、彼と彼女の視線の両端に
キラキラ輝く水玉を見ました。
それは、子供たちの瞳でした。
ひとつの深い寂しさと一緒に、
ひとつの充足感に近い何かが、
胸につきあげてくるのを、
詩人は感じたのでした。

夏も終わりに近い、
空を領する鰯雲の夕暮、
切り岸に続くススキの原をくだって、
谷間に降りた詩人は、
赤茶けた土の上に
名も知らぬ白い花が
散っていくのを見ました。
その花が、実をつけるのか、どうか、
その種子を風に飛ばせて、
やがて、どこかの地にまた、
白い花を咲かせるのか、どうか。
その花の未来について、考えることは、
詩人の心に、
遠い花を見つめるような
まぶしさを感じさせるのでした。
彼の言葉は、次のように
続いていました。

―されど、この花は、
 ここに枯れてゆくのだろう。
 そして、そのときも、
 山ブドウは実り、
 火の山は、熱く燃え、
 モズはけたたましく鳴き、
 空をななめに切って
 飛び去って、いくのだろう。―

私は詩集を伏せました。
明け方も近い時刻、
窓を開けると、
赤い月が、のぞいていました。
もうすぐ、始発電車が走り、
私は、しばらく眠り、
そして街は、朝の光の中で、
全てが包み隠されてしまうのでしょう。
そのような想いは、私の心を
奇妙な透明な没落感に包むのでした。
次の日、私は九州に向けて
その詩人への手紙を書きました。
通りいっぺんの
ファンレターを書くみたいに。
それから二週間の後に、
私は返事をもらいました。
その手紙は、静かな雰囲気の
女性の文字で書かれていました。
詩人は、すでに死去していました。
「昨年の八月のことで
ございました」と、
手紙に書いてありました。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年10月12日



父のみずうみ

               
ストーリー 小野田隆雄       
出演 久世星佳

一九六二年九月上旬のある日。
大学一年生の父は、
友人とふたり、昼さがりの時刻に
奥日光の金精峠に立っていた。
この峠は、海抜二〇二四メートル。
栃木県と群馬県を分ける峠である。
その日は、秋晴れの上天気で、
峠からは、上越と信州の山々、
そして遠く富士山まで、
濃い藍色のシルエットになって
見えていた。
群馬県側にくだっていく道も、
木々の間に、誘うように
見え隠れしている。

最初の予定では、ふたりは、
このまま栃木県側に引き返し、
奥日光の湯元からバスで、
帰京する予定だった。
けれど、どちらが言いだすともなく、
ふたりは、弾むように、
群馬県側への道をくだり始めた。
二時間ほど歩けば、
上越線の沼田行きバスの、
始発駅がある。そのことをふたりは知っていた。

ハミングするように、
一時間ほど歩いたとき、
急に風が強くなるのを感じた。
イタヤカエデ、ホウノキ、ミズナラなど、
山肌の木々が激しくゆれ、
ギシギシと枝を鳴らし始めた。
いつのまにか、青空は消え、
黒い雲がすさまじい早さで
飛んできた、とみるまに、
たたきつけるような、
大粒の雨になった。
舗装されていない道は、
泥水が流れる川に変わった。
雨やどりする場所もない。
たちすくんだり、ころびそうになったり、
それでも、ふたりは、歩き続けた。
時刻が五時を回った。
夕闇が増していく。
そのとき、バス停が見えた。
けれど、シーズンオフになった九月。
すでに終バスは出たあとだった。
でも、どこかに、売店の建物でも
ないだろうか。ふたりは、
祈るような気分で、夕闇の中の道を、
のろのろと歩き続けた。

街道沿いに、丸沼という看板の出ている、
小さな湖に続く小道に気づいたとき、
ようやく雨は止み、
ドキドキするような、星空になっていた。

ふたりは、あまりお金もなかったので、
丸沼のほとりの、
小さなロッジに頼み込んで、
素泊まりで、とめてもらった。
せまいロッジの部屋で、
濡れた衣服を着替えて、ほっとする。
すると、ふたりを、
もうれつな空腹がおそってきた。
友人のリュックに板チョコ半分。
父のリュックにキャラメルが二個。・・・・・・
そのとき、ロッジの外に足音がした。
中学生くらいの少女が戸口に立っていた。
お盆の上に、おおきなおにぎりが四個。
「父が、これはサービスです。って」
そういうと少女は、キラリとふたりを見て、
小走りに去っていった。

次の日の早朝、バス停に向うふたりを、
少女が、手を振って送ってくれた。
丸沼は静かに、青空と山の影を映していた。
父は、それから、毎年の夏、
丸沼のロッジに行くようになった。
少女は成長し、父は少女が好きになった。
そして、大学を卒業して三年後、
父は少女と結婚した。
それから、二年後に、私が生まれた。

いままでの話は、数年前、
父の還暦のお祝いの夜に、
父と母から、聞いた話である。
私も、結婚して、二児の母になっている。
金精峠も、今日では、トンネルになったそうだ。
あっというまに、通過できるのだろう。
けれど、きっと、いまも、
昔の道を歩いて、金精峠を越え、
湖を見るひとも、いると思う。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年9月14日



星 空

       
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

ぼくがお父さんの家で、
小さな羊飼いだったころ、
ぼくは羊の番をするよりほかに
何も知らなかった。
ある日、狼が不意に来て、
いちばんきれいな小羊をころした。
けれど、ぼくの犬がそれを奪り戻し
ぼくはその皮と骨を、
しまっておいた。

雨風を防ぐため
ぼくはその皮で外套をこしらえ、
小さな尻尾を
帽子の羽かざりにした。

そして、小羊の背骨で
ぼくは一本の笛をこしらえた。
その音に合せて、美しいひとたちよ、
楡の木陰で踊れ。

この古いフランスの童謡を、母が、
女子高二年生の私に話してくれたのは、
多摩川沿いの丘に続く公園の、
桜並木だった。秋の夕暮れで、
暗く流れる川の、はるか高い空に、
西に傾く形で、白鳥座の星が、
大きく見えた。

話を聞きながら、私は
笛の音に合せて踊る、白い長袖の
ワンピースの少女たちを思い浮べた。
彼女たちは、満天の星空の下で、
豊かに実るぶどうの房を、
枝にからませた楡の木の下で、
輪になり、手をつなぎ、踊っている・・・・・

昔、ローマやプロヴァンス地方では
ぶどうを栽培するとき、
そのつるを、楡の木にからませることが
多かったと、父が言っていたのを、
そのとき、私は思いだしていた。

あの日、母と私は、
田園調布の古いレストランで
夕食をとった。
母は、ぶどう酒を飲み、
私も、ほんのすこし、唇を濡らした。
あの日の夜は、
フランスに旅立つ母を送る、前日の夜だった。

母と、私が小学六年生の時に
亡くなった父は、
ある私立大学の、フランス文学部の
助教授だった。そして、母が再婚する
ことになった、マルセイユ生れの
フランス人も、同じ大学の講師だった。
私にもやさしい、小柄なフランス人だった。
母と、その男性は恋をした。
男がフランスに帰ることになり、
母も同行することになった。
私は東京に残り、叔母の家で生活する。
高校を卒業したら、フランスに行く。
母と私は、そういう約束をした。

けれど、私は、結局、日本で大学を卒業し、
甲府盆地の、食品会社に就職した。
ぶどう畑の中の道を、
モーターバイクで通勤する日が続いた。
何年かたった、ある秋の夕暮、
星空の美しさに、思わず、バイクを止めた。
ぶどう畑から見あげると、白鳥座が
あのときの空のように、
西に傾きながら、空いっぱいに
飛んでいた。

「ひとが死んだら、星になるんだよ。
だから、おまえを、いつまでも、
父さんは、見つめているよ」
病の床で、死んでいく数日前に、
父が私に言った言葉。
その言葉を、星を見ながら、
ぶどう畑の中で、噛みしめているうちに、
私は思った。
来年の春になったら、
フランスに行こう、と。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年8月17日



ナデシコ
  
                  
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

ナデシコの花は、
日なたの匂いがする。
なつかしい少女の
髪の毛のように。

キツツキが電信柱をつつく、
山深い村の小さな小学校に、
その少女が転校してきたのは、
四年生の秋だった。
ひとめ見たとき、少年は、
きれいだなあと思った。
少女雑誌の表紙みたいだ、と思った。
少年が少女を、ぼーっと
見つめている日がくり返されていった。
そして、五年生になる頃から
少女が見つめ返して、
ニッコリしてくれるようになった。
彼女は、少年より、すこし背が高い。

それは六年生の夏の始め、
村はずれにあるお稲荷さんの祭りの日、
夕暮になる頃、ふたりは、ひそかに、
狐のお面をかぶって、
神社の森へ行った。
杉木立に囲まれた参道には、
屋台の店が立ち並び、
村人たちが晴着を着て、
三々、五々、歩いている。
人込みの中を、ふたりは、
かくれんぼするように歩いた。
やがて、東の山の端に、
十三夜の月が出る頃、
ふたりは、村に戻る川の堤の道を、
狐のお面をつけたまま、帰った。
なにもしゃべらずに、ふたり並んで。
青白い月の光の中を、
蛍が、後になり先になり、
ゆれながらひかり、消えていった。

少女の家は、
大きな竹やぶの陰にあり、
そこまで来ると、
ふたりは、お面を取った。
少女は、ナデシコの花もようの
ゆかたを着ていた。
少年は、トンボがいっぱい飛んでいる
ゆかたを着ていた。
ふたりは見つめあった。
突然、少年の右手が、
ナデシコの胸にのびて、ちょっと触れた。
少女の手が、かなり強く
トンボの頭をたたいた。
バカ、と少女は、小さい声で言った。

実り始めたクリの実を落して、
強い雨風が、何回か村を通り過ぎると、
その年の夏も終った。
少女は、突然、学校からいなくなった。
東京に引っ越していった。
少年は、ひとり、
裏山の松の木に登り、
夕暮の空に向かって、
トウキョウーっと叫んでみた。
甘ずっぱいものが、
胸の奥にこみあげてくる。

風のように訪れて、去っていった少女。
少年は、ときおり、右手の指先に、
やわらかなゴムマリにさわったような
うずくような感覚が、
よみがえるように、なっていた。

あれから時が流れて、昔の少年は
代々木上原の高台に
バラのように、はなやかな女性と
生活している。けれど、
庭先の、陽あたりの良い場所に、
まい年、夏になると、ナデシコの花が、
うす紅色の花をつけるのだった。

*出演者情報:久世星佳  03-5423-5904シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年7月13日



追憶

                  
ストーリー 小野田隆雄
出演    久世星佳

ヨウシュヤマゴボウは、
いつも、ひとり。
群れたり、仲間を集めたりしない。
いつも、ひともと、高くのびて
大きな葉を茂らせて、枝を広げ、
小さな白い花をいっぱいつける。
花が散ると、黒に近い紫色の実を
山ブドウのように実らせる。
昔、少女たちは、この紫色の実を、
色水遊びの材料にした。

ヨウシュヤマゴボウの白い花が、 
サラサラと散り始めると、
夏が盛りになってくる。
そう、その頃になると
江の島電鉄の小さな車両は
潮の香りに満ちてくる。

白い麻のスーツに
コンビの靴をはき、
大きな水瓜をぶらさげて
三浦半島の油壺のおじさんが
鎌倉の雪ノ下の私たちの家に、
やってくるのは、そういう季節だった。
「やあ、みゆきちゃん、
水玉のワンピースが素敵だねえ」
みゆきというのは、私の名前である。
両親が四十歳を過ぎて、やっと生まれた、
ひとりっこである。
あの頃は、小学生だった。
おじさんは、父のいちばん上の兄で
銀行の重役さんだったけれど、
定年退職すると
三浦半島に引っ込んで、
お百姓さんになった。
おじさんは、ひとりだった。
いつも、おしゃれだった。

「あれは、NHKがテレビ放送を
始めた年だったねえ。
兄さんが、定年になったのは」

いつだったか、母が言っていた。

「兄さんは、女性のお友だちが多くてね。
それで忙しくて、とうとう結婚するひまが
無かったんだって。
なぜ、お百姓さんになったんですか、
ってね、私、聞いたことがあるの。
そしたらね、そりゃあ、あなた、
野菜はかわいい。文句をいいませんから。
だって」

私は、おぼろにおぼえている。
せみしぐれが降ってくる、
昼さがりの縁側の、籐椅子に腰をかけて、
おじさんと父が、
ビールを飲んでいた風景を。       
「おーい、よしこさん。
 水瓜は、まだ、冷えませんか」

「でも、兄さん、三浦の水瓜って、
 どうも、あまり、甘くありませんな」

「喜三郎(きさぶろう)、おまえねえ。
 水瓜なんてえものは、青くさい位が、
 ちょうどいいのさ。そういうものさ」

よしこ、というのは母。喜三郎と
いうのは父。おじさんは、
喜太朗という名前だった。

あの頃から、何年が過ぎ去ったのだろう。
父も母も、おじさんも、もういない。
私は、ぼーっと夢みたいに生きて、
ほそぼそと、イタリア語のほん訳を
して生活している。
雪ノ下の家は手離して、
東京の白金(しろかね)のマンションにひとり。
六十歳を過ぎたのは、二年前で・・・・・・

こうして、机にほおづえをついていると、
マンションの窓から、
入道雲が見える。
ああ、今年も夏になるんだねえ。
鎌倉に行ってみようか。
大町(おおまち)のお寺にある、三人のお墓に行ってみようか。
小さな丸い御影(みかげ)石が三個、
芝生に並んでいるお墓の上に、
きっと今年も、大きなヨウシュヤマゴボウが、
涼しい影を落しているのだろう。
その草の陰に、私もちょっと、
休ませてもらおうかな。

*出演者情報:久世星佳 SIScompany inc 03-5423-5904

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