佐倉康彦 2010年2月20日ライブ



匂い

         ストーリー さくらやすひこ
            出演 清水理沙
                 
二度寝をしてしまった遅い朝、
ベッドの中は、私の匂いで満たされている。

正確に言えば、
昨日の夜に落とさなかった化粧とお酒と、
少しだけ後悔が入り交じった匂い。
ずっと点け放しになっているテレビからは、
気象予報士と呼ばれる中年男の
鼻にかかった声が聞こえている。

 上空に強い寒気が入り冬型の気圧配置が一層強まって
 今夜は雪になる見込みです。

それから一拍置いて
ステキな聖夜になりそうですね、とつけ加えたひと言が
刃物のように私を痛くする。

私は、まだベッドから抜け出せないでいる。
ベッドのそばに脱ぎ捨てたままのコートや
ストッキングからは
昨日の夜の執着が見え隠れしているようで、
慌てて目をそらす。

そんな昨日の残骸の中に、それはあった。
おそるおそる手を伸ばす。
誰が見ているわけでもないのに
用心深く手繰り寄せる。

ベッドから起きあがった私は、
少しだけ逡巡したあと
自分の胸元に、それをそっと引き寄せる。

ベッドの中の私の匂いが、
わずかだけれど薄まったように感じた。

ケータイが羽虫のような音を立てて震え出す。
私はそれに顔を埋めながら、震える羽虫の音を聞き続ける。
それには、
マフラーには、あいつの匂いがした、
ような気がした。
 
今夜、知らない誰かのために雪が降る。

出演者情報:清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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中山佐知子 2010年2月ライブ



一軒宿の日記            

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹
                      
目が覚めたら、障子は明るいのにポタポタと雨音が聞こえていました。
雨音というより雫の音です。
2階から見ると、狭い道を隔てた共同浴場の屋根が白く光っていました。

雪、と僕は日記に書いたけれど本当は霜でした。
今朝は大霜です、と宿の女将さんの高い声が
階段を降りる僕の肩に刺さって、
僕は日記のウソを知られたかとうろたえました。

川沿いの一軒宿から見る景色は、その霜の朝を境に一変しました。

葉を落とした落葉樹は小骨のような枝がくっきりと見えてきました。
川も涸れて細い流れの両側には
あばらが浮き出るように大きな石が顔を出しました。

山も川もすべての罪をさらけ出して眠っているようでした。
僕もよく眠っています。
もう何日も眠りつづけています。

あなたがいなくなってから
あなたがこの世界から消えてから
僕ははじめてやすらかな日々を過しています。
あなたのカラダはもう僕を置き去りにすることはなく
あなたの心はどこにも飛んでいかない。

あなたの眼はもう誰も見ることがなく
あなたの手は誰にも触れることはない。
僕はすっかり安心して白いお湯の中で手足を伸ばし、
あなたを忘れる時間さえ持てるほどです。

お湯の湧く川の向こう岸には
石垣を組んで何軒かの家がうずくまり
そばの畑からここ何日か籾殻を焼く煙が登っています。
籾殻はじわじわと蒸し焼きにすると黒い炭になり
燃え過ぎると白い灰になると教わりました。

僕はきっと、いっぺん灰になってしまったんだ。
そして、灰ではないものに再生するために
この一軒宿にやってきて
心のアリバイを日記に書き続けているのだと思います。

籾殻の煙が消えると
西の空だけが不思議と明るく
ものの輪郭が不確かになる夕暮れがやってきます。

僕があなたの首に手をかけたとき大きく開いたあなたの眼
あのときの眼が日記を覗きこむ気配を感じるのも
そんな夕暮れです。

あなたはその眼を、もう一度眠らせてもらいたいですか。

日記の中の僕は
いなくなったあなたを悲しんでいるけれど
日記を書いている僕は、
何度でもあなたの眼を閉ざすことができます。
それほど僕は、あなたの眼を愛しています。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2010年2月ライブ



雪の絵日記

           ストーリー 小野田隆雄
              出演 西尾まり     

絵日記の白いページに、
黄色い色が、あちらこちら、
こちょこちょと塗ってあるのは、
雪をかぶって咲き残る菊の花。

絵日記の白いページに、
緑色の、ほそ長い雲みたいな形が
互いちがいに書いてあるのは
雪の山のヒマラヤ杉。

絵日記の白いページに、
うすい灰色の足跡が、
消えそうに書いてあるのは、
出ていったまま、帰ってこない
忘れっぽい男の、長靴のあと。

この絵日記を、船に乗って南の島へ
行ったあなたに、船便で送ります。
もしも、受け取って返送しても、
絵日記は、私の所へは戻らない。
あなたは、わからないでしょうけど、
番地がちょっと違っているのです。
受け取って、読んでくださったら、
細かく切って、海にバラバラと
まいてください。
南の魚たちが、たわむれに
つまんで食べて、北国の風邪でも
ひいてくれないかな、と思っています。

絵日記の白いページに
ふんわりと水色の煙が書いてあるのは、
ふたりで飲んだ、マツリカ茶の湯気。
あの時は、
カップの中に、ふたりとも
マツリカの花がひらいたのにね。

絵日記の白いページのまんなかに、
赤い丸が書いてあるのは、
わたしの心。
ずいぶん恋もしてきたし、
だまされたり、だましたり、
もう慣れっこになっているから、
センチメンタル・ジャーニーなんて
ワインに酔った、そのときだけの、
つかのまの気まぐれ、それだけのこと。
私は、しっかり、生きていきます。
では、あなた、さようなら。
外では、雪もやみました。
凍りつくような、星空になりました。
さようなら。

出演者情報:西尾まり 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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中山佐知子 2010年2月20日ライブ



この宇宙に生まれたすべてのものに 

          ストーリー 中山佐知子
             出演 大川泰樹清水理沙

 この宇宙に生まれたすべてのものに刻まれた
 たったひとつの言葉がある。

 会いたい。会いたい。

 だから、ビッグバンがはじまったとたんに
 素粒子と素粒子は出会って陽子と中性子になり
 陽子と中性子が出会って原子核になった。

 原子核は4000度の熱のなかで電子に出会って
 はじめての原子になり
 その原子からこの世のすべてが生まれた。

  会いたい。会いたい。
  酸素は水素と出会って水になり
  炭素と酸素の出会いで二酸化炭素ができた。

  会いたい、会いたい。
  地球に存在した最初の2種類のバクテリアは
  ある日、不思議な出会いをして
  ひとつの細胞で一緒に暮らしはじめた。

 会いたい、会いたい。おまえを食べるために。
 あまりに多くの命が生まれたカンブリア紀は
 ついに生き物が生き物を食べる世界を生み出した。

  会いたい、会いたい。おまえを愛するために
  植物は風に花粉を運ばせて
  目指す相手にたどりつくすべを覚えた。

 会いたい、会いたい

 おまえを憎むために
 17世紀のヨーロッパでは
 4万人の魔女が曳きずりだされて火あぶりになった。

  会いたい、会いたい
  あなたを殺すために。
  1991年、5つの民族と4つの言語をもつ旧ユーゴスラビアでは
  市民が市民を虐殺しあう戦争がはじまった。

会いたい。会いたい

自分がひとりではないことを知るために。

会いたい、会いたい

 生きるために。
 愛して憎んで殺して
 もう一度ひとりになるために。
 そうしてまた会いたい。
 この世のどこかにいる人に。

会いたい

 この言葉はあらゆるものに刻みこまれ
 すべての物質の法則になって宇宙を支配しつづけた。

 だから、会いたい
 この言葉がある限り
僕はおまえを求めずにはいられない

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
      清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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中山佐知子 2010年2月20日ライブ


できれば土に
                
           ストーリー 中山佐知子
              出演 清水理沙

できれば土に埋もれたいと思っている。
壁になりたいと思っている。
できれば息もしたくないけれど
小さな女の子だからどうしてもため息はでてしまう。

なれるものなら透明人間になりたいと思っている。
でも、小さな女の子だから
もとにもどる方法がわからない。

本当は何もしゃべりたくない。
石だから、壁だから、土なのだから。
しゃべろうとすると泣いてしまうから。

心が重くなって固くなって
びしょ濡れになって寒くなって
笑えなくなって、しゃべれなくなって
臆病になって
自分がここにいてもいいのかいけないのか。

みんなの視線と言葉がきっと針のように痛いけど
泣きそうな自分を隠しておくために
凍りついた目を大きく開いている。

どうしてそうなってしまったのか
どうして自分がいまそうなのか
きっかけは5分前でも、
原因は100億光年も彼方にあるから。
どうしてもわからない、わかりたくない。

泣かない小さな女の子はいつもそうして震えている。

年を取った大人はそれを見て
拗ねているとひと言で片付けてしまうけれど
そういう自分の心のなかにも
きっと泣かない小さな女の子がいて
誰にも気づいてもらえないまま凍っている。

誰の心のなかにも泣かない小さな女の子はきっといる。

僕は、そんな小さな女の子の手を取って
あたたかい場所へ連れ出すことのできる
小さな男の子になりたいと思う。

出演者情報:清水理沙 http://ashley-r-senzatempo.seesaa.net/

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山本高史 2010年2月20日ライブ



「プライド硬度計」

          ストーリー 山本高史
             出演 山本高史

いつものバーで、ヨシダが思い出したように「ちょっと考えたんだけどさぁ」と言う。
(いいこと思いついちゃったんだよね)の顔だ。
「何?」と、オレが聞くと「プライドって、あるじゃん」と、ヨシダ。
「あるよ」と、オレ。
「プライドが傷ついた、って言うじゃん」と、ヨシダ。
「言うよ」と、オレ。
「あれさ、自分はその辺です、って言ってるんだよ」
「どうゆうこと?」
「Aという事実でプライドが傷ついたってことは、
そいつのプライドはAという事実よりも柔らかいんだよ」
なるほど。
「つまり自己申告しているんだね、自分のプライドの硬さ」
そういうことになるかな。
「それをオレはね、『プライド硬度』と名づけたわけ」
ヨシダ得意の(いいこと言うでしょ!)って顔だ。まあいい。
「それで何が、例えば硬度5なわけ?」と、オレ。
「そこまではまだ考えてない」と、ヨシダ。
・・・なんだよ。

カッセキホウニシテケイリンナガシセキオウコウニシテダイヤアリ。

「じゃあ硬度5から決めようか」と、ヨシダ。
「まず自分で決めろよ」突き放す、オレ。

熟考約5分。

「じゃあ、『クライアントに、自分の意見よりも部下の意見を尊重される』ってどう?
それで傷ついたらプライド硬度5」やっと、ヨシダ。
「そういうことって傷つくんですか?」と、ウエダ。オレの会社員時代の部下だ。
「オマエにはそういうことはなかったけどな」オレ。
ウエダ、ムッとしている。
「まあ、この辺から上下を決めてみようよ」ヨシダ。
「まず前後、だな。4と6」オレ。
「『知り合いからの郵便物のあて名の自分の名前が、ずーっと誤字』ってどう?」
このバーのバーテンダー、マツが割り込んできた。
面白くて悲しいね、それ。

「じゃあ『休日出勤で夜家に帰ってきたら、家族全員食事に出ていた』は?」ヨシダ。
「わかるよ」マツ。
そうなの?オレ、わからないよ。
でも「それとさっきの『誤字』とどっちが上?」
「こっち」と、ヨシダ。
「こっち」と、マツ。
じゃあ、「自分以外の家族が食事」をプライド硬度6ね。「誤字」は4。

「ぼく、よく歩いているときカラスに頭を突かれるんです」ウエダ。
それがどうした?
「ぼく、それで結構プライド傷つくんです」
「プライドって問題かね」マツ。
ウエダが大急ぎで反論する。
「だって、動物になめられているんですよ。人間の尊厳に関わるじゃないですか!」
でもそれって、オマエの尊厳はカラスと並び、ってことだぜ。
「オマエ、よくイヌに吠えられるだろ?」
「はい」
「傷つく?」
「たまに」
決定「カラスに突かれる」は硬度1。
「あと、ラーメン屋で注文の順番をよく間違われます」ウエダ。
別にオマエの情けない話を聞く会ではないのだが。
「それでプライドが傷つくって言うの?」
「もちろんです!」
じゃあ、「ラーメン屋で注文の順番を間違われる」を硬度2でいい。
ウエダのプライドは柔らかいね。

「見え見えの義理チョコは?」ヨシダ。
今さらする話題かね?でもマツが続ける。
「そうなんだよね、割と凹むよ、毎年」
「ウチの社員の女のコに、たまにコンビニの袋から渡されるんだぜ」ヨシダ。
「ぼくは毎年です」と、ウエダ。
そういうの、傷つくより怒れよ。
「入れとこうよ」ってヨシダが言うから、まあいいか、
「ラーメン屋の順番」と「自分より信頼される部下」の間くらいのような気が
しないでもないから、硬度4。

下の方が埋まったな。

「昨日息子と腕相撲したらさ」ヨシダ。
「負けたんだろ?」オレ。
「完敗」
やっぱり。
「ヨッちゃんとこ、いくつだっけ?」
「中1」
まあキツイのはわかるけどさあ。
「オスとしての現役感を否定された感じがしてさ」
そんなことで泣きそうになるなよ。
「これ硬度7にしてくれないかなあ」ヨシダ。
懇願するなよ。遊びじゃないかよ。
わかりましたよ、はい、決定。オスの現役感の否定は、プライド硬度7。

「部員全員にアンケートをとって、部内で要らない人NO.1に選ばれちゃったら、
さすがにプライドズタズタでしょうね」
何てこと考えるんだ、ウエダ。
「7票-3票-1-1-1-1、みたいな感じでちょっと抜けたNO.1」
そりゃもう会社行きたくないよな。
「2位の人は定年前だったりするんですが、自分は働き盛りのはずの38才」
ウエダ君、キミ、ブラックだなあ。
「7票の内訳は、先輩後輩も、男女も半々くらいで、偏りのない幅広い支持」
わかりました。硬度8です。オレはもうこの辺で傷ついてといてもいいかな?

「妻を後輩に寝取られる」暗い声で、マツ。
なんか壮絶な話になってきたな。
「そりゃダメだわ」ヨシダ。
オレもそう思う。
しかしそんなことまで引き合いに出して、プライドを測るべきなのか?
とりあえず、プライド硬度9に認定。

「妻を後輩に寝取られる」が9ということは、
それでも傷つかないプライドが存在するということだ。
カラスに頭を突っつかれて傷つくプライドと、妻を寝取られても傷つかないプライド。
人生いろいろ、プライドいろいろ、か。
とっとと硬度10を見つけてこのゲームにおさらばしたいという気持ちと、
その10のとんでもない予感におびえる気持ちが一緒くたになって、
男たちは黙り込んでいた。

「・・・痴漢」ヨシダが自分の余命を告白するかのように口を開いた。
もう聞きたくもないが聞かざるを得まい。
「・・・どういうこと?」
「・・・痴漢で誤認逮捕」
あああ、それ無茶苦茶だわ。
男4人、うつむく者2人、宙を見上げる者2人。
まあいいさ、これでやっと終われる。プライド硬度栄えある最高峰は
「痴漢で誤認逮捕」に決定されました!いいよな、これでもういいよな。

「あのー」
やめとけよ、ウエダ。これでいいじゃないか。
でもウエダは続ける。
「『痴漢で誤認逮捕』でプライドが傷ついたら、プライド硬度『10』なんですよね?
ということは、それでも傷つかなかったらプライド硬度はどうなるんですかね」
会社ではいちばん要らない人に選ばれて、家では後輩に嫁さんを寝取られて、
ついには痴漢で誤認逮捕されても傷つかないプライド?

あのな、その人、プライドないんだよ。

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