中山佐知子 2012年8月19日

麦畑

         ストーリー 中山佐知子
            出演 村木仁

あたり一面の麦畑だったな。
ところどころに背の低い柳の木があった。

その細い一本道を
馬と一緒に行軍しているときだったな。
耳元でバリバリと音がしたかと思ったら
馬とおまえが血を流して倒れていたんだよ。

麦畑なんて
隠れるところもないもんだから
何十頭の馬はみんな撃たれて死んで
兵隊もずいぶん死んで
威張ってた連隊長も死んだけど、おまえも死んだ。

それから
知らない間に戦争が終わって
知らない国に置き去りにされて
それでもなんとか船に乗って帰って来たら
村の麦畑は石ころだらけで土もボロボロになっていた。

これはきっと
知らない国の麦畑で鉄砲を撃ち合って
死んだ馬とおまえを置き去りにした報いだと思ったんだ。

それから
石をどけ、麦をつくり、麦わらを鋤きこんで土を肥やして
三年たったら、麦の穂は重く実り
麦わらはお日さまにつやつやと輝くいい色になった。

その麦わらを水につけると柔らかくなる。
やわらかくなったら帽子が編める。

かぶるとだぶだぶの麦わら帽子。
大きくて、風が吹くとすぐに飛ばされて
狭いところでは邪魔になって
帽子のなかでいちばん戦争に向いていない麦わら帽子。

どこにもいかず
ずっと麦わら帽子をかぶって働いていればよかったな。
戦争になんか行かなきゃよかったな。

麦わら帽子を編んでいると
おまえが死んだ麦畑を思い出す。
踏み荒らされた麦畑、
機関銃の弾や人や馬の死体でいっぱいだった
あの麦畑はいまも麦畑なんだろうか。
誰かが世話をして、いい麦がとれて
残った麦わらで麦わら帽子を編んでいるだろうか。

そうだといいなあ。

出演者情報:村木仁 03-5361-3031 ヴィレッヂ所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2012年7月29日

ひとつめの太陽が沈むころ

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

ひとつめの太陽が沈むころ
トラディショナルなマティーニを頼んだ。
バーテンダーは300種類のマティーニをつくり分ける技術を
プログラミングされているが、客はいつも僕ひとりだ。

ふたつめの太陽が沈むころ
出鱈目なマティーニの名前を言ってみた。
アップルマティーニ
りんごサワーの味がするマティーニが出てきた。
それじゃあ、アップルパイマティーニ
こんどはカルバドスの香りのするマティーニだった。
この違いの意味がわからない。
バーテンダーは会話をプログラミングされていないので
説明は一切なしだ。

みっつめの太陽が沈むころ
「ウィンストン・チャーチルのマティーニ」をオーダーした。
すると、即座にジンのストレートがカウンターに置かれ
ベルモットの瓶が右斜め横に並んだ。
150年前の政治家がベルモットを横目で睨みながらジンを飲んだという話は
歴史の時間に学んだことがある。
侵略や革命や戦争が教科書から消えて以来
歴史は過去のファッションやグルメのことになってしまっている。
チャーチルはマティーニを飲む以外に何をやったんだろう。

よっつめの太陽が沈むころ
また出鱈目に「アポロ13号マティーニ」と言ってみた。
出てきたマティーニは粉末ジュースの味がした。
宇宙開発黎明期の初期型飲料が使われているらしかった。
もう二度と頼まないぞ、と思った。

いつつめの太陽が沈むころ
僕はどれだけ飲んだのかわからなくなっていた。
実を言うと、いまいくつめの太陽が沈んでいるのかも定かではなかった。
この星は18個の小さな太陽が出たり入ったりしているので
まぶしい昼も闇に沈む夜もなく、
一日中夕暮れのようにぼんやりとしている。
体内時計はとっくに壊れ、カレンダーも思い出せないが
予約した迎えの船が来るのはまだ何ヶ月も先だということだけは
チケットのタイマーが知らせてくれている。

僕が六つめだと思っている太陽が沈むころ
バーテンダーに時間をたずねたら
黒いオリーブの入ったミッドナイトマティーニをつくってくれた。
僕は今日も何も書くことがない。
お天気さえ最初に「晴れ」と書いたきりだ。
ここでは雨も降らず、風も吹かず、災害もなく季節もない。

この星に入植した開拓者たちは
苦労の末に去ったのではなく、退屈の果てにこの星を捨てたのだ。
彼らのストーリーは三行で終わる。
「ここに来た、ここで暮らした。ここから去った」

すでにいくつめだかわからなくなった太陽が沈むころ
僕はジャーナリストマティーニを飲んでいた。
むかし東京の外国人記者クラブの遺跡から
165本のジンと5本のベルモットの空き瓶が発掘され、
その33対1の比率で混ぜ合わせたドライマティーニを
ジャーナリストマティーニと呼ぶようになったのだ。

ジャーナリストはドラマがあればそれを書けるが
退屈を描くのは不可能だ。
だから僕は一行も書けずに毎日酔っぱらっている。
誰もいなくなった星にひとりで来て
なすすべもなく酔っぱらっている。

僕はジャーナリストマティーニを飲みながら
もし自分が小説家だったら
この退屈を書くことがでるだろうかと考えた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2012年6月24日

この星の遺跡を発掘すると

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

この星の遺跡を発掘すると
大きな都市の跡と思われるところからは
必ず鉄の合金を使用した巨大な建造物が出土した。
それは尖った先端を空に向けて立っていたと想像された。
我々はその建造物を「塔」と名付けた。

学者はそれを見てさまざま学説を発表したが
もっとも有力なのは宗教説だった。
この星の住民は各地の「塔」から発信される神の声を聞き
その声にしたがって暮らしていたというのだ。

わずか20種類のアミノ酸から生まれたこの星の生物は
我々が研究しているだけでも500万種に及んでいる。
哺乳類と呼ばれた陸を歩く生物が6000種いた。
翼を持ち空を飛ぶ生物は9000種だといわれる。
水中で暮らす生き物、土のなかで生きるもの、
羽根のある虫に羽根のない虫…
かつてはこの地を覆っていたと思われる木や草や花
目に見えないカビやウイルスまで含めて研究が進むと
この星の生物の種類は3000万種に達するという意見もあった。
この種類の多さ、生物の多様性が
この星の美しさを、生物が生物を養い育てるバランスを
長く保ってきたのだった。

「塔」ができてからだ、と、学者は主張する。
「塔」が発信する言葉は住民全体の思想になり意志になった。
みんな「塔」が見せる衣服や食べ物にあこがれ、
住む場所も移動手段も子供を育てる方法も
祖先から受け継いだ知恵を捨て
「塔」が発信するビジョンを選んだ。
それは星とともに生きることをやめて
星を消費する道を選ぶことだった。

最初に川が枯れたのだと思う。
それから川がつないでいた山と海が枯れ
川と海と森の生き物が死んだ。
それでも住民は「塔」にしたがうことをやめなかった。

「塔」が語る宗教に名前はない。神話もない。
神の名前すらない。
しかし、この星の「塔」はこの星最後の文明から生まれ
そこに棲む生き物を支配し、淘汰し
それによってメンテナンスを失い、みずからも滅びていった。

この星から「塔」を崇拝する住民が消えても
「塔」は長い年月そこに立っていたに違いない。
長い孤独を楽しんだに違いない。

この星の「塔」は
意思を持って滅びへの道を示し続けたのか。
それとも、「塔」も何者かに支配されていたのか。

いま発掘している「塔」は
まだ赤い砂にその大部分が埋もれているが
構造から推測するとこの星の物理単位で634メートルに達するという。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2012年5月27日

photo by http://www.flickr.com/photos/davestamboulis/1386058086/

その村は天空の入り口に

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

その村は天空の入り口にあって
ヒンドゥークシ山脈の白い峰々が空を支える姿を
間近に眺めることができた。
村はその山の懐深くかくまわれ、そこに通じる道は険しかった。

その村では5月の声をきくと男たちは旅の支度をする。
そして6月には雪溶けの危険な山道をロバとともに這い登り
キャンプの場所にたどりつく。
そこからさらに道もない崖を登ると空と繫がる岩山がある。
彼らはそこで一年の半分を、天空の破片を掘って暮らす。

固く締まった岩を炎で緩めながら
カツンカツンと岩を削る。
どうして天空の破片が岩のなかに眠るのだろう。
彼らは理由を知らない。
けれども彼らが掘り出すのは
青空が結晶したような瑠璃色の石だ。

カツンカツンと岩を削り掘り出した天空の破片は
もう一度空に返さねばならない。
それは東と西にから集まってくる商人たちの役目だ。
商人は天空の破片を空に返すといってすべて持ち去り
かわりに必要な食料や布や金属を十二分に置いて行く。

村の人々は
自分らが掘り出した石がラピスラズリと呼ばれ
シルクロードを運ばれて西はヨーロッパへ
東は日本まで伝わることを知らない。
ツタンカーメンの黄金のマスクを飾り
やがてフェルメールの青の絵の具になることも知らない。
黄金より高い価値で取引されることや
そして何よりも、数千年の昔
世界に天空の破片がある場所はこの村だけだったことを
彼らは知るよしもない。

天空の破片ラピスラズリは空に返るのではなく
古代のシルクロードを通じて世界へ広まっていったのだ。

その村では11月になると
山のキャンプの男たちが帰り支度をする。
もう雪で道が閉ざされる頃だ。
苦労して掘った天空の破片は
すべて商人に渡してしまったかわりに
村には冬を暖かく越せるだけの蓄えができている。

12月、村へ帰った男たちのなかに
小さな天空の破片をこっそり持ち帰った若者がいる。
それは若者の帰りを待ちこがれていた娘への贈りものだ。

12月にラピスラズリを贈られた娘は来年には花嫁になるだろう。
12月のラピスラズリは幸運の石だ。
そしていま、ラピスラズリは12月の誕生石になっている。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2012年4月30日

橋のニュース

      ストーリー 中山佐知子
         出演 遠藤守哉

橋のニュースをお伝えします。
2011年11月
インドネシアのサマリンダでは
補修中の橋が落ちるという惨事がありました。

この橋は中国の支援で建設されたクタイ・カルタヌガラ橋で
通行中のバスやオートバイがも川に転落し
10人が死亡、33人が行方不明になっています。
水中でガレキの下敷きになった犠牲者もいた模様です。
建設後わずか10年で橋が落ちた原因については
設計、資材、施工すべての原因が取りざたされています。

橋は怖いものだ。
つくづくそう思います。

1850年、フランスのアンジェという歴史ある街で
突然吊り橋が落ちました。
500人の歩兵隊が足並みを揃えて渡っている最中のことでした。
橋と一緒に転落した兵士は487人、うち226人が亡くなっています。
原因を調べたところ
足並みの揃った行進の歩調に吊り橋が共振したためと判明しました。
共振というのはブランコをタイミングよく押してあげると
どんどん揺れが大きくなる、あの原理です。
揺れて揺れてついに限界を突破して落ちる。
500人の兵士たちは
自分たちが危険なブランコをを押していることも知らずに
勇ましく行進し、落ちて亡くなりました。

橋って本当に怖いですね。

同じ共振の例としては
アメリカ合衆国ワシントン州のタコマナローズブリッジがあります。
この橋はもともと無理な設計のために
風のある日はロデオのように揺れる危険な橋として有名でしたが
1940年の開通間もないある日、風速19メートルの風を受けて揺れに揺れ
まっぷたつになって落下しています。
このときは危険な状況になってから通行規制が敷かれたために
人間の犠牲者はなく
クルマのなかに置き捨てられた一匹の犬だけが犠牲になりました。

橋は怖いです。
それでもあなたは橋を渡りますか。

1879年
スコットランドのテイ湾にかかる鉄橋テイブリッジが
風速30メートルの風を受け、走っていた列車ごと落下しました。
名前が判明した死者60人のほかに
15人の身元がわからない犠牲者がでています。

それから8年後
落ちた橋から数十メートル上流に新しい橋が架けられました。
この橋はいまでも健在です。
さて、数年前のこと。
この新しいテイブリッジ、といっても建設されて120年にもなるわけですが
この橋の再生プロジェクトが組まれ
橋の鉄骨から1000トンではきかない鳥の糞をこそげ落としました。
1000トンという想像を絶する重さと量の鳥の糞は
クルマ1000台分の重さに相当します。
誰も通っていないときでも橋はクルマ1000台の重さを支えていたのです。
本当にお疲れさまです。

それにしても橋は怖い。
あなたはそう思いませんか。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2012年4月29日

日暮れどき、土手の上に

           ストーリー 中山佐知子
              出演 西尾まり

日暮れどき、川の土手に立つと
汽笛を鳴らして下流の鉄橋を渡る列車の音が聞こえた。
鉄橋は長く、汽笛もまた長い尾を引いた。

列車の向かう北の方角には遠い山並みが青く霞んでいた。
川は西から東に向って流れ
土手の道もまた東西に延びていた。
夕陽は西の山に沈み、カラスは南の山に帰っていった。
あの頃は目に見える景色だけが明るく開けた場所だった。
僕は鉄橋を渡る列車の行く先を考えたことがなかった。

日暮れどき
僕はよく土手の上にいた。
列車の音が広い空に消え、夕焼けの最後の光もなくなってしまうと
土手の道は暗く沈んで
鉄橋の手前に架かる橋の灯りが浮かび上がった。

僕はその橋を自分から進んで渡ったことがなかった。
橋の向こうは古くから開けた土地で、遺跡が多かった。
奈良時代には役所が置かれ、条里制に従って道がついていた。
古墳があり銅鐸が出土した。
僕のじいちゃんはその土地で生まれ
ご先祖のお墓も橋の向こうにあったのに、僕は橋を渡るのが嫌だった。

どうしてだろう。
どうして僕はあの橋を渡らなかったのだろう。

じいちゃんの若いころの武勇伝がある。
橋の向こうの名主の息子だったじいちゃんが
キツネに化かされた村人を助けたのだ。
それは他愛もない昔話だ。
けれどもその他愛のない話から浮かんだ風景は
提灯がなければ歩けないほど闇につつまれた道だった。
その道端にはつかむと手を切る草が生え、
田圃の用水路の草むらには蛇の目が光っているのだった。

そして、キツネは本当にキツネだったのか。
橋の向こうでは、人と人でないものが
あまりに近い距離で暮らしているように僕には思えた。

ある日、橋の向こうから学校に来ていた同級生のお父さんが死んだ。
隣のおっちゃんが突然狂って鎌を持って暴れ出し
それを止めようとして斬り殺されたのだという話が伝わってきた。
人が殺せるほど鋭く研ぎ上げた鎌…
その鎌を手にして自分の家族と隣人に襲いかかった隣のおっちゃんは
本当に人だったのだろうか。

じいちゃんはその土地を捨て、村を捨て
山も田圃も売り払ってキツネやタヌキや蛇の目と縁を切り町へ逃れ
若くして死んだ。
死んだときは家の軒先から火の玉がふわりと浮かんで空へ昇ったそうだが
たぶん古い土地の名前や
土地にしみついた2000年を越える人の営みの匂いや妄執や
人でないものとの近しい距離は
じいちゃんと一緒に空にかえっていったのだろう。

僕はすでに匂いの希薄な町で長く暮らし
夜の暗さや知らない土地への恐怖を忘れてしまったが
それでもときたま夕暮れの橋の灯りとその先の鉄橋の列車の音を
思い出すことがある。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ