小野田隆雄 2008年2月15日



ひなげし公園にて
          

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

 
それは、五月のことでした。

公園の日曜日は
ひなげしの中に
うづまっていました。
ときおり、
花びらが散りましたが、
高く舞いあがっていく、
すこし小さい花びらは、
それは、やはり、蝶々でした。
見あげると、あちらこちらに
けやきの木があって、
風が、その若葉の茂みに、
勝手に自分の通り道をつくり、
その中を、サラサラと走って、
青く晴れた空に
帰っていくのでした。

時が水のように流れていきます。
子供たちは、アイスクリームを食べて、
なかには、ノースリーブの
ワンピースの少女もいました。
風車(かざぐるま)を売るおじさんの自転車は、
いつものように、公園のすみに。
編物をするおばあさんは、
中央のベンチに。
そして、若者がひとり
花壇の前のベンチに、
ぼんやりと、もう
二時間もすわっています。

若者は、今年、大学生になりました。
昨夜、友人のちいさな部屋に
五人で雑魚寝をしました。
男子、さんにん、女子、ふたり。
安いお酒を飲み、歌をうたい、
楽しく騒いだあとでした。

それは今朝の
明け方に近い時刻でした。
窓の外で雀が鳴き、
彼が眼をあけたとき、
彼を見つめている視線がありました。
彼女の視線は、何かを
耐えているように、動かずに
彼をみつめていました。
ほかのひとびとは、
軽い寝息をたてています。
せまいアパートの畳の上、
彼が手をのばすと
同じように彼女の手ものびて、
ふたりの、のばしきった指が、
二、三本、触れることが出来ました。
畳のひんやりする感触の上で、
ふたりの指は熱く、
部屋のすみで、コチコチ鳴る
目覚まし時計の音が、
触れあっている指と指の、
ふたりのドキドキする脈搏と
重なっていく。けれど、
けれど、声を出すことも、
体を動かす余地も、
ふたりの置かれた関係では、
なすすべは、ありません。

その時、誰かが、
あっ、いま何時だろ、と言いました。
ふたりは、もういちど見つめあい、
指をからませたあと、
視線も指も離れていきました。
ゆっくりと、
行きすぎる舟のように。
もう、出会うこともないように。
たった、それだけのことでした。

でも、指が離れていくとき、
「今日の午後、
 ひなげし公園で…」
彼女のささやきを、
彼は聞いたかと思いました。
いいえ、聞きたかっただけ、
だったのかも知れません。

公園のチャイムが
五時をつげました。
今朝(けさ)のことを、
僕はいつまで、おぼえているだろうか。
と、若者は思いました。
五月が終れば、
木々の若葉は、重い緑になるのでしょう。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2008年1月11日



 
紙飛行機
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

 
北の国へ飛ぶ飛行機は、
南の国のおみやげを積んでいる。
声を出す鯨のおもちゃ。
ウインクするフラダンス人形。
南の国へ飛ぶ飛行機は、
北の国のおみやげを積んでいる。
雪ダルマの風船。
ゼンマイで走る、トナカイのそり。

伊豆半島のまんなかあたりに、
みかん山にかこまれた
温泉の出る小さな町がありました。
いまでも、きっとあることでしょう。
この町の小学校は、
みかん山の中腹にありました。

この小学校の、せまい校庭に立つと、
海もよく見えましたが、
大きなプロペラ飛行機が飛んでいくのが、
まい日、見えるのでした。
きっと、小学校の空の上に、
飛行機の通る道があったのでしょう。

ああ、飛行機に乗りたいなあ。
お父さんの国へ行きたいなあ。
少女は空を見あげながら
いつも、そう思うのでした。
彼女のお父さんは、
遠い東の国にいるのです。
十年ほど前に、西の国の半島で、
戦争がありました。
彼女のお父さんは、そこで戦い、
日本に来て、彼女のお母さんに
会いました。そして、
少女が生まれたのです。

けれど、きっと悲しいことが
あったのでしょう。
お父さんはひとり、東の国へ帰り、
お母さんは少女をつれて、
自分の生れた伊豆の町に
ひっそり、帰ってきたのでした。

茶色のひとみをしたその少女は、
紙飛行機をつくるようになりました。
作り方は、いとこの中学生が
教えてくれました。
少女は、紙飛行機に夢中になりました。
そこには自分が乗っているのです。
春にはヒナゲシの花の上を、
秋にはコスモスの花の上を、
夏には入道雲を追いかけ、
冬には西風に乗って、
遠く遠く、海を渡り
東の国のお父さんの所まで。

時が流れていきました。
そして、大きな飛行機が、ほとんど、
ジェットエンジンに変る頃、
少女とお母さんは神奈川県の
横須賀に引っ越して行きました。
やがて、町のひとびとは、
ふたりのことを、だんだん、
忘れていきました。

夜になると、外国の軍人さんが
よく訪れる横須賀の繁華街に、
つい、このあいだまで、
「白い紙飛行機」という名前の
カクテルのおいしいお店が
ありましたが、さて、
いまでも、あるのでしょうか。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年12月14日



   
ボラボラの島まで
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

日本の広告制作のロケ隊が、
初めて南太平洋のタヒチに飛んだのは、
一九六八年の冬だった。
北半球とは季節がさかさまになる南半球で、
来年の夏の、化粧品のキャンペーンの
撮影をすることが目的だった。
このロケ隊に、この原稿を書いている私は、
コピーライターとして参加していた。
鎌倉の江の島以外、
海を渡ったことがない私の、
初めての海外旅行でもあった。

ロケ隊は、羽田空港から
ハワイのホノルルまで飛び、
そこから、ほぼ一直線に
太平洋上を南下して、
赤道を越えてタヒチに飛んだ。
タヒチのパペーテに
着陸したのは、夕暮の時刻だった。
空港の名前は、FAAAと書いて
ファアアといった。
ファアア空港という、
ねむくなるような名前の空港に降りたつと、
空気があたたかく湿り、
熱帯の花の甘い香りが
肌にまとわりつくように思えた。
車に乗って、街を走ると、
祭のある夜だったのか、
あちこちに、かがり火が明るく燃え、
ゴーギャンの絵に出てくるような女たちが、
たわむれるように、歩いていた。
ホテルは、海を見おろす丘の上にあった。
部屋に入り、ベランダに出てみると、
南十字星が見えた。
四つの明るい小さな星が、十字の形になって
口数の多い少女たちのように、
たえまなく、キラキラ、きらめいていた。

タヒチでのロケ地は、
ボラボラという名前の島だった。
パペーテに二泊したあと、
私たちは、ちいさなプロペラ飛行機に乗って、
ちいさな島の飛行場に着陸した。
この島から、自動車で
ボラボラ島(とう)まで走るのだと、
ガイドのひとが言った。
飛行機のドアがひらき、
タラップの階段を降り始めると、
熱い風がほおをなでた。
ここの飛行場は、草原だった。
風の中に草の匂いがする。
短く刈り込まれた草の滑走路の
先端のあたりを、
一本のダートコースの道路が
横切っているのが見えた。
その道路の、滑走路と接する二ヶ所には
鉄道線路のように遮断機がつき、
カァン カァン カァンと、警報のベルが
まのびした調子で鳴っていた。
一台のオープンカーが、
遮断機のあがるのを待っていた。
フランス人の若い兵士が運転席にいて、
助手席には、金髪の女性が乗っていた。

飛行場からの道は、
浅いサンゴ礁の海へ続いていた。
エメラルドグリーンの海の真ん中に、
まっ白なサンゴ礁の破片で固めた道が、
一直線に、ボラボラ島まで続いている。
雲ひとつない空は、あくまで青く、
海もまぶしく青くひかり、
ひともとの白い道は、
影ひとつなく明るかった。
なんだか、もったいなくて、
私は、サングラスをかけなかった。
エメラルドグリーンとコバルトブルーと、
白い道。熱い空気。走り続ける車の中で、
私の耳に、あの空港の警報機の音が、
のんびりと、よみがえってきた。
カァン カァン カァン、カァン カァン カァン。
人生って、いいだろう?
誰かが、そんなことを言っているように
あのときの私には思えた。

タヒチには、そのあと、二度ほど
訪れた。けれど、あの空港のことも、
白い道のことも、最初の時しか
記憶の中にない。あれは、本当だったのか。
いまでも、なぜか、冬が近づくと、
そのことを考える。

出演者情報:久世星佳

*携帯の動画はこちらから http://www.my-tube.mobi/search/view.php?id=bLupfcQ2zoY

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小野田隆雄 2007年11月9日



遠い花

                
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

 
秋の風が冷たく吹く夕暮に、
駅前の古本屋で
一冊の詩集を見つけたのは
もう、ずいぶん前のことでした。
すっかり忘れていたその詩集を
ふと、開いてみたのは、
やはり、秋も終わりに近い、
冷たい風の吹く夜でした。

その詩人は、牧場の仕事をしながら、
いつか、うたうことを忘れた日々を
火の山が見える、九州の高原地帯で
暮らしていました。
数十年は、ひともとの、
ユーカリの木の成長のように早く、
手に縦横に走る、
深い、たくましいしわの、
ひとつひとつと引き換えに、
詩人は、うつむいたまま、
老いていきました。

ある夜、食卓に向ったとき、
詩人は妻の横顔の深い陰影の中に
動かしがたい人生の一つを
見たような気がしました。
そして、彼と彼女の視線の両端に
キラキラ輝く水玉を見ました。
それは、子供たちの瞳でした。
ひとつの深い寂しさと一緒に、
ひとつの充足感に近い何かが、
胸につきあげてくるのを、
詩人は感じたのでした。

夏も終わりに近い、
空を領する鰯雲の夕暮、
切り岸に続くススキの原をくだって、
谷間に降りた詩人は、
赤茶けた土の上に
名も知らぬ白い花が
散っていくのを見ました。
その花が、実をつけるのか、どうか、
その種子を風に飛ばせて、
やがて、どこかの地にまた、
白い花を咲かせるのか、どうか。
その花の未来について、考えることは、
詩人の心に、
遠い花を見つめるような
まぶしさを感じさせるのでした。
彼の言葉は、次のように
続いていました。

―されど、この花は、
 ここに枯れてゆくのだろう。
 そして、そのときも、
 山ブドウは実り、
 火の山は、熱く燃え、
 モズはけたたましく鳴き、
 空をななめに切って
 飛び去って、いくのだろう。―

私は詩集を伏せました。
明け方も近い時刻、
窓を開けると、
赤い月が、のぞいていました。
もうすぐ、始発電車が走り、
私は、しばらく眠り、
そして街は、朝の光の中で、
全てが包み隠されてしまうのでしょう。
そのような想いは、私の心を
奇妙な透明な没落感に包むのでした。
次の日、私は九州に向けて
その詩人への手紙を書きました。
通りいっぺんの
ファンレターを書くみたいに。
それから二週間の後に、
私は返事をもらいました。
その手紙は、静かな雰囲気の
女性の文字で書かれていました。
詩人は、すでに死去していました。
「昨年の八月のことで
ございました」と、
手紙に書いてありました。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年10月12日



父のみずうみ

               
ストーリー 小野田隆雄       
出演 久世星佳

一九六二年九月上旬のある日。
大学一年生の父は、
友人とふたり、昼さがりの時刻に
奥日光の金精峠に立っていた。
この峠は、海抜二〇二四メートル。
栃木県と群馬県を分ける峠である。
その日は、秋晴れの上天気で、
峠からは、上越と信州の山々、
そして遠く富士山まで、
濃い藍色のシルエットになって
見えていた。
群馬県側にくだっていく道も、
木々の間に、誘うように
見え隠れしている。

最初の予定では、ふたりは、
このまま栃木県側に引き返し、
奥日光の湯元からバスで、
帰京する予定だった。
けれど、どちらが言いだすともなく、
ふたりは、弾むように、
群馬県側への道をくだり始めた。
二時間ほど歩けば、
上越線の沼田行きバスの、
始発駅がある。そのことをふたりは知っていた。

ハミングするように、
一時間ほど歩いたとき、
急に風が強くなるのを感じた。
イタヤカエデ、ホウノキ、ミズナラなど、
山肌の木々が激しくゆれ、
ギシギシと枝を鳴らし始めた。
いつのまにか、青空は消え、
黒い雲がすさまじい早さで
飛んできた、とみるまに、
たたきつけるような、
大粒の雨になった。
舗装されていない道は、
泥水が流れる川に変わった。
雨やどりする場所もない。
たちすくんだり、ころびそうになったり、
それでも、ふたりは、歩き続けた。
時刻が五時を回った。
夕闇が増していく。
そのとき、バス停が見えた。
けれど、シーズンオフになった九月。
すでに終バスは出たあとだった。
でも、どこかに、売店の建物でも
ないだろうか。ふたりは、
祈るような気分で、夕闇の中の道を、
のろのろと歩き続けた。

街道沿いに、丸沼という看板の出ている、
小さな湖に続く小道に気づいたとき、
ようやく雨は止み、
ドキドキするような、星空になっていた。

ふたりは、あまりお金もなかったので、
丸沼のほとりの、
小さなロッジに頼み込んで、
素泊まりで、とめてもらった。
せまいロッジの部屋で、
濡れた衣服を着替えて、ほっとする。
すると、ふたりを、
もうれつな空腹がおそってきた。
友人のリュックに板チョコ半分。
父のリュックにキャラメルが二個。・・・・・・
そのとき、ロッジの外に足音がした。
中学生くらいの少女が戸口に立っていた。
お盆の上に、おおきなおにぎりが四個。
「父が、これはサービスです。って」
そういうと少女は、キラリとふたりを見て、
小走りに去っていった。

次の日の早朝、バス停に向うふたりを、
少女が、手を振って送ってくれた。
丸沼は静かに、青空と山の影を映していた。
父は、それから、毎年の夏、
丸沼のロッジに行くようになった。
少女は成長し、父は少女が好きになった。
そして、大学を卒業して三年後、
父は少女と結婚した。
それから、二年後に、私が生まれた。

いままでの話は、数年前、
父の還暦のお祝いの夜に、
父と母から、聞いた話である。
私も、結婚して、二児の母になっている。
金精峠も、今日では、トンネルになったそうだ。
あっというまに、通過できるのだろう。
けれど、きっと、いまも、
昔の道を歩いて、金精峠を越え、
湖を見るひとも、いると思う。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年9月14日



星 空

       
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

ぼくがお父さんの家で、
小さな羊飼いだったころ、
ぼくは羊の番をするよりほかに
何も知らなかった。
ある日、狼が不意に来て、
いちばんきれいな小羊をころした。
けれど、ぼくの犬がそれを奪り戻し
ぼくはその皮と骨を、
しまっておいた。

雨風を防ぐため
ぼくはその皮で外套をこしらえ、
小さな尻尾を
帽子の羽かざりにした。

そして、小羊の背骨で
ぼくは一本の笛をこしらえた。
その音に合せて、美しいひとたちよ、
楡の木陰で踊れ。

この古いフランスの童謡を、母が、
女子高二年生の私に話してくれたのは、
多摩川沿いの丘に続く公園の、
桜並木だった。秋の夕暮れで、
暗く流れる川の、はるか高い空に、
西に傾く形で、白鳥座の星が、
大きく見えた。

話を聞きながら、私は
笛の音に合せて踊る、白い長袖の
ワンピースの少女たちを思い浮べた。
彼女たちは、満天の星空の下で、
豊かに実るぶどうの房を、
枝にからませた楡の木の下で、
輪になり、手をつなぎ、踊っている・・・・・

昔、ローマやプロヴァンス地方では
ぶどうを栽培するとき、
そのつるを、楡の木にからませることが
多かったと、父が言っていたのを、
そのとき、私は思いだしていた。

あの日、母と私は、
田園調布の古いレストランで
夕食をとった。
母は、ぶどう酒を飲み、
私も、ほんのすこし、唇を濡らした。
あの日の夜は、
フランスに旅立つ母を送る、前日の夜だった。

母と、私が小学六年生の時に
亡くなった父は、
ある私立大学の、フランス文学部の
助教授だった。そして、母が再婚する
ことになった、マルセイユ生れの
フランス人も、同じ大学の講師だった。
私にもやさしい、小柄なフランス人だった。
母と、その男性は恋をした。
男がフランスに帰ることになり、
母も同行することになった。
私は東京に残り、叔母の家で生活する。
高校を卒業したら、フランスに行く。
母と私は、そういう約束をした。

けれど、私は、結局、日本で大学を卒業し、
甲府盆地の、食品会社に就職した。
ぶどう畑の中の道を、
モーターバイクで通勤する日が続いた。
何年かたった、ある秋の夕暮、
星空の美しさに、思わず、バイクを止めた。
ぶどう畑から見あげると、白鳥座が
あのときの空のように、
西に傾きながら、空いっぱいに
飛んでいた。

「ひとが死んだら、星になるんだよ。
だから、おまえを、いつまでも、
父さんは、見つめているよ」
病の床で、死んでいく数日前に、
父が私に言った言葉。
その言葉を、星を見ながら、
ぶどう畑の中で、噛みしめているうちに、
私は思った。
来年の春になったら、
フランスに行こう、と。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー

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