小野田隆雄 2007年8月17日



ナデシコ
  
                  
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

ナデシコの花は、
日なたの匂いがする。
なつかしい少女の
髪の毛のように。

キツツキが電信柱をつつく、
山深い村の小さな小学校に、
その少女が転校してきたのは、
四年生の秋だった。
ひとめ見たとき、少年は、
きれいだなあと思った。
少女雑誌の表紙みたいだ、と思った。
少年が少女を、ぼーっと
見つめている日がくり返されていった。
そして、五年生になる頃から
少女が見つめ返して、
ニッコリしてくれるようになった。
彼女は、少年より、すこし背が高い。

それは六年生の夏の始め、
村はずれにあるお稲荷さんの祭りの日、
夕暮になる頃、ふたりは、ひそかに、
狐のお面をかぶって、
神社の森へ行った。
杉木立に囲まれた参道には、
屋台の店が立ち並び、
村人たちが晴着を着て、
三々、五々、歩いている。
人込みの中を、ふたりは、
かくれんぼするように歩いた。
やがて、東の山の端に、
十三夜の月が出る頃、
ふたりは、村に戻る川の堤の道を、
狐のお面をつけたまま、帰った。
なにもしゃべらずに、ふたり並んで。
青白い月の光の中を、
蛍が、後になり先になり、
ゆれながらひかり、消えていった。

少女の家は、
大きな竹やぶの陰にあり、
そこまで来ると、
ふたりは、お面を取った。
少女は、ナデシコの花もようの
ゆかたを着ていた。
少年は、トンボがいっぱい飛んでいる
ゆかたを着ていた。
ふたりは見つめあった。
突然、少年の右手が、
ナデシコの胸にのびて、ちょっと触れた。
少女の手が、かなり強く
トンボの頭をたたいた。
バカ、と少女は、小さい声で言った。

実り始めたクリの実を落して、
強い雨風が、何回か村を通り過ぎると、
その年の夏も終った。
少女は、突然、学校からいなくなった。
東京に引っ越していった。
少年は、ひとり、
裏山の松の木に登り、
夕暮の空に向かって、
トウキョウーっと叫んでみた。
甘ずっぱいものが、
胸の奥にこみあげてくる。

風のように訪れて、去っていった少女。
少年は、ときおり、右手の指先に、
やわらかなゴムマリにさわったような
うずくような感覚が、
よみがえるように、なっていた。

あれから時が流れて、昔の少年は
代々木上原の高台に
バラのように、はなやかな女性と
生活している。けれど、
庭先の、陽あたりの良い場所に、
まい年、夏になると、ナデシコの花が、
うす紅色の花をつけるのだった。

*出演者情報:久世星佳  03-5423-5904シスカンパニー

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小野田隆雄 2007年7月13日



追憶

                  
ストーリー 小野田隆雄
出演    久世星佳

ヨウシュヤマゴボウは、
いつも、ひとり。
群れたり、仲間を集めたりしない。
いつも、ひともと、高くのびて
大きな葉を茂らせて、枝を広げ、
小さな白い花をいっぱいつける。
花が散ると、黒に近い紫色の実を
山ブドウのように実らせる。
昔、少女たちは、この紫色の実を、
色水遊びの材料にした。

ヨウシュヤマゴボウの白い花が、 
サラサラと散り始めると、
夏が盛りになってくる。
そう、その頃になると
江の島電鉄の小さな車両は
潮の香りに満ちてくる。

白い麻のスーツに
コンビの靴をはき、
大きな水瓜をぶらさげて
三浦半島の油壺のおじさんが
鎌倉の雪ノ下の私たちの家に、
やってくるのは、そういう季節だった。
「やあ、みゆきちゃん、
水玉のワンピースが素敵だねえ」
みゆきというのは、私の名前である。
両親が四十歳を過ぎて、やっと生まれた、
ひとりっこである。
あの頃は、小学生だった。
おじさんは、父のいちばん上の兄で
銀行の重役さんだったけれど、
定年退職すると
三浦半島に引っ込んで、
お百姓さんになった。
おじさんは、ひとりだった。
いつも、おしゃれだった。

「あれは、NHKがテレビ放送を
始めた年だったねえ。
兄さんが、定年になったのは」

いつだったか、母が言っていた。

「兄さんは、女性のお友だちが多くてね。
それで忙しくて、とうとう結婚するひまが
無かったんだって。
なぜ、お百姓さんになったんですか、
ってね、私、聞いたことがあるの。
そしたらね、そりゃあ、あなた、
野菜はかわいい。文句をいいませんから。
だって」

私は、おぼろにおぼえている。
せみしぐれが降ってくる、
昼さがりの縁側の、籐椅子に腰をかけて、
おじさんと父が、
ビールを飲んでいた風景を。       
「おーい、よしこさん。
 水瓜は、まだ、冷えませんか」

「でも、兄さん、三浦の水瓜って、
 どうも、あまり、甘くありませんな」

「喜三郎(きさぶろう)、おまえねえ。
 水瓜なんてえものは、青くさい位が、
 ちょうどいいのさ。そういうものさ」

よしこ、というのは母。喜三郎と
いうのは父。おじさんは、
喜太朗という名前だった。

あの頃から、何年が過ぎ去ったのだろう。
父も母も、おじさんも、もういない。
私は、ぼーっと夢みたいに生きて、
ほそぼそと、イタリア語のほん訳を
して生活している。
雪ノ下の家は手離して、
東京の白金(しろかね)のマンションにひとり。
六十歳を過ぎたのは、二年前で・・・・・・

こうして、机にほおづえをついていると、
マンションの窓から、
入道雲が見える。
ああ、今年も夏になるんだねえ。
鎌倉に行ってみようか。
大町(おおまち)のお寺にある、三人のお墓に行ってみようか。
小さな丸い御影(みかげ)石が三個、
芝生に並んでいるお墓の上に、
きっと今年も、大きなヨウシュヤマゴボウが、
涼しい影を落しているのだろう。
その草の陰に、私もちょっと、
休ませてもらおうかな。

*出演者情報:久世星佳 SIScompany inc 03-5423-5904

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小野田隆雄 2007年6月8日



出来ちゃった婚、昔と今

                  
ストーリー 小野田隆雄
出演    久世星佳

 お手打ちの 夫婦なりしを 衣更
という、蕪村の俳句がございます。

 江戸時代、武家屋敷の奉公人の男女が、恋
をするのは、ご法度、つまり禁止されており
ました。でも、ときおり、恋に落ちてしまう
若いふたりもいたのですね。これが、主人に
知られると、さあ、大変。やぼな主人ですと、
 「ふたり並べて、四つにする!」
つまり、エイヤーッとふたりを切って捨てよ
うという、大騒ぎにもなってしまいます。
 こんなとき、さいわい奥方が話のわかる女
性ですと、まあまあと、止めに入ってくれる。
「おまえさまも、ずいぶんおなごを泣かせて
きたではありませぬか。若いふたりが好きお
うているのです。許しておあげなさいましな」 
などと主人をいさめてくれまして。

晴れてふたりは許されて、夫婦になり、
お長屋門の小さな部屋で新世帯。
お手打ちの騒ぎが、梅の咲く頃で、
春も過ぎて、めでたく衣更を
迎えたという、そんなロマンスが
蕪村の俳句でございます。

衣更して、浴衣姿で、差し向い。
おたがいに見つめあって、
いまの時代でしたら、
ビールで乾杯って、ところですが、
あいにく江戸時代でございます。
ギャマンのさかづきに
ひやざけを、なみなみ注いで、
甘ーい気分で飲んでおりますと、
螢が一匹、庭先を、スーイ、スーイ・・・・・・
昔は、こういう結婚もございました。
けれど、よく考えてみますと、
これもひとつの「出来ちゃった婚」
なのかも知れませんねえ。

「おい、花子、どうしたんだ。
 ビール飲まないのかい、
 よく冷えてるぜ」

「しばらく飲まない。それからね、
 これからは私の前で
 タバコ吸うのも止めてね。」

「なんだ、なんだ、
 どうしたの、なにがあったの」

「ねえ、次郎。キミが鈍感でもいいよ。
 でも、今日から、私のことには
 敏感になってね」

「おいおい、お願いしますよ。
 おれ、ずーっとまじめだったし、
 コンビニで働くの、向いてそうだし、
 もう、フリーターとは呼ばせないぜ」

「あのね、次郎がしっかりしてきたから、
 こうなったのかも知れないんだ」

「なにが、こうなったの?
 えっ? もしかして、赤ちゃん?」

「そう、赤ちゃん。今日、病院行ってきた」
「うーん、よーし、わかった。覚悟をきめ
た。
 キッチリ結婚式をあげよう」

「結婚式の式なんて、どうでもいいよ。
 でも、ふたりが結婚してるってこと、
 そのことを大切にしてね、次郎。
 もう、ママゴト、終りだもんね」

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

Photo by (c)Tomo.Yun

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小野田隆雄 2007年5月18日



アゲハチョウとオーデコロン

        
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

ある高原の町に、赤い屋根の幼稚園がありま
した。それは、よく晴れた五月下旬のある日、
午後二時頃のことでした。
年少組の教室の、いっぱいに開かれた窓から、
大きなアゲハチョウが一匹、ひらひら、ふら
ふら、舞い込んできたのです。
ちょうどお昼寝の時間で、子供たちはみんな
ぐっすり眠っていました。
担当のよし子先生も、椅子にかけたまま、う
つらうつら、夢を見ているようです。

幼稚園の外は白樺林。その木陰に続く道を、
十分ほど南に歩くと、小さな湖があります。
夏が近づくと、恋人たちのボートがアヒルと
追いかけっこをする湖です。
アゲハチョウは、その湖のほうから
飛んできたのでした。

さて、アゲハチョウは、しばらく教室の中を
あちら、こちら、飛びまわっていましたが、
誰も気づいてくれないので、すこし退屈な気
分になってきました。
けれど、ふと、何かとても良い香りがするの
に気づきました。
「はて、何だろう」
アゲハチョウは、眠っている子供たちひとり
ひとりに、そっと近づいてみました。
この子ではありません。あの子でもありませ
ん。そしてとうとう、よし子先生のほっそり
白い首筋から、オーデコロンが香ってくるの
を発見しました。
アゲハチョウは、よし子先生の肩に、そっと
羽根を休めて、そのやさしくほんのり甘い香
りに身をまかせました。

ところで、よし子先生には音楽家の恋人がい
ます。高原のオーケストラでピッコロを吹い
ています。いまは、北海道に演奏旅行に行っ
ています。
「あら、いつお戻りになったの?」
よし子先生は、彼がそっと肩に手を触れるの
を感じて、尋ねました。
「ちょっと、君にあいたくて。でも、すぐ帰ら
なきゃ」
「まあ、せっかく戻ってきたのに」
よし子先生は、夢の中で、思わず大きな声を
出してしまいました。
その瞬間、アゲハチョウは、よし子先生の肩
を離れて舞いあがり、窓から白樺の林の方角
に飛び去って行きました。

またひとしきり、白樺林に風が吹き、
葉と葉が触れあって、サラサラ、サラサラ、
ハミングで歌い始めました。
そして、その音に合わせるように、
子供たちの寝息が、スヤスヤ、スヤスヤ、
ハミングするのでした。
よし子先生は、ちょっと目ざめかけましたが、
少しほほえむと、また眠りに落ちていきまし
た。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2007年4月20日



夏の旅、レクイエム
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳  

すこし長い休暇をとって、
北陸の海に来ています。
ここは、あなたが住んでいた
太平洋側の町よりも、
かえって暑い感じがいたします。
今朝早く、激しい雨の中を
直江津から乗ったディーゼルカーは、
各駅ごとに停まりながら
歩くように走っていましたが、
小さな無人駅に停車したまま、
先程から動きません。

時刻はそろそろ正午に近く
すでに雨雲は走り去って
松林の向うに海が見えるこの駅に
蝉しぐれが降ってきます。
車窓から見あげると
雨があがったばかりの
抜けるような青空が
乱れ雲のあいだにのぞいています。
駅のホームは、白い砂地。
小さな花壇には、
カンナの花が、赤く咲いて。

あなたは、つんのめるように
走り去って、いなくなってしまった。
天使の階段をのぼって、行ってしまった。
駒沢通りで起きた交通事故。
ダンプカーに正面衝突した、
あなたの真っ黒なスポーツカー。
私を自由ヶ丘まで送ってくれた夜、
私に手を振って走り始めて
それから、すぐあとに起きた事故。
あれは、ほんとうに事故だったの?
いまでも、私は、そう思ってしまう。
あの、七夕も過ぎた頃の、
なまあたたかい夜の、あなたの死。

あなたの作るテレビコマーシャルが
次から次へと大当たりして
日本中のひとが、笑いころげている時、
きっと何かが、あなたの中で
崩れ始めていたのですね。
誰にも見せなかった、ピエロの素顔。
メロスのように走り続け、
足を血に染めていたあなた。
でも、私は忘れていなかった。
去年の夏に、あなたが八ヶ岳の高原で
つぶやいた言葉を。
「いちばん美しい日本の夕日は、
日本海に沈むんだよ。」
そのつぶやきは、高原の風に
消えそうになりながら、
ヒンヤリとしたなにかが、私の白い
ブラウスの肌に触れたのです。

いま、しんとした車内には、私と、
仲むつまじそうな老夫婦しか
乗っていません。
眼を閉じていると、こころよいような
寂しさにつつまれるのを感じます。
この出すあてのない長い手紙を、
旅に出てから、ずっと書き続けています。
今夜はこの海で、美しい夕日が
見られるかもしれない。そうしたら、
私は夕焼けの海に思いきり、
石を投げようと思っています。
それから叫びたい。
弱虫、甘ったれ、バカヤローと。
もう、この白いブラウスは
着ないからね。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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小野田隆雄 2007年3月2日



さくらづくし

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

サクラという、美しい男性のママの店を出
ると、新宿三丁目の夜は雨だった。桜雨と言
うのだろうか、柔かく絶えまなく降ってくる。
 二~三分小走りに歩き、堀田という小料理
屋に飛び込んだ。ここの美しい女性のおかみ
は、千葉県佐倉市の出身である。佐倉は江戸
時代、堀田家の城下町だった。おかみの名前
は、うららという。
♪「桜の花の咲く頃は、
  うららうらら、みなうららー
  のうららです」(歌詞の部分はうたう)
と、自己紹介してくれたのは、三年前、初め
て行った時である。
「あらあら、ずいぶん濡れちゃって。はい、
 タオル、髪ふいたほうがいいわ」
 私は鹿児島の女子高校を出て上京し、大学
卒業後、神保町の小さな出版社に入った。も
うかれこれ二十年近く働いている。みごとに
うば桜になってしまった。
「これ、おいしく煮えたわよ」
 おかみがそう言って、タコの桜煮を出して
くれた。
「ところで今夜はひとり?葉桜君は?」
 葉桜君は、私と同い年の、まあ恋人である。
なんだかぼーっとしていて、およそ花が無い
ので、いつのまにか、そう呼ばれている。鹿
児島で市内の高校の、文芸部のサークルで知
りあった。なんだか、明治の書生が生き残っ
たような男で、ぬけているが、ひたむきなと
ころが気に入った。いまは、売れないシナリ
オライターをやっている。
 今夜は、サクラで落ち合って、堀田で桜鯛
を食べる約束だったが、二時間待ってもサク
ラに姿を現さなかった。携帯は持たない男で
ある。
「どうしたのかねえ」と、おかみ。
「いいんだ。会えなくても」と、私。
 でも、そう言ったとたん、急に体が寒くな
った。花冷えというのだろうか。クシャミと
一緒に涙も出た。
「大丈夫?あったかい桜粥でも作ろうか」
 おかみのやさしさが、しみてくる。今夜は、
ほかにお客もいない。でも、私は言った。
「もう、さくらはいいよ。ほんとが欲しいよ。
私、帰る」私は、すねていた。
 とまり木から腰をあげたとたん、ドアがけ
たたましくあく音がした。葉桜君が入ってき
た。
「すまん、すまん。
コタツで居眠りしとったもんで」
 きみとの関係、
 サクラチルにしようかなあ。

*出演者情報 久世星佳  03-5423-5904 シスカンパニー所属

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