直川隆久 2013年5月12日

最後のマナー

       ストーリー 直川隆久
          出演 水下きよし
       
最後に言いたいこと…そうですな。
 
ま、この期に及んでこんなお話で大変、恐縮なのですがね。
前から、疑問に思っていることがあるんですな。
よろしいでしょうかな?

ほら、あの、ビルの入り口なんかで、ガラス扉、ありますな。
手で押したり引いたりするもの。
あれでときどき非常に困るのです。
いや、押しても引いてもよい、いわゆる両開きドアならよいのです。
問題は、どちらか一方にしか開かないドアで、
しかも、こっちから押さなければならないときですな。
困るでしょう。
 
…分かりませんか?
つまりね、私がドアの前に立ち、今まさにドアを押そう…というときに、
向こう側に誰かが立っていることがある。
まさにそれが見えるわけです。ガラスですからな。
そのとき、マナーに適ったふるまいとは如何なるものなのか…
これが私の長年の疑問でして。
イメージしていただきたい。私が相手のためにドアを開けるとですね…
相手としては、ドアが目の前にわっと、こう、迫ってくるので、
いったん後ろへ下がらなければいけませんね。
じゃあ、私が開けないとしたら。
私がそこでドアにかけた手を下ろしたら、どうなります?
「お前が開けろ」という意思表示になりますね、これは。明らかに。
しかも、ドアのまん前に突っ立っておれば相手とぶつかりますから、
一歩下がることになる。
「さあ、待ってるぞ、お前が開けるのを」という感じですね。
これは、尊大ではありませんか。
特に、鉢合わせの相手が妙齢の女性でしかもドアが重たかったりすると、
この問題が先鋭化しますな。
男性としてはハラスメントに当たらないのかと。

ガラスの向こうの相手に声をかける…それも考えたことがあります。
ですが、ガラス扉というやつは意外に防音性が高くてですな。
相手に聴きとらせるためには、むやみに大声をあげなければいけない。
これはなんというか…トゥーマッチですな。
行きずりの見ず知らずの相手に、そんな大声をかけるというのが
どうも洗練された振る舞いに思えませんし、
またガラスの向こうの相手も、
至近距離で妙に力まれると却って気まずいでしょう。

いやはや。
これは、ガラス扉というものがなかった時代には
ありえなかった問題ですね。
――本当に、生きるということは些末な悩み事で満ち溢れています。

神父様、いかがですか。
どのようなふるまいが正しいのでしょうな。

考えてみれば、このことを口にだして誰かに相談したのは、初めてです。
答えが知りたいですな。

そこに並んでいる、遺族の方々の中にもご存知の方は…
いらっしゃいませんか。

ええ。
そうですな、少し喋りすぎたようです。
目隠しは…いや、やめておきましょう。
 
神父様。
天国の扉は、両開きであってほしいものですな。

 
出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/

 

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直川隆久 2013年4月21日

姉の卵

      ストーリー 直川隆久
         出演 岩本幸子

「やあ、おそかったやないの」
長靴姿の姉は、6年ぶりに訪れた私達一家を、
かわらぬ笑顔で出迎えてくれた。
クワガタを捕まえてみたいという息子にせがまれ、
久しぶりに実家のあるこの村に帰って来た。

父の代から営む養鶏場を姉は一人で切り盛りしている。
姉はこの歳まで独身だ。
母が病気で亡くなってからは、仕事と父の世話に忙しく、
出会いの機会も少なかった。それのみを目的として結婚するには、
田舎の土地と養鶏場は資産価値がなかったというせいもある。
6年前に父が急逝してから今にいたるまで…
いや、もっと前から、私はこの実家にまつわるもろもろをすべて
姉に処理してもらってきた。

私が美大進学のために東京にでるときも、
姉は私をこころよく送り出してくれた。
「私に気い使うことないんやから。あんたは、あんたの才能のばしなさい。
 お母さんも生きとったらおんなじこと言うよ」と。
その後私は、東京でデザインを学び、アートディレクターとして独立を果たし、
それなりに名前を知られる存在になった。

昼間、息子と夫は近くの野原に虫取りに出る。東京ではできない経験だ。
夕食は、久しぶりに姉と私の二人で準備をした。
私がこの家をでるときに使っていたガスコンロがまだ現役だった。
バチンとひねって火をつけるタイプだ。懐かしい。
ただ、汚れは、以前よりきつくなっているように見えた。
包丁を握る姉の手の指の皺はさらに深くなったようだ。
冬の洗い物が最近はこたえるようになったと言う。
「食洗機くらい買ったら?」と言うわたしに姉は
「もったいないでしょ。一人分のために」と答えた。
離れて生活をする期間が長くなると、共通の話題は少なくなる。
6年前にも繰り返した子どもの頃のあの話この話を一通り喋ってしまうと、
台所には沈黙が訪れがちになった。
煮物のくつくついう音が響く台所で、不意に姉が口を開いた。
「これ、今まで言わんかったことだけどね…お父さん、
 亡くなる前の最後の言葉はね、あんたのことだったんだよ」
「え?」
虚をつかれた思いで、私は振り返る。
姉は、鍋のふたを開いて、中を覗いている。
「そう…なの?」
「あいつは立派になった。あいつは立派になった、いうてね。
 おれはこんな養鶏所しかできんかったけど、
 あいつは東京や外国でも仕事してる、言うて」
「そう…お父さんにはもうしわけないことしたな。
 あのころほんとに私、仕事、仕事で…」
「ずっとそばにおった私のことは、どうでもよかったんよ、お父さんは」
私はぎょっとして姉の横顔を見るが、
姉はいつもと変わらない頬笑みを浮かべながら落としぶたの位置を直していた。
私の視線を感じたのか、姉が「これだけできてたら、
もうええよ。あんた、休んできなさい」と促す。
私はエプロンをはずし、家の中を歩いてみる。
テレビのある居間に、見慣れた写真がかかっている。
姉の、高校卒業のときの写真だ。健在だった頃の父と母、
それに、私達姉妹が並んで笑っている。
子供の時は、毎日見て何も驚きを感じなかった写真だ。
だが今同じ物を見ると、ああ、若いな、と思う。
この頃の姉は、どんな未来を思い描いていたのか。

とりかえしのつかないものを数えることでしか、
人は時間というものを認識できない。

姉は、うみたての卵を使った料理をいろいろと用意してくれた。
だが、食のほそい息子はずいぶん残してしまった。
おやつに、と言って茹でてくれた大量の卵も、
ほとんどが手をつけられずじまいだった。
姉さん、ごめん、と私が小声で言うと、
姉は「気にせん、気にせん。うちの卵はブランド品じゃないもん」
と言ってからからと笑った。
翌朝には東京に帰らねばならない。私達は早めの床についた。

夢を見た気がした。
子どもの頃の記憶だった。
養鶏場の前で、くせえくせえとはやし立てる小学生の男子。
その中に、姉がひそかに思いを寄せている吉田君が混じっている。
その声を無視して掃除を続ける姉の背中が、小さく震えている。
それを私はただ見つめている。

ビールの飲み過ぎのせいか夜中のどがかわいてしまい、目がさめた。
水を飲みに台所に行こうとした、そのとき。
居間から光が漏れているのに気付いた。
のぞくと、電気を消した部屋で、座卓に向かった姉がテレビを観ている。

卵を山盛りにしたザルが座卓の上に載っている。
姉はその一つを手にとり、皮をむいた。つるり、と茹でられた卵の肌が現れた。
姉は、殻をきれいに剥くとその卵を一口に、

ごぼり、

と飲み込んだ。
のどが、ぎゅるりと動き、卵がそこを通過したことが見て取れた。

姉は一定のペースで卵の殻をむいては、

ごぼり。
ごぼり。
 
と、飲み込んで行く。
ザルの中の卵の山が、見る間に小さくなって行く。

見てはいけないものを見た気がしたが、立ち去ることもできず、
わたしは、姉の様子をじっと見つめ続けていた。

あらかた卵がなくなり、大量の殻がコタツの上に散乱している。
そのときに、姉が私に気付いた。

姉は、じっと私をみつめた。
そして力なく、ふ、と笑って言った。
「最近はね、こういう食べ方じゃないと味がせんのよ」
でも、そんな食べ方…からだに悪いんじゃない?
と私が言うと、姉は返事をせずに、再びテレビの方を向いた。
テレビの横からの光が、姉の顔の皺を、不意に見慣れない形に浮き上がらせた。

出演者情報:岩本幸子 劇団イキウメ http://www.ikiume.jp/index.html

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直川隆久 2013年3月24日

ある記者会見

           ストーリー 直川隆久
              出演 上杉祥三

え?
今、なんて言った?
「禁花見法」?
あのねえ。大向こう受けを狙いたいんだろうけどね、
そういう矮小な呼び方は迷惑なんだなあ。国民の誤解を招くんですよ。
今日成立したのは「青少年の健全育成の前提としての公共秩序に関する法律」ですよ。
あぁたがたもごぞんじとは思うけどもだね、
花見を禁止することが目的の法律じゃないんですよ。
核心はあくまで、子どもの健全なる精神の涵養にあるんであってだね。
そこの論点をずらしてもらうと困るんだな。

国や地方公共団体が管理する土地でだね、薬物やアルコールを摂取したりだな、
さらには摂取してる人間を見るということまで含めて、
青少年の影響されやすい脳には非常に有害だと。
公(おおやけ)の空間てのは、そもそも誰のものなんだと。
まあ、こういう議論は今さら繰り返すまでもないでしょうが。
ま、おかげさまを持ってね、無事成立ということで。
施行(せこう)はこの春からですけども。
何?
憲法上の集会の自由との関係?
もう、そういう話はいいでしょ。すでに議論はつくしてるわけだから。
あきあきしてんだ。
憲法にそんなことが書いてあるの?花見の権利とか、
そんなことが。
書いてないだろ?

はい、次。
…ああ。ああ。
 
…はい。
君、ちょっときくけどもね。源氏物語、呼んだことある?
源氏だよ。
げんじ。
知らんはずはないよな。
なに?“源氏物語が今関係あるんですか”?
質問に質問で返すなよ。答えなさいよ。
読んだことあるの?ないの?どっち?
ないんだろ。
そんな、源氏も読んだことのない精神レベルの記者にだね、質問する資格はありません。勉強してから来たまえよ。何のために会社は君らに高い給料払ってるの。
はい、次。
 
なに?きこえないんだよ、声が小さい。
あのさあ、何度も同じことを言わせなさんなよ。
国家がこの国難に陥っているときにですよ、
大の大人が桜の木の下で浮かれておる場合じゃないでしょうってことだよ。
 
え?なに?
デモ規制?
デモってなに。
ま、この法律でデモを規制するかどうかは、現場の判断でしょうね。
 
いや、だから、それは現場の判断ですよ。
そんなことはいちいち総理大臣である私が口をつっこむことじゃないよ。

じゃあ君の会社の社長は、君だちが書く記事を、全部支持して書かせてるか?
そうじゃないだろう。社長にきいたら、
明日の紙面の記事の一言一句が分かるのか?
 
え? 
声を荒げるのは、痛いところをつかれた証拠?

私がいつ声を荒げたんです。
いつ声を荒げたんです。何時。何分、何秒。
答えろよ。
こっちが訊いてるんだ。答えろよ。
答えられないのか。
自分が言ったことに責任をもてないのか。それでマスメディアかね。
私を侮辱するってことはねえ、国民を、
私を選んだ有権者を侮辱するってことですよ。
あんた、その覚悟があるんですか。
おい、あなた、どこの新聞社?
ああ、毎朝か。
顔おぼえとくよ。

ま、もういいでしょ。これ以上続けるのも、不毛ですし。
はい、ごくろうさん。はい。
 
 
…カメラ止まったかね。
 

え?
いや、なに今日はねえ、これから議員会館で幹事長と会わなきゃいけないんだ。

イヤなんだけどね。議員会館の食堂は。まずくてさ。
このあいだプリンを頼んだら、カラメルがやたらに甘ったるいプリンを出してきてさ。
こんなもの、食えるか、子どものエサだ。って私がどなってやったらね、
ちゃんと次から、ほろ苦いカラメルのプリンに変えて出してきましたよ。
連中は人を見てやがるんだ。
はっはっは。
  
ま、食うのはやっぱり銀座だな。
公園で酒なんて飲むもんじゃないよ。あんたらもね。
はっはっはっは。
じゃ、ま、そういうことで。

出演者情報:上杉祥三 オフィスPSC:03-3359-2561

 

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直川隆久 2013年2月17日

砂漠にて

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

茫漠たる砂の海を、もう何日歩きづめだろうか。
地平線を目でなぞり、集落はないかと探す。

と、視界の端に、地表から立ち上がる直線を見た気がして、ぎょっとする。
私はナップザックから双眼鏡を取り出す。
直線、すなわち構造物。
そんなものが、まだこの世に存在しているのか。あらゆる都市が壊滅し、
人間のほとんどが死に絶えたこの世に。

もう一度双眼鏡をのぞく…棒の上に、赤い光と…その横には、緑の光。
信号だ。
――信号?
この砂漠の真ん中に?

何ヶ月ぶりかで人工物を見た。
なぜそんなものがあるのか、それはわからないがしかし…
誰かが、何らかの目的で設置したことは確かだろう。
私の目は人間の影を求めて動くが、人間はおろかハゲタカ一羽飛んでいない。

それにしても――砂漠に立つ信号なんて、
まだ文明があった時代には滑稽に思えただろう。
だが今は!
この赤い光はなんと心に温かいことか!
私は魅入られたように、その信号に向かって歩を進める。
交通規制!
なんて懐かしい響き!
方向も変化もなく、ただただひろがる砂。砂。砂。
その無意味さに、私はもう耐えられなくなりそうだったのだ。

意味、目標、方向づけ、ルール。
そういったものがなければ心の平安がえられない。
やはり私は都市に適応した生物だったのだと痛感する。

そのとき、ぐらりと足元の地面が揺れた。

信号の下の地面が小山のように盛り上がり、
象の皮膚のような質感の巨大な肉の塊が姿を見せた。
そのてっぺんから信号が生えている。
私の足元に直径10メールばかりの黒い穴がぼかりと空いた。
足の下の砂が、奔流のように、その穴に流れ落ちて行く。
しまった…
そうか――この信号は、いわばチョウチンアンコウのチョウチン――
誘引突起だったのか。
スナクジラとかいう化け物の噂を、ずいぶん昔、聞いたのを思い出す。

私は、地すべりのような砂の流れと一緒に、
その得体の知れない生き物の口に飲み込まれてゆく。
文明消滅後の人間心理まで利用するとは、
自然の叡智というやつはまったくはかりしれない――

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久 2013年1月20日

負ける男

         ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

高原。あえて言葉を選ばずに言おう。
俺はおまえに死んでほしい。
娘の愛美が、“会わせたい人がいる”と俺に言ってきたときから
いやな予感はしていたんだ。
年が離れてるとはきいてたが、
まさか自分の同い年の男が来るとは思わないじゃないか。
正月早々、とんだご挨拶だ。
さらに、あろうことか、おまえだなんて。
なんでおまえなんだ。
忘れたとは言わせんよ。
30…32年前か。
山岳部のアイドルだった平岡祥子をかっさらって行ったのは、
おまえじゃないか。

就職活動の時期が来ても、
七大陸最高峰無酸素登頂の夢を語るおまえを、おれは疎ましい思いで見ていた。
就職活動に駆けずり回っている俺を、バカにされているような気がしていたんだ。
だから最大手都銀から内定をもらったとき、俺は、勝ったと思ったよ。
だからその日におれは、平岡に告白した。
で、手痛くふられたよ。好きなのは、高原君ですってな。

平岡は、そのことは言っていたか。なかったか。
まあ、そうだろうな。
おまえがどういうつもりかしらんがな。
その時点で、おまえは俺に借りがあるんだよ。
借りだろう?借りだよ、そんなものは。
卒業後もおまえは結局就職せず、
個人的にスポンサーを集めながら冒険旅行を繰り返してたな。
熊みたいなお前の容貌は安心感を与えるんだろう、
スポンサーにも人気があった。
おまえ達夫婦がときおりテレビ番組で取り上げられるたび、
俺は見ないふりをするのに必死だったよ。
なぜって? 
おまえは俺をみじめにさせるんだよ。
冒険ができない俺を、人生にせよ山にせよ、
確実なルートでしか登攀できない俺を。
 
そうやって、前途洋々のおまえだったじゃないか。いつの間に別れたんだ。
平岡祥子と。

…癌?

それは知らなかった。
苦しんだのか。
…そうか。
しかし、それにしても…おまえはどこまでも主人公だな。

愛美とはどこで知り合ったんだ。
環境保護NPOの事務局で…?
ライチョウの写真を見せて話しているあいだに意気投合、だと?
ふん。紋切り型だな。まったくもって紋切り型だ。
だから、そんな団体に出入りさせたくなかったんだ。
おまえ達のそういうところが、俺は嫌いなんだ。
その、自分の純粋さを疑わない感じが。
のほほんとしたおまえらのとばっちりを受けるこっちの身にもなれ。
なにがライチョウだ。
なんだ。不満か?
おまえのストーリーの中では、俺は悪役だろうな。
や、誰が考えてもそうさ。
年の差を愛で乗り越えようとしている二人の前に立ちふさがる
保守的な親父という構図だ。
自分の無粋さも自覚できない、イタい男さ。
だがな、俺の人生は映画じゃない。
客のものじゃない、俺のものだ。俺が主人公だ!
ものわかりのいいふりをする気はないんだ。

ああ…。

…なんで、愛美はおまえみたいなくだらないのにつかまったんだ。
と言えればラクだろうさ。
2年のとき――槍ヶ岳で高山病にかかってふらつく俺を、
おぶって下山して、俺を責めるような目をただの一瞬もしなかった――
おまえがそういう男でさえなけりゃ、ラクだろうさ。

なんで、そうやって何度も俺に負けを味わわせるんだ。
ちくしょう、大きな声をださせやがって。愛美にきこえるだろう。
おい。そんなふうに、困った顔で、頭をかかえるんじゃない。
泣きたいのは、こっちなんだよ。
 

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久 2012年12月16日

暗い鮨屋 

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

黄昏時。営業先のとある町で、迷子になってみた。
おれは、初めての町に行くと、適当に見つけた細い路地に入りこんで、
ささやかな迷子気分を味わうことが好きだ。
ことに、日のあたらないせまい道をうろつくと、
心細いような怖いような、妙な快感がある。
このあたりは明治のころからの下町エリアらしく、
木造の長屋や、場所によってはポンプ式の井戸なども
残っていたりするのが嬉しい。
と、うす暗い路地のどんつきの家に、真新しいのれんがかかっている。
こんなところに店が、と意外に思ってよく見ると

闇すし 日没より営業
   
とある。
…「闇すし」――鮨屋?
奇をてらったとしか思えない屋号だ。しかし、個性的ではある。
興味をひかれ、戸を開けてみる。
中は真っ暗だ。開店前か。
酢飯と、生魚のにおいが鼻をくすぐる。
たまらん。歩き詰めだったから、腹が減っている。
「いらっしゃい。どうぞ」と店の奥から快活な声がした。よく見えない。
「まだ開けてらっしゃらないんじゃ――」
「開けてますよ。どうぞ」
うながされるままにおれは店に入った。
ぴしゃり、と背後で戸がしまり、ほんとうに真っ暗になる。
狼狽するおれの方へ、奥から再び声が投げられてきた。
「ああ。初めての方ですね。…
うちはこうやって真っ暗な中で召し上がっていただくんです」
ええ?いくらなんでもそれは…
こんな真っ暗な中で鮨なんぞ食えるものか。
「どうぞ、こみあっておそれいりますが。こちらに一席ございます」
 …先客がいるのか?
 たしかに、耳をそばだてると、
すしを咀嚼する音がカウンターらしき場所から聞こえてくる。
この店、意外にはやっているのか。

ほかに客がいるとなると、やや安心した。
何事も話の種だ。
店主と一対一でなければ、そう気まずくなることもあるまい。
そう思っておれはカウンター席、であるらしいその椅子に腰をおろした。
店主や隣の客の顔はおろか、自分の指先すら、全く見えない。
「おまかせでよろしいですか」と主人らしき声が訊く。
たしかにこう真っ暗ではネタケースも見えない。それで、と返事をする。
「どうぞ」と店主がおれの目の前に鮨を置いた気配がした。
「なんですか」と訊くと店主は「食べればわかります」と答えた。
おれは手探りでその鮨をつかむ。
ほどよくしめった感触が指につたわり、
持ちあげると、ネタが自分の重みで少したわむのが感じられた。
正体不明のものを口に運ぶのには多少勇気がいったが、
ままよとばかりに放り込む。
ひと噛みしても、わからない。
じっくりと神経を集中させて噛みしめ、香りを鼻にぬいて点検してみると、
どうやらヒラメらしいと思われた。かつ、相当にうまい。
これはたしかにスリリングだ。
ひとつ、またひとつとおっかなびっくりで口に運ぶ。
二つ目はアジ、らしかった。三つ目は、おそらく、カンパチだった。
どれも、たいへんにうまい。ちょっとこの店をなめていたようだ。
それとも、暗闇で食べるという体験が感覚を覚醒させているのだろうか。

そういえば、同様の趣向のレストランが東京にあるときいたことがある。
真っ暗な中で食べると、視覚が遮断されるぶん、より味覚が鋭敏になるという。
なるほど、これは場所ににあわず、
最先端のカルチャーを提供する店かもしれない。
と思うと気持ちも乗ってきた。
 調子にのったおれは、店主がだす鮨を次から次へと口に放り込んだ。
 
最初のうちは、この鮨ネタは何かと見当をつけることを
ゲームとして楽しんでいたが、だんだんそれがどうでもいいことに思えてきた。
生の魚の肌が舌に乗る感触、脂の味、香り…そのことだけに集中し、
そのことだけを堪能するほうが、気持ちよくなってきたのだ。
ひどくうまい。何個でも食べられる。
隣の客達も、ひとことも喋らない。みんな、鮨の味に集中しているのだ。

そしてしばらくすると、不思議な感覚がうまれてきた。
手足が目に見えない状態が続いたせいだろうか、
そもそも自分に手足があるのかどうかが、あやふやになってきた。
足って…どこにあるんだっけ?そう思って足を動かすと、
そこに足がある感覚は生じる。
しかし、動かすのをやめれば、自分の体がどこまでか、またよくわからなくなる。
わからないわけはないだろう、とおれも最初は思った。
だが、そう…たとえるなら、あなたは、自分の二の腕の裏側が
「存在している」ということを、見ることもさわることもせずして、
確認できるだろうか?
そんなあやふやな感じが、だんだんとおれの全身にひろがってきたのだ。
いや、全身、ということすら…よくわからなくなってきた。
この暗闇の中で、どこまでがおれの全身なのか、
その輪郭がもはや判然としないのだ。
おれがすしを食べているのか、暗闇がすしを食べているのか。
わからなくなってくる。

わからなく…なってくる。
暗闇に溶け込んでいく。
この感覚は嫌いじゃない――怖いような、でも、なにか甘美な快感だ。
そうだ、こんな感覚を味わいたくて、
おれはいままで、暗い路地をうろうろとしていたんだ。

そしておれは気づいたのだ。
闇に溶け出しているのはおれだけじゃない。
ほかの客たちもそうなのだと。
なぜわかったかといえば、鮨をほおばる隣の客の悦びを、
おれがダイレクトに感じ取れたからだ。
おれが鮨をほおばれば、その悦びがほかの客に伝わり、
それがまたおれにも伝わってくる。

「おれたちは、ひとつになっている」

なんという快感。愉悦。
とめどなく――おれは暗闇に流れ出していく。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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