直川隆久さんの芝居がはじまる

直川隆久さんはコピーライターでありプランナーですが
同時に「満員劇場御礼座」という劇団の役者でもあります。
さらにいえば、そこで上演される芝居の作者でもあります。
座員25名は全員がは忙しい会社員なのですが
年一回のペースで公演を行っているのが凄いなあと、
滅多にやらないライブにぜ〜ぜ〜いってる私は思います。

さて、その満員劇場御礼座の東京公演が近づいています。
12月6日(木)から9日(日)まで、場所は中目黒のウッディシアター
お時間ありましたら、ぜひ。

詳細はこちら:http://www.mangeki.com/performance2012_mayutsuba/

そうそう、直川隆久さんの芸名は堂島サバ吉です(なかやま)

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直川隆久 2012年11月18日

記念日未遂

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

ええ。
その通りです。坂東蟹蔵は、昨日の午後の患者です。
はい。
開業場所ですか?
は…広尾ですね。マンションの一室です。
まあ、電話帳にもだしていませんので、ご存知の方は少ないでしょう。
うちの場合、普通の歯科医とは、患者の層が、多少違いますのでね。

「あれ?あのタレント、急に歯並びがよくなったな」と
思った経験おありじゃありませんかね。
え?ああ、そうそう、あのアイドル歌手の方ね。私の患者です
歯並びというやつは、まあ健康的にやるなら矯正治療がよいわけですが、
時間もかかるし、ブリッジというやつが目立つ。
顔が商売道具の人にはむきません。
大体は、手っとり早く抜歯して、差し歯の処置をします。
もっとドラスティックにやる場合は顎の骨を切って貼り直すか。
この場合は外科手術が必要になりますが、私は口腔外科も扱いますのでね。
要するに、すばやく治療ができ、秘密も守れる歯科医のニーズが、
一定の層の方々にはあるわけです。
まああれだけあからさまに治しておきながら
秘密も何もないという話もありますが。ふっは。

同業の仲間にはね、この仕事を“金のため”と割り切っている者も多いけれども、
私は違います。歯そのものに、ひどくひかれるんですな。
興奮するといってもいい。
はっきりいって、気持ち悪いですな。口の中の眺めというのは。
ためしにぐっとこう歯をむいて写真をとり、
その目を隠して口元だけ見てごらんなさい。
生々しくケダモノと言う感じがして、実にあさましい。
そこが、まあ…好きなのですね。
歯列というのは、一般には整然と並んでいるものが美しいとされるわけですが、
長年この仕事をしていますとね、ただ「きれい」なだけの歯というのには、
興味がもてません。意外性がない。
むしろ、乱調のものがいい。乱杭の、犬歯と前が完全に重なって
表から見えない歯が裏に隠れているようなのは、
隠匿、という文字が浮かんで、ことに好きです。
――ま、私はやや特殊なほうかもしれませんが。
だから、治ってしまうと、やや残念です。
…とはいえ、私は、腕はわりにあるほうでしてね。
そのおかげでまあ30年、この道でやってこれました。
ふっは。

口コミというやつで、私のところにはいろいろ著名な方が治療にこられます。
そういう患者さんを長年扱っておりますと、だんだん貯まってくるんですな。
なにが?
歯ですよ。歯。処置するために抜いた歯です。
海外でも評価の高い映画監督の第一小臼歯、
売り出し中のグラビアアイドルの第二大臼歯、人気漫才師の前歯。
といった具合に。
記念に持って帰りたいという人にはもちろん、さしあげますがね。
そうでなければ、こちらで持っておくのです。
 
で、思いついたのです。
これで、人間の歯並びをひと揃え作ってみたら面白いんじゃないかと。
ぜんぶ、違う人間の歯でね。
むろん、簡単ではない。
ワンセット歯並びを完成させようと思えば32本の歯が必要です。
だがもし完成すれば、ひとつの口の中に、32人分の有名人の歯がならんでいる。
もちろん、歯の大きさはバラバラですから、きれいな歯列じゃない。
虫食いで汚らしい歯もある。でも、そのがたがたの、ぐしゃぐしゃが、
なんというか、一種おぞましくて、ああいう一見華やかだけれどその実は…
という世界の縮図として、悪くないんじゃないかとね。
 
それを思い立って、全体の8合目あたりまで来るのに、
まあ、10年がところかかりました。
そうそう旨い具合に欲しいポジションの歯はそろわないのです。
特に上の犬歯は頑丈な歯で、そうそう悪くならないので抜きに来る人も少ない。
交通事故を起こしたロックミュージシャンの手術をしたときに、
初めて手に入りました。
そして、残るのは左側の上の親知らずだけになったのですが、
ここからが長かった。3年待ちました。
何度か親知らずの抜歯の患者はきていたのですが、
みんな歯を持ち帰りたがりましてね、手元に残らなかった。
で、ついにきた。それが坂東蟹蔵だったのです。
ひどく親知らずが痛むので、なんとかしてほしいという話でした。
ところが患者が来てみると…
あにはからんや…左側ではなくて、右側だったのです。
これにはがっかりしました。期待が大きかっただけに…
いや、ご存知のとおり、この歌舞伎役者、
若気のいたりで悪さをいろいろとしておりましたからね。
「親知らず」とはなかなかシャレがきいている、
ぜひ欲しいと思っていたのです。
手に入る、と思っていたものがそうならなかった場合、
落胆はより激しいものです。
レントゲンを撮ってみると、右上の親知らずの根っこが、
上顎洞という頭蓋骨の中の空洞につき出て、その内部が化膿しているという状態で、
全身麻酔の手術が必要な状態でした。
で、蟹蔵氏をベッドで寝かし、手術を開始しました。
右側の治療…歯肉と顔の肉の接合部分を切開したのち、
顔の肉をめくりあげまして、そこから頭蓋骨に穴をあけ、
上顎洞の中をがりがりと掃除…ああ、説明はよろしいですか。
ともかく。こちらの治療はつつがなく終えました。
で、そこで終わればよかったのですが…
まあ、やはり、どうしても欲しくなってしまったのですな。
左上の親知らず。
蟹蔵氏は寝ています。

蟹蔵氏の親知らずは、ほぼ真横に生えていましてね。ペンチでは抜けそうもない。
私は、ドリルを手にとってしまっていました。
ふだんなら、そういうヘマはやらないんですが、
嬉しさのあまり焦っていたんでしょうな。
つい、顎の骨が断裂するほどドリルをあててしまった。
が、さいわい、親知らずは、無傷で取り出せました。
で、まあ、彼が目がさめてからえらく問題になりまして――
このように警察の方がいらっしゃっていると…まあそういうわけです。
 
いやあ、あの歯が滞りなく手に入ったら、いい記念日になっていたのですが。
ふっは。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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直川隆久 2012年10月7日

風のないグラウンドは

 
         ストーリー 直川隆久
            出演 地曵豪

 風のないグラウンドは、ちょうどあの日みたいに暑い。
 暑すぎる。10月だというのに。
西陽が、じりじりと頬を焼く。
 フェンス脇にはえたセイタカアワダチソウの花が、黄色く光っている。
ほんとに、ちょうどあの日みたいだ。
このグラウンドに来るのは、何年ぶりだろう。15年…20年?
ずっと、来るのが怖かった。
 
彼女が遠い町に転校していくというしらせを、僕は教室できいた。
 担任の佐山先生は、おとうさんのお仕事の関係だそうです、とだけ言った。
 違う。
彼女の転校は、僕のせいだった。
僕のせいなのだ。

あの日、僕の足元にあの石さえなかったら――
そんな身勝手な後悔をどれだけ繰り返したことだろう。
彼女の連絡先を探そうとしたこともあったが、むなしい望みだった。

わたしの左目をつぶしたのは、あいつです。
いつ彼女が周囲にそう告げるか。僕はおびえ続けた。
小学校を卒業し、中学、高校と進んでも、恐怖は薄れなかった。
でも。
僕を捕まえに来る大人はいなかった。

大学受験を期に僕は町を出、それ以来、戻ることはなかった。

 大学を卒業し、就職し、家族もできた。
 変哲もない人生だが、平凡な幸せを味わってもきた。
 
だが――いや、それだからこそ、
罪悪感は治らない傷口から浸みだす体液のように僕を濡らし続けた。
 そして――

僕はたえられなくなった。
出張だ、と妻に嘘をつき、両親もとうに家を引き払い、
親類縁者とてないこの町へむかう列車に乗り込んでしまったのだ。

 暑い。
 風がないグラウンドは、ほんとうに暑い。
あの日のままだ。
 
僕は考える。
いっそ、彼女が僕を断罪してくれたら、どれだけ楽だったろう。
 なぜそうしなかった?
なぜ、誰にも言わなかった?

ふと、ある考えが浮かぶ。
咎めも、しかし赦しもしないことで、
僕をあの日に宙吊りにし続けること。
このグラウンドにしばりつけること。
それこそが彼女の意図だったのではないかと――

そのとき。びゅ、と風がふいた気がした。

ああ…それにしても、あつい。
 はやくかえってつめたいむぎ茶がのみたい。
 
きょうは、宇宙刑事ギャバンの再放送があるから、
それまでにはかえりたいんだ。

 グランドでまってる、なんて手紙を、
 まつながゆきはそうじの時間にぼくに手わたした。
 いやなんだ。まつなががそういうことしてくるの。
そういうの、クラスのみんなに見られると、すごくひやかされるし。
 すぐいっしょにかえろうとかいうし。

 ああ、なんかへんなかんじだな。
 ずっとまえにもこのけしきをみたことがあるような気がする。
 そういうことってよくあるのよ。ってかあさんが言ってた。
 なんていうんだっけ…

あ、やっぱり。
まつながが立ってる。

 きょう、もしなんか言ってきたら、きもいんだよ、って
 石でもなげておどかしてやろう。
 あたらないようになげるさ。コントロールにはじしんがある。
 
 「きてくれたんだね」
 
 うれしそうなこえがした。
 むこうをむいて立ってたのに、ぼくにきづいたみたいだ。
 まつながが、いま、こっちをふりむく――

(終)

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2012年9月23日

なでしこの星

       ストーリー 直川隆久
          出演  長野里美

西暦2139年。
堀内海斗(116歳)は、死の床にあった。
おおむねよい人生だったと思う。
若い頃には、まさか自分が人類最後の男性になろうとは夢にも思わなかった。

はじまりは2022年だった。
健全な卵子にもかかわらず受精をしない――
あたかも卵子が精子を拒絶するかのようにふるまう――
という不妊症例が、ぽつりぽつりと学会で報告されるようになったが、
学会後の懇親会のメニューほどには参加者の興味をひかなかった。

爆発は2023年だった。
全世界的に不妊患者が激増し、各国の出生率は目に見えて落ち込んだ。
何万という医師、研究者が原因究明にあたったが、
手掛かりすら一向につかめない。

2026年。
WHOは、今年、地球上には一人の赤ん坊も誕生しなかった。と発表した。
そして、調査がおよぶ範囲を見る限り、妊娠をしている女性は
現在地球上に存在しない。とも。

そして、その後ほぼ10年にわたってWHOは同じ発表を繰り返すことになった。
人々は、観念した。

それからの世の中の混乱ぶりは、大変なものであった。
希望を託する、といえば聞こえはいいが、
要はもろもろのツケをおしつけられる「次世代」がいなくなってしまったのだ。
絶望が世界を覆った。

その後20年ほどをかけて全人類の数はおよそ3分の2になった

小学校時代、堀内海斗が6年生のとき、5年生のクラスは15人。
4年生は4人。3年生から下はゼロであった。
大学生になっても、社会人になっても状況はかわらない。

ヒトという種の緩慢なる絶滅、
という物語を「用事をいいつけられる後輩がいつまでたっても現れない事態」として
海斗は認識した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

意外なことに、世界の状況は人口の減少とともに好転していった。
まず、消費が減ったことで、地下資源の枯渇、熱帯雨林の減少に歯止めがかかった。
縮小した経済活動は、CO2の排出も少なくした。
なにより、世界を覆ったある種の「あきらめ」のせいか、
過度な競争や抗争がだんだんと「バカらしい」ものと認識されるようになった。
ようやくにして「人類の進歩と調和」が訪れはじめたのであった。

2061年、第2の転換が起こる。
中央アフリカに住むある女性の妊娠のニュースが世界を駆け巡ったのだ。
奇妙なことにその女性は自分に男性経験はないと主張した。
「処女懐胎!か?」の文字がゴシップ紙の見出しを華々しく飾った。

2062年、36年ぶりに人類に子供が生まれた。
女の子であった。
世界が注目する中、女の子のDNA解析がなされ、不可思議な事実が発見された。

この女の子のもつ遺伝子は、すべて母親由来だったのである。
何度検証を重ねても結果は同じであった。
科学者はこう結論した――
この子は、母親由来の卵子が二つ結合して発生した個体としか考えられない。

月に一個排出されるはずの卵子が2個となり、その卵子が結合して、
一個の卵(らん)となる。
卵子の性染色体はXであるので、結合した卵もXX、すなわち女となる。

ヒトという種が単性生殖の生物へと変貌をとげたこの年は、
「人類再生の年」として記憶されることになった。

その後も世界の「男」達は歳をとり続け、徐々に数を減らしていった。
堀内海斗は、友人たちが老衰で一人、二人と死にゆくのを眺めながら、
思いのほか長生きをした。
気がつけば、自分が人類最後の男になっていたのである。

なぜ自分が?堀内海斗には、わからなかった。
なぜあんな男が?堀内海斗以外の人間にもわからなかった。

世間から注目されるという経験を、堀内海斗は100歳を間近に初めて経験した。
だがあまり弁もたたず、性格もどちらかといえば暗い堀内海斗はテレビ受けせず、
取材陣もじきに彼のもとを訪れなくなった。

生存する男が残り2人になった時、片方はフランス人の元俳優で、ハンサムであった。世間は明らかにそのフランス人に“人類最後の男”になってもらいたげであった。

21世紀初頭からの人類の変化についての科学者の見解は
「“オスという生殖ツールの切り捨て”であった」という解釈で一致している。
戦争や競争といった環境負荷の高い行為を嗜癖するオス。
それを「掃除」することが、遺伝子レベルで決定されたのだと。

現に、女だけの世界は、すこぶる平和であった。
なんだ、男なんて結局いらなかったじゃん。
という気分が世に広がった。

2137年。
特別療養施設で命をつなぎながら堀内海斗は、
件のフランス男の訃報を複雑な思いで聞いた。
看護師の控室に広がる落胆がベッドの上からも感じとれた。

世間は堀内海斗を忘れ、堀内海斗も様々なことを忘却しはじめていた。

2139年の夏。
看護師がエアコンの設定温度を低くしすぎたために、
風邪をこじらせた堀内海斗は、肺炎にかかった。
延命措置はとられたが、彼の体力では耐えられそうにない。

乏しくなった記憶をつなぎ合わせた上で「おおむねよい人生だった」と
堀内海斗はあらためて結論した。まがりなりにも、人類最後の男だ。
世界中の「女」が、堀内海斗の死を知るだろう。

天国へと旅立つときに見える花畑はたぶん、なでしこでいっぱいだ。

出演者情報:長野里美 株式会社 融合事務所所属:http://www.yougooffice.com/ 


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直川隆久 2012年8月26日

猫の恩返し

            ストーリー 直川隆久
               出演 清水理沙

「卒業制作、すすんでますか」
中央食堂前のベンチでコーヒーを飲みながらぼんやりしていると、
見知らぬおやじが話しかけてきた。
いまどきベレー帽にマフラー。油絵科の教授か?にしては、服がぼろい。
いいかげんな返事をしていると、わたしの隣に腰掛けてきた。
「見覚えありませんか」
おやじが帽子をぬぐと、頭に大きなやけどのあと。
そこだけ髪の毛が生えていない。
「…ない。です。見覚え」
「若い頃、あなたに助けていただいたものです。
 ここの学生にいじめられているところを――」
そう言われて、あ、と思った。
3年ほど前、野良猫のひたいをタバコで焼いている映画学科の学生がいて、 
そいつらとものすごく喧嘩したおぼえがある。 
「現代版世界残酷物語を撮るんだ」とかわけのわからないことを言うバカ達だった。
「はい。その猫です」
ええー。なんだ、ずいぶんふけているな。
「すみませんね、猫は歳とるのがはやくて」
「いえ」
「長年このキャンパス内でうろうろさせてもらいましたが、
 残飯の味が悪くなったんで、河岸を変えようかと思いましてね。
 でもその前に一言あなたにお礼が言いたくて」
 
おどろきはしたが、感激はしなかった。
近頃、恋愛も卒業制作も行き詰っているせいで、
心の余裕がなくなってきたんだろうか。

「最後の機会ですから、何かお願いとか、ないですか」
「お願い?」
「ええ、お礼として…ひとつぐらいならなんとかなるかもしれません」
「今月の家賃とか、なんとかなりますか」
「…う~ん…」
猫おやじはかなり長いあいだ考えていたけれど
「…猫なもんで…」と言った。
「いや、まあ、そりゃそうですよね」
「すみません――ヌードモデルとかは不要ですか。デッサンの」
「特に…」
ああ、とおやじは肩を落とした。
「お役にたてること、なさそうですね」
「いいですよ。気つかわなくて」
「あ、そうだ。せめてちょっとした卒業制作のアドバイスをさしあげましょう」
「なんです」
「――あなたの指導担当の岡崎先生はね、4回生の清本さんとできていますからね。
 彼女とテーマがかぶらないほうがいいですよ。
 このあいだ、3号棟の実習室で二人が乳くりあってるのを窓から見てしまいました」
「へえ」
「かぶると、どうしても自分の女のほうをひいきしますから…なんて、
 すみませんね。こんなことしかもうしあげられなくて。さようなら」
「さよなら」
おやじは礼をして、歩き去った。
たしかに、猫背だった。

さて、わたしも恩返しをしなければならない――岡崎先生にだ。
清本と二股かけてくれてて、ありがとう。
これから、彫刻刀を研いで、岡崎の研究室に向かうことにする。
 

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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直川隆久 2012年7月31日

奇 跡  

             ストーリー 直川隆久
                出演 大川泰樹

「おい。どうしてる。飲みに行かないか」
1年の時間を費やした作品が某新人賞選考に漏れ、
腐っていた俺を気遣ってか、
小林が電話をかけてきた。
「お前のおごりならな」
「誘ったんだから、そのつもりだよ」
小林とは大学の文芸サークル以来のつきあいだが、二人の人生は全く違う。
かたや、出す本がことごとく10万部を超え、才能、金、
そればかりか性格のよさまで持ち合わせた人気作家。
かたや、アルバイトと書き飛ばし仕事で糊口をしのぎながら、
小説家(という肩書き)への夢捨てきれず、
もがき書いては落選を繰り返す売文屋。
小林を前にすると嫉妬を初め様々な黒い感情が
脳内に浸み出してくるので、
断ろうとも思ったが、
作品執筆のためアルバイトをやめた反動で財布はからっぽ。
俺はひとまず小林を思いやりのある万札と考え、
黙ってついて行くことにした。

小林に連れられて来たのは銀座のバーだった。
もとより銀座は詳しくないが、この店は、
ある程度銀座に通った人間でも見逃しそうなせまい路地の奥、
そのまた地下にあった。
重い木のドアを開ける。
天井からぶらさがった骨董品めいたランプの光が、
タバコの煙でやわらかくにじんでいる。
カウンターの向こうにいたバーテンの男性は、
いらっしゃいませと言うかわりに軽く頭を下げた。
年は70くらいか。
だが、背筋はまっすぐにのび、整った白髪が美しい。
カウンターは年代もので、手ずれで渋い光沢を放っている。
メニューも、すべて手書き。紙が黄ばんでいるが、
それもまた味わい深い。
小林の野郎、さすがに、いい店で飲んでいやがる。
毎月どれぐらい印税が入るのか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
注文したカクテルは、どれも憎たらしいまでにうまかった。
特にブラッディメアリーは、
今まで飲んだものの中では、ダントツだ。
この際、飲めるだけ飲んでやろう。
どうせおごりだ、とメニューをひっくり返して見ていると、
妙なものを見つけた。
リストの一番後ろのメニューが、黒く塗りつぶされている。
これはなんだと尋ねると、小林は、余計なものをみつけたな、
という顔をした。
俺がもう一度尋ねると、ちょっとあたりをうかがって、声をひそめた。
「それか。それは…いわくつきのカクテルでな。販売中止なんだ。
俺も飲んだことない」
「いわく?なんだ、そりゃ」
「いやあ」と小林はさらに声を潜め「このカクテルを、頼んだ人間は、みな…
まあ、妙な話なんだけど」
「なんだよ」
「大成功するらしいんだ」
「大成功?」
「そう。成功して、すごい金が転がりこんでくる。例外なしに」
「おいおい」俺の声は独りでに大きくなった。
「霊感商法の店か、ここは。勘弁しろよ」
「馬鹿。何言って――」
と、そこで小林の携帯が鳴った。
小林はすまんと手でゼスチャーしながら、表に出ていった。
編集者か、女か。どっちにしろ羨ましいことだ。

「そのカクテルですか」
と今まで無言だったバーテンダー氏が、急に声をかけてきた。
意外にしわがれた声をしている。
「ええ。俺の連れがいわくつきなんて事言ってましたが…ほんとですか」
バーテンダー氏は、やれやれといった顔で
「そうなのです。このカクテルを頼まれた方はどうしたものか、
 時を置かずして幸運に見舞われるのです。
 経営なさっている会社が急成長したり、
 長年下積みだった音楽家の方が大ヒットをだされたり…」
バーテンダー氏は、俺も知っている作曲家の名をあげた。
「じゃあ、縁起のいいカクテルじゃありませんか。
 名物にしてもいいのに、なんでやめちまったんですか」
「いえ、やめたわけではないんですが、妙にそれだけが評判になって
 物見高いお客様が増えても…。
 静かに召し上がりたい方のご迷惑になるといけませんので」
だが、無いと言われると、飲んでみたくなるのが人情だ。
俺は、少し食い下がってみた。
「いま、やめたわけではない、とおっしゃいましたね。
 ということは、ださないこともない、と」
「ええ。いや」とバーテンダー氏は目をそらした。気になる。
「どうすれば飲めるんです?」
そのとき、バーテンダー氏の目に今までとは違う光が宿った。
彼は俺にこう訊いた。
「何か、このカクテルが気になられる理由が…おありですか?」
腹の底まで見透かすような目だった。
だが、それと同時に、この人なら俺の気持ちをわかってくれそうな、
そんな優しい目でもあった。カクテルの酔いも手伝ってか、
俺はなんだか胸のもやもやを全部はきだしたい気分になってしまった。
安いギャラへの愚痴。同世代で成功しているやつへの嫉妬。
状況を変えられない自分へのいら立ち。等等等等。
初対面の人間によくそこまでという内容だが、
話しだすと感情が堰を切ったようにあふれ、止まらない。
バーテンダー氏は最後まで聞きおわったあと、
静かにうなずき、こう続けた。
「あなたは、どんな小説をお書きになりたいのです」

改めて問われると、一瞬言葉につまったが、それでも俺は、
酔った頭でなんとか弁舌をふるった。
「ぐ、具体的には、わかりません。
 それをずっと探しているともいえますが…
 うん、そう…なにか人間が、かぶっている、
 嘘っぱちの皮をひっぱがしたいというか…
 そういう作品が書きたい。そういう作品でゆ、有名になって
 …世の中を見返してやりたい、というような…」
俺が話し終わると、バーテンダー氏は
「このカクテルは、あなたのような方に、飲んでいただくべきだと思います」
と言った。
「え」
「ご自分の作品で、世の中を見返したい。と、そう心からお思いなら――」

バーテンダー氏は、メニューの、黒く塗りつぶされた所を指差した。
俺は、うなずいた。魅入られたように。
バーテンダー氏は、にこりと微笑んだ。

彼は、冷蔵庫からいくつかの瓶をとりだし、シェーカーを振るった。
カクテルグラスに注がれたそれは、
さっき飲んだブラッディメアリーよりもさらに深く濃い赤だった。
まるで本当の血でつくったような。
「そういえば、そのカクテル。…なんていう名前なんですか」
「ベリート」とバーテンダー氏はゆっくりと口にした。
そのあと、ヘブライ語で“契約”という意味だ、と続けたような気がする。
俺は、それを飲んだ。辛いような、甘いような、不可思議な味。
グラスの中身が空になるとバーテンダー氏が、
小さく、おめでとうございますと言った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

入り口のドアがばたんと開いたかと思うと小林が入ってきた。
「やあ。すまん。『新文芸』の編集者は、話が長くて…」と席についた小林は、
イスを俺のほうへ寄せて「さっきの続き。このカクテルのいわれ」と話し始めた。
今さら聞く必要もない気がしたが、
カクテルを飲んだことを説明するのも面倒なので、
小林が話すに任せる。
「これを頼んだ人はみな成功する。というところまでは話したな」
「ああ」
「ところが、これには続きがあって」
「ふん?」
「気味悪い話だけど、その人達、大体3年以内に、変死するんだ。
 工事現場のクレーンが倒れて下敷きになったり、
 体中に悪性の腫瘍ができたり…
 マスターもああいう人だから、気にしてね。
 これ以上妙な噂がたつのもアレなんで、欠番商品にしたと――」
足元の床がぐにゃりと沈みこんだような感覚をおぼえ、
俺はバーテンダー氏のほうを振り向いた。
できあがったカクテルの味見をしている、その舌の先が、
蛇のそれのように二つに分かれているのが見えた。

…悪魔?

そうか、そういうことか。
俺は、どうやら、“まずい”契約をかわしてしまったらしい。
一体どうなる?頭がパニックを起こしそうになったそのとき――

ある小説の構想が…今まで誰も読んだことがないだろう、
“究極の小説”の構想が、頭の中に稲妻のように立ち現れた。
完全にオリジナルであり、かつ、人類史レベルの普遍性をもつ、
圧倒的な物語のプロットがそこにあった。
そして次の瞬間、プロットは具体的な言葉をまとい、
ストーリーとなった。
ショッキングな冒頭から、読む人すべての心を震わせずにはおかない
ラストの結語にいたるまで、すべての言葉が、
微塵のあいまいさもなく俺の目の前に広がった。
悲しみ、怒り、快楽、苦痛、卑しさ、崇高さ。人間の本質、
そのすべてが描きつくされていた。

すばらしい。すばらしい。
俺はそう繰り返し、涙を流していた。
こんな完璧な作品に、生きてる間に出会えるなんて。
しかもそれを、俺が。この俺が書けるなんて。
こんな小説が書けるのなら、なんだってくれてやる。
そう、魂だって――

バーテンダー氏が、俺のほうを見ているのに気付いた。
その表情からあふれていたものは、まぎれもなく――「慈愛」だった。   

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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