直川隆久 2017年7月16日

1707naokawa

セミマン

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

最近の暑さときたら、もう、どうしようもないねえ。
とくに、この周辺はさ、緑も少ないし。
あなたのとこもそうでしょ?
このアパートも、昼間は蒸し風呂だよ。
窓?だめだよ。開けたって。
向かいのマンションが、もう、手で触れられるくらいのとこに、
でーんと建ってるからね。
昼間さんざん太陽に灼かれて、コンクリートがほっかほかだから。
輻射熱っていうんですか、それがもう、手、かざすと感じるもん。

暑い、っていうのがもう生ぬるいよ。
熱いんだ。
熱い。
なにもかも。空気も、壁も。畳も。
目あけてると、目が熱いもんな。
「温暖化」って言葉にだまされてた。
温暖なんて、そんななまやさしいもんじゃないよこれは。

1年中夏でしょ、今や。12月だっていうのにミンミンゼミが鳴いてるんだから。
寝苦しいでしょ。ねえ。毎晩毎晩。

いや、俺もね、もう寝られなくて困ってたの。
夜中に何度も起きて水浴びてさ。でも、じきに体が火照ってきちゃって。
でもね、最近ちょっとしたことがあって、少し希望がでてきたんだよね。
っていうのもさ。
こないだなんだけど、夜中に目が覚めちゃったの。背中がやけに痒くて。
ダニかな畜生、と思いながら腕ねじってがりがり掻いてたわけ。
そしたらさ、なんだか、ゴツっとしたものが指先にあたるんだよ。
なんだこりゃ、虫のさされあとかな、と思ってまさぐったらさ、
そのゴツゴツがずーっと、背中から腰まで線路みたいに続いてるわけですよ。
お尻の割れ目のあたりまで続いてる。
なにこれ、って思ってると、その一番下のとこに、
小さくてかたいものがぶらさがってる。
なんか、覚えのある手触りだなとおもってさわると、あれだよ。
ファスナーですよ。
ファスナーのツマミ。
そいつを、ちょっと、引っ張り上げると、じじっ、と音がして、
どうも背中の肉がだんだん開いていくみたいなんだな。
皮、っていうか、皮と筋肉が一緒になったくらいの厚さ。

え?
いや、それが痛くないんだよ、全然。
それどころか、ファスナーの開いたとこは外気にふれるでしょう、
すごい涼しくて気持ちがいいの。とまんなくなっちゃってさ。
背中の真ん中くらいまで上げて、腕がどうにもそれ以上曲がらないから、
ひもの端っこに洗濯バサミつけたのでツマミをはさんで、引っ張ったんだ。
そしたら、じじじじーってファスナーが開いて、
後頭部の真ん中あたりまで、ぱっくり。

で、体をぶるぶるっと揺するとさ、
肉とその下の間に隙間ができて空気が入って、
がぼぼ、なんて音がしてさ。もーう、涼しい!
体揺すってるあいだに、頭の肉も、がぽがぽいいだしてさ、
これ、ひょっとしたら、頭、脱げんじゃないのと思って、
頭の先っちょを、前にこう、ぐーっとゆっくり押してやると、
最後にずるっと脱げちゃった。
頭がでたら、あとは楽だったね。ウェットスーツ脱ぐみたいな感じで、
全身の肉が足元に落ちたよ。
けっこうな音がしたね。どべちゃっ、て。
ためしに持ってみると、けっこう、重いんだよ。肉って、分厚いし。
そんで、ほかほかしてるしね。
こんな分厚くて、あったかいもの着てりゃあ、そりゃ暑いわけだよ。

で、そのまま、風呂場に行ってさ、水のシャワー浴びたらさ。
いや!
その気持ちいいのなんの・・!
おもわず声がでちゃったね。
クーラーなんて目じゃないよ。
ああ、気持ちがいい。
気持ちいい〜〜〜〜!
あうおおおおお!

あ、ごめんごめん、でっかい声だして。

脱皮しておっきな声だすのって、なんだか、あれだよね、
セミみたいだよな。
連中も、ひょっとしたらさ、皮脱いで
「あー、涼しい!せいせいした!」つって鳴いてんじゃないのかね。

いや、そうやって水浴びてね、身も心もひんやりとして床につき、
ようやく朝まで安眠できましたってわけなんだけど・・・。
ねえ。
ははは。
そういうファスナーがね・・・そういうファスナーが、
俺の背中にないもんかな?
ほら、どうだろう。
ちょっと見てくれやしないかい。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年6月18日

1706naokawa

新年にあたり

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ファイルNo. QZ1029-あ-H13081, 文書形式:ブログ

あと数週で、新しい元号に変わって7年目の春となる。
ということで今年もカレンダーを新調した。
この6月には、あの世紀のイベントが控えている。
印をつけておくのを忘れてはなるまい。

女性宮様と、フィギュアスケート金メダリストとの
夢のロイヤルウェデイングだ。
身のひきしまる思いである。
すでにウェディングドレスのデザインは発表され、
レプリカが飛ぶように売れているそうだ。
記念金貨、記念スマートフォンも同様。

この国には、夢が必要である。
その夢を、神々しい光とともに実現するイベントは、
当面、これ以外にはない。
景気浮揚および国民意識高揚を一気に可能にする
この国民的カップリング成立の陰には、
政府による少なからざる尽力があったとされる。
官邸のある方角にむかい、国民一同、
感謝を胸に今一度最敬礼をすべきであろう。

それにしても、カレンダーを改めるたびに新鮮な思いがする元号である。
ふた文字の漢字に、いかに豊かな意味を込められるものか、
その見本とでもいうべき元号だ。

輝かしい「昭和」のような時代が再び到来することを願いつつ、
国際社会からの「恩恵」がもたらされることを祈念し、
「昭和」「恩恵」それぞれの言葉から一文字ずつをとり、新元号とした。
それが日本政府の発表による由来であった。

「特定の個人名を想像させる」として
宮内省および前時代的発想の学者連中は猛反対したという。
なんという狭量!が、幸いにして、官邸の果断なる一言で、
当該の元号に決まったということのようだ。

たしかに、結果として、この元号は、
さる個人の名前を歴史に残す結果となった。
が、仮にそれが官邸の隠れた意図であるとすれば・・
いやはや逆になんという深謀遠慮!
まさに「女性活躍の時代」にふさわしい象徴としての元号といえないだろうか!
愚昧な一般人の発想のおよぶところではない。
この政府が続く限り日本は安泰であるという思いをあらたにするのだ。

(以下、公共福祉調整局第85検閲課よりのコメント)
市民生活調査課各位:下線部の表現、いわゆる「政府方針への過剰な忖度」に
あたるかと思われます。「個人ブログらしい表現の自由」が感じられる体裁の
表現になるよう、執筆者へのご指導よろしくお願い申しあげます。 

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年5月21日

1705naokawa

田 崎

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

土曜日の昼。
客のいないうどん屋の「丸八」に、2人の男が入ってくる。
どちらも年格好は50前後に見える。
片方の男は、トレーナーにデニム。
片方は、グレイのスーツ。
2人はカウンターに座る。
「なんか食うか」とスーツの男がトレーナーの男に声をかける。
トレーナーは、答えず、メニューの書かれたシートを
表、裏、表、裏とただ眺める。
「冷やし肉うどん」とスーツの男が、店主にいう。
「すいません。冷やしは夏だけなんですわ」と店主がこたえる。
「ふうん」とスーツは手元のメニューを眺め「ほな、冷やしてんぷら」
「そやから、冷やしは夏だけなんですわ」
店主が、さっきよりやや大きな声で答える。
「おい。冷やしは夏だけらしいぞ」とスーツがトレーナーに言う。
「メニューには書いてあるのに」
「ほな、なにが食えんねん」とトレーナーが店主のほうに目をむけて、
口を開いた。
「おい」
「冷やし、」店主がこたえる。「以外、でしたら」
「田崎はいつも、なに頼むねん」
「はい?」
「田崎はよう来るねやろ」
「おたくさんら、田崎さんのお知り合いでっか」
スーツの男はそれには答えず、言葉を繰り返す。
「田崎はよう来るねやろ」
「そうですな」
「どれくらい来よんねん。毎日か」
「…いや、そこまででも」
「来たら、なに頼む」
「まあ…」店主はちらとガラスの引き戸越しに店の外を見て言う。
「きつねが多いですな」
「ほな、きつねや」とスーツが言い、トレーナーの男に声をかける。
「おまえもそれでええか」
トレーナーはうなずく。
「きつね」とスーツが言う。
「へえ。きつねお2つで」
「いや。20や」
「はい?」
「きつね、20人前」
「…なんぞご冗談ですか」
「冗談やないがな。きつねうどんを20杯つくってくれ、と言うとんねや」
「ぜんぶ、食べなはるんで」
「そや」
店主がスーツを見る。スーツが正面から見返す。
数秒の間のあと、店主はなにもいわずうどんの準備を始める。
スーツは、スマホを取り出して、ゲームをし始める。
トレーナーはズボンのポケットをまさぐり、
めのう柄の丸いボタンを一つ取り出すと、それを口の中に入れた。
かろ、かろ。
と、口の中でボタンを転がす音がうどん屋に響く。
スーツは、ちらとそちらを見るだけでまたスマホの画面に視線を落とす。
「おっさん、この店は長いんかいな」とトレーナーが、口をひらく。
「はい?」
「何年やっとんねん。この店は」
 店主は、うどん玉を茹でる釜から視線を上げずに答える。「32年ですわ」
「20人前もいっぺんに注文がでたことあるか?この店は」
「なんですか」
「20人前もいっぺんに注文がでたことなんて、32年で初めてやろ」
トレーナーが、店内を見渡し、にやりと口元をゆがめる。
店主は、なにも答えず、湯の中のうどんを箸で泳がせる。
かろ、かろ。
とトレーナーが口の中でボタンを転がす。
「田崎は、何時ころ来んねん」スーツが尋ねる。
「なんです」
「田崎や。毎日ここに来よるんやろ」
店主は釜から箸を上げて、答える。「まあ、いつもは1時頃ですな」
「いまが12時42分」スーツが腕時計を見ながら言う。
「ほな、あと18分か」
「ただの目安ですがな」店主が言う。
「それに、いつも来るからいうて、今日も来るとは限りまへんがな」
「ほう」スーツが、驚いたという顔をする。
「おい、聞いたか。ここのおっさんは、なかなか論理的やで」
トレーナーははうなずき、スーツが続ける。
「きっと大学出やな。学がある」
「論理的やな」トレーナーがつぶやく。
「むかつくくらい論理的や」
「…堪忍しとくんなはれ」
湯気にまかれながらつぶやく店主の額に汗が光る。
「出してもよろしいんですか」と店主が訊く。
「なに?」スーツが訊き返す。
「うどんでっけど」
「ああ、だしてくれ。だしてくれ。ここに並べてくれ」
カウンターの上に、まず5つ、きつねうどんの丼がならんだ。
つづいてもう5つ。
10個ならべたところで、店主はじっと立ちつくす。
「おい」とスーツの男が声を出す。「だいぶ足らんで」
「いっぺんには出来へんのだす」と店主が答える。「釜の大きさが、
10が限界なんですわ」
「やっぱりな」トレーナーの男が、にやにやと笑って言う。
「20人も客が来たことないねや」かろ。かろ。「しょぼい店やからな」
口の中で弄んでいたボタンを、ぷ、とトレーナーが吐き出す。
ボタンは、空中でくるくると回り、
一杯のきつねうどんの中にぽしゃりと落ちる。
「あと、10や」スーツが店主の目を見ながら言う。
「つくってる間に田崎も来よるやろ」
「おたくさんら…田崎はんに何の用事ですねん」
「用事?」スーツが答える。「一緒にうどん食おう思てるだけや」
「面倒は困りまんねん」店主の声が少し震える。
「揉め事は他所でしとくはなれ」
「面倒なんか起こさんがな」
トレーナーが、ズボンのポケットから、今度は黒いボタンを取り出し、
また口に含んだ。
「きつねうどん、仲良う食べるだけや」
「あいすまんけど、帰っとくなはれ」店主が声を上げる。
「お代はよろしいでっさかい」
店主は背をむける。
「きつね、あと、10」
スーツの声に、店主は答えない。
数十秒が過ぎる。
スーツの男が右手をカウンターの上にのせ、横に払う。
丼の一つがカウンターから滑り落ち、派手な音を立てて床の上で砕け散る。
店主の肩がびくりと動き、カウンターの方を振り向く。
「きつね、あと」スーツが店主の方へ乗り出して言う。「11」
店主はなにも言わず、うどんの玉を冷蔵庫から取り出す。
床に飛び散ったうどんからあがる湯気が、すっかり小さくなる。
トレーナーの男が、ぷ、と再びボタンを吐き出す。
そのボタンが、さっきとは別のうどんの丼に落ちる。
しぶきが、カウンターを濡らす。

柱にぶらさがった時計が、もうすこしで1時を指す。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年4月16日

naokawa1704

お義母さんといっしょ

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

いやあ、すみません。お義母さん。
わざわざ出向いていただいて、
こんな、ご飯まで、つくっていただいちゃって。
もう、ほんと、申し訳ないです。

やっぱりお義母さんの手料理は…すごい。立派ですよね。
菜の花の…これは、辛子和えですか。あ、いいなあ。
これは…筍の、煮物ですね。
うわー、木の芽、うれしいなあ!
春!

あの…
すみません。

志穂がご厄介になってもう…3週間ですもんね。
え?「実家で、ご厄介ってのはヘン」
そりゃそうだ、そりゃそうです!
あははは。

え?
志穂から?
伝言…?
ええ。
なんでしょう。
いやあ。ちょっと想像つ…きませんけど。
志穂は、なんて。

あ、わかりました。
ご飯の後、ですね。

あ。はい!え、お義母さんは…

あ、そうですか…
じゃ…いただきまーす。
じゃ、あ、この菜の花から…
(食べる)
ぐふ。
げほっ。
げほげほっ。

こ…この菜の花の辛子和え…すごく、辛子が…
げほーっ、ごほごほ。

あ、そうですね、僕には結構…
うあ、は、は、はあっくしょーん。

え?
ええと、(鼻をかむ)あは、「どういうお考えなの」っとおっしゃいますと…

あ、今回の件ですよね。
そりゃ、そうですよね。

あのお…お義母さん、今回のことはですね。
ま、あの、確かに、僕に責任のあることではあるんですが…

いや、あの、僕に責任があります。
僕に責任があります。
その上で、その上でですよ。

ま、正直、志穂の態度もですね、どうかっていうところも…

はい。
はい。「女」って、ま、そういう…
はい。
そうです。
はい。
もちろんです。
……。

あ、はい。筍…
いただきます。
へ〜、ご親戚から、掘りたてを?
す…ごいなあ。
さすが、違いますね。はは。

う。
これは…
なんというか、舌が…
舌の中できゅわ〜っとこう…
なんでしょう?これ…
え?

アク抜くのを忘れた?

あ、アクをぬくんですね、筍って…

あ、菜の花。
ええ。
いただきます。
あの、もうちょっと後…

わかりました…今。

げほーっ。
げへっ、げへっ。
あー…

あの、お義母さん…
これは、あれですよね、いやがらせですよね?
ね(笑)いやがらせですよね。

はは。
ははは。
…親子だなあ。

いや、親子だなあって、思って。
志穂とお義母さんは、ほんと、親子だなあと。

うん。
いや、言葉どおりの意味です。
いやな親のもとでは、いやな娘が育つんだなあって。

あは。
あははは。
あははは。

あ〜。
言っちゃった。
言っちゃいました。
すみません。

いや、そんな、他意はないんです。
って、ないわけないか!あはははは!
はははは!

あー…

さあ、食べますか。
あ、お義母さんは召し上がらないんでしたね。
じゃ、いただきますね。
僕だけ。すみません。

げほーっ。
ごっほごっほごっほ。
うーん、まずい。
くっくくく。

いや、いただきます。
お義母さんのまずい手料理。
残しちゃ、もったいないですもんね。

うふふふふ。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年3月19日

1703naokawa

かげろう 

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

なぜ、家があるんだ。

俺は動転していた。
俺の実家。
三ヶ月前、取り壊した。
もうもうと埃が舞う中、建物がばりばりと崩されるのを見た。
だが、いま、俺の目の前に、その家が、建っている。

もう二度と来るまいと思っていたこの場所に来たのは、
売却を頼んだ不動産仲介業者から、
隣家との境界にあるブロック塀の処置を相談したいという連絡が
あったからだった。一応現地を見て判断いただきたい、
と業者は固執し、渋る俺をゆるさなかった。
そして週末、重い腰をあげ、車に乗り込み、実家に・・
実家のあった土地に、向かったのだ。
こんな光景を目のあたりにするなどとは微塵も思わず。

じりじりと陽が照り、空には雲ひとつない。
住宅地は静まりかえっている。
俺は、おもいつく。
そうか、きっと俺は車でここへくる途中、事故にあったのだ。
その昏睡状態で見ている夢なのだ。
事故の瞬間を覚えていないのは・・記憶の混乱だろう。
厄介なことになった。
目覚めたとき、後遺症が残った状態になるのだろうか?
絶望的な気分になるが、
今この瞬間の肉体があまりに実感を伴っていて、
負傷した自分のイメージがわかない。
・・それにしても。
俺の家。
このリアリティはどうだ。
とても夢とは思えない。
やはり、取り壊した記憶のほうが、間違いではないのか?
門に手をかけ、開く。
聞きなれた・・何千回も聞いた、あのきしみが聞こえた。
4歩歩き、ドアの前に立つ。
ドアノブに手をかける。
鍵はかかっていない。
開けると・・中の、いくぶんひんやりとした空気が流れ出した。
暗い室内に澱んだ食べ物と埃のにおい。
靴を脱ぎ、中に進む。
廊下の右側が洗面所と風呂。左側が、俺の部屋にしていた六畳間だ。
扉を開ける。
三ヶ月前、処分したはずの荷物がすべて元どおりにあった。
小学生時代から使っていた学習机。
ビデオテープやカセットテープが入った段ボール。
退色した、スターウォーズのポスター。

背後でがたり、と音がした。
みぞおちのあたりが跳ね上がった。
振り返る。
そこに、大男が立っていた。
ものすごい筋骨隆々ぶり。革ジャンと、肩パッド。
髪はきわめて不自然な形・・・
なにか子供が描く炎のような形にカットされている。
ひ。と声があがる。
「ひさしぶりだ」
と大男が口をひらいた。声優のような、太くてよく響く声だ。 
「コウだよ」と大男は、自分の胸を親指で指した。
「おぼえてないのかい」
・・・そうだ。思い出した。
目の前にいるのは・・無敵の「アンドロメダ真拳」を操る戦士、
「アンドロメダのコウ」なのだ。

父と浮気相手を乗せた観光バスが箱根の谷底に落ちたのは、
俺が小学3年生の頃だった。
遺体確認の際、母はハンドバックで何度も父の顔を打ち付けて、
係員に制止された。
結婚以来、ひたすらつくしてきたのに。恩知らず。けだもの。
葬式なんぞしてやるものか。母は半狂乱になってそう繰り返した。
精神に失調をきたした母が療養施設に入ることになったため、
祖母が俺の家で世話をしてくれることになった。
母のいない家で、おれは「北斗の拳」を繰り返し、読んでいた。
当時連載されていたその漫画にノックアウトされた小学生は、
全国で何十万人いただろうか。
主人公の圧倒的強さ。必殺技の斬新さ。
単行本の最後のページまで読んでは1ページ目に戻る。
それを幾度繰り返したかしれない。
子どもの不安定な精神が、
強いキャラクターに自己投影することでバランスを保とうとした・・・
ということになるのだろう。
俺はその頃、「北斗の拳」を酸素のように必要としていた。
そして、その猿まねのような漫画をノートに描きはじめたのだった。 
核戦争後の、荒廃した地球。
弱肉強食だけが唯一のルールとなったその世界をサバイブする主人公!
宇宙のエネルギーを拳に集中することで相手を爆裂する
「アンドロメダ真拳」がその武器だ。
皮ジャンと肩パッドに身を包み、髪型は、炎のように逆立っている。
主人公の名前「コウ」は俺の名前、孝太郎からとった。

「どうしてだい」
コウが、一歩こちらへ近づいた。
ぎしりと床が鳴る。
「え」
「どうしておれのことをかいたノート、
いえをこわすときにひきあげなかったんだい」
そうだ。
「自由帳」という白の無地のノートに、
鉛筆で「アンドロメダのコウ」を描いていたのだ。
「・・忘れてたんだよ・・昔のことだから」
「うそだ」
コウが、どんと壁をたたいた。合板に黒い穴が、あいた。
「いえをこわすまえ、にもつをかたづけにきたろう。
そのとき、おまえはノートをみつけたじゃないか。
でも、それをおしいれのなかに、もどしたろう」
「それは」
「なんでそんなことをした」
「忘れたかった・・んだと思う。もう、あの頃のことは」
コウが、怪訝な顔をしてこちらを見る。
「思い出したくないんだ」
と俺は続ける。
どん、とまた大きな音がした。
「かってなことをいうな」
俺は、びくりと体を縮こまらせた。
「おれとおまえはいっしんどうたいだったじゃないか。
なぜおれだけがすてられるんだ」

学校から帰ると、ひとりで部屋にこもり、漫画を描く日々。
小学校の同級生達が、
それぞれの親から俺の家庭のことについて噂を聞いたのだろう、
「子どもらしい」残虐な言葉を投げつけてくるようになった。
俺は、ただ無言でやり過ごし、
家に帰ってからそいつらの名前をつけたキャラクターを、
コウにぶち殺してもらう。それが習慣となった。
だがその習慣は、祖母がノートを発見したことで断たれた。
こんなもの二度と描くんじゃない。
祖母の目に激しい嫌悪の色を見た俺は、
それきり漫画を描くこともなくなった。
祖母の心までが俺から離れることは耐え難かったのだ。

「許してくれ、コウ」
俺の言葉を無視し、コウは、ポーズをとった。
両腕を高くかかげ、大きな円を描くように動かす。
「わかるだろう?」とコウはつぶやいた。
これは・・そうか。アンドロメダ真拳の「究極超新星突き」のポーズだ。
これを見舞われた相手は、ひとたまりもなく木っ端微塵になり、
宇宙の塵になることが運命づけられている。
「そうだ、おまえがかんがえたひっさつわざなんだ。
おまえがかんがえた」
コウの拳が前につきでた。ごお、という空気を切る音がする。
俺の胸が真正面から、それを受け止めた。

あばらが軋み、肺の空気が押し出され、ひゅ、と乾いた音をたてた。
よろめき、目尻には涙が滲んだ。
だが、俺のからだは、爆発しなかった。
それは、せいぜい・・・少し体力のある子どものパンチ、程度だった。
コウは、うつろな顔をしてその拳をみつめていた。
見かけだけの屈強な拳。拙い想像力が生んだ、所詮は粗悪なイミテーション。
「許してくれ」と俺はもう一度いった。
おれは、もう、前だけ見ていたい。
自分の家も、家族ももったのだ。
こんなところで、引きずり戻されるわけにはいかないんだ。
コウは、目を見開いて俺を見た。
そしてその顔がぐしゃりと歪んだかと思うと、
「うえええん」
子どものように泣き始めた。
「うええええええん」
コウは崩れ落ち、頭をかかえ、泣き続ける。
俺は、コウにどんな言葉もかけることができない。

「すみません」
という背後からの声がきこえ、俺は振り返る。
するとそこは、更地だった。俺の家があった土地。
平にならされた、ただの四角い地面がそこにあった。
「お待たせしましたか」不動産仲介業者だった。
「ああ、いえ」と俺は答える。「さっき来たばかりです」

目の前の地面の上に、一瞬かげろうがたったような気がした。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2017年2月12日

naokawa1702

帳尻

    ストーリー 直川隆久
      出演 石橋けい

 こと。
 という音がして、目の前に、豆の入った小皿が置かれた。
 炒った黒豆のようだ。 
 取材で初めて訪れた街のバー。
 70くらいのママが一人でやっている。
 カウンターにはわたし一人だ。

 中途半端な時間に大阪を出ることになって、
 町についた頃にはほとんど店が開いてなかった。
 とりあえずアルコールが入れられればいいやと開き直って、飛び込んだ店。
 タラモアデューがあることに喜んで、水割りを注文した。
 ママは、豆を置くと、氷を冷蔵庫から取り出した。
 黒いセーターにつつまれた体の線はシャープで、
 ショートボブの頭には白いものがまじっているが、生えるに任せる、
 というその風情がさばさばした印象を与える。
 なかなかいい感じの店じゃないの?
 今回はB級グルメが取材目的だから少しずれるけど、
 ここは覚えておいて損はないかもしれない。

 水割りを待ちながら、豆を噛む。
 あ。
 おいしい。
 なんというか、黒豆の香りが、いい姿勢で立ち上がってくる感じ。
 
 「あの、このお豆、おいしいですね」
 「あら、そうですか?よかった」
 「ふつうのと違うんですか」
 「わたしの知人がね、篠山の方で畑をやっていて。
 農薬はむろん、肥料も使わない農法で育てた豆を、
 時季になると送ってくれるんです」
 「へえ」
 「お口にあいましたか」
 「すごく」

 うん。なかなかの「趣味のよさ」…
 しかも、おしつけがましくなく、さらりと言うところが
 また上級者という感じだ。
 と。
 と音がして、革製のコースターの上に水割のグラスが置かれる。
 お。
 黒の江戸切子のグラスだ。淡い水色と透明なガラスのパターンが楽しい。
 一口飲む。
 うん。少しだけ濃いめ。好みの感じだ。
 当たりだわ。
 
 と、メールの着信音が鳴った。
 見ると編集部からで、記事広告の修正案を大至急送れという。
 タイアップ先のガス会社の担当者が明日から休暇なので、
 今日中にOKを貰わないと、というのだ。
 わたしは、心の中で盛大な舌打ちをして、鞄からパソコンを取り出した。
 「すみません」とママに一礼してから、急いでワードのファイルと格闘をする。
 アルコールが頭に回りきる前でよかった。
 30分ほども使ってしまっただろうか。ようやく形が整ったので、
 メールに添付する。
 メール本文には「お疲れ様です」の一言を入れず、要件だけ。
 あなたに気遣いしている余裕はこちとらありませんよ。
 という無言のアピール。
 送信ボタンを押したとき、ママの声が聞こえた。
 「氷が融けちゃいましたよ」
 あ、と気づき、すみませんと言いながらグラスに手を伸ばしたその瞬間。
 ママの手がすっとわたしの視界に入ったかと思うと、グラスを取り上げ、
 そのまま流しにじゃっと中身をあけてしまった。
 え、ええっ?
 わたしが目を丸くしていると、ママはグラスを洗いながら早口に言う。
 「ごめんなさいね。でも、氷で薄まった水割りって、まずいから…」
 いや、そうかもしれないんですが…あの、怒ってません?怒ってますよね。
 「つくりなおしますからね」
 「あ、いや、でも」
 「いいの、サービス」

 そうか。たしかに、サービスなら、いいのかもしれない。
 ん?いい…のか?
 わたしは妙な気分だった。怒ったほうがいいのか、喜んだほうがいいのか。
 これは、人によって反応が違うだろうなと思った。
 勝手にグラスの中身を捨てられて激怒する客もいれば、
 新しい酒がただで飲めて嬉しいという人もいるだろう。
 確かなことは、わたしが水割を放置したことを、
 彼女は「失礼」だと思っている。
 それは確かだ。
 でも、そこまでしなくてもいいのではと思っているわたしがいる。

 と、ふと、いつも考えていたこととつながった気がした。
 (わたし含めて)小さい人間は、いつも心の中で「期待」と「見返り」の
 帳尻を合わせながら生きている。と思う。
 おはよう、という。これは、相手があとで「おはよう」という返事を
 返してくれることを期待している。
 で、実際に相手から「おはよう」と返ってくる。
 気分がいい。なぜなら、帳尻があうからだ。 
 逆に、ラインでメッセージをだしても、返事がないようなとき。
 これは、期待にみあった見返りがない。帳尻があわない。だから怒る。 
 この帳尻合わせを、頻繁にしないと気がすまない人と、
 わりと長いスパンの最後の最後に合っていればいいや、という人がいる。
 この時間感覚はみんなバラバラで、
 かつ、各々が自分の感覚をスタンダードだと思っている。
 人間どうしの齟齬とか行き違いって、
 ほとんどこれが原因で起こっているんじゃないかと思うくらいだ。
 (ついでに言うと、この帳尻をあまり頻繁に考えない人のほうが、幸せそうだ。)

 脇道が長くなったけど…要するに、このママは帳尻合わせをものすごく
 頻繁にしないと気がすまないタイプなのでは、と思ったのだった。
 ケチなわけではない。
 相手への投げかけは、ちゃんとした品質のものを差し出す。手はぬかない。
 そこには「これだけの投げかけにはきちんと反応してよ」という高い期待も込みだ。
 だから、というべきか。
 その期待が裏切られたかどうかという判断も、すごく早い。
 ある、理想の店主、という役を演じたからには、客も理想の客であって当然だ。
 と考えるタイプの人なのだろう。でも、わたしはそうでなかった。
 だから、見切りをつけ、グラスの中身を捨てたのだ。
 「恩知らず」と言わんばかりに。
 
 と。
 と音がして、目の前に次のグラスが置かれた。
 これを飲んで帰るべきか。
 それともグラスには口をつけないまま席を立ち、
 ママに「貸し」をつくるべきか。
 わたしは、しばし答えを出しあぐねた。
 ママが、カウンターにこぼれた豆の粉を布巾で拭くのが見える。

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