中山佐知子 2017年2月26日

nakayama1702

毎朝60粒の豆を数え

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

毎朝60粒の豆を数え、
粉に挽いてコーヒーを淹れるのが作曲家の日課だった。
無類のコーヒー好きだった。
豆の種類にもこだわり、自分でブレンドもした。
ごりごりと豆を挽く手応えも気に入っていた。

コーヒーを飲まなければ一日を始める勇気が持てないと思うほど、
作曲家の人生は苦難が多かった。
合成甘味料を大量に口にしてきたせいで鉛中毒になり
絶えず腹痛と下痢に悩まされていたし、
頻繁に爆発する癇癪のせいで去っていく友人も少なくなかった。
キリストを「磔にされたただのユダヤ人」と言ったおかげで
信心深い女性のファンも遠ざかったようだった。
部屋の床にところかまわず唾を吐き、
ときには小便までするために大家から追い立ても食らっていた。

おそらく梅毒のせいだと思うが、
二十代から悩まされてきた難聴は進む一方で、
いまでは耳はほとんど聞こえなかった。
若い頃はそれで自殺を考えたこともあったほどだ。
しかし、演奏家としての彼の人生は終わったが、
作曲に専念するという人生が開かれた。
彼はすべての楽器のすべての音色を記憶しており
楽譜を見ただけでオーケストラの演奏を頭の中に再現できたのだ。

ごりごりごり
作曲家は60粒の豆を数えて粉にする。
今朝はコーヒーを飲んでから手紙を書こうと思う。
その手紙の送り先はオーストリアの侯爵で、数年前に大げんかをした。
手紙にはこう書くつもりだ。
「侯爵よ、世界に侯爵さまは掃いて捨てるほどいたし
 これからも数多くの侯爵さまが生まれてくるだろうが
 ベートーベンは過去にも未来にもたったひとりしかいないのだ。」

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2017年1月22日

nakayama1701

最後のつばさ

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

翼は三つあった。
最初にもらったのは昆虫だった。
4億年ほど昔の、古生代と呼ばれる時代だった。
海から陸へ上がって暮らすようになった最初の生物の中で
昆虫類は小さなカラダで環境に適応しやすかったので
繁栄は約束されたようなものだったし
翼を与えて恩を売っておくのは得策だった。

何しろバクテリアのような生命が地球に誕生して
もう36億年も経っていたし、
海から出てこないオウムガイや三葉虫に翼を与えるのは
あまりに無意味なことに思われた。
昆虫よりも先に地上に上がった植物は
空を飛ぶなど思いもよらぬとばかり地に根を下ろしてしまった。

馬鹿な連中だ、と神さまは思った。
海に漂い、地にしがみつくのは愚かなことだ。
空を飛んでこそ神に近づけるのだ。
あの虫どもはやがて神の存在を知り神を崇めることだろう。

しかし、そうはならなかった。
昆虫は極めて合理的に進化を遂げ、
その脳は種の繁栄に必要な情報しか取り込まない。
「神」という抽象的な概念は奴らには不要だった。
神はそれを知って深く傷ついた。

2番めの翼は鳥がもらった。
およそ1億5千万年前のジュラ紀だった。
その頃の鳥は森に棲むちっぽけな生き物で、
恐竜と呼ばれる生物の末端に属していた。
彼らはカラダを覆うウロコが羽毛に変わり、
翼になったことをたいへん喜んだが、
それは冷えたカラダを温めることができるからだった。
神さまはため息をつき、
3番めの翼をそのへんの恐竜に投げ与えた。
こうして空を飛ぶ恐竜、翼竜が出現した。
翼竜は堂々たる姿で大空を制覇したが、
中生代の終わりに仲間の恐竜とともに絶滅してしまった。

新生代になって生き延びていたのは
魚と鳥と昆虫、そして一部の小さな哺乳類だった。
神さまは死に絶えた翼竜から3番目の翼を回収していたが、
与えるべき生き物が見当たらなかった。
魚は論外だったし、昆虫はすでに飛びまわっている。
あの鳥でさえ近頃では飛ぶのが上手くなってきて
空を我が領土としている。
神さまは残る哺乳類に注目した。

確かにいまは臆病で情けないちっぽけな生き物に過ぎないが
こいつに翼を与えて行く末を見守ろう。
神さまはコウモリに最後の翼を与えた。
5000万年ほど前のことだった。

ホモ・サピエンスが登場したとき、
神さまはコウモリに最後の翼を与えたことを
少し後悔をしたようだった。
しかし、彼らが神の名を語って殺しあうのを見て、
さらに空を飛ぶ武器まで発明し、大量虐殺を行う姿を目撃すると
心からコウモリを愛しいと思った。

だからコウモリはいま全哺乳類の4分の1を占める種の数を持ち
繁栄している。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2016年12月25日

nakayama1612

私は行かなきゃならない

   ストーリー 中山佐知子
     出演 清水理沙

私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
もう火はかなりまわって家の中が真っ赤だし
二階の屋根の、黒光りする瓦と瓦の隙間から
白い煙が空に向かって噴き上げている。
ここにいても熱いのに、
燃えている家の中はさぞ灼熱だろう。

でも私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
午前三時の祇園花見小路。
お座敷を済ませて
やっと布団に入ったら障子の向こうがぱあっと明るくなって
もしかしたら火事とちゃうやろかと
隣で寝息をたてていたあの子を
揺すぶって揺すぶって揺すぶって起こして
階段を駆け下りて裸足のままやっと外に出て
おお来たかと先に逃げたみんなに労られている最中に
「姐さん、姐さん」と声が聞こえた。
声は家の中からだった。

私は行かなきゃならない。
どうしても行かなきゃならない。
あの子は九州から来た子で
舞妓ちゃんになっても言葉がちょっとおかしかった。
それをみんなが注意したし、私はときどきからかった。
そうだ、私は意地悪もした。
おかあさんが着せてくれる着物も帯も簪も
いいものを私が取った。
いけずなお客さんのお座敷から先に帰ったこともあった。
だから私は行かなきゃならない。
意地悪をしたから。
玄関の戸の開け閉めをうるさく注意したから。
親孝行がしたいというあの子の口癖を聞いていたから。
夜中に布団がひくひく震えて
声を出さんように泣いているのを知っていたから。
処刑される人を黙って見守る群衆のような無責任な同情で
あの子が焼かれて死んでいくのを見ていることが
どうして私にはできないんだろう。

姐さん、姐さん。
学校なら先輩と後輩の関係が
ここでは姐さんと妹分になる。
縁という名で呼ばれる偶然としきたりで
がんじがらめに結びつけられた私とあの子だから
姐さん、姐さん。
あの声に応えなかったら
私はこの町で妹を見殺しにしたと噂される。

だから私は行かなきゃならない。
行って死ななきゃならない。
姐さんと呼びつづけるあの子を抱きかかえ、
燃え落ちる屋根の下できっと死ぬんだ。

小さい頃に死んだら空へ昇るときいたその空は
青空かと思っていたのに
いまは火事の炎で赤く染まって空まで熱そうだ。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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中山佐知子 2016年11月27日

1611nakayama

門のなぞなぞ

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川征義

風が吹いていた。
遮るものもないだだっ広い荒野に門が並んでいた。
門はざっと100くらいあった。

門には名前がついていた。
カンケイドーブツ門、センケイドーブツ門、ユーソードーブツ門…
カンケイドーやセンケイドーはわからなかったが
どの門もブツ門というからには仏の道なのだと思った。
そうか、本当に俺は死んじゃったんだ。
死ぬと誰でも仏になれるんだ、ラッキー、と思った。

ドーフンドーブツ門、セッソクドーブツ門、
ドーフンドーブツ門は泥の臭いがした。
門を入るとぬかるみの道かもしれない。
セッソクドーブツ門は花の匂いに海の匂いが入り混じっている。
こっちは気持ちよさそうだ。
わくわくしながら門の名前を見てまわった。
モーガクドーブツ門、ナイコードーブツ門
ナンタイドーブツ門…
ナンタイドー….ブツ…。ナンタイドーブツ…
待てよ、ナンタイドーはちょっと引っかかる。
ナンタイドーならいいが、
ナンタイドーブツに分類学の門がつくと
軟体動物門じゃないか。イカやタコだよ。
するとこれは仏門ではなく輪廻転生の門かもしれない。
正しい門を選べば
もういっぺん人間に生まれ変われるってことだ。
イカもタコもある意味では人に愛されていると言える。
節足動物門のエビやカニならもっと愛されると思う。
でも、どうせなら愛されるカニより愛する人間になりたい。
輪廻転生、生まれ変わるならもういっぺん人間になりたい。

俺は門を叩いてまわった。
門には門番がいて、
その門を代表する生き物の名前をいくつか教えてくれた。
軟体動物門の代表はイカ、タコ、貝。
節足動物門の代表はバッタなどの昆虫にエビやカニ。
緩歩(かんぽ)動物門はクマムシ。
クマムシは地球最強の不死身の生物だ。
絶対零度でも死なない。
150度のオーブンに放り込まれても死なない。
水がなくても死なない。放射能でも死なない。
宇宙に放り出されても10日は生きられる。
これには正直、心が揺れた。しっかりしろ、俺。
それから脊索動物門。
この門の代表はホヤにプレシオサウルスだった。
プレシオサウルスといえばジュラ紀の恐竜だけど、
生まれた途端に化石になってしまうってことか?

俺はどの門をくぐればいいのか悩んだ。
いま調べた門の中で
人間に転生できる可能性を秘めた門がひとつだけある。
そこでなぞなぞだ。
イカ、タコの門、バッタとカニの門。クマムシの門、
ホヤと恐竜の門、
この中で人になれる門はどれでしょう。
答を待ってるからね。

出演者情報:大川征義 https://www.facebook.com/masayoshi.okawa?fref=ts

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中山佐知子 2016年10月30日

nakayama1610

尾張の尾の字は

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

尾張の尾の字は尻尾の意味だそうだ。
確かにその先端は知多半島であり、
尻尾のように海に張り出している。

10世紀が終わろうとする平安時代中期に
この尻尾の国に地方官僚として派遣された男がいた。
名前を藤原道綱といった。
三十代半ばの年齢だった。

道綱の父は摂政関白太政大臣藤原兼家、
ときの権力の中枢にいた人物だ。
母は地方官を歴任した下級貴族の娘だが
蜻蛉日記の作者として知られている。
つまり両親ともに有名人だ。

母が書いた蜻蛉日記は
夫の兼家に対する赤裸々な嫉妬と愚痴の日記で、
かまってもらえないと拗ねまくる様子まで
恥ずかしげもなく書き散らしている。
ひとり息子にも平気で泣き言をいったし
ときには夫との駆け引きの道具にもした。
蜻蛉日記には道綱のことを
「おとなし過ぎる息子」と書いてあるが
道綱は父の政治手腕や母の文才を受け継がなかったかわりに
母のヒステリーを忍耐強く受け止められる人物に
成長したと思われる。

さて、道綱は父や腹違いの兄弟が順調に出世するのに較べて
30歳を過ぎるまでパッとしなかった。
「あっ、まだきみがいたのね」とやっと認識されるような、
目立たない尻尾のような存在だった。
30歳になっても下級貴族で、
32歳でやっと従三位、35歳で正三位。
特権階級の端くれに列せられてから
尻尾の国尾張の地方官にわざわざ任命されるのは
おまえは尻尾だというあてつけにも思えるが、
前任者が法外な税金を徴収して百姓に訴えられ、
クビになったのちの後任なので
ここは人柄を見込まれての人事だと考えていただけると
道綱くんのためにもたいへんありがたい。

道綱は腹違いの兄道隆や弟道長ほどの活躍もしなかった代わりに
権力を争うこともせずに無事な一生を送ったらしい。
母が綴った蜻蛉日記は道綱にひとつの贈り物をした。
ご存じのように蜻蛉日記の作者の名前は「藤原道綱の母」である。
これによって道綱の名前は
日本の文学史になぜか燦然と輝いている。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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中山佐知子 2016年9月25日

nakayama1609

夕暮れの匂い

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

1995年だった。
1月17日のことだった。
まっぷたつになったマンションの部屋から母が救出された。
姉と姉の家族も
倒壊した家の本棚と本棚の隙間で生きていた。

僕は東京で家族の無事を知り、
家がなくなったことを知った。
僕は芝居の稽古の最中で、まったく身動きがつかなかった。

一週間後、稽古を一日だけ休ませてもらって
避難所にいる母に会いに行った。
西宮から芦屋に向かって歩くと
はじめてデートをした公園があった。
公園には救援物資が運び込まれていた。
学生時代に通いつめた映画館は
もう建物とは言えない形をしていた。
壊れた街は映画のセットのように現実感がなかった。

母が暮らしていたマンションの部屋は
あらゆるものが破片になっていた。
大きな破片、小さな破片。
お茶碗の破片、ちゃぶ台の破片。
額縁のガラスの破片、テレビの破片。
僕は床に厚く敷き積もった破片を長靴でザクザク踏んで
父の位牌をさがし、母に届けた。

夕暮れ、僕はまた壊れた街を歩いていた。
昔、この街の夕暮れはいい匂いがした。
家々の換気扇(ファン)がぶんぶんまわって
味噌汁の匂い、カレーの匂い、
キンピラ胡麻油の匂いを吐き出していた。
肉屋の前を通るとコロッケの匂い。
ラーメン屋の醤油の匂い。
僕はいつも夕暮れの匂いに甘えながら
お腹を空かせて走って帰った。

1995年の1月
僕が好きだった夕暮れの匂いは
もうどこにもなかった。
僕の帰る場所はどこにもなかった。

匂いが消えた街のつぶれた屋根を置き去りにして
僕はずんずんずんずん、電車のある駅までの道を急いだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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