一本の線

一本の線

              ストーリー 渡部芳章(東北芸術工科大学)
                 出演 地曵豪

地図をひらくと、山形県と新潟県にはさまれた
一本の線のような福島県を見つけることができます。

その線は飯豊山の頂へと至る
幅がわずか91センチメートルほどの登山道です。

でも、なぜ?
誰がこんなふうに決めたのだろう。

飯豊山は神の山として、麓の人々に崇められてきました。
山そのものがご神体で、
みんながお参りする飯豊山神社には
山頂に奥宮が、麓には麓宮が置かれています。

ところが、明治のころ、廃藩置県によって飯豊山に境界線が敷かれ
麓の麓宮は福島県に、
山頂の奥宮は新潟県に分けられることになりました。
麓の村の人々は猛反対をしました。
「飯豊山神社は、麓と山頂、ふたつでひとつの神社である」と
訴えたのです。
その訴えは認められました。
奥宮のある頂上とそこに至る登山道、
地図で見ると一本の線のような福島県には
いまもたくさんの登山者がやってきます。

東北を知ろう。東北へ行こう。

飯豊とそばの里山都http://www.town.yamato.fukushima.jp/

福島の旅http://www.tif.ne.jp/

福島県山都町http://www.naf.co.jp/yamato/muni/welcome.stm

日本百名山飯豊山
http://17.pro.tok2.com/~vems/100/019%20iidesan/iidesan.html


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地曵豪くんの映画特集というわけでもないが(収録記 2012.07.21-6)

若松孝二監督の映画特集となると
まあその、地曵豪くんの特集といえないこともなく。

いま下北沢のトリウッドで若松特集が上映されていて
土日は「実録連合赤軍」も上映するんで
おすすめなんです。
26日の日曜16時40分からは監督のトークショーもあるようです。

映画館は涼しいですし、
ちょいと週末の映画いかがでしょうか(なかやま)

トリウッド
http://homepage1.nifty.com/tollywood/commingsoon.html

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芋煮会

芋煮会
     
         ストーリー 伊藤 薫(東北芸術工科大学)
            出演 地曵豪

山形の秋と言えば、
やはり馬見ヶ崎(まみがさき)川で開催される芋煮会が目玉だろう。
秋の週末はいつも河原で鍋を囲む光景が見られ、
川が一年で最もにぎやかな季節になる。
山形市民の芋煮会に対する執着は相当なもので、
地元に住んでいれば小学校の遠足や部活の打ち上げ、
会社の宴会など、多種多様な目的で芋煮会が開催される。

中でも特筆すべきは山形在住でなくても聞いたことがあるはずの
日本一の芋煮会フェスティバルだ。

毎年9月の第一日曜日に開かれるこのイベントは、
3t の里芋と1,2t の山形牛を贅沢に使い
3万食分の山形風のすきやき芋煮が「同じ鍋で一度に」作られる。

これだけの量を一度に煮る様子をイメージできない人も多いと思うが、
実際の芋煮会を見てもらえると即座に理解して頂けるだろう。
このためだけに作られた専用の巨大芋煮鍋「鍋太郎」は、
なんと直径6m。
人の手では調理が出来ないため、
機械油ではなくサラダ油を潤滑油に使った芋煮専用ショベルカーもある。

山形市民の芋煮愛が具現化したかのような迫力あるこのイベント。
秋に山形にきたなら、
是非、馬見ヶ崎川まで足を運んで頂きたい。

東北へ行こう

日本一の芋煮会フェスティバルhttp://www.y-yeg.jp/imoni/

東北観光博http://www.visitjapan-tohoku.org/

山形十二花月http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/

山形県酒造組合http://www.yamagata-sake.or.jp/


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大好き青森

大好き青森

          ストーリー 青山成美(東北芸術工科大学)
             出演 地曵豪

なに?青森?青森なんて田舎だよ!
正直言って夏のねぶた以外は活気無いし、
それ以前に人いないし、
天気いつも良くないし、
雪多いし、
冬が寒いからって夏が涼しいわけでもないから普通に暑いし、
冬寒いせいなのか料理の味付け濃いし、
交通の便悪すぎで車ないとどこにも行けないし、
流行のお店は基本的に無いし
スタバだって最近出来たんだよ。
それに民放も3局しかなくってフジとかテレ東映んないし、
「いいとも」も夕方とかに放送されてるんだよ?
しかも再放送。意味分かんない!
第一方言とか訛りが凄くて何言ってるのか本当に分かんない。
Öえ?そんなに嫌わなくてもって?

ううん、好きだよ、大好き。青森。

東北へ行こう

あおもり案内名人http://www.atca.info/

青森県観光情報http://www.aptinet.jp/index.html

青い森の写真館http://www.aosya.com/


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中山佐知子 2012年7月29日

ひとつめの太陽が沈むころ

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

ひとつめの太陽が沈むころ
トラディショナルなマティーニを頼んだ。
バーテンダーは300種類のマティーニをつくり分ける技術を
プログラミングされているが、客はいつも僕ひとりだ。

ふたつめの太陽が沈むころ
出鱈目なマティーニの名前を言ってみた。
アップルマティーニ
りんごサワーの味がするマティーニが出てきた。
それじゃあ、アップルパイマティーニ
こんどはカルバドスの香りのするマティーニだった。
この違いの意味がわからない。
バーテンダーは会話をプログラミングされていないので
説明は一切なしだ。

みっつめの太陽が沈むころ
「ウィンストン・チャーチルのマティーニ」をオーダーした。
すると、即座にジンのストレートがカウンターに置かれ
ベルモットの瓶が右斜め横に並んだ。
150年前の政治家がベルモットを横目で睨みながらジンを飲んだという話は
歴史の時間に学んだことがある。
侵略や革命や戦争が教科書から消えて以来
歴史は過去のファッションやグルメのことになってしまっている。
チャーチルはマティーニを飲む以外に何をやったんだろう。

よっつめの太陽が沈むころ
また出鱈目に「アポロ13号マティーニ」と言ってみた。
出てきたマティーニは粉末ジュースの味がした。
宇宙開発黎明期の初期型飲料が使われているらしかった。
もう二度と頼まないぞ、と思った。

いつつめの太陽が沈むころ
僕はどれだけ飲んだのかわからなくなっていた。
実を言うと、いまいくつめの太陽が沈んでいるのかも定かではなかった。
この星は18個の小さな太陽が出たり入ったりしているので
まぶしい昼も闇に沈む夜もなく、
一日中夕暮れのようにぼんやりとしている。
体内時計はとっくに壊れ、カレンダーも思い出せないが
予約した迎えの船が来るのはまだ何ヶ月も先だということだけは
チケットのタイマーが知らせてくれている。

僕が六つめだと思っている太陽が沈むころ
バーテンダーに時間をたずねたら
黒いオリーブの入ったミッドナイトマティーニをつくってくれた。
僕は今日も何も書くことがない。
お天気さえ最初に「晴れ」と書いたきりだ。
ここでは雨も降らず、風も吹かず、災害もなく季節もない。

この星に入植した開拓者たちは
苦労の末に去ったのではなく、退屈の果てにこの星を捨てたのだ。
彼らのストーリーは三行で終わる。
「ここに来た、ここで暮らした。ここから去った」

すでにいくつめだかわからなくなった太陽が沈むころ
僕はジャーナリストマティーニを飲んでいた。
むかし東京の外国人記者クラブの遺跡から
165本のジンと5本のベルモットの空き瓶が発掘され、
その33対1の比率で混ぜ合わせたドライマティーニを
ジャーナリストマティーニと呼ぶようになったのだ。

ジャーナリストはドラマがあればそれを書けるが
退屈を描くのは不可能だ。
だから僕は一行も書けずに毎日酔っぱらっている。
誰もいなくなった星にひとりで来て
なすすべもなく酔っぱらっている。

僕はジャーナリストマティーニを飲みながら
もし自分が小説家だったら
この退屈を書くことがでるだろうかと考えた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2012年6月24日

この星の遺跡を発掘すると

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

この星の遺跡を発掘すると
大きな都市の跡と思われるところからは
必ず鉄の合金を使用した巨大な建造物が出土した。
それは尖った先端を空に向けて立っていたと想像された。
我々はその建造物を「塔」と名付けた。

学者はそれを見てさまざま学説を発表したが
もっとも有力なのは宗教説だった。
この星の住民は各地の「塔」から発信される神の声を聞き
その声にしたがって暮らしていたというのだ。

わずか20種類のアミノ酸から生まれたこの星の生物は
我々が研究しているだけでも500万種に及んでいる。
哺乳類と呼ばれた陸を歩く生物が6000種いた。
翼を持ち空を飛ぶ生物は9000種だといわれる。
水中で暮らす生き物、土のなかで生きるもの、
羽根のある虫に羽根のない虫…
かつてはこの地を覆っていたと思われる木や草や花
目に見えないカビやウイルスまで含めて研究が進むと
この星の生物の種類は3000万種に達するという意見もあった。
この種類の多さ、生物の多様性が
この星の美しさを、生物が生物を養い育てるバランスを
長く保ってきたのだった。

「塔」ができてからだ、と、学者は主張する。
「塔」が発信する言葉は住民全体の思想になり意志になった。
みんな「塔」が見せる衣服や食べ物にあこがれ、
住む場所も移動手段も子供を育てる方法も
祖先から受け継いだ知恵を捨て
「塔」が発信するビジョンを選んだ。
それは星とともに生きることをやめて
星を消費する道を選ぶことだった。

最初に川が枯れたのだと思う。
それから川がつないでいた山と海が枯れ
川と海と森の生き物が死んだ。
それでも住民は「塔」にしたがうことをやめなかった。

「塔」が語る宗教に名前はない。神話もない。
神の名前すらない。
しかし、この星の「塔」はこの星最後の文明から生まれ
そこに棲む生き物を支配し、淘汰し
それによってメンテナンスを失い、みずからも滅びていった。

この星から「塔」を崇拝する住民が消えても
「塔」は長い年月そこに立っていたに違いない。
長い孤独を楽しんだに違いない。

この星の「塔」は
意思を持って滅びへの道を示し続けたのか。
それとも、「塔」も何者かに支配されていたのか。

いま発掘している「塔」は
まだ赤い砂にその大部分が埋もれているが
構造から推測するとこの星の物理単位で634メートルに達するという。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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