川野康之 2017年3月12日

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あるカゲロウの最後

ストーリー 川野康之
   出演 齋藤陽介

以前はもっと力強く泳げたものだ。
腕と脚は長くたくましく、ぐいぐいと身体を進めることができた。
褐色のかたい体で、水の抵抗をかわし、あるいは利用して、
魚にも負けないぐらいのスピードで泳いだ。
流れの中でも地面をしっかりとつかんで立つことができた。
石から石へと渡り、岩肌を覆う藻を鋭い口ではがして食った。
甘い汁が口の中いっぱいにひろがった。

世界は素晴らしい。
毎日新しい水が生まれて、流れてくる。
その水をプリズムのように通って降ってくる光は、
色も強さも季節とともに変化する。
一日たりと同じ日はないのだ。
たまに葉っぱや花びらが流れてくると、俺たちは歓声をあげて、
それにつかまり、いっしょに川を下ったものだ。
水は、ときには氷のように冷たいことも、ときには荒れ狂うこともあった。
そういうときはじっと石の下にいて息をひそめた。
流されていった仲間のことをときどき考えるが、すぐに忘れてしまう。
生きるとは、今目の前にある水を楽しむことだ。
明日は明日の水が来る。
毎日生まれ変わる水の中で、俺は生きることを楽しんだ。
脱皮を重ねるごとに、俺の体は大きくなり、たくましくなっていった。

それが今はどうだ。
俺の手脚の力は衰えた。
前のように水を掴んで速く泳ぐことができなくなった。
襲ってくる魚に何度もつかまりそうになる。
今日も危ないところだった。
恐怖。
それが俺を支配している。
がたがた震えて石の下にしがみついているしかない臆病者、それが俺だ。
川底からそっと上をうかがう。
キラキラと降ってくる光の、そのすぐ下を、
鋭い歯を剥き出したイワナどもが腹を見せて泳いでいる。
この川の中でいちばん弱いものが俺なのだ。
魚に食われて死んだ仲間のことを思う。
明日は俺が食われるかもしれない。
俺は、動けない。
俺は歳をとってしまったのだ。

俺は長く生きた。
そろそろ終わりが近づいてきたのかもしれない。
俺も、上へ行くのだ。
そう思うと、武者震いがした。
いままで多くの仲間が水を出て上へ行ってしまったのを知っていた。
今度は俺の番なのだ。
だんだん体がこわばってくるのがわかった。
いよいよ近づいてきたのだと思う。

俺は勇気を出して石の下から出て、岩肌を這い登った。
水面からさらに上へと登った。
そこで体が動かなくなった。
目を閉じて、来る時を待った。

目を開けて、俺は驚いた。
俺の体が変わってしまっていた。
胴が痩せて細くなり、尻尾が長く伸びて、糸のような頼りない形になっていた。
顔からは口がなくなっていた。
もう何も食えないということか。

心細さと絶望で泣きだしたくなったとき、
俺の中に今まで経験したことのない衝動が生まれるのを感じた。
それはもっと上へ登りたいという衝動だった。
でもどうやって?
気がついたら、ふわっと体が浮いていた。
足が地を離れ、住み慣れた小川が下の方にあった。
俺は空を飛んでいるのだ。

まわりを見ると、あちこちから俺と同じような細い体が、
背中の薄い羽をふるわせて、空中に登ってきていた。
無数の仲間が飛び立ってきて、空を満たした。
みんなわんわんと狂ったように飛んでいる。
その中の一つに俺は引き寄せられた。
そいつは俺にぶつかってきた。
俺たちは何度もぶつかりあいながらわんわんと空を舞った。
俺は細い腕を伸ばして、そいつの体をつかんだ。
俺の腹の真ん中が熱くなった。
それはものすごい力だった。
腹の火が一気に燃え上がった。
俺は、たぶんそいつの柔らかい体を引き裂いた。
甘い汁が口の中いっぱいに広がった。
俺にはもう口がないので、それは幻覚だったかもしれない。

それが最後だった。
世界は素晴らしい。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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齋藤陽介くんは喫煙仲間(2017年3月の収録記2)

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写真はタバコを吸っている齋藤陽介くんです。
齋藤陽介くんは喫煙仲間です。
私はヘビースモーカーなので喫煙仲間は大歓迎です。

昔は吸っていた人がどんどん禁煙していくので
寂しい限りですが
齋藤くんにはいつまでもどこまでも頑張っていただきたいです。

さて、齋藤くんに今回読んでいただいたのは
川野康之さんの「あるカゲロウの最後」という原稿です。
http://www.01-radio.com/tcs/archives/29116
読んだときにナレーターは若くてうまい人がいいなと思って
齋藤くんに声をかけました。
たいへん面白い原稿をイッキに読んでくれまして、いい出来栄えです。

さて、ところでなんですが
齋藤くん出演の芝居が4月11日から始まります。
齋藤くんの役はファイロ・ヴァンスという探偵。
ファンの方はお気づきでしょうけれども
ヴァン・ダインの推理小説を下敷きにしています。
詳細は下記URLで見られますので、覗いてみてくださいね。

「グリーン・マーダー・ケース」
http://monophonicorchestra.com/next

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田中真輝 2016年12月4日

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流星群

    ストーリー 田中真輝
      出演 齋藤陽介

中学生の頃、僕は夜遊びばかりしていた。
といっても、住んでいたのはドがつく田舎。家の周り
にあるのは、田んぼと畦道。あと、墓と寺。
近所にはコンビニなんかなくて、
夜遅くまで開いているのは、小さな酒屋兼立ち飲み屋か、
しょぼくれたスナックしかなかった。
そんな最果ての地でできる夜遊びといえば、もう、ただぶらぶらと
歩くだけのこと。心細い街灯を頼りに、毎晩農道を一人で歩いた。
時々その小さな酒屋でアイスや缶コーヒーを買い食いした。
別にぐれていたわけではないから、タバコを吸ったり、
酒を飲んだりはしなかった。
どちらかというと、優等生だった。
波風立てずに、そこそこの成績を収め、そこそこクラブ活動に
励み、そこそこみんなと仲良くしていた。
そして、そんな自分が心底嫌いだった。
一人で部屋にいると、底なしの穴に落ちていく気がした。
だから、夜な夜な農道を歩いた。そこそこ歩いたら、
盗んだバイクで走り出したりせず、折り返してまっすぐ
家に帰った。結局のところ、逸脱だってそこそこだった。

ある冬の夜、いつものように夜道を歩いていたら、
上の方から僕の名前を呼ぶ声がした。
田舎の夜空は星が多くて明るい。その明るい夜空を背景に、
黒々と建つ一軒家の屋根のあたりで、誰かが手を振っていた。
僕は、それが新井であることを、声とシルエットから察した。
新井は東京から来た転校生で、抜群のイケメンだった。
成績も申し分なく、スポーツもでき、愛想もよかったので、
新しい環境に瞬く間に馴染み、いわゆる人気者になった。
僕はそれを、違う星から来た異星人を眺めるように見ていた。
星を背負った異星人の新井は、綺麗な標準語で、
上がってこいよ、と言った。
彼の家には大きなベランダがあって、そこには外付けの階段で
上がることができた。
僕は素直に彼の言葉に従った。
田舎には何もないけれど、何の役にも立たない星だけは腐るほどある。
新井はそんな、バカみたいな夜空を見上げながら、
今日は流星群の日なんだぜ、と言った。
ほら、と新井が見上げる視線の先を追いかけると
何かが視界の端っこで走る感覚があった。
と、思う間に、また視界のやや外れを星が流れた。
素晴らしいスピードで。
空を埋め尽くす星の間を、カミソリで切り裂くように
いくつもいくつも星が流れた。
星の光が、夜空を何度も何度も切りつけているように見えた。
二人とも、長い間そうして夜空を見ていた。
二人とも、何も言わなかった。
何十という流れ星を黙って見送ったあと、
新井が「俺、いつ死んでもいいなあ」と言った。
唐突な言葉には聞こえなかった。
その時、その場に、とてもしっくりくる言葉だと
思った。そこにあったすべてを丸めて放り込んだ
ような言葉だと思った。
だから僕は、「わかるよ」と答えた。
そうしたら、新井はこう言った。
「お前なんかに、俺の気持ちがわかるか」

それ以降も、新井はクラスの人気者だったし、僕にも
これまで通り、何もなかったように普通に接した。
今まで通り、愛想のいい、素敵な転校生。
あの日を境に、変わったことなど何一つなかった。
そこそこの浮き沈みを繰り返しながら、毎日は
淡々と過ぎていき、そうこうしてる間に、新井は
別の場所に引っ越していった。
みんな少し残念がり、そして忘れた。

今でも、流星群がやってくると聞くと、新井のことを
思い出す。そしてその思い出は、
心の奥の方にある、暗い場所をカミソリのように、
さっと切り裂いて、消える。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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齋藤陽介くんの芝居が始まります(2016年9月の収録記1)

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大垣(岐阜)公演が9月17日と18日、
長久手(愛知)公演が9月22日、
そして東京公演が10月26日から30日まで、
地方から攻め込んでくるという感じです。
齋藤陽介くん所属の劇団ホチキスの35回公演です。

先日の収録のときはチラシがまだできてなかったですが、
ネットにアップされている画像(上の写真)を見ると
岐阜で生まれて愛知で育った劇団みたいなこと書いてありましたよ。
故郷に錦を飾るというやつでしょうか。
気合が入っていそうです。

詳細はホチキスのこのページに載っています。
http://www.hotchkiss.jp/next.html
岐阜の方も愛知の方もいっぺんご覧になってみてくださいね。

齋藤陽介くんは2016年9月のTokyo Copywriters’ Streetで
門田陽さんの「告白」というストーリーを読んでいただいています。
若手落語家が主人公のお話で、
なんかとっても実感があってよかったな。
ストーリーはこちらです。
http://www.01-radio.com/tcs/archives/28581

saito

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門田陽 2016年9月4日

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 「告白」
    ストーリー 門田陽
      出演 齋藤陽介

弟子入りして丸五年。落語家と言うにはまだまだヒヨッコですが、
去年の夏に二つ目に上がれて始めた勉強会という名の私の小さな独演会。
月一回のペースで公民館をお借りして木戸賃1000円。
ツ離れしないときもあって、毎回せいぜい10人前後のお客さん。
そんな中であの人は初回から一度も欠かさずに
いつも左端の同じ場所で見てくれているたぶん私の第1号のファンだと
思います。

会が終わると来られたお客さんにアンケートを書いてもらうのですが、
あの人は丁寧だけど見かけによらない濃くて力強い文字で
私の拙い噺への感想や励ましのほかに
決まってひとつ質問を投げかけてきます。
いちばん最初は「生まれかわったら人と犬のどちらがいいですか?」
というものでした。
その質問へのアンサーを次の会の噺に入る前の枕で軽い感じで
「人でも犬でもいいですがせっかくなので人なら女、
犬ならメスになってみたいです」と言ったところ
その日のアンケートにはフェミニストではないのですねと
書いてありました。
不勉強な私はフェミニストがわからずに
スマホで意味を調べましたが
調べても尚あまり意味がわからないままでした。
そして二回目の質問は
「酔ったとき、だれかに電話したくなりますか?」で
これには「そんな相手がいればいいなと思いながら飲んでいます」
と答えました。

三度目の勉強会での質問は
「タバコの煙はいったいどこへ行くのでしょうか?」という
ちょっと哲学的とも言える面白いものでしたが、
このときやっと質問の内容がその日の落語の演目と関連しているのだと
わかりました。
初回は動物の噺をしましたし、二度目はお酒の噺。
そして三回目は「長短」というタバコを吸う仕草が多く出てくる噺を
したのです。全く察しの悪い私でした。

四回目以降の質問も私にとっては興味をそそられるものばかり。
一つ目小僧の噺のときには
「ウィンクはどちらの目をつぶりますか?」というもので
実際やったら右目をつぶる私の姿に
あの人は珍しく口を開けて笑ってくれました。
夢の噺のときには
「眠るとき、羊を最高何匹まで数えたことがありますか?」、
銭湯の噺のときには「お風呂では最初にどこから洗いますか?」、
泥棒の噺のときには「命よりも大切なものを持っていますか?」、
お蕎麦の噺のときには
「定年を迎えた父がお決まりのように蕎麦打ちを始めたのですが
手伝わなくてもいいですか?」、と
この質問のおかげであの人の家族構成を少し知ることができて
うれしく思い、
さらに左甚五郎の噺のときには
「私は左利きですが、落語の登場人物にサウスポーはいますか?」
と問われ、
あの人のプライベートな情報を知ったことにニヤニヤしながら
主人公が左利きの上方落語一文笛(いちもんぶえ)を
勉強したりしました。

そして先月10回目の会のときにあの人は初めて姿を現しませんでした。
その日は区切りの10回目ということもあってか
お客さんの数は多かったのですが、
とにかくあの人がいないことだけが気になって気になって仕方ありません。
当然あの人からのアンケートもないわけで
それからのひと月は何だかぽっかり穴があいたかのようでした。
そうです。
私はすっかりあの人いやあなたのファンになっていたのです。

さて長く感じた一ヶ月が経ち昨日が今月の勉強会の日でした。
あなたは何事もなかったかのように定位置の左端に座っています。
アンケートには先月は夏風邪をひいてしまい、
会場の広さを考えると周りにうつしてはいけないので来られませんでした。と
書いてあります。
質問は花魁への一途な愛の噺にちなんで
「今までだれかに告白したことはありますか?」というものです。

さて、来月この質問へのアンサーをあなたへの告白にしようかしまいか、
眠れなくて大量の羊を数える日々が続きそうです。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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いわたじゅんぺい 2016年4月3日「かんな」

かんな

    ストーリー いわたじゅんぺい
       出演 齋藤陽介

かんな、という名前は息子がつけた。

4歳の息子は妹がまだ
妻のおなかの中にいる頃から、
「あんなちゃん」と呼びはじめた。

なぜ「あんな」なのかはわからない。

妻は
「あんなは梅宮アンナを想起するからやだな」
と却下した。
が、息子は少し考えて
「じゃあ、かんなにする」と言った。
妻も少し考えて
「かんなならいいか」と了承した。
その日から娘の名前はかんなになった。

かんなは生まれた時から女子だ。
その生態はOLとさほど変わらない。

常に周りの空気を読み、
兄がぐずっている時には決してぐずらず、
おとなしくすごす。
ベッドから落ちても、
泣きわめくことなく、静かにしている。
ガーゼのハンカチをくわえながら、
もじもじしている。
昭和の歌謡曲に出てきそうな女である。

赤ん坊なのに、ものすごい冷え症で、
手を握るとその冷たさに驚く。
赤ん坊ってもっとあったかいものなんじゃ・・、
と不安になるくらい冷たい。

そして、ひどい便秘だ。
うんちはたいてい二日に一回。
三日に一回、四日に一回という時もある。
出す時は顔を真っ赤にしていきむ。
「あ゛~~~~~~」
と、すごい声でいきむ。
ベビーラックでいきむ姿は、
分娩台で出産するようである。

趣味は食べることで、
かぼちゃ粥が一番好き。
ヨーグルトも好き。
お通じがよくなるものが好き。

あたまをぽんぽんと叩くと
とても喜ぶ。
将来そんな感じで
口説かれてしまうのだろう。

僕が帰ると笑顔で出迎えてくれる。
でも3日会わないと
「誰だっけ?」という顔になる。
終わった恋に執着しないタイプなのだろう。

かんなはいま7カ月。
寝返りができるようになり、
ずっとうつぶせですごす。

いつもうつぶせだから、
うんちは前の方までべったりついている。
おむつを変える時も、
すぐうつぶせになってしまうので、
けっこう難儀だ。
僕が困っているのが楽しいのか、
かんなはいたずらっぽい顔で笑っている。

こうやって女は小悪魔になっていくのだな、
と僕はしみじみ思いつつ、
「観念しろ」
とか言いながら、
股間を拭いてあげるのであった。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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