磯島拓矢 2023年12月3日「うた」

「うた」

ストーリー 磯島拓矢
   出演 大川泰樹

歌が苦手だった。
正確に言うと、人前で歌を歌うのが苦手だった。
だから大学時代、いわゆる2次会のカラオケに困った。
サークルで、ゼミで、
コンパと呼ばれる宴会の後、
あの頃はみんなカラオケボックスへ行った。
流行り始めだったのだろう。
もちろんその2次会を断ればいいのだが、そんな度胸もない。
見かねた姉が、こんなアドバイスをくれた。

会がはじまって30分以内に、1曲歌う。
「歌ってないじゃん」とか「待ってました」とか言われる前に、
4、5番目をねらって自分から1曲歌う。
変に懐かしい歌とか、変に新しい歌じゃなくて、
ちょっと前に流行った歌。
1曲歌えば、あとは好きな人に任せて大丈夫。
ゆっくり飲んでなさい。

きっと、勤め先で身につけた所作なのだろう。
そうか、この人も歌は苦手か。
やっぱり姉弟だな、と僕は納得し、
姉がマイクを持っている姿を想像して、
なに笑ってんのよ、と怒られた。

アドバイスは正しかった。
その1曲を歌う3分間は辛かったが、
確かに4、5番目に歌うちょっと前の流行歌は、
いい具合に誰も聞いていなかった。
でも、歌った事実は残された。
歌が苦手な人間は、「歌が苦手なのね」と悟られることも嫌なのだ。

そして僕は、ある日気づいた。
僕と同じように、1曲だけ歌う女子がいることに。
僕と同じように、4,5番目をねらって、
ちょっと前の流行歌を歌う女子がいることに。
その存在に気づくのには、結構時間がかかった。
だって彼女が歌う3分間は、いい具合に誰も聞いていない3分間だったから。
僕だって例外ではない。

ある日のカラオケボックスから、
僕は彼女の近くに座るようになった。
彼女も僕の近くに座るようになった。
僕が4番目、彼女が5番目に歌うという、暗黙のルールができ始めたころ、
僕らは一緒に、2次会をさぼるようになった。
深夜のカフェが流行り始めたのは、そのころだったように思う。

生まれたばかりの子どもを、
彼女がいい加減な子守歌であやしている。
そのずいぶん前の流行歌を聞きながら、
そんなに下手じゃないのにな、と僕は思う。
生まれてきたこの子も、遺伝子的には歌が苦手だろう。
2次会のカラオケが苦手だろう。
いつか僕らは、そこでの身の処し方を、
アドバイスする日が来るだろうか。
来るような気がする。

なに笑ってるのよ、と彼女が言う。
いや別に、と僕はこたえる。
変なの、と言いながら、彼女はまた、
いい加減な子守歌を歌いはじめる。
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出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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磯島拓矢 2022年9月4日「トンボ」

「トンボ」

  ストーリー 磯島拓矢
     出演 大川泰樹

小学生になった息子が、軽快に自転車を飛ばしている。
僕は後をついていく。
その背中には、できることが増えたよろこびが満ちている。

公園の散歩道に入る。
彼は何台もの自転車を追い抜いてゆく。
こんなにゆっくり漕げるなんて逆にすごい!
と思えるおばあさんはもちろんのこと、
小さい女の子をのせた若い母親、高校生くらいの男の子も追い抜いてゆく。
男の子は大声で歌を歌っていた。
元気でいい歌声だった。

トンボが飛んできたのは、そんな時だ。
息子の前をスーッと横切る。
当然視線はそちらに流れる。
そして、転んだ。
大きな石をよけそこなったのか、原因はわからない。
ただただ見事に転び、かごに入っていたザリガニ獲りの道具をぶちまけた。
急停止して自転車のスタンドを立てようともたもたしている父親の横を、
3つの影が通り過ぎた。
歌っていた男の子が、すごい勢いで息子に駆け寄る。
「大事大事、荷物は大事だよ!」
と言いながらぶちまけた道具を集めてくれる。
若いお母さんはいつの間にか息子の脇で立ち上がるのを助けてくれている。
小さな女の子も「大丈夫?」と彼のズボンの泥を払っている。
もう無茶苦茶可愛い。
そしておばあさんは自転車にまたがったまま
「大丈夫かい?頭打ってない?大丈夫かい?」
繰り返し語りかけてくれる。
もはや僕のやることはなく、ただただその光景を見つめていた。
息子も呆然としている。それは、転んだショックというよりは、
突然、圧倒的善意に囲まれた戸惑いのように、僕には見えた。

「じゃあね気をつけてね」
ケガがないとわかると、4人は立ち去ってゆく。
僕は慌てて背中に向かって声をかける。
「ありがとうございます」
息子もようやく我に返り「ありがとうございます!」と叫ぶ。

愛とは何かという命題に対し、たくさんの人が様々な名言を残している。
僕はそこに「愛とは反射神経だ」という一言を加えようと思う。
転んだ人に手を差し伸べる。転びそうな人に手を伸ばす。
これはもう、反射神経だ。
人を助けるために、人の身体は自然と動くようにできている。
息子に駆け寄ってくれた4人から、僕はそんなことを感じた。
愛とは反射神経だ。
人の身体にあらかじめ備わっているもの。そして、
脳が指令を出す前に、突然発露されるもの。

目の前を再びトンボが横切る。
先ほどのトンボと同じかどうか、それはさすがにわからない。
「お~い、トンボだぞ」僕は息子に話しかける。
「いいよ別に」
転んだのはコイツのせいだと言わんばかりに、彼は口をとがらせている。
まあ怒るな。
トンボのおかげで、お父さんはいい風景を見ることができたんだ。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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磯島拓矢 2019年5月5日「駅」

「駅」

    ストーリー 磯島拓矢
       出演 大川泰樹

電車で初恋の人と再会する。
そんなことは今や少女漫画でも起こらない、なんて言ったら
少女漫画家に怒られるだろうか。
しかし、思いがけない人との再会はある。

その日僕は、大学時代のサークルの後輩と再会した。
僕は外回りの途中で、ボーっと座席にもたれていた。
目の前にはカップルらしき男女が座っている。
男は居眠りをしている。女は中づり広告を見ている。
その女の人と目が合った。
「あっ」という顔をされた僕は、「え?」と思い、
1秒後に記憶がつながった。
いたいた。サークルの一つ下だ。
名前は、名前は・・・思い出せない。
つき合っていたわけではない。好きだったわけではない。
ただただ、同じサークルにいて、
時々コンパをして、時々テニスをしただけだ。
だからと言って、名前を忘れていいわけではないのだが。

目の前の彼女は、親しみを込めて頭を下げてくれる。
僕も下げる。
何だっけ?名前は何だっけ?
焦りが顔に出ていないことを祈る。
彼女は微笑み、僕を見る。
「久しぶりだね」という気持ちを込めて、僕はうなずく。
彼女もうなずく。
しかし名前は、相変わらず出てこない。

車内に次の駅の名がアナウンスされる。
彼女が男を起こす。僕はその駅で降りたことはない。
目をこすりながら男が起きる。立ち上がる。
電車にブレーキがかかり、少しよろけて彼女につかまる。彼女が支える。
僕はそんな様子を眺めていた。
電車が止まる。男はドアへ向かう。彼女が続く。
彼女は僕の方を振り返り、男の背中を指さしながら、
唇をゆっくり3回動かした。僕はそれを読み取った。
「だ・ん・な」
もう一度頭を下げて人妻は降りて行った。

もう一度言うけれど、
彼女とつき合っていたわけではない。好きだったわけでもない。
でも、僕はこの再会に感謝した。
「だ・ん・な」
唇から読み取ったメッセージは、なぜか僕を微笑ませる。

一度も下りたことのないその駅は、
ちょっと大切な駅になった。

出演者情報:大川泰樹(フリー)

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磯島拓矢 2017年12月10日

「ゲーム」

       ストーリー 磯島拓也
          出演 大川泰樹

若者と大人の境界線はどこにあるか。様々な説があるが、
僕は、目の前のゲームに夢中になれるかどうか、をあげたい。
ここで言うゲームとは、テレビゲームのことではなく
勝ち負けの要素を含んだ日常の出来事を指している。
仕事でいえば、ライバル社とのコンペとか、
恋愛でいえば、狙った彼や彼女を落とせるかどうか、とか。
言うまでもなく、目の前のゲームに夢中になれるのが若者である。

若者はがむしゃらだ。
ライバル社とのコンペなら、勝とうと思う。勝つことに必死になる。
それはもちろん正しい。
しかし、大人は考えてしまうのだ。ゲームの後のことを。

勝利の喜びは一瞬だ。
その後には、長く苦しい「日常の作業」が待っている。
とある学者が「終わりなき日常」という言葉を発明したけれど、まさにそれだ。
大人はそれを予想する。一瞬の勝利の後に必ず訪れる日常を想像する。
ゲームの勝利は、終わりなき日常を増やすだけ。
大人はそんなことを考える。
だからゲームに夢中になれない。

恋愛も同様、若者はがむしゃらだ。
目の前の彼を、彼女を落とそうと思う。
恋愛というゲームに勝とうと思う。
大人は違う。ゲームの前から後のことを考えしまう。
彼が落ちた。彼女が落ちた。ゲームに勝った。で、どうする?
毎週末デートするか?つきあうのか?結婚するのか?まさか!
大人はそこまで考える。
ゲーム後の後悔まで想像する…。

僕は僕の部屋にいて、隣りで眠る女性を見ながら。
そんなことを考えていた。
昨夜残業後いっしょに食事をし、酒を飲み、視線が絡み合い、
ゲームが始まった。
ゲームに勝ちたいと思い、がんばった結果、
こうしてともに朝を迎えているのだから、
結構自分は若者なんだなと思う。
しかし今はこうして、ゲームの後のことを考えている。
ここから始まる日常を考え、ややうんざりしている。
やっぱり自分は、大人に片足つっこんでいる。

彼女が動く。起きたようだ。
顔を上げた彼女と目が合う。
あ、と思った。
その目に浮かんでいたのは、乙女チックなロマンではなく、
ある種の怯えだった。
目の前のこの男と日常を生きられるのだろうか、という怯え。

僕らはそのまま見つめ合った。
ここから始まる日常への怯えを互いに読み取った。
それは不思議な体験だった。
ゲームの終わりを、女性と共有するのは初めてかもしれない。
「飯、食う?」と言ってみる。
「食う」と彼女は答えた。
そして僕らはいっしょにベッドを降りた。
ゲームの後の日常へ、歩み始めた。
ふたりで。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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磯島拓矢 2015年11月3日

1511isojima

「地図」

    ストーリー 磯島拓也
       出演 平間美貴

NAVIが当たり前になって、
ドライブはつまらなくなったと思う。
なぜって、迷うことがなくなったから。
あわてて地図を開くことが、なくなったから。

私が20代のころ、デートと言えばドライブだった。
私が望んだわけじゃない。男たちが勝手に決めていた。
クルマのない男はデートをする資格がないと、
勝手に決めていた。
まったく、バブルってやつは。

あのころはNAVIがなかった。
だから男たちは、道に詳しくなければいけなかった。
正確に言うと、男たちが勝手にそう決めていた。
地図に頼らず運転する男がカッコイイと、勝手に信じていた。
まったく、男ってやつは。

あのころ助手席に座らされていた私は
「あ、迷ったな」という瞬間が好きだった。
その時、運転する男の顔を盗み見るのが好きだった。
意地の悪い女と言われれば、確かにそうかもしれない。

迷ったことを私に悟られぬように、平静を装う男。
でも脂汗をかいている男。
ごめんね、ごめんねと繰り返し、地図を取り出す男。
必死にページをめくる男。
どうせ意地の悪い女だと開き直った上で言ってしまえば、
それは、男の度量が試される瞬間だった。
慌ててつけ加えるけれど、
迷った時にオタオタするから度量が小さい、というわけではない。
もっと、そもそもの話だ。
「道に詳しい男が女をエスコートするのだ!」という考え方が
小さいのだ。

デートとは、そんなものではないだろう。
そんなにつまらないものではないだろう。
互いに好意を持った男女が、
または好意を持つ可能性を秘めた男女が、
ともにいる時間を楽しむこと。それがデートだろう。
誓って言うが、私は、
男に楽しませてもらおう!なんて思ったことは一度もない。
いっしょに楽しもうと思っていた。いつだって。

ドライブで迷ったら、迷ったことを楽しみたかった。
いっしょに地図を見て
こっちだ、いやこっちじゃない?と話したかった。
迷わないことに必死になる男より、
迷ったことをいっしょに楽しもうとする男が好きだった。
そして、あのころ、そんな男は驚くほど少なかった。

その数少ない男が今、私の隣で運転をしている。
数年前に新車を買い、すすめられるままにNAVIをつけた。
彼も「便利だね」などと言っている。確かにそうだ。
しかし、何だか物足りない。
上品な女の声に導かれ、迷わず、間違わず、常に正しく到着する。
そうだ。この車にしてから、私は地図を見ていない。

「今日はNAVI使うの、やめない?」
私は夫に言ってみる。彼はきょとんとして私を見つめる。
そしてこう言った。
「そうだな、久しぶりに迷うか」
よかった、この男はまだ大丈夫だ。
私はダッシュボードから地図をとり出し、ひざに置いた。

出演者情報:平間美貴 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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磯島拓矢 2014年6月8日

「手帳」

            ストーリー 磯島拓也
               出演 大川泰樹

「部屋を引き払うので片付けていたら、古い手帳が出てきたの」
電話口の彼女は言った。
僕と付き合っているころの古い手帳で、
懐かしくなって連絡をしたのだと言う。
なぜ引っ越すのかと尋ねたら、地元に戻って、
高校の同級生と結婚すると教えてくれた。

数年ぶりに会う彼女は記憶の中より髪が伸びていた。
古い手帳で思い出すなんて「舞踏会の手帳」みたいだ、と僕は言った。
彼女はその映画を知らなかった。
「古いフランス映画でね。未亡人になったヒロインが古い手帳を頼りに、
昔舞踏会で一緒に踊った男たちを順番に訪ねていくんだ」
そう説明した僕は、余計なことを言った。
「僕は何番目かな?」
彼女はちょっと傷ついた表情を浮かべたけれど無言だった。
そういう人だった。
すぐに謝ればいいのに、僕は無言だった。そういう奴だった。

話は当然結婚相手のことになる。
彼女の地元でいくつもスーパーを経営しているという。
「すごいじゃないか」と僕は言う。
彼女は懐かしい曖昧な笑顔を浮かべる。
そして僕はまた余計なことを言う。
「東京でフリーの人間と付き合って、地元に帰って結婚。
古いフォークソングみたいだ」
彼女は怒らない。寂しそうな顔をするだけ。そういう人だった。
僕の話になるかな、と思っていた。
「付き合っている人いるの?」と聞かれたら何と答えようか。
実はずっと考えていたが、最後までその質問はなかった。
あれから誰とも付き合っていないことは、結局伝えられなかった。

2時間くらい話しただろうか。
昔よく行ったレストランがなくなってしまったとか、そういう話だ。
そういう話をする年なんだなと改めて思う。
「そろそろ行くわ」と彼女が言い、僕らは喫茶店を出た。
「新幹線の時間なの、とか言うなよ」僕はまた余計なことを言う。
曖昧に笑った彼女は「じゃ」と手を振った後にこう言った。
「部屋を片付けてたら手帳が出てきたって話、嘘よ」
そして駅へと向かっていった。

ああ、なぜ彼女は、なぜ女というものは、大切なことを最後に言うのだろう。
男ががんばってがんばって諦めという気持ちを手にしたときに、
それを無にするようなことを言うのだろう。
その夜は深酒をした。でも吐くほどは飲まない。
そういう年になっていた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/


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