ストーリー

直川隆久 2020年2月16日「名前返上」

名前返上

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

いや、やっぱり、どう考えてもしたほうがいいよね。
名前の返上。
今さかんにテレビでやってるでしょ。
名前をさ、国に返上すれば、50万円もらえるってやつ。
来月いっぱいまでに手続きすれば、
さらにAmazonプライムが3年間無料になるって。

なんで国がそんなに躍起になってんのかわかんねえけどね。
ま、名前っていうもんで人間を管理するのがいろいろ非効率ってことらしいね。
同じ名前の人間もいるしね。
漢字とフリガナ、両方要るし。
国民ナンバーで管理したほうが簡単ってのは、ま、そうかな、と思うよね。
だったらもう、名前とかやめちゃおう、ってことなんじゃねえの。

でもおれ思うんだけどさあ、別に、なんの支障もないわけよ。
名前返上したって。
だから、みんなやっちゃえばいいと思うんだ。

今はさ、ネットで買い物するときとか、役所に届とか出すときに、
国民ナンバーと名前、両方を入れるでしょ。
あれ、めんどくさいじゃん。
みんなが名前を返上してさ…
もう、個人の特定のために名前ってものをつかわない、ってきめたらさ…
ネットショッピングで、名前とフリガナを入れる手間がなくなるんだよ。
大きいよ!あれ、ほんとめんどくさいもん。
全角カタカナでフリガナ入れたあとでさ、
半角で入れなきゃダメってのがわかったときのあの徒労感。すごいもん。

要するにさ、番号さえありゃ、事は足りるんだから。

え?日常生活はどうするのか?
いや、ふだんの生活は、
勝手に自分で自分にニックネームつけりゃいいわけだから。
明日から俺のことはタピオカって呼んでください!って
言やあいいんだから。言わねえけど(笑)。

でも、別にそれって新しいことでもないしさ。
オフ会で、ハンドルネームで呼び合うとか、あったでしょ。
本名知らないまま付き合うって、今はよくあるじゃん。
アメリカ行って、急にジミーとかむこうの名前で名乗るやつとかもいるでしょ。
まったくジミーって顔してないのに。
でも、ま、本人がジミーっていうんならジミーなんだろ、って、
そういうことになるわけだよな。むこうでは。
意外と、今までだって適当なんだからさ。
そうやって、みんな好き勝手な名前で生きてったらいいと思うよ。

子どもが生まれたときも、名前であれこれ悩まなくていいんだから、ラクだよ。
プリンでもポチでも適当な名前で赤ん坊のときは呼んでさ。
こどもが大きくなったら自分でニックネーム考えりゃいいんだから。
合理的だよ。

アイデンティティ?
…難しいこと言うね。
自分の名前は、自分そのもの?…ふうん、そんなもんかねえ。
自分そのものなら、自分の好きなようにすればいいんじゃないのかね。
よくわかんねえや。

まあ、そういうわけでさ、やっぱり俺、
来週あたり名前返上してこようと思うんだ。
そうなったら、50万円で何しようかな。
すげえでかい表札買って、そこに、番号彫るか。
意味ねえな(笑)。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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廣瀬大 2020年2月9日「パンチラ」

「パンチラ」

    ストーリー ストーリー 廣瀬大
       出演 地曵豪

「名前も知らない女学生の下着に、人生を救われたことがある」
小学生相手に、休日は、近所の空手道場で師範を務める、
堅物の親父の口から、
女学生の下着などという言葉が出て、
俺は面食らって親父の顔を見つめた。

この日、俺は大学四年生で、結局どこにも就職先を
見つけることができなかったことを報告しに、
実家に戻っていたのだった。
別に手を抜いていた訳でも、さぼっていた訳でもない。
最悪の就職難と言われた時代に、
俺は真面目に必死に就職活動をしたが働く先は見つからなかった。
「どうするんだ」とか、「なにやってんだ」とか、
そんなことはひとことも言わず親父は語り始めた。

「初めて言うんだけどな。大学時代に、
実は奇妙な新興宗教に片足を突っ込みかけたことがあって」
親父は俺と目を合わせることなく、縁側を眺めた。
下着とか、新興宗教とか、就職先が決まらなかった息子になんの話してんだ。
「最初はちょっとした東洋哲学を学ぶ勉強会だった。
加えて精神統一の仕方とか、それにともなう食事法とかね。
そこからちょっとしたヨガをやったりとか。
空手をやっていたこともあって、以前から座禅とかには興味があったし」
親父は苦笑いをしながら俺を見つめた。

「今、考えると没頭する性格が仇となった。
人間とはなんとも自分に都合のいい生き物だ。
時間を費やせば費やすほど、
その時間はムダではなかった、
そこには意味があったと思いたくなるもので。
その会でトレーニングを重ねるほどに、
彼らの信仰や言っていることにときに矛盾を感じても、
でも、この精神統一の方法は効果的なのではないか、
健康方法としては続けてもいいんじゃないか、
なんて自分に言い聞かせるようになって。
で、その会に参加するようになって一年が経ったころ、
大学のキャンパスで本格的に入信するように
迫られたわけだよ。遂に幹部二人に。
『生きる意味』だとか、『役割がある』だとか、
彼らはそんな言葉を使ってな。
その歳になるまで、そんなに自分が人に求められた
ことなんてなかったし、なんだか、話を聞いているうちに、
やってやろうじゃないか。
辞めたくなれば、そのとき辞めればいいじゃないか。
そんな風に思えてきて。
一度入ったら、絶対に辞められないんだけどな。
で、はい。入ります。やってみます。
と言いそうになったとき、ふと風が吹いたんだよ。

『人生の本質がうんぬんかんぬん』
『悟りがうんぬんかんぬん』
そんなことを話していた幹部二人と私の前を歩いていた
女学生のスカートをその風がめくった。
大仰な言葉を使って、高尚な話をしていたはずの
私たちの目はつい追いかけてしまった。
風のいたずらを。
パンチラを。
滑稽だろ。真面目な話をしてたのに。
私はもうおかしくてね。
笑いが止まらなくなって。
そのときふと、肩の力が抜け、楽に呼吸ができるようになった気がした。
で、冷静になって、入るのをやめることができたんだ。その宗教に。
つまり、あの日、あの名前も知らない女性のパンチラが
私を救ってくれたってわけだよ。
…この話がお前のこれからの人生にどう役立つかはわからないが」

アドバイスなのだか、よくわからないむちゃくちゃな
親父の話を聞いてから、もう15年以上が経つ。
僕は結局、その年、就職先を見つけることはできなかった。
でも、なんとかこうして生きて暮らしている。
親父の話が、当時の俺に役に立ったのかどうかはわからない。
だが、話を聞いて以来、人生に困難が訪れたとき、
俺はあの話を必ず思い出す。
若い真面目な親父の横を風が通り抜ける。
名前も知らない女学生のスカートをめくる。
それをつい追ってしまう親父。
見たことのないはずの滑稽な人間の姿が
はっきりと目に浮かぶ。
そして、俺の肩の力が抜ける。
ふと楽に呼吸ができるようになる。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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大江智之 2020年2月2日「クリぼっちセット」

「クリぼっちセット」

   ストーリー 大江智之
      出演 地曵豪

俺の名前は『大江智之』。
しかし、傍から見れば名などさして重要ではなく、
呼ぶ側の都合で俺は誰にでもなってしまう。

朝起きて顔を洗い、昨日の残り物を温める。
テレビから流れてくる浮かれた星占いが俺の今日最初の名前を告げた。
「今日の最下位はふたご座のみなさま!」
俺は『最下位のふたご座のみなさま』の一人になった。

時間は待ってくれない。
乾いた洗濯物を畳む間もなく、ドアを脚で開け放ち、燃えるゴミと一緒に家を出る。
2分早めてある腕時計を睨みつけながら、駅の階段を滑り降りた。
俺の努力を阻むように、改札機がパンポォーンと高らかに勝利宣言した。
「入れなかったお客様こちらで伺います!」
俺は『入れなかったお客様』になった。

この日の俺は、代わる代わる何度も別な何かになった。
『大江』『大江さん』『若手』『忘年会の幹事』『ご担当者』『みなさま』『組合員』
『Hi! Tomoyuki!』『大江くん』『みんな!』『ご提出がまだの方』…
そのたびに呼ばれた名前の人物を演じ、対応していく。

今日はクリスマスイブだった。
17時を過ぎた頃からだんだんオフィスの人も減ってきて、
特に予定の無い自分もなんとなく早めに上がったほうが良いような気がした。
ぼんやり眺めていたSNSに、ハンバーガーショップの広告が映る。
「クリぼっちセット販売中。自分らしいクリスマスを。」
ああ、ありがたい、今日くらい御飯作らなくても良いんだと思った。
暇な俺に少しでもクリスマスをくれるならと、家から少し離れた駅まで出向いた。
カウンターで「クリぼっちセット」を指差してこれくださいと注文する。
ここでは俺は、『お次にお並びのお客様』だ。

あまり来ない店だが、持ち帰りでとか、レシートは捨てといてくださいとか、
ルーチンのやり取りを上手にこなし、我ながらそつのないお客様になりきった。
脇によけて受け取り順を待っていると、
「112番のお客様ー!」
と店員が声を上げ、隣の『112番のお客様』らしき人が受け取った。
これはもしやと気がついたときにはすでに遅かった。
自分が誰か分からないのだ。
番号の名前が書かれているであろうレシートはすでにゴミ箱の中。
「113番でお待ちのお客様ー!」
自分の後ろにいた『113番でお待ちのお客様』らしき人が動く気配がした。
俺はいったいぜんたい誰なんだ?
自分の名前が分からないことにこれほどまでに恐怖したことはなかった。
「114番のお客様ー!」
周りが手元のレシートを確認している。
「114番の客さまー!!」
誰も動かない。
もしかして俺かもしれない。
しかし、俺だと断定するには証拠が足りな過ぎた。
「クリぼっちセットのお客様―――!!!」
俺だった。

クリスマスイブ。
そんな聖なる夜のラストに俺は、バーガーショップの全員が見守る中、
『クリぼっちセットのお客様』になった。
ネオンで彩られた夜の駅はとても美しかった。
メリークリスマス、俺。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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中山佐知子 2020年1月26日「神社からのお願い」

神社からのお願い

    ストーリー 中山佐知子
       出演 遠藤守哉

室町時代の将軍足利義持は
石清水八幡宮のミクジで後継者を決めた。
亡くなる間際のことだった。
その結果、すでに出家していた弟が将軍職を継いだが、
この弟は下克上で殺されてしまった。
鎌倉時代には天皇もクジで決まったことがある。

神の籤と書いてミクジ。
さらに「お」がついてオミクジ になったわけだが、
もともとは運勢を占うというより
神のお告げを聞くものだった。
武将ならば戦の日取りや戦略をクジで決め、
農民ならば田圃に水を引く順番、
子供が生まれた人は名前を、
祭りが近づく世話人をクジで選んだ。
明治という日本の元号も
実は天皇御自らのくクジ引きで決まっている。

さて、そこでだ。
いま神社やお寺でオミクジを引く人は
たいがい吉か凶かの運勢だけを見て
喜んだりチェッと舌打ちをしたりして
そこらの木の枝に結んで帰ってしまうが、
実はこれが大間違いなのである。
オミクジはそこに書かれている漢詩や歌が神さまの言葉だ。
そこらの木の枝に結んで帰ってしまっては
神さまのお告げを捨てるようなものだし、
神社の木にとってもたいへんな迷惑になる。

意外と知られていないが
オミクジをたくさん結びつけられた木は
生育が悪くなったり枯れたりする。
大事な御神木がオミクジのせいで枯れてしまった神社もある。
いまやオミクジ問題は全国の神社の悩みの種だ。

今年の初詣のオミクジを持ち帰った人は
ときどき読み返してみよう。
悪い運勢のオミクジでも、
そこには必ず助言が書いてあるはずだ。
その助言を守っていれば
災いも転じて福となり、悪い運も良い運に変わるし、
逆に助言を無視して調子に乗ると
せっかくの良い運も災いに転じてしまう。

この一年を良い年に。
まずはその一歩として
気づかないうちに自分のオミクジで
何百年も生きてきた木を枯らすような不注意をしないように
気をつけたい。
手遅れのかたは来年からでけっこうです。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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名月赤城山(水下きよし七回忌)

*2014年1月24日に水下きよしさんが亡くなって、今年は七回忌になります。
 亡くなるひと月前に収録した「名月赤城山」を再びお届けします。

名月、赤城山
     
      ストーリー 小野田隆雄
         出演 水下きよし

20代の終り頃、古い街道を歩くことを趣味にしていた。
9月の終りに、赤城山の見える宿場町の小さな民宿に泊った。
二階の部屋だった。
妙に暑い日で、夜になっても、やけに蚊が多かった。

寝る前に冷や酒を注文して飲んでいた。
つまみはカラシ菜という、ほろ苦い葉で、
ゆでてカツオブシがかけてあった。
おぼろ月夜で、ガラス戸の外には赤城山の大きなシルエットが
青く見えた。

そのとき、民宿のおカミさんが階段を昇ってやって来た。
そして言った。
「カヤでもつろうかね」
そして白いカヤをつり始めた。
私は窓ぎわに茶ぶ台を寄せて飲んでいた。
カヤをつりながら、おカミさんが言った。
「このカヤは、バカな息子が使っていてね。
 いまは、池袋にいるんだけど、さっぱり帰ってこない。
 ヤクザなんだ。マツバ会に入ったとか、組を出たとか、
 そんな噂ばかりさ。ほら、カヤつったからカヤの中で飲みな。
 セガレも、そうやって飲んでたよ」

茶ぶ台をカヤの中に移して、また飲んでいると、
おカミさんが、もう一本トックリを持ってきてくれた。
そして言った。
「昔、国定忠治が赤城山でつかまって、藤丸かごに乗せられてさ、
 この街道を通ったのさ。
 そのとき、うちの祖先が忠治に、水を飲ませてやったんだけどね
 実は水じゃなくて酒だったんだ。
 そのせいかねえ、この頃、セガレの夢を見るのさ。
 セガレが藤丸かごに乗せられて、
 両手をしばられて家に帰ってくるんだよ。変な夢だねえ」

私はおカミさんに、一緒に飲みませんかと言ってみた。
おカミさんはアハハと笑って階段を降りていったが、
しばらくすると、トックリをもう一本と、
ヤマメを焼いたのを持って昇ってきた。

それから二人でカヤの中で、酒盛りをした。
「明りを消してさ、月明りで飲もうかね。いいもんだよ。
セガレもそうやっていた」
それで、電燈を消して、月明りで飲んだ。
ガラス戸の外に赤城山が、月の光のせいか、
ものすごく近く見えるようになった。
「ほら、いいもんだろう?」
とおカミさんが言った。
茶ぶ台をはさんで、差し向かい。
おカミさんは、かっぽう着から、
長袖の白いワンピースに着替えていた。
「さあ、飲んだ、飲んだ。おしゃくするよ」
おかみさんが言った。

そのとき、ガラス戸の外で、五位さぎという鳥が、
「ギエッ、ギエッ」と鳴いて飛んでいく声が聞えてきた。

出演者情報:水下きよし 花組芝居 http://hanagumi.ne.jp/


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福里真一 2020年1月12日「くじ運」

くじ運 

     ストーリー 福里真一
        出演 大川泰樹

2002年にサッカーのワールドカップが、
日韓で開催されたとき、
何枚かのチケットが回ってきた。

誰がどの試合を見に行くか、
友人たち数人と、
あみだくじで、
振り分けようということになった。

日本対ロシア戦とか、
ドイツやブラジルなど世界の強豪が登場する試合とか、
人気のチケットがあまたある中で、
私が引き当てたのは、
アイルランド・サウジアラビア戦。

アイルランド・サウジアラビア戦。

アイルランド・サウジアラビア戦を、
どういう気持ちで、観戦すればよかったのか。

もちろんサッカーにくわしいなら、
技術とか戦術とか、
さまざまな楽しみ方があっただろう。

しかし私には、無理だった。

アイルランド・サウジアラビア戦。

それは私に、
どういう気持ちで観戦すればいいのか、
まったく手がかりを与えないままに、
90分間にわたって展開され、終了した。

それが私の、最初で最後の、ワールドカップ観戦だった。

…という話を、最近仕事でかかわった、
ある外国人の青年にしたところ、
彼はアイルランドの人だった。

そして、
そのアイルランド・サウジアラビア戦のことを、
はっきり覚えているという。

時差の関係で、アイルランドでその試合が中継されたのは、
朝だった。

普段は夜しか開いていないパブが、
その日は朝から特別に営業していて、
大人たちは、仕事そっちのけで、
酒を飲みながら、アイルランドを応援したという。

そして当時小学生だったその青年も、
おとうさんに頼みこみ、
朝のパブで、大人たちに混ざって、
その試合を見たという。

すばらしい試合だった、と…。

アイルランド・サウジアラビア戦。

私にとって、
自分の人生に関係ないものの象徴だったその試合が、
彼にとっては、人生の思い出の試合になっている…。

まあ、でも、この文章で私が書きたかったのは、
そのことではない。

私が書きたかったのは、
私には、くじ運がない、ということ。

当然のことながら、今のところ、
東京オリンピックのチケットは、
1枚たりとも当たっていない。
当たる気配もない。

だから、私は、初詣に行ったとしても、
決しておみくじを引かないのだ。

おみくじといっても、くじはくじ。

どうせ大吉を引き当てるくじ運を持っていないことを、
私は自分で、わかっているのだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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