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直川隆久 2017年4月16日

naokawa1704

お義母さんといっしょ

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

いやあ、すみません。お義母さん。
わざわざ出向いていただいて、
こんな、ご飯まで、つくっていただいちゃって。
もう、ほんと、申し訳ないです。

やっぱりお義母さんの手料理は…すごい。立派ですよね。
菜の花の…これは、辛子和えですか。あ、いいなあ。
これは…筍の、煮物ですね。
うわー、木の芽、うれしいなあ!
春!

あの…
すみません。

志穂がご厄介になってもう…3週間ですもんね。
え?「実家で、ご厄介ってのはヘン」
そりゃそうだ、そりゃそうです!
あははは。

え?
志穂から?
伝言…?
ええ。
なんでしょう。
いやあ。ちょっと想像つ…きませんけど。
志穂は、なんて。

あ、わかりました。
ご飯の後、ですね。

あ。はい!え、お義母さんは…

あ、そうですか…
じゃ…いただきまーす。
じゃ、あ、この菜の花から…
(食べる)
ぐふ。
げほっ。
げほげほっ。

こ…この菜の花の辛子和え…すごく、辛子が…
げほーっ、ごほごほ。

あ、そうですね、僕には結構…
うあ、は、は、はあっくしょーん。

え?
ええと、(鼻をかむ)あは、「どういうお考えなの」っとおっしゃいますと…

あ、今回の件ですよね。
そりゃ、そうですよね。

あのお…お義母さん、今回のことはですね。
ま、あの、確かに、僕に責任のあることではあるんですが…

いや、あの、僕に責任があります。
僕に責任があります。
その上で、その上でですよ。

ま、正直、志穂の態度もですね、どうかっていうところも…

はい。
はい。「女」って、ま、そういう…
はい。
そうです。
はい。
もちろんです。
……。

あ、はい。筍…
いただきます。
へ〜、ご親戚から、掘りたてを?
す…ごいなあ。
さすが、違いますね。はは。

う。
これは…
なんというか、舌が…
舌の中できゅわ〜っとこう…
なんでしょう?これ…
え?

アク抜くのを忘れた?

あ、アクをぬくんですね、筍って…

あ、菜の花。
ええ。
いただきます。
あの、もうちょっと後…

わかりました…今。

げほーっ。
げへっ、げへっ。
あー…

あの、お義母さん…
これは、あれですよね、いやがらせですよね?
ね(笑)いやがらせですよね。

はは。
ははは。
…親子だなあ。

いや、親子だなあって、思って。
志穂とお義母さんは、ほんと、親子だなあと。

うん。
いや、言葉どおりの意味です。
いやな親のもとでは、いやな娘が育つんだなあって。

あは。
あははは。
あははは。

あ〜。
言っちゃった。
言っちゃいました。
すみません。

いや、そんな、他意はないんです。
って、ないわけないか!あはははは!
はははは!

あー…

さあ、食べますか。
あ、お義母さんは召し上がらないんでしたね。
じゃ、いただきますね。
僕だけ。すみません。

げほーっ。
ごっほごっほごっほ。
うーん、まずい。
くっくくく。

いや、いただきます。
お義母さんのまずい手料理。
残しちゃ、もったいないですもんね。

うふふふふ。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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田中真輝 2017年4月9日

tanaka1704

「丘の向こう」

   ストーリー 田中真輝
      出演 清水理沙

菜の花や月は東に日は西に

夕暮れ時。一面の菜の花の中を、
二人の子供が駆けている。

母親から、この場所に入っては
いけないと固く言い付けられている。

ついてきてはいけないと、
あんなに何度も言ったのに
弟はついてきてしまった。

あれだけ何度も言ったのだもの。
弟がついてきたのは、
わたしのせいではない。

夕日に染められて二人の姿は
どこまでも続く菜の花の中に
とけていく。

一面、菜の花が咲き乱れる
丘の向こうに何があるのか、
わたしはどうしても知りたかった。

なぜ、大人たちはそれを禁じるのか。
わたしはどうしても知りたかった。

日が暮れてしまう前に、
あの丘の上に辿り着かなければ。

半べそで、それでもついてくる
弟がうとましい。

わたしは何も知らなかった。
あの丘の向こうに何があるのか。
どうして村の人たちは皆、
悲しそうにわたしを見るのか。
父親はどこに行ったのか。
母親は夜、なぜ一人で泣いているのか。

きっと丘の向こうにその答えがある。
わたしはそのことだけは知っている。

すべては丘の向こうからやってきた。
丘の向こうからやってきたものが、
父親をさらい、村に悲しみをもたらした。
そして、人々は菜の花を植え始めた。

揺れる菜の花の間から、ときおり
朽ち果てた住居が見え隠れする。
ここはかつて人々の住む土地だった。

二人は駆けることに夢中で、
菜の花の下に埋まっているものには
気づかない。

ほうしゃのう、と誰かがつぶやいた。
誰かが咎めるように彼を見たので、
それで、その話は終わりになった。

わたしは、ほうしゃのうが何なのか知らない。
でもそれがあの丘の向こうからやってきたことを知っている。

弟の足音が聞こえなくなったことに
ふと気がつく。

振り向くと、どこまでも続く菜の花が風に揺れている。
白い月がぽっかりと浮かんでいる。

わたしはそこに立ち尽くす。
もうすぐ日が暮れる。

菜の花や月は東に日は西に

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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川野康之 2017年4月2日

1704kawano

菜の花ピクニック

    ストーリー 川野康之
       出演 石橋けい

同僚のふじこさんと一緒にピクニックに行った。
ピクニックなんて何年ぶりかだ。
去年の暮に父が死ぬまではそれどころではなかったのだ。
「さちえさんはお父さまのお世話で大変だったわね」
「ええ、でもやっと死んでくれたから。これからは人生を楽しむわ」
海の見える駅で特急を降りて、私たちはバスに乗った。
春である。
民家の庭の梅が美しく咲いている。
「ねえねえ、あそこ」
とふじこさんが梅の咲いている家を指差す。
「ええ、梅の花きれいね」
「じゃなくてあの看板。房総名物アジフライ定食って書いてある」
「ああ」
ふじこさんは天然だ。
「帰りにあれ食べていきましょうね」
私はフライがあんまり好きではない。
天然でKYのふじこさんのこともそんなに好きではない。
「ねえねえ、あそこ」
今度は何の看板だろうと外を見ると、
「梅の花、きれいね」
「ああ」
「どうして花は毎年新しく咲くか知ってる?」
ふじこさんは語りだした。
知るもんか。
「花は死んだ人間の生まれ変わりなのよ。
地球上のすべての花が実はそう。
前の年に死んだ人が花になって咲くの」

ふじこさんの話を整理すると次のようになる。
人は死んだら、神さまからどんな花に咲きたいかと訊ねられる。
アサガオでもアザミでもヒマワリでもシクラメンでもなんでもオーケー。
神さまは願いを聞いてくれる。
ちなみに日本人の希望でいちばん多いのは桜だそうだ。
でも、どんな花がいいかと聞かれても、すぐに答えられない人もいる。
そういう人にはおまかせコースというのが用意されているそうな。
神さまの助手の天使たちが、帳簿をつけながら、
必要な花の数を満たせるように割り当てていく。
一番多く割りふられるのが菜の花なのだそうだ。
そこら中にいっぱい咲いている菜の花は、多すぎても困らないので、
数合わせとして使われるのだという。

「でも咲いてみると、案外菜の花って悪くないのよ。
ぽかぽかと陽のあたる丘の上にいて、春風は気持ちがいいし、
それになによりあの色。
あの黄色を身にまとうだけで愉快な気持ちになって
つい笑ってしまうらしいのね」

丘の上のバス停で降りると、あたりは一面の菜の花だった。
白いワンピースをひらひらさせて歩くふじこさんの後を歩きながら、
そういえば何年も花のことなんか考えたことなかったな、と思った。
サラリーマンだった父は、ある日突然会社をやめて帰ってきた。
仕事もしないで昼から酒を飲んで家族にやつあたりをするようになった。
家の中は真っ暗。弟が家出をし、母が離婚して、私だけが残った。
脳梗塞で倒れて半年寝たきりになった後、父はやっと死んでくれた。
そのときはしんそこうれしかった。
父の死後、あちこちから借金が出てきた。
私はそのお金を払うために、自分の積立貯金をぜんぶ下して、
退職金まで前借しなければならなかった。
もう一度父に会ったら、一発殴りたい。

ふと思った。
父は花の名前なんか一つも知らなかっただろうな。
神さまに聞かれたときに何か気の利いた答えをしたとはとても考えられない。

そのとき足もとの菜の花の中から誰かが見つめている気配がした。
私が振りむくと、それは目をそらした。

私はしゃがんで、1本の菜の花を指でつまんだ。
「ここにいやがったか」
ぶん殴ってやろうと思ったとき、
その花が気弱そうに笑っているのに気がついた。
父が笑っている。
私もつい笑ってしまった。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

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中山佐知子 2017年3月26日

nakayama1703

かぎろひ

     ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

奈良盆地の南東に広がる安騎野は野原ではなく
四方を山に囲まれた丘陵地帯だった。
木の枝を切り払い、草をかき分けて山道をたどり
やっと行き着くような土地だが
神武天皇以来の聖域で
春には毎年宮中の行事として狩りが行われ、
男は鹿を追って角を集め、女は薬草を摘んだ。

ところがいまは雪が舞っている。
草も枯れ、緑などどこにもない。
しかもこの狩りの人数を率いるのは
わずか10歳の少年だった。

少年はこの国の皇太子で
やがて祖母から位を譲り受け王になることが約束されていた。
祖母の息子だった少年の父は
28歳で王位につくことなく死んでしまった。
少年が成長するまでの間、
祖母は女帝として国を治める決心をし
宮中の儀式を定め、法律を整備するなどして
やがて少年が統治するこの国の近代化につとめていた。

わずか10歳の孫を雪降る丘にやって一夜をすごさせたのは
女帝の意志だった。
壬申の乱と呼ばれる戦いのとき
まだ若かった女帝は幼い息子の手を引いてこの丘を逃げた。
その思い出の土地に11
あのときの息子と同じ年頃になった孫を行かせることは
たぶん、死んだ息子とその跡継ぎの孫を
一体化させる儀式のようなものだったのだろう。

雪がやんだ。
東の空が赤く燃えたち、西の山の端に月が沈もうとしている。
お供のひとりだった柿本人麿はその様子を歌に詠んだ。
 東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

「かぎろひ」は漢字で陽炎と同じ字を書くが、
それを「かぎろひ」と読むと
太陽が昇る前の東の空が赤く染まる様子をいう。

やがて太陽が昇る。
月はまだ西の空にある。
そんな現象は満月の翌日に起こる。
たとえば奈良県だと4月12日、
5時29分に昇る太陽と6時9分に沈む月を
同時に見ることができるはずだ。

 東の野に炎の立つ見えて返り見すれば月傾きぬ

太陽の東と月の西の間で、柿本人麿は幻を見た。
やがて王となるべき少年とその父が
馬を並べて丘を行く姿だった。
少年は14歳で即位し王となったが24歳で死に
また7歳の息子が残された。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2017年3月19日

1703naokawa

かげろう 

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

なぜ、家があるんだ。

俺は動転していた。
俺の実家。
三ヶ月前、取り壊した。
もうもうと埃が舞う中、建物がばりばりと崩されるのを見た。
だが、いま、俺の目の前に、その家が、建っている。

もう二度と来るまいと思っていたこの場所に来たのは、
売却を頼んだ不動産仲介業者から、
隣家との境界にあるブロック塀の処置を相談したいという連絡が
あったからだった。一応現地を見て判断いただきたい、
と業者は固執し、渋る俺をゆるさなかった。
そして週末、重い腰をあげ、車に乗り込み、実家に・・
実家のあった土地に、向かったのだ。
こんな光景を目のあたりにするなどとは微塵も思わず。

じりじりと陽が照り、空には雲ひとつない。
住宅地は静まりかえっている。
俺は、おもいつく。
そうか、きっと俺は車でここへくる途中、事故にあったのだ。
その昏睡状態で見ている夢なのだ。
事故の瞬間を覚えていないのは・・記憶の混乱だろう。
厄介なことになった。
目覚めたとき、後遺症が残った状態になるのだろうか?
絶望的な気分になるが、
今この瞬間の肉体があまりに実感を伴っていて、
負傷した自分のイメージがわかない。
・・それにしても。
俺の家。
このリアリティはどうだ。
とても夢とは思えない。
やはり、取り壊した記憶のほうが、間違いではないのか?
門に手をかけ、開く。
聞きなれた・・何千回も聞いた、あのきしみが聞こえた。
4歩歩き、ドアの前に立つ。
ドアノブに手をかける。
鍵はかかっていない。
開けると・・中の、いくぶんひんやりとした空気が流れ出した。
暗い室内に澱んだ食べ物と埃のにおい。
靴を脱ぎ、中に進む。
廊下の右側が洗面所と風呂。左側が、俺の部屋にしていた六畳間だ。
扉を開ける。
三ヶ月前、処分したはずの荷物がすべて元どおりにあった。
小学生時代から使っていた学習机。
ビデオテープやカセットテープが入った段ボール。
退色した、スターウォーズのポスター。

背後でがたり、と音がした。
みぞおちのあたりが跳ね上がった。
振り返る。
そこに、大男が立っていた。
ものすごい筋骨隆々ぶり。革ジャンと、肩パッド。
髪はきわめて不自然な形・・・
なにか子供が描く炎のような形にカットされている。
ひ。と声があがる。
「ひさしぶりだ」
と大男が口をひらいた。声優のような、太くてよく響く声だ。 
「コウだよ」と大男は、自分の胸を親指で指した。
「おぼえてないのかい」
・・・そうだ。思い出した。
目の前にいるのは・・無敵の「アンドロメダ真拳」を操る戦士、
「アンドロメダのコウ」なのだ。

父と浮気相手を乗せた観光バスが箱根の谷底に落ちたのは、
俺が小学3年生の頃だった。
遺体確認の際、母はハンドバックで何度も父の顔を打ち付けて、
係員に制止された。
結婚以来、ひたすらつくしてきたのに。恩知らず。けだもの。
葬式なんぞしてやるものか。母は半狂乱になってそう繰り返した。
精神に失調をきたした母が療養施設に入ることになったため、
祖母が俺の家で世話をしてくれることになった。
母のいない家で、おれは「北斗の拳」を繰り返し、読んでいた。
当時連載されていたその漫画にノックアウトされた小学生は、
全国で何十万人いただろうか。
主人公の圧倒的強さ。必殺技の斬新さ。
単行本の最後のページまで読んでは1ページ目に戻る。
それを幾度繰り返したかしれない。
子どもの不安定な精神が、
強いキャラクターに自己投影することでバランスを保とうとした・・・
ということになるのだろう。
俺はその頃、「北斗の拳」を酸素のように必要としていた。
そして、その猿まねのような漫画をノートに描きはじめたのだった。 
核戦争後の、荒廃した地球。
弱肉強食だけが唯一のルールとなったその世界をサバイブする主人公!
宇宙のエネルギーを拳に集中することで相手を爆裂する
「アンドロメダ真拳」がその武器だ。
皮ジャンと肩パッドに身を包み、髪型は、炎のように逆立っている。
主人公の名前「コウ」は俺の名前、孝太郎からとった。

「どうしてだい」
コウが、一歩こちらへ近づいた。
ぎしりと床が鳴る。
「え」
「どうしておれのことをかいたノート、
いえをこわすときにひきあげなかったんだい」
そうだ。
「自由帳」という白の無地のノートに、
鉛筆で「アンドロメダのコウ」を描いていたのだ。
「・・忘れてたんだよ・・昔のことだから」
「うそだ」
コウが、どんと壁をたたいた。合板に黒い穴が、あいた。
「いえをこわすまえ、にもつをかたづけにきたろう。
そのとき、おまえはノートをみつけたじゃないか。
でも、それをおしいれのなかに、もどしたろう」
「それは」
「なんでそんなことをした」
「忘れたかった・・んだと思う。もう、あの頃のことは」
コウが、怪訝な顔をしてこちらを見る。
「思い出したくないんだ」
と俺は続ける。
どん、とまた大きな音がした。
「かってなことをいうな」
俺は、びくりと体を縮こまらせた。
「おれとおまえはいっしんどうたいだったじゃないか。
なぜおれだけがすてられるんだ」

学校から帰ると、ひとりで部屋にこもり、漫画を描く日々。
小学校の同級生達が、
それぞれの親から俺の家庭のことについて噂を聞いたのだろう、
「子どもらしい」残虐な言葉を投げつけてくるようになった。
俺は、ただ無言でやり過ごし、
家に帰ってからそいつらの名前をつけたキャラクターを、
コウにぶち殺してもらう。それが習慣となった。
だがその習慣は、祖母がノートを発見したことで断たれた。
こんなもの二度と描くんじゃない。
祖母の目に激しい嫌悪の色を見た俺は、
それきり漫画を描くこともなくなった。
祖母の心までが俺から離れることは耐え難かったのだ。

「許してくれ、コウ」
俺の言葉を無視し、コウは、ポーズをとった。
両腕を高くかかげ、大きな円を描くように動かす。
「わかるだろう?」とコウはつぶやいた。
これは・・そうか。アンドロメダ真拳の「究極超新星突き」のポーズだ。
これを見舞われた相手は、ひとたまりもなく木っ端微塵になり、
宇宙の塵になることが運命づけられている。
「そうだ、おまえがかんがえたひっさつわざなんだ。
おまえがかんがえた」
コウの拳が前につきでた。ごお、という空気を切る音がする。
俺の胸が真正面から、それを受け止めた。

あばらが軋み、肺の空気が押し出され、ひゅ、と乾いた音をたてた。
よろめき、目尻には涙が滲んだ。
だが、俺のからだは、爆発しなかった。
それは、せいぜい・・・少し体力のある子どものパンチ、程度だった。
コウは、うつろな顔をしてその拳をみつめていた。
見かけだけの屈強な拳。拙い想像力が生んだ、所詮は粗悪なイミテーション。
「許してくれ」と俺はもう一度いった。
おれは、もう、前だけ見ていたい。
自分の家も、家族ももったのだ。
こんなところで、引きずり戻されるわけにはいかないんだ。
コウは、目を見開いて俺を見た。
そしてその顔がぐしゃりと歪んだかと思うと、
「うえええん」
子どものように泣き始めた。
「うええええええん」
コウは崩れ落ち、頭をかかえ、泣き続ける。
俺は、コウにどんな言葉もかけることができない。

「すみません」
という背後からの声がきこえ、俺は振り返る。
するとそこは、更地だった。俺の家があった土地。
平にならされた、ただの四角い地面がそこにあった。
「お待たせしましたか」不動産仲介業者だった。
「ああ、いえ」と俺は答える。「さっき来たばかりです」

目の前の地面の上に、一瞬かげろうがたったような気がした。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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川野康之 2017年3月12日

kawano1703

あるカゲロウの最後

ストーリー 川野康之
   出演 齋藤陽介

以前はもっと力強く泳げたものだ。
腕と脚は長くたくましく、ぐいぐいと身体を進めることができた。
褐色のかたい体で、水の抵抗をかわし、あるいは利用して、
魚にも負けないぐらいのスピードで泳いだ。
流れの中でも地面をしっかりとつかんで立つことができた。
石から石へと渡り、岩肌を覆う藻を鋭い口ではがして食った。
甘い汁が口の中いっぱいにひろがった。

世界は素晴らしい。
毎日新しい水が生まれて、流れてくる。
その水をプリズムのように通って降ってくる光は、
色も強さも季節とともに変化する。
一日たりと同じ日はないのだ。
たまに葉っぱや花びらが流れてくると、俺たちは歓声をあげて、
それにつかまり、いっしょに川を下ったものだ。
水は、ときには氷のように冷たいことも、ときには荒れ狂うこともあった。
そういうときはじっと石の下にいて息をひそめた。
流されていった仲間のことをときどき考えるが、すぐに忘れてしまう。
生きるとは、今目の前にある水を楽しむことだ。
明日は明日の水が来る。
毎日生まれ変わる水の中で、俺は生きることを楽しんだ。
脱皮を重ねるごとに、俺の体は大きくなり、たくましくなっていった。

それが今はどうだ。
俺の手脚の力は衰えた。
前のように水を掴んで速く泳ぐことができなくなった。
襲ってくる魚に何度もつかまりそうになる。
今日も危ないところだった。
恐怖。
それが俺を支配している。
がたがた震えて石の下にしがみついているしかない臆病者、それが俺だ。
川底からそっと上をうかがう。
キラキラと降ってくる光の、そのすぐ下を、
鋭い歯を剥き出したイワナどもが腹を見せて泳いでいる。
この川の中でいちばん弱いものが俺なのだ。
魚に食われて死んだ仲間のことを思う。
明日は俺が食われるかもしれない。
俺は、動けない。
俺は歳をとってしまったのだ。

俺は長く生きた。
そろそろ終わりが近づいてきたのかもしれない。
俺も、上へ行くのだ。
そう思うと、武者震いがした。
いままで多くの仲間が水を出て上へ行ってしまったのを知っていた。
今度は俺の番なのだ。
だんだん体がこわばってくるのがわかった。
いよいよ近づいてきたのだと思う。

俺は勇気を出して石の下から出て、岩肌を這い登った。
水面からさらに上へと登った。
そこで体が動かなくなった。
目を閉じて、来る時を待った。

目を開けて、俺は驚いた。
俺の体が変わってしまっていた。
胴が痩せて細くなり、尻尾が長く伸びて、糸のような頼りない形になっていた。
顔からは口がなくなっていた。
もう何も食えないということか。

心細さと絶望で泣きだしたくなったとき、
俺の中に今まで経験したことのない衝動が生まれるのを感じた。
それはもっと上へ登りたいという衝動だった。
でもどうやって?
気がついたら、ふわっと体が浮いていた。
足が地を離れ、住み慣れた小川が下の方にあった。
俺は空を飛んでいるのだ。

まわりを見ると、あちこちから俺と同じような細い体が、
背中の薄い羽をふるわせて、空中に登ってきていた。
無数の仲間が飛び立ってきて、空を満たした。
みんなわんわんと狂ったように飛んでいる。
その中の一つに俺は引き寄せられた。
そいつは俺にぶつかってきた。
俺たちは何度もぶつかりあいながらわんわんと空を舞った。
俺は細い腕を伸ばして、そいつの体をつかんだ。
俺の腹の真ん中が熱くなった。
それはものすごい力だった。
腹の火が一気に燃え上がった。
俺は、たぶんそいつの柔らかい体を引き裂いた。
甘い汁が口の中いっぱいに広がった。
俺にはもう口がないので、それは幻覚だったかもしれない。

それが最後だった。
世界は素晴らしい。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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