中山佐知子 2018年10月28日「欲望という名の電車に乗って」

欲望という名の電車に乗って

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

「欲望という名の電車に乗って墓場に乗り換え…」
というセリフから始まるテネシー・ウイリアムズの戯曲は
ニューオリンズを舞台にしている。
「欲望ストリート」という道路が本当にあって
そこを走る電車の表示板に「欲望」と記されていた。
テネシー・ウイリアムズがこの戯曲を書いた頃は電車だったが
蒸気で走ったりロバが牽いた時代もあったそうだ。

ニューオリンズはその土地の70%が海抜0メートル地帯で
まわりを湿地に囲まれている。
だいたいがジメジメと暑い気候で嫌な臭いもする。
3センチ足らずの雨が降ると水害が起きる。
台風が来ようものならえらいことになる。
昔は夏が来ると疫病が流行り、湿った墓場と呼ばれた。
過去1年以内に移住したアメリカ人の3分の1が死んだ年があった。
ヨーロッパから来た人々がほとんど死んだ夏もあった。

あまりに死が身近にあったので
ニューオリンズでは、死ぬことは生きることからの解放と
考えるようになった。
低賃金の生活苦から解放され、疫病の心配からも解放され
死んでめたしめでたしというわけだ。

葬式はだんだん盛大になった。
ジャズを演奏しながらパレードをする。
まるでカーニバルだ。
その一方で、死人を埋葬しても洪水になるとプカプカ浮かんで
どこかへ流されてしまったりもした。
まあ、仕方がない。そういう町なのだ。

「欲望という名の電車」には
メキシコ人の花売りが登場する。
Flores. Flores. Flores para los muertos
フロレス パラ ロス モエタス
死者に手向けるお花はいかが。

そのスペイン語を聞くと、
ニューオリンズはメキシコ人が母国語で商売ができるくらい
移民が多いのだなと思う。

ところで、
メキシコの死者に捧げる花はマリーゴールドで
死者を導く花といわれる。
コスモスと同じキク科の花で、コスモスと共にメキシコ原産だが、
ニューオリンズの花売りが売るのはけばけばしい造花だ。

Flores para los muertos
Flores para los muertos

低所得者が住むこの区画では
本物の花を買う余裕のある人がいないのかもしれない。
ニューオリンズの狂気のような暑さが
花を枯らしてしまうのかもしれない。

Flores para los muertos

欲望という電車に乗って墓場に乗り換え天国通りに行くと
テネシー・ウイリアムズが戯曲を執筆した家があるそうだ。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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2018年10月(コスモス)



10月7日(日)いわたじゅんぺい & 齋藤陽介
10月14日(日)遠藤守哉の「山月記」朗読(2018版)
10月21日(日)古居利康・地曵豪
10月28日(日)中山佐知子・大川泰樹

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古居利康 2018年10月21日「花に身を」

  花に身を           

     ストーリー 古居 利康
       出演 地曳豪

 そのひとがいるとにおいでわかる。
 あるときこどもらが亀をつかまえて酒を飲ませて
みようということになった。力ずくで口を開かせ酒
を注ぐが、亀は死にものぐるいで首を歪め逃げよう
ともがく。そこまで酒を嫌うかと残酷な子らが思っ
たそのとき、においが近づいてきた。
 姿を見ないでもわかった。意外な速度で歩いてき
てそのひとは「そういう無慈悲なことをするもので
ない」と諭したが、こどもらは口々に「うぁぁ」と
声にならない声で呻き、鼻をつまんで亀を放り投げ、
すでにいちもくさんに逃げている。道端で裏返って
甲羅に手足を引っ込めている亀を、そのひとは池に
放してやる。
 またあるとき川べりに腰をおろしたそのひとが、
何をしているのかと思えば着物にたかった虱を潰し、
石の上に一匹ずつ並べている。遠巻きにしたこども
らが石を投げつける。そのうちのひとつが後頭部に
命中したのだろう。そのひとは頭から血をだらだら
と流すが倒れるでもなく立ち上がる風もなくただ動
かない。こどもらは逃げ出すが、気になって戻って
きて物陰から様子を窺う。そのひとはずっと動かな
い。坐ったまま死んだのか。こどもらはそう思って
こわくなる。
 けれどもそのひとは翌日いつものようにふらふら
と歩いている。腰にぶらさげた瓢箪を的にして、ま
たもやこどもらが石の礫を投げつける。今日はなか
なか当たらない。昨日のことがあるので、こども心
に手かげんしているのか。
 もともとはおさむらいだったせいか、いつも袴を
履いている。真っ黒でぼろぼろで穴だらけの袴。羽
織は着ておらず、薄手の小袖一枚、垢まみれで薄黒
くなった上半身は妙に瘦せ細り、全体が烏みたいな
シルエットになっている。ひどくにおう痩せガラス。
御一新前から刀を捨て放浪を繰り返し、俳句をつく
ってきた。そんなことはこどもにはわからない。家
をもたず、襤褸をまとってひどいにおいを撒き散ら
す、文字通りの鼻つまみ者でしかない。けれど親た
ちは握り飯やお酒などをめぐんでいるようで、腰に
ぶら下げた瓢箪の中身はいつも酒でたぷたぷしてい
る。酒をもらったそのひとは、「千両、千両」と歌う
ようにつぶやく。礼のつもりか、ときおり紙に文字
を書いて渡すことがある。手紙ではない。一行、二
行のごく短い文字の連なり。それが俳句というもの
だろうとひとびとは思ったが、字が読める者などだ
れもいないので、それはただの紙切れだった。
 ある秋の日。事件はあっけなくやってきた。あぜ
みちを転げ落ちたのだろうか。そのひとは、いちめ
んコスモスの花が咲く休耕田へ頭から突っ込んでい
た。薄紫の花のあいだに、細い白い足が逆さに生え
ているようだった。第一発見者のこどもは、鼻をつ
まむのも忘れて村の駐在に駆けこむ。コスモス田か 
ら助け出されたそのひとは、まだ息をしていた。医
者のいない村では薬草を煎じて飲ませるほかは、た
だ一心に念仏を唱えるしか能がない。
 かつてこんなこともあった。鼠花火で遊んでいた
こどもがまちがって前髪と眉毛を灼いて痛がったと
き、「それそこに渋柿という妙薬があるではないか」
と柿を頬張り噛み砕いてこどもの頭に塗りつけた。
医者の心得があるわけではなかったが、放浪の日々
に覚えた応急処置だったかもしれない。
 そのひとは息はしているが目を覚まさない。ここ
ちよい眠りを眠っているようだった。大人たちは気
がつかなかったが、こどもらは気がついていた。そ
のひとからにおいが消えていることに。
 しばらくしてそのひとは死んだ。葬る際に懐をあ
らためると、ぼろぼろの紙が出てきてこう書いてあ
った。

 花に身を汚して育つ虱哉  

 字の読める駐在さんに読んでもらったが、意味が
わからない。みずからを虱に喩えているのはなんと
なくわかったが、葬いをお願いしにいくついでに寺
の住職に聞いてみようということになった。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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