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直川隆久 2013年8月18日

玉砕

     ストーリー 直川隆久
        出演 吉川純広

――あ、けいこちゃん。ホッピーおかわり。うん、ホッピーもナカも。両方。
おまえ何飲むの?あ、そう。
…けいこちゃん、ウーロン茶追加。
よく飲めるね、そんなウーロン茶ばっかし。
何、もう、帰りたいとか思ってる?
でもねえ、まだ帰せねんだな。
なんでかって?
わかんない?
今日おれ、課長から特命うけてんだよね。
特命係長補佐。
なんで、そろそろずばっと訊いちゃうけどさ。
なんでまた会社やめたいなんて言い出したの?
え?
いや、部長にそう言ったんだろ。
俺、一応、おまえの直属の上司じゃん?
それで頭とばされて上のほうに話いくとさあ、俺としてはいろいろ大変なのよ。
話してみろよ。
いいから、話してみーろーよ。
え?よく聞こえない。
なに?
…この職場では、輝けない?
ああ…そう来た。

なあ、おまえはさあ。なんつうか…あれじゃない?
いつも自分が主役でいたいタイプなんじゃない?
そんなことない?いや、そうだよ。
そうなんだよ。
おまえ、ひょっとしてあれだろ、一人っ子だろ。
わかる。わかるなあ。

おまえ花火好きか?
え?“花火が関係ありますか”?いいから。花火好きか。

いや、つまりさ、花火にもさ、いろいろあるわけじゃんよ。
花火って言ったら、何を思い浮かべる?
え?線香花火…?
おまえ、変わってるなあ…線香花火って、そんなやついる?
ひょっとしてゆとり世代か、おまえ。
花火っつったら打ち上げ花火だろうがよ。ひゅー、どーーんだよ。
そうだろ?
知ってるか。打ち上げの一番でっかいやつ、
あれ、4尺玉っつってさ。1メータ以上あんだべ。
すげえだろ?それがひゅうううう…どーん!!
キャー!すごーい!だよ。
な?みんなに注目されて、気持ちいいと思うんだよ。4尺玉は。
でもね、おれは思うんだよ?
みんながみんな、打ち上げ花火の4尺玉になれるわけじゃないんだよな。
ロケット花火、それに…そう。おまえの好きな線香花火!な?
で、ほら、あれあるじゃん。
蛇玉。
知らない?んなことねえよ。
火を点けると黒い燃えカスがもりもりもりっとでてくる奴じゃんよ。
そう、うんこ花火。いわゆる。
あれは、人気があんだよ。ハデな花火の合間の箸やすめつうかさあ。
あれがないとなんか終わった気がしない、っていう花火好きも多いんだよ?
ししししし…。
でも、あれって、なんなんだろな?
花火っていうけど…ハナねえし!!
俺、ガキの頃さ、近所のゆきちゃんて女の子に見せてやってさ…公園で。
見たことないっていうからさ。火いつけたらさ、
もりもりもりーって、でてくんじゃん。
そしたら、ゆきちゃん、ほんとのうんこだと思って、泣きだしてさあ。
いや、興奮したな~。
…なんの話だっけ。
そう、蛇玉…気取ってんじゃねえよ、おまえ。うんこ花火でいいんだよ。
そういうさ、主役にはなれないけど、いなくてはならない奴ってのがいるんだよ。
組織には。
はっきり言うけど、俺は、おまえは、うんこタイプだと思う!
おまえは打ち上げ花火でも、ロケット花火でも、線香花火でもない。
ハナ、ないもん。

え、なに?
じゃ、おまえ、自分でハナあるとか思ってんの?
ししししし…そんなわけねえじゃん。
なに。なんだよ、その目。
おまえ、ときどきそういう目するよな。職場で。
すげえ、いらつくんだよな。それ。
なんだよ。
見せてみろよ。今ここで、すぐ。おまえのハナあるところ。

注目!注目ー!
けいこちゃん!
今から、うちの後輩が、ハナのあるところ見せるって!
すげえ、隠れた魅力を今から見せてくれるんだって。
見ててやって、けいこちゃん。

ほら、見せてみろよ。
ほら。
3。
…2。
…1ぶううううううう。

無理すんなって。な?
うんこ上等!
おまえには、わが社のうんことして期待が…ぷーっくくく
…うははははは。
だめだ、笑っちゃって言えねえ。
な?わかんだろ?な?
うんこクンにはうんこクンの役割ってのがあるんだから。…くく。
それをまっとうしてくんなきゃ周りが迷惑するって話。
   
残ってくれるよな?
こんなにおれが後輩に向かって真剣に話すってなかなかないんだよ?
な?
…なんとか言えよ。まあ、今返事しなくていいけどさ。
一応今日しようと思ってた話は、これで終わりだからよ。
まあ、飲むか。
けいこちゃん、ナカおかわり。ごめーんねぇー、
でっかい声でうんこうんこ言っちゃって、ししししし。

あれ?
どうしたのおまえ。ホッピーの瓶もって。
何、それ振り上げて…どうすんの?
振り上げて――
   

 
出演者情報:吉川純広 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

 

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中村直史 2013年8月11日

花火男

    ストーリー 中村直史
       出演 遠藤守哉

気づいたときには、男は火薬の詰まった真っ黒い玉になっていた。
というのも男は眠りに落ちる前、どうせならでっかい打ち上げ花火のように、
バーンと輝いてパッといなくなりたい、と神様に願ったからだった。
自分がでっかい打ち上げ花火になってしまったと気づいた男は
「いやいや神様、花火って言ったのは比喩だから」と叫んだのだけれど、
その声を聞いた神様は雲の上から
「いやいや男よ、時すでに遅しだから」と叫び返したのだった。

時すでに遅し。ずっとそういう人生だった。
自分の人生を決めるのはいつも自分ではなく状況だった。
なんの覚悟もできないまま何十年も状況に従い、
一個の黒い花火玉になったのだ。ただこんな姿になって
「時すでに遅し」と言われるのは気分が良かった。
生まれたときからずっと、時はすでに遅しでよかったのだと
ようやく気づいたのだった。

それから幾日もたたない夏の夜、男は
花火師の手によって漆黒の夜空へ打ち上げられた。
長年自分がべったりはりついてきた地上はぐんぐん小さくなった。
すばらしい気分だった。重力に逆らって飛ぶのが、ではなかった。
重力が自分を地上につなぎとめていたことの意味を知ったからだった。
ずっと解放されたいと思いつづけた地上の
つながりやしがらみの意味を理解したからだった。
自分とともにあったものは、ぜんぶあってよかったのだった。

男はこれ以上重力に逆らうことができないという地点にたどりついた。
男はもうすぐ死ぬのだった。
もうすぐ死ぬ、ということが、
こんなに晴々とした気分にさせるとは考えてもみなかった。

体の真ん中に小さな火がともった。
小さな火は、そのまわりにある無数の小さな火種のひとつひとつに、
つぎつぎと火をともしていった。体中に力がみなぎった。
こんなに生きたことはなかった。死ぬから生きているのだった。
本当はこんな姿になるずっと前から、死ぬから生きているはずなのだった。
本当はだれもが、生まれたときから時すでに遅しなのだった。
時すでに遅く、死をめがけて、空を駆けあがっているのだった。
火が体中のすみずみにいき渡り、玉は炸裂した。
男はもはや何者でもなく、さまざまな光となって地上にふりそそいだ。
夜の闇へ消えさってしまうその瞬間、
男は「時すでに遅し」と歓喜の声をあげたのだった。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

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磯島拓矢 2013年8月4日

「花火」

         ストーリー 磯島拓也
            出演 地曵豪

ドーンという花火の音で、生後7カ月の子どもが目を覚ました。
僕の腕の中で激しくむずかる。
花火を見せたくてやってきたのに、
寝ていてくれた方がラクだな、と思ったり。
明らかに矛盾している。
大人は実に勝手だ。

起きてしまった彼は泣くというより、いつものように唸りはじめる。
ドーン!と花火が上がって「うう~」。
バーン!と花火が散って「ああ~」。
このような声を「喃語(なんご)」と呼ぶことを最近知った。
乳児たちの、言葉になる前の言葉だ。

妻は彼が唸るたび「そうね~キレイだね~」と応えているが、
彼が「キレイだ~」と話しているとは限らない。
こちらは日本語、彼は喃語、通じないのだ。
実にもどかしい。

たとえ喃語であっても、ただの唸り声であっても、
彼が僕に話しかけてくれるのはうれしいものだ。
何か伝えたいことがあるというのは、素敵なことだと思う。

花火が上がる。
首が座りはじめた彼が大きくのけぞって空を見上げる。
「うえ~」と唸る。
妻が「そうね~すごいね~」と応えている。
しかし彼が「すごい」と言っているかどうかわからない。
僕らに喃語は難しすぎる。

もうしばらくして彼が日本語を話し始めた時、
きっと喃語は忘れているだろう。
僕たち大人が、そうであったように。
喃語は、書きとめられもせず、ただただ消えてゆく言語だ。
そう考えると、ちょっと切なくなる。

花火が上がる。
彼は僕に抱きつき「あが~」と唸る。
「ハイハイ大丈夫」妻が彼の背中をたたく。
彼女は同時に、子どもの様子をケータイ電話の動画におさめる。
これが唯一の喃語の残し方だ。

しかし数年後、彼にこの動画を見せても、
喃語を翻訳してくれないだろう。
この時何を言っていたのか、覚えていないだろう。
喃語たちは、その意味を明らかにすることなく、
ただただ思い出の中に存在する言語だ。

花火が終わり、駐車場までぞろぞろと歩く。
興奮しているのか「ああ~」「うう~」「おお~」と、
彼は話しかけてくる。
「楽しかったか?」「ちょっとくさいだろう。これ火薬っていうんだ」
「日本の花火は世界一らしいぞ」
僕は応える。
通じてはいないだろう。
ただ、お互いに伝えたいことがあることだけは
伝わっているといいなと思う。

数年後、彼の喃語を
かけがえのないものとして思い出すのかなあ、
なんてことを、柄にもなく考える。
だからもっと話せ、今しか話せない言葉を話せ、と言いたいのだが
帰りのクルマの中では、寝ていてくれた方がラクだな、と思う。
明らかに矛盾している。
というか、大人は勝手だ。
ゴメンな。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/

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中山佐知子 2013年7月28日

湖はいつも風が

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

湖はいつも風が吹いていた。
風はトウモロコシや豆を揺らし、
ときには畑全体を揺すった。
畑は湖に浮かんでいた。
この国の人々はアシの筏に泥を積み上げて畑をつくると
それを湖に浮かべた。
湖に浮かぶ畑は灌漑の必要がなく、
一年の半分雨の降らないこの国にありあまる収穫をもたらしていた。

この国にはもうひとつ自慢できる宝があった。
それは黒曜石の鉱脈だった。
黒曜石からは切れ味鋭いナイフができた。
ナイフは外科手術のように
犠牲者の胸を生きたまま切り開き、
動いている心臓を太陽の供物として差し出した。

それは世界を終末から救うための儀式であり
この国の人々は自分らを犠牲にしながら
太陽の命を養い、世界を終末から救っていたのだ。

国の歴史によると
最初の太陽は生まれて676年後にジャガーに食べられてしまった。
二番めの太陽は風に滅ぼされ三番めは火に滅ぼされた。
四番めの太陽は676年続いたが、
これも水によって滅ぼされてしまった。
そして、いまは五番めの太陽が戦っていた。
太陽が滅びると宇宙が滅びる。
虚無の暗黒と戦う太陽にチカラを与えるには
星の数ほどの生け贄が必要だった。

儀式の日、選ばれた犠牲者は太陽の神殿に並んで
自分の心臓が取り出される順番を待った。
儀式を受けることは死ではなく
太陽と一体になれる永遠の幸せであり、
庶民はもとより貴族や王族にとっても名誉なことと考えられていた。

この国の戦争は領土の拡大が目的ではなく
生け贄のための捕虜を確保することが目的だったが
その捕虜でさえ、命を助けようという申し出を
拒否するものが多かったという。

まるで地球を支えるアトラスのようだった。
この国の社会も、文明も、太陽の命を養い、
その戦いを支えることだけに目標を置いていた。
自分の命と未来を犠牲にすることで
この宇宙を守る責任を果たしていたのだ。

誰もそのことに気づかなかった。
この国の使命を理解することもなかった。

やがて征服者がやってきて、湖を埋め、神殿を埋め
その上に都市をつくった。

国が滅び、祈りも消えたいま
病院の外科室で心臓の手術に使われる黒曜石のナイフを見ても
かつての儀式を思い出す人はいない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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吉岡虎太郎 2013年7月21日

「ナイフのような人」

             ストーリー:吉岡虎太郎
                出演:前田剛

「あの人は、ナイフのような人だ。」

そう言われるような人物は、相当な切れ者だろう。
頭の回転が速く、仕事ができる。
が、しかし、少々冷淡なところがありそうだ。味方であっても、
いつなんどき、寝首を掻かれるかもしれないので油断は禁物だ。
そんな危険な雰囲気に女性は吸い寄せられるだろうが、
切って捨てられるだけなので、決してお薦めはできない。

「あの人は、ワイフのような人だ。」

一文字変わっただけで、途端に生活感に溢れた、
堅実な人物の姿が思い浮かぶ。
料理上手できれい好き、内助の功に長け、
こまかいことにもよく気がつくに違いない。
時には背広の内ポケットからキャバクラの名刺を見つけ出して
逆上するところなどは、
よく切れるナイフと似ていると言えるかもしれない。

「あの人は、サイフのような人だ。」

途端に下世話な、周囲からいいように使われている好色そうな親父の顔が
目に浮かぶ。極上カルビを前に
「食えよ食えよ、遠慮なんかするな」と豪快に笑い、
「パパ、私シャネルのバッグが欲しいの」と言われれば、
「ベンツでもマンションでも何でも買ってやるよ」と答えてくれそうだが、
それじゃ「サイフのような人」ではなく、「サイフ」そのものである。

「あの人は、スイスのような人だ。」

一転して、今度は、色白で澄まし顔の紳士が頭に浮かぶ。
永世中立を気取り、決して事を荒立てることを好まず、
常にケンカの仲裁役を引き受けていそうだ。
お金にもきっとスマートであるに違いない。
なぜだか夜の生活が激しそうな気がするが、
それはスウェーデンと混同しているだけだろう。

「あの人は、座イスのような人だ。」

うららかな午後の茶の間。
座イスに腰かけたおじいちゃんが
のんびりと時代劇の再放送を見ているかたわらで、
お婆ちゃんは黙々と豆の皮をむいている。
このほっこりとした平和な時間が、突然の祖父母の死によって、
幼いあなたから永遠に奪われてしまうなんて、
座イスはなんにも教えてくれなかった。

…当たり前だ、座イスはしゃべらない。
理由はイスだからだ。「座イスのような人」なんて苦しすぎる。
そんな人はいない。
この原稿のお題が「ナイフ」だからといって、
切れのいいオチを期待していたなんて、
聴いているあなたの方がどうかしている。

出演者情報:前田剛 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

 

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直川隆久 2013年7月13日

センセイとわたしとナイフ

      ストーリー 直川隆久
         出演 西尾まり

わたしは毎日、ナイフで鉛筆を削っている。
いまどき鉛筆。しかも、ナイフ。
わたしがつとめるK建築設計事務所ではパソコンを禁じられていて、
図面は手描きだ。そして、所員全員の製図用の鉛筆を削るのが、
わたしたち新米の仕事なのだ。

「ものづくりは、手を動かすことや。パソコンに頼るようなやつらは、
頭の中までゼロイチで奥行きがない」というのがセンセイの言い分で、
「K事務所といえば鉛筆」というのが半ばトレードマーク化している。
世間的には、反骨の建築家ゆえのポリシーということになっているのだが、
単にケチなだけではと所員達はうすうす勘づいている。

わたしたちは、センセイが有名になってからのことしか知らないのだけど、
それまではなかなかに大変な人生だったようだ。
競馬の予想屋をやりながら独学で建築を学んだものの、
学閥と縁がないので設計の仕事はなかなかできなかった。
みかねた田舎の親戚がたまに家の改装を頼んだりすると、
かやぶき屋根の家を総ガラス張りにして出入り禁止なったりしていたらしい。

うけを狙ってもいまいちぱっとしないセンセイのキャリアに転期が訪れたのは、
50代半ばだった。サイドビジネスのクワガタの養殖が大失敗し、
ドン底状態のやけくそでつくった作品――リアカーの上に、
段ボールを張ってつくった移動式住居――が
意外やヨーロッパで高く評価されてしまったのだ。
「システムとしての都市文明に対抗する運動体、
すなわち《個=ノマド》を表象している」とかなんとか。

「いや、ホームレスになってもそれで暮らせるかな思(おも)ただけで。
ついとったわ」とセンセイはよく宴会でもらしていた。
(ちなみに宴会の会費も、割り勘である。)

いざ海外から評価がえられると、エラいもので日本での評価もうなぎのぼり。
設計依頼があれよあれよと舞い込んできたらしい。
お金とか名声のにおいがするところにはますます仕事も人も寄ってくる。
まあ、わたしもその一人だったわけだ。

ここ数年のセンセイの勢いはすごかった。
段ボールが専売特許となり、段ボールハウスは段ボールメゾン、
段ボールレジデンスへと進化を遂げ、ついには段ボールシティ、
というプロジェクトまで動き出した。

事務所の仕事が増えると、センセイの仕事は段々雑になった。
アイデアスケッチをだすこともなく、所員が描いてきた図面に最後、
気合い一閃サインを入れる――というパターンが多くなった。

段ボール建築についての取材はひっきりなしだった。
火事に弱いのでは?とインタビューで問われると
「生きるということは、そもそもリスクを負うことですわ。
段ボールに住まうということは、その根源的なリスクを、
文明社会に取り戻すことを意味するんです」と
もっともらしいこと答えていたセンセイだが、
心配ごとはだいたい実現するもので、
この段ボールハウスの一軒が火事で全焼し、死傷者が出た。
基準をクリアしていたはずの耐火性能に、
そもそも計算ミスがあったことがわかったのだ。

センセイは一転犯罪者扱いされ、バッシングをあびた。
いちばんよくなかったのは、釈明しようとして開いた記者会見で、どう責任をとるのかと問い詰めてきた記者に向かって「戦後の焼け跡から復興した日本人なら大丈夫です」とわけのわからない答えをしてしまったことだ。これがダメ押しになった。

当然ながら建築依頼は激減し、事務所員も次々に逃げた。

わたし?
わたしは、出て行かなかった。なぜかと言えば、
まあ、仕事も身についていないし、
ほかで雇ってくれるところもなさそうだし。
あと、このどうしようもないセンセイの行く末を見届けたいという思いもあった。

そんなわけで、今でもわたしはセンセイと二人きりの事務所で、
誰も使わない鉛筆を削っている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

という文を日記に書いてから何日かたった、ある朝。
小雨が降る中事務所にたどり着いたわたしがドアを開けると――
さりさり、さりさり、という音が奥から聞こえてきた。
見ると、センセイが所員のデスクで鉛筆を削っている。
真黒なクマができた顔で、わたしを見たセンセイは小さな声で
「おお。はやいやないか」
とだけ言うと、またさりさりと、鉛筆を削る。
ぱき、と音がして鉛筆の芯が折れた。
下手だ。もう何十年も自分で鉛筆なんて削っていないのがわかる。

「お茶でも淹れましょうか」とわたしがいっても、センセイは答えなかった。
窓の向こうの、雨で輪郭がぼやけた町をじっと見ている。

「初心に戻ったら、なんか出てくるかな、と思たけど――あかんわ」
センセイがぼそりとつぶやき、鉛筆とナイフをごとりと置いて、席を立った。
デスクの上には、コピー用紙が一枚。真っ白な紙に一行だけメモ書きが見えた。
「段ボール」という文字から矢印がひかれ、その先に「ラップの芯」と書かれている。

センセイはふらふらとドアに向かった。
ドアノブに手をかけたところで、
「ああ、そや」
と、こちらを振り返らないままで言った。
「きみ…もう、鉛筆、削らんでええで」
「いいんですか」
「そんなもん、パソコンでやったらええねや。アホやな」
そう言ってセンセイは、出て行った。
それが、わたしとセンセイが交わした最後のことばだった。

何日かはわたしも事務所に顔を出したが、センセイが帰る様子はない。
センセイが置きっぱなしにした携帯も、しばらくは鳴りまくっていたが、
やがて音をたてなくなった。わたしも事務所に行く理由がなくなってしまい、
家事手伝いの生活に戻った。
そうして今また自宅の机でこれを書いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時折、あの事務所の日々が思い出される。
結局のところ、あの頃は今よりよく笑っていたような気がする。
わたしは、センセイが嫌いじゃなかったのだ。
ケチでうさんくさいおっさんなのだけど、でも、見ていて飽きない人だった。
建築なんてものに手をださず、
地道にクワガタの養殖をやっていたほうがよかったのかもしれない。
どうしているんだろう。
あの、段ボールを張ったリアカーで街をさまよっているんだろうか。
そう思うと、センセイが少し可哀想になった。

と、ここまで書いて、聴きなれたダミ声がテレビから聞こえてきた。
思わず振り向くと、「石釜ハンバーグ」という
ファミレスの新メニューのテレビコマーシャルに、
センセイが出ているではないか。
ドリフのコントみたいに顔中真っ黒に塗ったセンセイが
「とことん焼いたれ!」というきめゼリフをシャウトしていた。
わたしは持っていたコーヒーのカップを落としてしまい、
ふとももにわりと大きなやけどをした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、YouTubeの制限時間もあることなので、今日はここまで。
センセイがその後「人生丸焼け建築家」として
テレビのバラエティで華麗な復活をとげ、都知事選に勝利するまでの話は、
また別の機会に書きたいと思う。
                       

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

  

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