中山佐知子 2011年4月29日


小さなかわいい飛行機
           ストーリー 中山佐知子
              出演 瀬川亮

小さなかわいい飛行機を僕は飼っていた。

僕と飛行機はときどき散歩に行った。
犬の散歩みたいにハーネスは使わないけれど
そのかわり
僕は片手に飛行機雲のはしっこを握りしめていた。
飛行機雲はどこまでもぐんぐん伸びるので
飛行機も本当はどこまでも飛んで行けるのだと思ったけれど
僕の小さな飛行機はいつも僕の目の届くところしか飛ばなかった。

朝、僕が寝坊をしていると飛行機が飛んで来て
片方の翼で僕の顔をツンツンと突いた。
うるさいので布団をかぶると
ブルンブルンとエンジンの音をわざと大きくして旋回飛行をした。
その音にとうとう寝ていられなくなって
起きるからコーヒーを淹れて、と
あるとき飛行機に言ってみた。

元気なエンジン音はあっという間に小さくなり
しょんぼりと着陸したかと思うと
よたよたと翼を揺らしながら飛行機は部屋から出て行ってしまった。
僕はそれから飛行機に出来ないことを
たとえウソでも言うのはやめたのだ。

僕は小さな飛行機が大好きだった。
僕と飛行機は何年も何年も一緒に暮らした。

僕は飛行機をしょっちゅう磨いていたので
飛行機の外側はいつも新品のようにピカピカだったけど
中の部品はシャフトもディスクもケーブルも
年を重ねるごとにすり減ってくたびれていたに違いなかった。
それよりも飛行時間と発着陸の回数が
飛行機の残りの寿命を少しづつ減らしていったのだ。

飛行機は、もうワインの瓶を上手によけながら
テーブルのまわりをぐるぐると八の字に飛ぶことがなくなっていた。
天井から僕の足元まで急降下して、また急上昇する
ハラハラさせる遊びもしなくなっていた。
飛行機は本棚の上の自分の場所でじっとしていることが多くなった。

僕の飛行機は残った力を
僕にさよならを言うために使おうとしていたのだと思う。
飛べなくなって埃をかぶった置物になったり
スクラップにされたりする姿を僕に見せたくなかったのだと思う。
そして、その方法を考えていたのだと思う。

ある朝、僕が窓を開けて晴れ上がった空を眺めていると
後から咳き込むようなエンジンの音が聞こえ
あっという間に飛行機が飛び出して
あぶなっかしく庭を旋回しはじめた。
それから飛行機は僕が見ているのを何度も確かめると
体勢を立て直し、まっすぐに空に向かって上昇していった。

その迷いのない潔い姿に
僕はたまらず、「カッコいいぜ、飛行機」と大声で叫んだ。
飛行機はうれしそうにちょっとだけ翼を揺らし
それから垂直の矢印のように空に吸い込まれて消えてしまった。

僕は飛行機が残した白いひと筋の雲が青空に溶けるのを待ってから
小さな声でサヨナラ飛行機と言った。

出演者情報:瀬川亮 03-6416-9903 吉住モータース

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ふるさとにチカラを

声:大川泰樹

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中山佐知子 2011年3月27日


明るい野原に

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

明るい野原にレンゲが咲いた。
それは野原の言葉だった。
レンゲはここの土は栄養たっぷりですと教えてくれた。
そして、その言葉通りやがて耕耘機がやってきて
400kgの重さでレンゲをずたずたに踏みつぶし掘り返し、
土に混ぜてしまった。
レンゲの野原はレンゲをこやしにして
よく肥えた田んぼに変わる。

レンゲの野原にはホトケノザも咲いた。
この花は肥えた土が大好きで
そこが土手だろうと道端だろうと
ここはいい土ですよと教えてくれるのだ。

野原を流れる水路にはヘビイチゴが赤い実をつけた。
ヘビイチゴの言葉は水だった。
ここには水がありますよ。
確かにヘビイチゴは川べりやじめじめした湿地に群れをつくる。
そしてそこが蛇の出そうな場所だからという理由で
ヘビイチゴを呼ばれるようになった。

ツクシとスギナ、ハルジョオン、カタバミ
彼らの言葉は、荒れ地。
乾いた栄養不足の黄色い土、酸性の強い土壌、
他の植物が嫌がる場所でも
彼らはぬくぬくと暮らしてしまう。
そういえばナズナもそうだ。
ナズナというかわいらしい名前があるのに
ペンペン草なんて呼ばれるのは
荒れ地に咲くたくましさが原因かもしれない。
根があまりに深いので絶対に畑や庭には入れてもらえないタンポポも
荒れ地の野原では大威張りで咲く。
タンポポの茎を笛にして、子供たちは遊んだ。

魚沼の山のなだらかな斜面には
オオバ黄スミレとカタクリが咲いた。
カタクリの言葉は落ち葉。
落ち葉が分解されてフカフカになった土が大好きだ。
その野原はどう見ても野原だが
公園という名前になっている。
公園にしておかないとカタクリが盗まれるのかな、と
後になって気づいた。
可憐な二輪草はこの土地では食べられる野草の仲間になっていた。

そういえば、高尾山のどこかに
カタクリが一面に咲く野原があるそうだ。
カタクリが終わると山吹草で黄色に埋まるのだと
植木屋さんが話してくれたが
その場所はとうとう教えてくれなかった。

それでも僕はカタクリと山吹草の野原を思い描くことができる。
そこはきっと石灰岩の土台に腐葉土の層がある。
水は豊かにある。
暑い日差しは遮られ、夏も涼しい。
カタクリと山吹草を翻訳するとそんな野原になる。

野原には野原の言葉がある。
そこに生える草や花が野原の言葉だ。
僕はその言葉をもっと覚えたいと思う。

*このストーリーに登場する植物はすべて下の動画に写真があります。
 見損なった人はもう一度どうぞ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2011年2月27日



目が醒めるとプトレマイオス三世

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

目が醒めるとプトレマイオス三世になっていた。
人体の転送よりも記憶の転送がマシンに負担がかかるために
移動前後の記憶がいまいち曖昧で
プトレマイオスになった理由がよく思い出せない。

自分は何のために紀元前3世紀のエジプトにいるのだろう。
しかもファラオだ。死ぬとミイラにされるのか?
発掘されて大英博物館に飾られたりするのは恥ずかしい。
だれにも発見されない墓をつくろう。

いやいや、そういうことではない。
ミイラにされる前に私には果たすべき任務があるはずだ。

もう一度訊く、と自分で自分に問いただした。
おまえは何のために紀元前3世紀のエジプトに送られたのだ。

私は頼りない記憶からプトレマイオス三世の偉業を検索した。
プトレマイオス三世の文化的な功績といえばアレキサンドリアの図書館だ。
世界中のあらゆる本を集め、略奪し、騙しとった学問の殿堂、
の擁護者でありヘレニズム文化の推進者….
それは私の人格にはふさわしいかもしれないが
時間がかかりそうだった。
文化は酒のように時間をかけて発酵し、成熟するのである。
長期にわたる任務を遂行中に死んでミイラにされるのは避けたい。

私はもういちど自分の記憶をさぐり、ひとつの歴史的事実を拾い出した。
それは喜ばしいものではなかった。
もしそれが任務だとしたら
私は5年ものあいだ故国を後にして戦いに赴かねばならないのだ。
もっとも古代エジプトは私の故国ではないが。

私はなんとか平和主義を貫きたいと願い
イシスやオシリスの神々に祈りを捧げながら
隣で眠る妃ベレニケの布団をそっと持ち上げてみた。
美しい…しかし髪の毛がない…….ああ、よかった。
安堵のあまり長いため息が出た。

よかった、シリア戦争はすでに終わっている。
王妃ベレニケはプトレマイオス三世の勝利を祈って
自慢の髪の毛を神殿に捧げ、
その髪の毛は星座になったという非科学的な伝説がある。
この女が丸坊主ということは厄介な戦争はすでに終わっているということだ。
本物のプトレマイオス三世が片付けてくれたのだ。
ありがたい。が、しかし、それでは私は何をすべきなのだろうか。

私は再び自分に問いただした。
星座の髪の毛と本物の髪の毛とどっちが好きか。
そうではない、私が紀元前3世紀のエジプトにいる理由は?
丸坊主の妻を持ち、ミイラにされる危険をおかしてここにいる理由は?

そのとき窓にうす明かりが射した。
ナイルの川向こうに東の地平線が横たわり
天と地の境に青い光がにじんでいた。
これが紀元前3世紀の日の出なのか。
いや、そうではない。ただの日の出ではなかった。
太陽よりも一瞬早く星々の王であるシリウスが昇ってきた。

ヘリアカルライジングだ。
シリウスの光と太陽の光が地平線で交わる年に一度の日だ。

私はおもわず暦をさがした。
この日、古代エジプトでは元旦を迎える。
この日からナイルの洪水ははじまり、ギザより下流は水面下に沈む。
畑が水につかって暇になった農民はピラミッド工事の出稼ぎにやってくる。

しかし、なにかがおかしかった。
太陽も星も新年を告げているのに暦は新年ではなかった。

ここにいたって私はやっと思い出した。
古代エジプトの暦は1年を365日とし、閏年がなかったこと。
そのために100年で25日の狂いが生じていたこと。

暦を変えることは神々への反逆とされていたので
どんな偉大なファラオも閏年を加えることができなかったのだ。
それができるのは私しかいない。
私にはエジプトの神々に対する忠誠心などひとかけらもないからだ。
よし、今日の太陽が沈まないうちに
このプトレマイオス三世(ニセモノ)が正しい暦を民衆に与えるぞ。

やがて….
この国の暦が新しくなると同時に帰還命令を受け取った私は
カツラを着用していっそう美しくなった妻に
少々心を残しながら現代に戻り
なにひとつ変わっていないエジプトの歴史の片隅に
紀元前238年に閏年をもつ暦を取り入れたプトレマイオス三世の
わずか一行の記録を見つけたのだった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2011年1月30日



その馬は星を眺める

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

その馬は星を眺めるのが好きだった。
たぶん故郷の草原を思い出すからだろう。
馬の故郷ははるか西のキルギスに近い草原で
遠い地平線を見渡すことができたし
西に沈む星に向かってどこまでも駆けることができた。

馬が連れて来られた洛陽の都には草原がなかった。
地平線がどこにあるのかもわからなかった。
そのかわり大きな建物とたくさんの人がいた。

その馬は一日千里を走った。
二世紀の中国で千里といえば400kmと少しの距離だ。
その能力の高さゆえに馬はときの権力者への贈りものにされたのだったが
馬としてはそんな人間を背中に乗せるつもりは毛頭なかった。
そこで最初の持ち主はこの言うことをきかない馬をある武将に与えた。

その武将は強かったが、義に疎く節操がなく裏切りを繰り返した。
ある意味ではとてつもなく自由でありその奔放さが馬と似ていた。
馬は呂布というその武将を乗せて戦場に出向くようになった。
壕(ほり)を飛び越え、城に攻め入って敵を蹴散らすのは面白い、と
馬は思った。

やがて呂布が死に、馬は呂布を殺した男の手に渡った。
この三番めの主は知謀に優れた武将だったが少々冷酷でもあった。
馬はその男を嫌って大暴れに暴れた。
それから馬は自分の首にあたたかい手が置かれているのに気づいた。
なるほど、自分はまた誰かに譲られたのだ、こんどはどんな奴だろう。
馬はさざ波のような笑みをたたえた髭面の武将を見返した。

そしてまた、戦いの日々がはじまった。
あたたかい手をしたあたらしい主は関羽という名で信義に厚く
部下にやさしいと噂される人物だった。
戦場では恐れを知らず勇猛に敵を攻めたが
そんなときでも馬をいたわり危険な目に遭わせることがなかった。

馬はもう星を眺めることがなくなった。
あたらしい主は混み合った戦場でも
草原と同じように馬を走らせることができた。
馬はどこにでも草原をつくりだす主の手綱に従うことが心地よく
また、その日の戦いが終わってから自分を撫でるあたたかい手が
待ち遠しいと思うようになった。

このとき関羽は曹操のもとにあり将軍として仕えていたが
一生の友情と忠誠を誓った相手はほかにいた。
馬が草原をなつかしむように
関羽もまた慕わしく思う人がいたのだ。
そしてその日、関羽は馬とともに目指す人のもとへ走った。
もし追われても、この馬に追いつけるものはいない。
一日千里を走るこの馬に勝てる馬はいない。
馬が与えてくれた自由を関羽は喜んだ。

馬もうれしかった。
自分が乗り手の喜びになることがうれしかった。
馬は星空の下を走りに走った。

この馬の名前を赤い兎と書いて赤兎(せきと)といった。
やがて関羽が死んだあと、
赤兎は絶食し自ら命を絶ったと伝えられている。

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中山佐知子 2010年12月26日



はじめてのスープ

               ストーリー 中山佐知子
                   出演 大川泰樹

彼は「踊るもの」に属していたので
春から秋までは仲間と狩りをしながら旅をして暮らした。
望んでいた獲物を仕留めるたびに
彼らは感謝の歌を歌いながら踊ったが
それによって殺した生き物の命は
肉と皮を彼らに与えて空高く昇り
また新しい命として生まれ変わるのだった。

「踊るもの」に属する彼らは
最初の雪が降るまえになるたけたくさんの肉をたくわえ
もうひとつの集団、「見つけるもの」の待つキャンプへ帰った。
肉はふたつの集団に平等に分け与えられた。

「見つけるもの」は、木の実や草の実、鳥の卵、水のなかの貝を集めた。
また糸がとれる植物、土器をつくる粘土のある場所も知っていた。
ときに病人に与える薬草をさがしに何人かが遠出をすることはあっても
集団で旅をすることはなかった。
小さな子供を連れているものが多かったからだ。

「踊るもの」と「見つけるもの」が同じキャンプで冬を過ごすと
翌年の夏の終わりには何人かの子供が生まれた。
子供はふたつの集団の共有財産だった。

その冬、「踊るもの」と「見つけるもの」が集まったキャンプから
ひとりづつの脱走者が出た。
彼はたったひとりの娘のために自分は狩りをすると思いたかったし
娘も自分が集めた木の実や卵を他の男に差し出すことは
涙ぐむほど悲しいことに思われたのだ。

ふたりは彼の肩に担いだ肉がなくなるまで数日を歩き
さらに雪原にウサギや鹿を追いながら旅を続けた。
ふたりは大きな集団から離れ
家族という小さな群れをつくる最初の試みをしているのだったが
彼はひとりで狩りをすることの危険や
大勢でなければ大きな獲物は仕留められないことを
身にしみて理解した。

冬が終わろうとするころだった。
ふたりはもう旅をやめて
凍らない泉のそばの岩陰を木の枝で囲った簡単なキャンプで
日を送るようになっていた。

彼は朝になると狩りをしにキャンプを出た。
このところ獲物が少なく
たくわえといえば何本かの骨と、骨のまわりのわずかな肉だけだった。
今夜も手ぶらで帰ればふたりともお腹を空かせたまま眠ることになる。
それなのに、彼は日が暮れると獲物をさがすのをやめて
どうしても娘の待つキャンプに帰らずにはいられなかった。

その夜、キャンプではいつものようにパチパチと火が燃えていた。
その焚き火はいつもと違う匂いがした。
先の尖った土器が火のなかに刺さっており
骨と骨からはがれた少しの肉が煮えていた。
それから、固い木の実を粉にして練ったものが浮かんでいた。
それらはひとつひとつではお腹いっぱいになる量ではないけれど
汁ごと一緒に食べればふたりとも十分に満たされそうだった。

彼ははじめて目にする食べ物の名前を娘にたずねた。
娘は笑って答えた。
「あなたが帰って来てうれしい」
それはふたりのはじめてのスープの名前になった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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